2018-02-18 (Sun)✎
よも”ヤマ”話 第41話 南八ヶ岳・赤岳〔積雪期〕その2 〔長野県・山梨県〕 ’92・ 4~5
八ヶ岳・赤岳 2899m 【名峰百選 10峰目】
一番空に近い窩
赤岳頂上小屋を望む
八ヶ岳 やつがたけ (八ヶ岳中信高原国定公園)
南北に30km・東西に15kmに渡って30座を越える2000m峰を擁する八ヶ岳は、山容が南北で大いに異なり、それぞれに違った魅力を備えている。
南北に30km・東西に15kmに渡って30座を越える2000m峰を擁する八ヶ岳は、山容が南北で大いに異なり、それぞれに違った魅力を備えている。
南八ヶ岳は主峰・赤岳 2899メートル をはじめ、阿弥陀岳 2806メートル ・横岳 2829メートル ・権現岳 2715メートル などの岩峰を連ねて、稜線は痩せて嶮しくダイナミックな姿を魅せている。
一方、北八ヶ岳は、北横岳 2480メートル を盟主に樹木に覆われたなだらかな山々が続き、山腹には池沼や草原がひっそりと点在し、静かで瞑想的な雰囲気を漂わせている。
南八ヶ岳・雪山 行程図
行程表
《1日目》 茅野市街より車(1:00)→美濃戸・小松山荘
《1日目》 茅野市街より車(1:00)→美濃戸・小松山荘
《2日目》 美濃戸・小松山荘沈殿
《3日目》 美濃戸・小松山荘(2:00)→行者小屋(2:20)→地蔵尾根分岐(0:05)→赤岳石室
《4日目》 赤岳石室(0:50)→赤岳(0:50)→赤岳石室(0:05)→地蔵尾根分岐
(2:30)→行者小屋(1:45)→美濃戸・小松山荘より車(1:00)→茅野市街
(2:30)→行者小屋(1:45)→美濃戸・小松山荘より車(1:00)→茅野市街
御来光は甲斐側に対峙する秩父山塊から昇る
朝は分厚い雲が下を覆って
御来光シーンはダメだったけど
朝、日の出前に石室より外に出る。 昨日の夕景色は信濃側の諏訪湖を鍵色に染め上げたが、朝日は甲斐側で対峙する秩父山塊の金峰山より上がるのである。 朝の御来光シーンを見届けたなら、アイスバーンの急傾斜が突き上げる八ヶ岳の主峰・赤岳に登ってみる。
今日はこの雪の急傾斜を登って
雪山初登頂を目指す
だが、今日からは登りに助けてもらったおっちゃんの『助け』はない。 「昨日の体験を思い出して、一人で行ってこい!」との『上意』をもらう。 その頂上へのアタックは、急傾斜と言えども道幅が広くて最悪滑っても、横に大きく外れて稜線より外に落ちない限り小屋に向かって真っすぐ滑り落ちるだけだし、その真っ直ぐ下にある小屋まではトレール(踏み跡)がしっかり着いていて、脱線のしようがないのである。
この”見た目の安全”は、昨日に『上意』をもらって独り立ちを強制された「装備のない初心者」には心強いものとなる。 そのせいもあって、昨日の地蔵尾根と比べてかなりハイテンポで登っていく。
この急傾斜を登りつめると傾斜がまろやかになり、その先に狭い頂上の崖っぷちにしがみ着くように建つ赤岳頂上小屋が現れる。 そこからやや細くなった小さな吊尾根を渡ると【名峰百選】10峰目にして、初めての雪山踏破である八ヶ岳・赤岳登頂だ。
頂上標柱が凍る八ヶ岳・赤岳頂上
:
この年は例年になく寒く雪が多い年だった
空は又とない快晴で、360°の大展望が広がる。 中でも雪で白銀となった未だ未踏の山域である南アルプスの山々が、先の踏破を夢見て気持ちが高揚したよ。 また、ゴツゴツした岩塊に雪の紋様を刻む八ヶ岳・横岳の大同心の芸術的な姿に心を虜にされたよ。
八ヶ岳稜線の背後に
まだ未踏ので憧れの南アルプスの峰々が
憧れの南アルプスの峰々を
望遠で引っ張ってみる
「憧れの峰に行きたい」という気持ちが
更にズームして高まってくる
大同心のゴツゴツした岩塊に
雪が紋様を刻みアートを魅せていた
また、美しいコニーデの三角錐を魅せる蓼科山や、骨太い容姿を魅せる八ヶ岳の主稜線上の権現岳など、雪山展望の素晴らしさを独り占めできたのである。
横岳・大同心の先には
美しく端正な三角錐を魅せる蓼科山が
2700m以上の南八ヶ岳は白銀となり
2530mの蓼科山は頂上に雪の冠を載せ
望遠で引っ張ると
標高差が白銀と黒の対比で強調されるね
