2018-02-11 (Sun)✎
よも”ヤマ”話 第40話 南八ヶ岳・赤岳〔積雪期〕 その1 〔長野県・山梨県〕 ’92・ 4~5
赤岳石室より望む南八ヶ岳の主峰・赤岳
この年の春山はかなり雪深かった
八ヶ岳 やつがたけ (八ヶ岳中信高原国定公園)
南北に30km・東西に15kmに渡って30座を越える2000m峰を擁する八ヶ岳は、山容が南北で大いに異なり、それぞれに違った魅力を備えている。
南北に30km・東西に15kmに渡って30座を越える2000m峰を擁する八ヶ岳は、山容が南北で大いに異なり、それぞれに違った魅力を備えている。
南八ヶ岳は主峰・赤岳 2899メートル をはじめ、阿弥陀岳 2806メートル ・横岳 2829メートル ・権現岳 2715メートル などの岩峰を連ねて、稜線は痩せて嶮しくダイナミックな姿を魅せている。
一方、北八ヶ岳は、北横岳 2480メートル を盟主に樹木に覆われたなだらかな山々が続き、山腹には池沼や草原がひっそりと点在し、静かで瞑想的な雰囲気を漂わせている。
南八ヶ岳・雪山 行程図
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 茅野市街より車(1:00)→美濃戸・小松山荘
《1日目》 茅野市街より車(1:00)→美濃戸・小松山荘
《2日目》 美濃戸・小松山荘沈殿
《3日目》 美濃戸・小松山荘(2:00)→行者小屋(2:20)→地蔵尾根分岐(0:05)→赤岳石室
《4日目》 赤岳石室(0:50)→赤岳(0:50)→赤岳石室(0:05)→地蔵尾根分岐
(2:30)→行者小屋(1:45)→美濃戸・小松山荘より車(1:00)→茅野市街
(2:30)→行者小屋(1:45)→美濃戸・小松山荘より車(1:00)→茅野市街
休みが少な過ぎて書くヒマがなくて”よもヤマ話”の更新が滞っていますたが、決して面倒臭くなった訳でも『打ち切り』でもありませんので。
さて、この年の正月に北八ヶ岳で雪山に魅せられたタワケは、そのまま勢いで雪の春山を目指していた。 そう、アイゼンなどの道具は、前の年に白馬大雪渓を登るべく・・に買った6本爪の軽アイゼンで、もちろんピッケルもナシの現状は「ほぼ装備ナシ」の山をナメまくっての雪山チャレンジであった。
無知の勢いは凄ましいけど
我に帰ると恥ずかしい
もし、このまま登りに行っていたなら良くて「断念引き返し」、下手すりゃ滑落して『近藤さん』と同じ目に遭っていた(『近藤さん』は次回の第41話で登場・・乞う御期待!?)だろう。 そうなると、ワテの山人生もこの時点で打ち止めとなっていただろうと思う。
だが、このタワケには類い稀なる『悪運』があった。 それは、2日目が荒天で登山口の山荘で”沈殿”となった事、そして同宿で居合わせたベテラン登山者に着いて道程での手助けと『雪山のイロハ』を学べた・・という『悪運』だった。 そう・・、そのまま行けば雪山の知識も無く、歩き方も知らずに墓穴を掘っていたであろう・・、雪山をナメまくっての初挑戦を成功裏に終える事ができたのである。
さて、登山口の山荘での“沈殿”も、雪山初体験のこのタワケには知識吸収の場となった。
それは「登りでパワーを得るには、吸収が早くエネルギー転換の早いコメの飯を『朝飯』として食う事」という教えと、これは登山には関係ないけど、「車のエンジンオイルの廃オイルがこういう山荘のストーブの燃料になっている」という事である。
何でも、廃オイルは単体では燃えにくい性質から、炎上する事がないので火災になりにくく、また薪をストーブにくべると廃オイルの不純物と一緒に燃えて、薪が炭のようになって長持ちするらしいのである。
要するに、練炭ストーブのように温かくて長持ちする『魔法の油』との事である。 まぁ、今のご時世では山小屋でも、こんな廃油を使ったストーブは無くなっているだろうけど。
さて、沈殿日の事はこの位にして、《3日目》の登山初日の事を語っていこう。 同宿のベテラン登山者のおっちゃんが、昨日寝る前に「明日は俺と一緒に登ろう」といってきたのである。 ベテラン登山者のおっちゃんからすれば、装備からして山をナメにナメまくったこの雪山初心者のタワケを放っておく訳にはいかなかったのだろう・・と思う。
小松山荘より行者小屋までは、ほとんど傾斜のない沢沿いの道だ。 普段の春山では、行者小屋までの道はほとんど雪がないのだが、昨日は沈殿日とせねばならぬ程に天候が大荒れに荒れて吹雪いたようで、道は雪が吹き黙っていた。
