2018-02-11 (Sun)✎
路線の思い出 第246回 奥羽本線、津軽線、青い森鉄道・青森駅 〔青森県〕
そういえば青森駅舎を
まともに見た記憶がないなぁ
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
奥羽本線
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
福島~青森 484.5km 8132 / 258
運行本数(’18)
青森駅発弘前方面 普通 毎時1~2本、ラッシュ時毎時3~4本
青森~秋田 特急【つがる】 3往復
津軽線
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
青森~三厩 55.8km 2538 / 421
運行本数(’18)
青森~蟹田 9往復(うち1往復は三厩へ直通)
蟹田~三厩 5往復(うち1往復は青森へ直通)
蒼い森鉄道
営業区間と営業キロ 運行本数(’18)
青森~目地 121.9km 青森駅発八戸方面 毎時1本、ラッシュ時毎時2~4本
大湊線直通快速〔しもきた〕1往復(他3往復は八戸発着)
青森駅(あおもりえき)は、青森県青森市柳川(やなかわ)一丁目にあるJR東日本・青い森鉄道の駅である。 県庁所在地・青森市に所在する青森県の代表駅である。
島式ホーム3面6線を有する駅で、1・2番線に青い森鉄道線、2~6番線に奥羽本線、4・6番線に津軽線の列車が発着している。 各線は構内北側へ向けて1線に合流しており、客車列車の入換・機回し線として使用されている。
東北本線八戸~青森の碧い森鉄道への経営移管に際して構内改良工事が行われており、1・2番線の有効長短縮や不要線路・分岐器撤去などが実施された。 経営移管以前は、一部列車を除き1・2番線に東北本線、3~5番線に奥羽本線、6番線に津軽線の列車が発着していた。
また、東北本線八戸駅~青森駅間の第三セクター化に伴い、在来線における所属線は東北本線から奥羽本線に変更されている。 現在乗り入れている路線はJR東日本の奥羽本線と津軽線、青い森鉄道の青い森鉄道線の合計3路線であり、いずれの路線も当駅が起終点となっている(津軽線のみ起点、他の2路線は終点)。
青森駅の跨線橋
:
広い渡り廊下に
かつての夢の残り香があった
※ グーグル画像を拝借
構内の各ホーム間を連絡する跨線橋はホーム南北に2か所あり、南側のものは駅舎と各ホームとの連絡橋として現在も使用されているが、北側のものはかつての青函連絡船との乗り換え用のため現在は使用されていない。 この北側の跨線橋は連絡船廃止後長らく未使用となっていたが、現在は改修されて八甲田丸・青い海公園と青森マリーナを結ぶ「青い海公園連絡橋」として使用されている。
かつてはこの桟橋に
北への旅がつまっていた
※ グーグル画像を拝借
かつては1番線側に青函連絡船の岸壁があり、連絡船の車両甲板につながる可動橋があった。
また、当駅から安方を経て埠頭方面への臨港線(青森県公用臨港線)もあり、貨車の入れ替え作業がホームから頻繁に見られた。 連絡船への貨車積み込みのため、構内の線路は岸壁に向かって北側に伸びた構造になっている。
青森駅と港埠頭の空撮
※ ウィキペディア画像を拝借
JR東日本の2016年度の1日平均乗車人員は5,342人であり、青森県内の駅では最も多い。 青い森鉄道の2013年度の1日平均乗車人員は3,257人である。
当駅は古くは青函連絡船の本州側玄関口であり、北海道と本州をつなぐ、全国的な交通網の要であった。 その情景は歌謡曲「津軽海峡・冬景色」の歌詞にもなった。 1988年に青函トンネルが開通すると、青函連絡船はその役目を新たに開業した津軽海峡線に譲って廃止され、津軽海峡線の快速〔海峡〕の始発・終着駅の役割を果たしていた。
快速〔海峡〕の絵入りテール幕
※ ウィキペディア画像を拝借
その後、2002年の東北新幹線盛岡~八戸間の開業時に快速「海峡」が廃止され、北海道方面への特急【白鳥】の途中停車駅となった事から、昼間の当駅始発・終着列車が減り、更に2010年12月4日の東北新幹線新青森開業後は東北本線八戸~当駅間は青い森鉄道に経営移管され、特急【白鳥】の起終点は八戸駅から新青森駅に変更され、多客期の臨時特急「白鳥」の午前の1往復のみ当駅始発となった。
