風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第245回  越美北線・九頭竜湖駅

路線の思い出   第245回  越美北線・九頭竜湖駅  〔福井県〕


九頭竜湖駅
現在は『道の駅』と併設されて
※ ウィキペディア画像を拝借

《路線データ》
        営業区間と営業キロ        輸送密度 / 営業係数(’15)     
      福井~九頭竜湖 55.1km          494  /  772      
運行本数
                 福井~九頭竜湖   4往復
                 福井~越前大野   5往復
                 越前大野~九頭竜湖 1往復

九頭竜湖駅(くずりゅうこえき)は、福井県大野市朝日にあるJR西日本・越美北線の駅である。 
福井県最東端の駅で越美北線の終着駅であるが、車止めに向かって右側に1面1線のホームがあるだけで、到着列車がそのまま折り返す構造となっている。 福井地域鉄道部の管理駅。

駅の先には本来つながるはずだった越美南線建設跡の線路が残り、現在は車止めが設置され発車までの列車置き場となっている。 ログハウス風の駅舎を持ち、特産物直売所や観光案内所がある道の駅九頭竜が隣接している。

道の駅・九頭竜の指定管理者である「有限会社いずみ」が窓口業務を受託する簡易委託駅で、乗車券は窓口でのPOS端末による発券となっている。 終着駅ではあるが乗降は無人駅同様に扱われていて、運転士が運賃・乗車券を回収している。

本来は、ここから国鉄越美南線・北濃駅までの建設計画路線で、完成すれば美濃太田駅と福井駅を結ぶ越美線の中間駅となるはずであったが、越美南線の長良川鉄道移管などで実現しなかった。
また、同線の美濃白鳥駅との間には国鉄バスによって大野線が運行されていたが、ジェイアール東海バスへの移管後の2002年10月1日に大野線は廃止された。

美濃白鳥駅までは約30kmの道程で、タクシーで移動すると10,000円程度の運賃となる為、徒歩移動を厭わないなら当駅から大野市営バスと郡上市自主運行バスを乗り継ぐコースを取る事ができる。
但し、大野市営バスの終点・家族旅行村停留所より、郡上市自主運行バスの下在所停留所まで県道を8kmほど歩かねばならない。




人生の「ボタンの掛け違え」は
この駅寝『撮り鉄』旅から始まった

「ボタンの掛け違え」というか、これより先の『アウトロー人生』の始まりとなった中坊の「初めてのアコム」じゃなかった・・「初めての駅寝」を耐え凌ぎ、翌日の朝となる。 でも、「初めての駅寝」はシュラフナシの超過酷体験だったよ。 詳しくはコチラを見てネ。

駅寝した駅で越美北線を撮り鉄するが、当時の越美北線は廃止の第二次指定されていた『廃止対象路線』(後に代替道路が年に10日以上雪で不通の為に廃止対象から除外される)で、越前大野~九頭竜湖は今の5往復より少ない4往復の運行であった。


『撮り鉄』に『情熱』があった分
今よりこの頃の方が上手かったかも

だが、勝原駅から徒歩圏内に勝原スキー場があり、冬季は不定期で快速〔おくえつ〕が運行されて、この列車が運行されると5往復となって撮影チャンスが増えるのである。
これを狙ってやって来た側面もあったのである。

でも、1往復増えても所詮5往復。 駅寝付の『乗り鉄&撮り鉄』では、到底1日中の『撮り鉄』は精神が持たないのである。 なので午前中の1往復半の3本を撮って、10時位の下り臨時快速〔おくえつ〕で九頭竜湖へ出る。 駅寝した越前下山は、清涼飲料水の自動販売機すらない秘境駅で干上がってしまって、店屋のある九頭竜湖(当時の九頭竜湖駅は和泉村の中心だった)へ朝飯を食いにいったのである。


国鉄当時の九頭竜湖駅
コンクリートブロックの殺風景な造りだった

この頃の九頭竜湖駅は今の『道の駅』併設と違って殺風景なブロック造りの駅で、駅の脇に国鉄バスの《九頭竜駅前》駅と表示された待合室を兼ねた観光案内所があり、鉄道の切符もここで売っていた。 しかも、今では結構貴重な硬券で・・。

また収益増強の一環で、1987年にこの地域のバス路線がほぼ淘汰されたのに伴って全く運行されない「季節運行」だったにもかかわらず、縁起切符である『大穴馬⇔白馬洞』の硬券乗車券は、2002年のバス路線完全廃止時まで常時売られていたらしい。