山の知識がほとんどないこのタワケは、「行者小屋まで3km」、「行者小屋から赤岳石室まで2km」と、距離を目安にして言葉に出すと、ベテラン登山者のおっちゃんは一言・・「距離で考えても意味ないぞ!」とタワケを一喝する。 その後、雪があるから「行者小屋まで2時間かかるな」という。
今では「コースタイム云々」と言ってるこのタワケも、登山を始めた頃は「コースタイム」の概念も知らなかったのである。
「コレ・・ 登るの?」と言いかけたけど
お目玉喰らいそうなので言うのをやめた
やがて、行者小屋の前に着く。 ここでアイゼンを着けるが、目の前には直立した岩壁が建ちはばかっていた。 これを見て「コレ・・、登るの?」と言いかけたが、おっちゃんにドヤされそうなのでヤメる。
「一人でやって来たなら、この立ちはばかる岩壁にヒビって引き返していただろうな」と思いながらアイゼンを着けると、着ける手がモタつく。 そのモタつくタワケにおっちゃんが一言。 「そのアイゼンで登る事で、装備の大切さが身に染みて解るよ」と諭してくれた。 そう、「この雪壁を蹴り込めない6本爪は、春山ではアイゼンの意味がない」と言う事を、「これからの体験で感じる事」に置き換えて諭してくれたのである。
・・で、この雪の岩壁を登っていく。 この年は雪が深かったのか、ハシゴは完全に雪に埋まり、雪壁を蹴り込みながら登っていかねばならない。 でも、おっちゃんが前で雪を蹴り込んで足掛かりを作ってくれたので、容易に登れる。 おっちゃんはハァハァ言いながら、「アイゼンの前爪・・、要るだろ?」と言う。
雪壁を登りきって、もっとも恐怖を感じる『雪壁を横に伝うトラバース』地点に差し掛かる。
おっちゃんは踏み抜くと危ない雪庇の見分け方を教えてくれて、「雪庇を踏み抜くのが、滑落のほとんど」と教えてくれた。 タワケはおっかなビックリの様相で、両手を雪にズボズボ差し込みながら『3点支持歩行』をするが、ここでもおっちゃんの一言。 「ずっとその調子で行くとバテるぞ! なっ! ピッケル・・、要るだろ?」と。
この尾根までのトラバースで
雪山の怖さと魅力を知った
もう、おっちゃんの一言一言が身に染み入ったのである。 でも、このトラバースを乗り越えて、首の無い地蔵さんが鎮座している地蔵尾根分岐まで登り着く。 登り着いて、おっちゃんが一言。
「その装備でよくガンバった!」と、最後の最後でお褒めの一言をもらえたのである。
首なし地蔵より赤岳を見上げて
今日は雪山登りで「お腹いっぱい」
なので赤岳は「また明日・・」
この『首なし地蔵』より、今夜の宿・赤岳石室へは5分程で着く。 午後からはやや吹雪いてきたので、今日の所は赤岳アタックは見送りにする。 赤岳石室はランプの宿で、雰囲気満点だ。
ここまでタワケが昇るのを手助けしてくれたおっちゃんは小屋のヘルパーさんのようで、夕食の準備に厨房に入っていった。
赤岳石室は雰囲気満点の
ランプが灯る山小屋
さすがに雪山初体験で疲れの出たこのタワケは、小屋のストーブの前で「フネを漕いで」いたよ。
2時間程ウツラウツラして目覚めると、先程の吹雪も止んでそろそろに夕空の時間帯となっていた。
さて、これからが、今日の恐怖を耐え抜いた“ご褒美”の時間だ。
迫力の横岳岩峰
今日の登りを耐え抜いたご褒美
数年後はこの雪の嶮峰を縦走
するまで“成長”するのですね
横岳が雪をまとって迫力ある姿を魅せ、そしてその嶮しい岩峰が夕方の斜陽を浴びて輝き始める。
そして、空がほのかにピンク色となって、諏訪湖が夕空に浮き出し始める。 そろそろ、シャッタースピードが稼げなくなって三脚の出番となる。 ピッケルは持ってこなくても、三脚を持ってきた所はおっちゃんを大いに呆れさせたが、それでも、この写真が撮れたので良かったと思う。
でも、今日の雪山体験で、「今後は三脚は持ってくるのはやめておこう」という結論に達したのである。 それは言うまでもなく、今日の体験で「三脚よりも、山の装備の方をキチンと揃えなければならない」という事に気づいたからである。 それでは、最初で最後の山に持ち込んだ三脚を使っての写真をごろうじろ。
今日登ってきた地蔵尾根の
急傾斜に思わずゴクリ
夕日が諏訪湖に姿を映す
陽が落ちて諏訪湖が
浮かび上ってきた
やがて街の灯かりが点り始め
下界が虹の街を魅せてくれた
※ 続きは、次回の『よも”ヤマ”話 第41話 南八ヶ岳・赤岳〔積雪期〕 その2』にて・・
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