風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第247回  長崎本線・佐賀駅

路線の思い出   第247回  長崎本線、旧国鉄佐賀線・佐賀駅  〔佐賀県〕


今回の駅の思い出は駅構内で起きた事である
よって駅の外には出た事が全くない
※ ウィキペディア画像を拝借

《路線データ》
長崎本線
          営業区間と営業キロ            輸送密度(’16) / 営業係数(’13)
     鳥栖~長崎・喜々津~浦上 148.8km          14861  /  97
運行本数(’18)
     鳥栖~長崎 特急・・長崎行【かもめ】毎時2本、佐世保行【みどり】毎時1本
               ハウステンボス行【ハウステンボス】4往復
           普通・・毎時1~2本、唐津線方面の普通・・毎時1~2本
     喜々津~長与経由~長崎 18往復
     喜々津~市布経由~長崎 普通 毎時1~2本、
                 快速〔シーサイドライナー〕毎時1本


昇開橋の筑後川橋梁を渡る佐賀線列車
※ ウィキペディア画像を拝借

佐賀線
《路線データ》
         営業区間と営業キロ               輸送密度 / 営業係数(’83)
        佐賀~瀬高  24.1km                     1301  /   683    
運行本数(’18)
10往復
(’80年まで当路線経由で熊本~長崎に急行【ちくご】1往復運行されていた)


佐賀駅(さがえき)は佐賀県佐賀市駅前中央一丁目にあるJR九州の駅で、佐賀県の県庁所在地・佐賀市の代表駅である。 特急列車を含む全列車が停車する。 当駅は路線名称上としては長崎本線の単独駅であるが、長崎本線久保田駅を起点とする唐津線の列車がすべて当駅まで乗り入れており、長崎本線と唐津線の接続駅としての機能も持っている。 1987年までは当駅を起点とする佐賀線が乗り入れていた。


切欠きホームが露骨に残る
佐賀線発着ホーム跡
※ ウィキペディア画像を拝借

なお久保田駅には長崎本線の特急列車は停車しないため、特急を介して長崎本線肥前山口駅方面と唐津線を乗り継ぐ際にはいったん当駅まで行って乗り換える必要があるが、分岐駅通過の特例により、当駅で途中下車をしなければ乗り越し区間(当駅 - 久保田駅間の往復)の運賃は不要である。

島式ホーム2面4線を有する(1番のりばの外側に機回し線がある)高架駅で、高架下に駅舎・コンコースがある。 なお、駅を真上から俯瞰した場合、駅の高架形状が北側が直線的であるのに対し、南側が曲線的であるのは将来的には北側に沿って新幹線駅の併設と新幹線高架線を考慮した名残である。
また、1番のりばの鳥栖方には切り込み線があるが、これは佐賀線の列車が発着していた名残で、一部であるが佐賀線の高架も残っている。

2016年度の1日平均乗車人員は12,341人である。 JR九州の駅としては9位で、長崎本線の駅、及び佐賀県内の駅の中では最も多い。



今回取り上げた佐賀駅であるが、下車体験としては足を”チョン着け”した位でしかない。
「なら何でこの駅を取り上げたのか?」と言うと、その下車体験の足の”チョン着け”が、大いなるミステイクに気づいて飛び降りたが、乗るべき接続列車は行ってしまった後で、文字通り『後の祭り』となったイタイ思い出の”チョン着け”だったから妙に記憶に残っているのである。

それは廃止ローカル線が片付いて、鉄道を追い求めるのを止めて久しくなった頃の事で、この時は九州の山々を訪ねる放浪旅”もどき”の途中であった。 なぜ九州の山々を訪ねる旅が”もどき”なのかというと、九州の山々は独立峰が方々に散らばっていて、テント山行を伴った縦走のできない山々ばかりだったからである。


頂上まで2時間足らずの
標高922m・開聞岳

その九州各地に散らばる独立峰の山々も、ほとんどというか全てが日帰りのハイキングで事足りる山で、北海道や東北、中部山岳の山域をゆく時のように、車中泊や山にテントを張って寝泊まりしながらの放浪山旅が利かなかったのである。

そして、関西圏から九州は中途半端に遠くて車で向かうのはシンドい上に、ガソリン代などの費用を考えると、『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』や『周遊きっぷ』を使った方が経済的だったのである。
まぁ、『放浪旅』時代と言う事で、要するに身分は『ブー』であった事だし、費用に対してはシビアにならざるを得なかったのであるが。