そして、2016年の北海道新幹線開業に伴い、青函トンネル経由の旅客列車はすべて新幹線へ移行することになった為、特急【白鳥】をはじめとした津軽海峡線の旅客列車は全て運行を終了した。
これによって当駅から直接北海道方面へ向かう旅客列車は無くなり、北海道への玄関口としての役割は新青森駅に移行されたのである。
この駅での思い出は、この駅が北海道への玄関口であった事が全て・・と言っていいだろう。
そう、鉄道を使って北海道へ向かう青年時代の旅の全てで降り立った駅であったのだ。
従って、この駅の変革と共に北海道へ渡るワテのスタイルも、それに合わせて変えていくしかなかったのである。
この列車で朝の10時から13時間乗車の苦行
これが北海道へ渡るべくの試練だった
その初めて北海道に渡った際に初めてこの駅に立ち寄ったのは、高校になりたての夏の旅で・・あった。 その時のワテの住む関西圏からの・・、そして車を持っていない高校生の北海道への移動方法は、大阪駅から特急【白鳥】で13時間に及ぶ日本海側の縦断で、13時間の長すぎる乗車でヘロヘロになって深夜未明時に青森駅に辿り着き、そこから連絡船の2等雑魚寝船室を目指して連絡船の桟橋へ駆けていくのであった。
でも、青森駅の凍ったホームを滑りながら深夜に駆けだした記憶や、翌日北海道の函館に渡って夜明け前の雪景色を目にした感動など、最も「北海道へ渡ってきた」情感があったのも事実だ。
そしてこの頃は、鉄道が最も輝いていた頃で、鉄道で北海道をめぐる旅をするのが楽しくてしょうがなかったのである。
在りし時の急行【はまなす】
この列車の終焉が
鉄道旅離れを決定的にした
※ ウィキペディア画像を拝借
そして時代が進んで、青函トンネルが開通して青函連絡船が廃止されると、北海道へ渡る手段は快速〔海峡〕と急行【はまなす】となった。 快速〔海峡〕は昼間時の運行で、関西圏から青森までの距離を考えると、昼間時の青森駅発着の列車に乗るのは難しかったのである。 従って記憶では、快速〔海峡〕には1回しか乗った事がないのである。
在りし時の快速〔海峡〕
青函の昼間発着のこの列車は
関西圏からは利用し辛かった
※ ウィキペディア画像を拝借
それは、関西圏からの青森への移動手段は、青函トンネルが開通しても特急【白鳥】であった事は変わらなかったからである。 従って、青函を渡る列車は夜行急行の【はまなす】に変わったのである。
だが、この急行【はまなす】の自由席は1輌ないし2輌しか連結されておらず、この自由席をめぐって凍ったホームを駆ける距離の短い『席取り合戦』となったのである。 この『席取り合戦』は、競争率が高い分熾烈を極めたのである。
急行【はまなす】は自由席車が少なく
しかも編成の最後尾なので
『席取り合戦』が発生した
※ ウィキペディア画像を拝借
以前の青函連絡船なら2等船室の収容人数はほぼ無制限で、船に乗り“あぶれる”事はなかったが、急行【はまなす】の自由席車の定員は64×2輌と定員が決まっており、“あぶれる”と車両の廊下やデッキで転がって寝るハメとなったからだ。
『睡眠防止装置付』で悪評高かった
急行【はまなす】の自由席
:
『四国三大走り』からの連勝街道も
この急行【はまなす】で途切れてデッキ寝に
※ ウィキペディア画像を拝借
青年を過ぎ去る程に歳を喰って粘りがなくなった晩年は、ついに連勝記録も途絶えてデッキ寝になった事もあったよ。 でも、急行【はまなす】の車内暖房は気分が悪くなる程に強烈で、反って着込んでデッキで寝た方がよく寝れた・・というオチがあるのは藪の中に。
更に時が経って、ついに現在は鉄道において正常な運営をしていた在来線さえ淘汰する『癌細胞』と化しているシンカンセンの延伸が始まったのである。 シンカンセンの盛岡延伸時に合わせるように大阪から青森までの特急【白鳥】が廃止され、関西圏からの青森への移動手段は東京から東北本線周りの“大ムダ”となってしまったのである。 それ以来、北海道へ渡る手段は鉄道からフェリーに変わってしまったのである。
