2011-05-25 (Wed)✎
『私の訪ねた路線』 第25回 因美線 〔岡山県・鳥取県〕
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
東津山~鳥取 70.8km 1820 / 503
運行本数
智頭~津山
智頭~津山 7往復(内 2往復 快速)
智頭~那岐 1往復
美作加茂~津山 3往復(内 下り1本 快速)
《路線史》
1919~28年に軽便線規格で鳥取・津山の両端から建設された路線。 1932年に国境区間の智頭~美作河井の開通をもって全通した。
元は津山線と共に陰陽連絡線の任を担っていたが、智頭急行線の開通で様相は一変する。 同じ路線でありながら、智頭急行線の列車が直通する智頭~鳥取と、陰陽連絡の地位を奪われた津山~智頭で運行系統が完全に分断される事になったのである。 従って、現在は線内直通列車は1本も存在しない。
元は津山線と共に陰陽連絡線の任を担っていたが、智頭急行線の開通で様相は一変する。 同じ路線でありながら、智頭急行線の列車が直通する智頭~鳥取と、陰陽連絡の地位を奪われた津山~智頭で運行系統が完全に分断される事になったのである。 従って、現在は線内直通列車は1本も存在しない。
智頭急行線の建設目的が「新幹線と鳥取の連絡」とハッキリしていた為、建設工法も当所から高速運行向けの対応がなされていたのである。 それゆえに、津山・因美線経由よりも大回りであるにも関わらず、所要時間は短縮されている(ちなみに、完成当初は所要時間が同等だったのだが、更なる路線改良で所要時間の短縮を果たしている)。
このあおりを受けたのが、最後までグリーン車連結の急行だった陰陽連絡急行の【砂丘】である。
鉄道ファンの人気が高いキハ58で運転され、優等列車の『走行中タブレット交換』が見られた唯一の路線で、そのタブレット交換が行なわれた美作河井駅も良き時代の雰囲気漂う木造駅舎で、訪れる鉄道ファンは多かったという。 「乗降客より鉄道ファンの下車の方が多かった」と揶揄された事もあるという。
美作河井付近の山間区間では、落石防止の為に25km/h以下という制限が数多くかけられている。
美作河井付近の山間区間では、落石防止の為に25km/h以下という制限が数多くかけられている。
雨天の時の同制限区間は15km/h以下と更に規制がキツくなるので、雨天の日の遅延は当たり前との事である。
同じような(ショボイ)写真で
ゴメンナサイ
知和~美作河井
《乗車記》
正直言うと、あまり覚えていないのである。この因美線に全線通して乗ったのは、瀬戸大橋開通のその日、’88・4・10の事である。 その時は、なんとなく見た目寝やすそうだった河原駅でSTB(駅寝・シュラフなしのごろ寝)をし、適当にいい眺めだな・・と思った美作河合で下りて2~3枚撮っただけだった。その後、予定では瀬戸大橋線(本四備讃線)に乗るつもりで、切符も普通・快速なら全線乗車可能の『青春18きっぷ』を所持していのである。 だが、列車時刻の見落としをした上に、「重くてかさばるから」と時刻表を持たない悪癖(というよりやる気のなさ)が出で、美作河井で午後3時位まで足止めを食って、本四備讃線にはタイムオーバーでいけなかったのである。
まぁ、行けたとしても、開通フィーバーで疲れだけを背負い込んで帰ってくるのがオチだったと思うけど。 で・・、列車を撮ろうにも昼間時間帯に全く運行がなく、仕方がないので近くにある矢筈山頂の城跡までスニーカー・ハイキングをしたのを憶えている。 片道1時間半程度で、ヒマ潰しにはもってこいであった。
この後、本四備讃線の乗車は、『フォーエバー・御来光への道』(リンク先は始めから)の時に鉄道で四国に渡った時まで20年間『お預け』となってしまった。 この『フォーエバー・御来光への道』(リンク先は最終編)は、筆者のおバカ体験記なので興味ある方はどうぞ。
なお、沿線の見所は、智頭より南の閑散線区側に多くありそうだ。 線内最大の物見トンネルで那岐山の山腹を越えるサミット越えの所や、美作河合あたりで平行して流れる清流・加茂川、そして敗者の歴史を刻む矢筈山の城跡、古き良き時代を瞑想させる木造駅舎など、鉄道を通じた1DAYハイクもいいだろう。
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