そして下を望んでも、小粒となった清里の街や麓の行者小屋の建物が視野に入ってきて、これを望むと否応なしに高峰の頂に立った高揚感にが湧き立つのである。
八ヶ岳の頂より
甲斐の国側を見渡して
だが、この赤岳は人気のある八ヶ岳の主峰で、しかも今はゴールデンウィークの真っただ中で、なおかつコレはまたとない快晴の雪山日和・・。 なのに、頂上で大方小一時間いるにもかかわらず誰一人として頂上には現れず、真に頂上の絶景を”独り占め”できたのである。
雪と峰と・・
雪山展望を独り占め
その誰も来ない状況に「何故だろう?」と疑問を持ちつつも、「小一時間居た事だし、そろそろ戻ろうか」と腰を上げる。 すると頂上小屋の小屋番と思しき方が、小屋より小さな吊尾根を渡って頂上にやって来たのである。 それと同時に、「バリバリバリッ」っと炸裂音を響かせたヘリが、赤岳の周りを何度も旋回し始めたのである。
炸裂音を響かせて旋回したヘリは、信濃側にそびえる八ヶ岳支峰の阿弥陀岳付近でホバーリングを始め、一時すると黒いモノを吊り下げて飛び去っていった。 小屋番と思しき方は持ってきた無線でヘリに応答をしていたが、その無線から「昨日の滑落事故の被害者は近藤! ザックに文字で大きく『近藤』!」、「現場は文三郎道・・、ここから南沢へ滑落した模様」との通信が漏れて耳に入ってきたのである。
赤岳と阿弥陀岳の真ん中の
コブに至る尾根道が文三郎道
この無線を耳にして、「うわァ・・、ファースト雪山で滑落遭難を見ちまったよ」と慄くが、この遭難を見て「四つん這いになっても、下まで滑らずに降りるぞ!」との固い決意もできたのである。
これより挑む下りに集中するべく
最後に大同心の美しき姿をフイルムに刻む
・・で、その決意を胸に石室まで赤岳の急傾斜を下るが、この時は若かったのか今よりも『スタンダップスタイル』を維持したまま石室まで下れたよ。 やはり若くて、膝に踏ん張る力があったみたいだね。 今なら、殿下の宝刀『クマ下り』(四つん這い降り)の技を使わねば下れないよ、きっと。
下り着いた赤岳石室では、おっちゃんに「滑落事故があったんですね」、「ヘリが旋回してましたよ」と言うと、「あぁ・・、昨日な・・、文三郎道で落ちたみたいだな」、「今日のヘリは遺体の回収だよ」、「昨日の滑落騒ぎて皆ビビって登ってこないから、今日は泊まりゼロだわ」と呟いた。
それを聞いて、「あのヘリが吊り下げていた袋状のモノは『近藤さん』だったのね」と直感で確信したよ。
さて、小屋でデポった荷物をまとめてこれより下山するが、おっちゃんが「もう、一人で行けるだろ? 事故があった手前、慎重に行けよ」、「雪庇だけは気をつけてな! また、雪山に来いよ!」と小屋を発つ際にエールを添えて見送ってくれた。
次はあのゴツゴツした
岩峰を制覇したい
首なし地蔵のある地蔵尾根分岐だが、今日は快晴という事もあって、雪が融けて埋まっていた鎖が現れるなど、登りの時より格段に条件が良かったのである。 降り始めの時は「手をズボズボ着いて、トラバース『クマ下り』で降りようか」と思っていたが、「四つん這い」にならずとも鎖をつかんで下る事ができたよ。
行きで唾を呑み込んだ岩壁も
下りは爽快に下れたよ
そして、最後の岩壁はこれまた雪に埋まっていたハシゴが現れて、容易に降りる事ができた。
でも、登りの時はこの雪壁を蹴って、踏み段を造ってよじ登ったのよね。
この雪壁の下りを終えると、程なく行者小屋の裏手に降り着いた。
これて晴れやかに・・、雪山初体験は無事に写真の手応えもバッチリの『大成功』で終える事ができたよ。 それに師匠ともいえるおっちゃんから雪山の知恵や歩き方を教わり、雪山に望む装備のアレコレと大切さも教わった実りの多い雪山初体験だったよ。
下界に降りると
そこは春の観光地だった
:
清里にて
下山した後は、所属していたカメラの会(会の方針が金銭的負担の大きな写真展や写真グラブコンテストに向き始めたので、考えが違うと思ってヤメちゃったよ)の春の撮影旅行に合流して、その後写真の会の面々が高い旅館に泊まるというので別行動をとって、秩父の増富ラジウム温泉経由(安いユースホステル宿泊)で帰ったよ。
南アルプスの前衛の山々を望む
:
増富温泉にて
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