まぁ、ローカル線も大方が廃止淘汰されて、鉄道に対する目的を失いつつあったし、それと同時に車を所有し、旅の目的も廃止ローカル線から山旅へと変わってしまったからだ。 それからは、「10ヶ月働いては、夏の2ヶ月を丸ごと山旅に費やす」という放浪旅を繰り返す事となる。
鉄道から離れてからは
放浪&山旅に夢中でした
以前の自由奔放な『放浪旅』ができなくなる程に世の中が“世知辛く”なり、そして倫理的にも許されぬ歳になって、北をめぐる旅のスタイルもまた様変わりする。 そして、シンカンセンの青森延伸から北海道への延伸という『癌細胞の転移』そのままの赤字垂れ流しで、鉄道そのものを衰退させる自殺行為が行われるなど、鉄道や表題の青森駅を取り巻く状況も大いなる変化が起こっていた。
自由気ままな『放浪旅』が不可能になってからは、マイカーでの渡道は反って不利となって専らレンタカー利用となった。 こうなると費用は安いが長くシンドく辛いフェリーは車も乗せないし、何より”歳食った身の上”では敬遠対象となってきた。
・・で、再び鉄道での渡道に戻った時期もあった。 それは、JR東日本が『東日本・北海道パス』という普通列車乗り放題の『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』に似たキップが、10000円と超安価で発売されたからだ。 この切符の利点は、『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』の弱点であった「普通列車の無い青函トンネル区間」の急行【はまなす】の乗車が可能だったのである。 後に要急行券とはなったが、それでも収入の安定した務め人となった身の上では、指定席を取ってでも「元が取れた」のである。
急行【はまなす】の指定席車
歳食うと金を出してでも楽を求め
その不甲斐なさにかつてを偲んで涙する
※ ウィキペディア画像を拝借
でも、この『東日本・北海道パス』でも、鉄道での渡道は手段として有効ではなくなってくる。
それは、先程述べた『癌細胞』・シンカンセンの転移によって北海道の普通列車の運行形態がズタズタに破壊されていったからである。 それは普通列車がなければ・・、それに輪をかけて青森から北海道の中心地で北の周遊の起点となる札幌へと向かう急行【はまなす】が廃止されたなら、『普通専用乗車券』は全く使い物にならなくなってしまったからである。
夜行列車と周遊券
鉄道が旅の夢を運ぶアイテムを放棄した事で
人の心から鉄道旅は消えていった
※ ウィキペディア画像を拝借
もう、今は、かつては毛嫌いしていた旅客機を使って、山のガスボンベやアイゼン・ピッケルなどの尖ったモノの持ち込みにイチャモンをつけられたり没収されたりするなど、フラストレーションを溜めながらも仕方なく利用しているのである。 でも、飛行機になって、渡道時に味わったあのトキメキは完全に消えてしまったね。
青森駅の西口駅舎
:
この簡素な駅舎に
僅かな鉄道へのトキメキを感じた
※ ウィキペディア画像を拝借
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No title * by 風来梨
オータさん、おはようございます。
北海道から内地方面に向かうなら、JR東日本は列車本数が充実しているので、この切符も使い手があるかも・・ですね。
旅情という点では、やっぱり連絡船の右に出るのはないですね。 北に渡る時も、北から戻る時も連絡船の桟橋を渡るときの情感は格別です。
北海道から内地方面に向かうなら、JR東日本は列車本数が充実しているので、この切符も使い手があるかも・・ですね。
旅情という点では、やっぱり連絡船の右に出るのはないですね。 北に渡る時も、北から戻る時も連絡船の桟橋を渡るときの情感は格別です。
それでも 北東パスは 今でもお得な切符ですね。最後の 青森駅西口は、いつもフェリーを降りて 市街を歩いて辿りつくところ、イイ感じなのと これから東京へ向かうと言う 旅情をかきたててくれるのです。ナイス!