『路上テント』で凌いだよ

・・で、テント一式を背負い込んで、登山口や登山口の最寄駅の無人駅で駅寝しながら周っていたのである。 こういう旅の形態だと自ずとから、旅の日程は所持する切符の有効日数となってしまうのである。 


美しい『山』の文字を模る
霧島・韓国岳

特に、次の山に向かうべくの移動日は車で来た時のように寄り道が適わないので、ほとんど列車の中か駅構内にいる状態となるのである。 下手すると一日数本しかない路線での列車の待ち時間とか、大いに時間を潰さなければならないのである。

このように列車に乗りつめたり、駅で列車待ちの待機をしていたなら、この無駄な時間を何とかするべく「かつて取った杵柄」が頭をもたげてくるのである。 そう・・、この空き時間を使って、九州の未乗線区周りに”走ってしまう”のである。


九州5指の標高1721mを誇る名峰・市房山

長々と前置き話を記したが、この時は開聞岳、霧島・韓国岳、市房山と周って帰路に着く日の事であった。 帰りは『周遊きっぷ』の特典で、料金を払えば大阪行の寝台特急【あかつき】の指定席車『レガートシート』の切符が取れたので、この列車の発車時刻の夜の21時過ぎまで時間が空いていたのである。


夜行高速バスと同じタイプの3列シートだが
車輌の幅が広い分快適である
これを充実させてたら夜行バスに勝てたかも
※グーグル画像を拝借

・・で、未乗路線の篠栗線、香椎線などを制覇して、未城線区で最も難関であった筑豊本線の原田~桂川(今は8往復だけど、当時は6往復しかなかったような)も埋めて、最後の仕上げに唐津線と筑肥線に乗るべく原田から鳥栖に向かったのである。


筑豊本線の桂川より先は
単行運転のローカル線だ
※ ウィキペディア画像を拝借

鳥栖から普通列車で佐賀に行き、佐賀ですぐに接続の唐津線の列車に乗ると、筑肥線と唐津線も埋める事ができる計画を立てたのである。 もちろん、テント用具一式を担ぐ身なので重たくて嵩張る時刻表など持たずに、「駅の時刻表をめくり漁って」計画を立てたのである。

・・で、その俄か立てた行程計画での乗換え駅などを暗記して事に挑むが、香椎線と篠栗線の乗換えが両路線の交差駅・長者原を含めてのモノで複雑だった為だろうか?、はたまた桂川で1日6本の列車に乗る事に気を取られたからだろうか・・、鳥栖から長崎本線の列車に乗る頃には真っ白になっていたのである。

・・で、佐賀駅に到着した時も『真っ白』は継続中で、駅に着いてもボ~っと車窓から駅構内を見つめていた。 その内にすぐの接続だった唐津線列車は出ていったのだろう。 恐らく、その唐津線列車も、ボ~っと見送っていたと思う。

我に帰ったのは、特急待ちの7~8分が経過して発車のブザーが鳴った時・・。 我に帰って荷物を抱えて飛び降りたが、言葉通り「後の祭り」だった。 これで筑肥線と唐津線は未乗のまま、この線区を埋める為の所要時間分の5時間の空白ができたのである。 頭が真っ白になる『空白』の思念が、5時間の『空白』の時間を拵えてしまったのである。



長崎ちゃんぽんとカステーラ
今こんなに食べたら血糖値が上っちまう
※ グーグル画像を拝借

もう、する事がないので、30分に1本ある白いイモムシじゃなかった特急【かもめ】に乗って、長崎ちゃんぽんを食いに行ったのである。 ついでに、長崎カステーラもヤケ食いしたのも憶えている。


こういうのを撮ろうと計画は
立てたのだけれど・・叶わず終い
※ ウィキペディア画像を拝借

・・やはり、駅に備え付けの時刻表で俄か立てた計画は、細部まで頭に入らないんだね。
未だに、唐津線と筑肥線は未乗のままである。 ついでに可動橋で有名な佐賀線も、北海道廃止路線重視の方針のあおりを受けて未乗のまま廃止となってしまったよ。 可動橋でショットする『撮り鉄計画』は立てたのだけれど・・ネ。












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