コレ・・ 結構レアかも
残念ながら白馬洞の
観覧入場券は失っちまったよ

でも、この白馬洞・・、券面記載の昭和61年(’86年)の春にこのバスに乗って見に行った事あるよ。
バス路線の大部分が淘汰された’87年1月末の9ヶ月前のシーズン中の臨時便で。

なお白馬洞は、表向きは「洞内の地下水の水位が上昇して崩落の危険アリ」との理由(まぁ、訪れる観光客が減少したのが真の理由だろうね)で、2000年で閉鎖された・・との事。
現在はドライブインがあるのみとなっている。 白馬洞では写真が撮れなかったので、詳しくはコチラのウエブサイトを参照してネ。 福井県内では最大の鍾乳洞らしいよ。


秘境駅での『撮り鉄』を引き上げて
空腹は満たされたものの
7時間の空き時間がデキちまった

さて話を戻して・・、九頭竜湖に着いて駅前の駄菓子屋(この頃はコンビニなんて便利なモノはなく、駄菓子屋や雑貨屋でカップ麺やパンを売っていた)に駆けこんで腹を満たすが、店屋の有る九頭竜湖に着いたとて「臨時を含めて1日5往復の閑散路線」である事には変わりなく、空腹を満たした途端に16時台の帰りの列車まで7時間の時間が開いてしまうのである。

そして、『撮り鉄』をしに来た中坊にとってのこの空き時間は、列車がないので「何もする事のない」苦悶の時間となるのである。 そして、再訪した3年後の高校時代と違って、白馬洞に行くなどの機転もバス代の金もない(美濃白鳥から九頭竜湖までは、同じくバスの臨時運行化を知らなかったおじさんに“ゴチ”となった)身の上では、完全にこの福井県の最奥地で行きづまったのである。


白銀に染められた九頭竜湖と《夢のかけ橋》
※ 別の訪問時に撮影
何でもこの《夢のかけ橋》は瀬戸大橋の
『試作品』として建設されたんだって

でも、ここから”逞しい”のが、『初めての駅寝』を体験してアウトローへの道を歩み始めたタワケの前身なのである。 「おじさんに”ゴチ”となって乗ったタクシーの車窓から見た九頭竜ダム(なぜか、ダムの構造に少し興味があった)まで歩いて湖を見に行こう・・」と、7時間の「ヒマ潰し」を”実行力”で乗り切ろうとしたのである。


苦悶の7時間を潰すには
湖までの徒歩往復以外になかっただろうね

その九頭竜湖のダムまで国道を行くと、ロックフィルの巨大ダム堰堤の上までの高さを稼ぐ為に道は大きく周り込んでいて、直線距離は2km程なのだが見た目はその倍の4キロ以上あったのである。
中坊の身空でこれを見ると、気が萎えて行くのをヤメちゃうモノなのだが、このタワケガキは「これを端折る方法」を考えるのであった。

・・で、暫く周囲を見渡すと・・、あったよ。 ロックフィルダムの堤体を直接上るダム監視用の階段が・・。 本来は立入禁止なのだろうが、ダム上の地域へ徒歩で行くのはあまりにも不便な為に渋々一般解放しているようであった。 その証拠に、この通路の入口は鉄扉があり閉っていて、見た目は『立入禁止』そのものだったのである。


ダムの原点・・岩石を積み上げた
ロックフィル方式の堤体を持つ九頭竜ダム
※ ウィキペディア画像を拝借

ドアが開くのを確認して、高さ128mの巨大ロックフィルを昇っていく。
当時は運痴(今も・・だが)だったので、この階段を昇りきるのに30分以上かかる「いい時間潰し」となったよ。 階段を昇りきって着いたダムサイトはホントに何もなく、上も下と同様に鉄扉があるだけの『通路』だったよ。


『撮り鉄』しに来て雪景色のダム湖を撮るなんで
一風変わった小僧だったよ このタワケガキ

このダム堤体を直接昇る階段から3~400m離れた所に、九頭竜湖の展望台があった。
そこで写真を撮るなど暫くたたずんでから駅に戻るが、まだ7時間の半分位の時間がある。


真っ白の起き景色もいいけど
こういう斑の雪も哀愁が伝わっていいネ

なので、今度は下りでもあるし。大きく迂回した国道を歩いて戻る事にしたのである。
これで1時間半程使って、九頭竜湖駅に戻った時は列車の発車時刻の1時間チョイ前と程よい15時過ぎだったよ。

この記事を書き記して思ったけど、運痴だったこの頃から結構ブリバリだったのね、ワテ。
普通の『撮り鉄』小僧では、こんな事絶対にしないしィ。




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