2018-01-06 (Sat)✎
路線の思い出 第241回 岩泉線・岩手和井内駅 〔岩手県〕
岩手和井内駅
モダンな待合室に建て替えられていた
※ グーグル画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度(’13) / 営業係数(’09)
茂市~岩泉 38.4km 23 / 758
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
2014年3月31日 東日本交通バス 茂市~岩泉 3往復
茂市~岩手和井内 1往復
岩手和井内駅(いわてわいないえき)は、かつて岩手県宮古市和井内にあったJR東日本・岩泉線の駅である。 2010年7月の土砂崩れに乗り上げての脱線事故が発生し、それ以来長期不通となり、当駅も営業休止となる。 営業休止状態のまま、2012年3月に経営元のJR東日本によって岩泉線の復旧断念とバス転換する方針が示され、2013年9月に路線廃止が確定し、不通・営業休止のまま2014年3月31日の岩泉線廃止と共に当駅も廃駅となった。
廃止時点では、単式ホーム1面1線を持つ駅で、茂市駅管理の無人駅であった。
以前は2面2線の相対式ホームを持つ交換可能駅であったが、交換設備は撤去されている。
また、貨物用の切欠ホームの跡も残っていた。
建て替え前の木造駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借
駅舎は開業以来の木造駅舎があったが、2004年12月に撤去され、その後小さな待合所が建てられた。
待合所は岩泉線廃線後も、代替バスの待合所として利用されている。
廃線跡のレールを利用して
観光客向けにレールバイクが運営されている
※ 宮古市の観光ウェブサイトより
2016年6月より、土曜・日曜・祝日を中心の季節限定で、隣の中里駅跡との間にレールバイクが運転を開始している。
在りし日の岩泉線
災害による不通のまま路線廃止となった岩泉線は、全国のJR路線で最も輸送密度が少ない路線だった。 これは特定地方交通線の一次廃止対象路線をも凌ぐ低い輸送密度ではあったが、代替道路となる国道340号線の押角峠付近は小型車の離合が艱難な狭隘道路で、「代替道路の不備」の理由で廃止対象を免れていた。
国道340号線
この劣悪な道路のおかげで
廃止を免れていた岩泉線
※ グーグル画像を拝借
そんな路線だったから列車本数は全区間は僅か3往復、この岩手和井内駅までの区間運行が1往復と、『乗り鉄&撮り鉄』は限りなく難しい路線だった。
やたら時間の表示がデカく
余計に本数の少なさが目につくよ
※ グーグル画像を拝借
それに輪をかけて、岩手県の県都・盛岡から岩泉線の接続駅・茂市までを結ぶ山田線に至っても1日僅か4往復で、これは上野を東北本線の始発で発ったとしても、『セ・セ・セ・セイシュン18きっぷ』を使っての普通・快速の料金不要列車オンリーでは、岩泉線の最終には乗れなかったのである。
普通列車の相次ぐ減便で
この切符も使い辛くなったなぁ
※ ウィキペディア画像を拝借
これは「岩泉線に乗るだけ」にしても、どこかでシンカンセンに乗らねばならないのである。
でも、、『セ・セ・セ・セイシュン18きっぷ』を使ってシンカンセンに乗るっていうのは、シンカンセン乗車区間全ての運賃・料金を払う『落ち』なのである。 まぁ、社会人になって金銭的に不自由がなくなったこの時でも、この『落ち』は精神的な『敗北』を意味するのである。
だから考えたよ。 できるだけ『落ち』の少ない区間を・・。 ・・で、普通列車の乗り継ぎ毎に開く待ち時間に『みどりの窓口』備え付けの時刻表をめくって『落ち』の少ない区間を吟味する。
でも、「旅に出る前に、乗り継ぎの計画を立ててこなかったのかよ」と思われるだろうが、このタワケは「東北本線ならまず大丈夫だろう」と楽観視した挙句、従来の方針通り「重いから」と時刻表をもってこない筋金入りの『○鉄タワケ』だったのである。
まぁ、乗り継ぎ毎に切符を買う訳でもないのに『みどりの窓口』に向かう、このタワケの行動自体が怪しさ満開なのである。 でも、『みどりの窓口』に通った甲斐があったよ。 郡山~福島の一区間だけのシンカンセンで乗り切れる事が判明したのである。 金額は立席の『特定特急券』+乗車券で、1620円と『爆弾価格』を実現した、コスイ事になると必死になるタワケであった。
旧国鉄色のキハ52と快速〔はまゆり〕と
当時の盛岡駅は駅撮り鉄には“美味しい”駅だった
そうこうして、盛岡駅で岩泉線最終列車接続の山田線の『3番列車』に乗車する。 だが、この『3番列車』は夕方の16:30発で、しかも岩泉線最終列車接続と言う事で、いわて銀河鉄道の列車が遅れた為に15分待機して発車となったよ。 でも、いわて銀河線から山田線、更に岩泉線への乗り継ぎをするような奴は『鉄』以外に有り得ないと思うのだが。
山田線は我が青春の
“ボロキハ”がエスコート
その山田線の『3番列車』の2輌の気動車は、予想に反して座席がほぼ埋まる位の盛況であった。
だが、発車してすぐに停車した次の駅・上盛岡で乗客の半数が下車し次の山岸で数人が下車、そして上米内でワテ以外の乗客全員が下車していった。 どうやら山田線は、この上米内までが路線の存在意義のようである。
上米内を出ると、1日1本の列車しかない事で有名な大志田・浅岸にも丹念に停まり(この時の両駅は冬季休業ではなかった)、すっかり暗くなった闇の中をワテ1人乗せた列車は進んでいく。 『3番列車』を約1時間40分の乗車で、岩泉線の接続駅・茂市に着く。 この駅で、お目当ての「今現在のJRで最もローカル線と呼ぶに相応しき路線」・岩泉線に乗り換える。
静まりかえった岩泉線の分岐駅・茂市
広い構内にかつての「村の代表駅」を思わせる
茂市駅は貨物があった頃の名残りが・・、やたら広い構内に昔ながらの笠のついた裸電球がぼんやりと照らししている薄暗い駅だった。 この駅情景は良く言えば『雰囲気満点』、悪く言えば『幽霊でも出そうな陰気な雰囲気』で、母屋寄りではあるがホームの外れに「我が青春のボロキハ」キハ52の単行がポツネンとたたずんでいた。
これに乗るのだが、この列車の乗客は高校生らしき男女1人づつにエトランゼのワテの計3人だった。
茂市を出た”ボロキハ”は、山田線から乗り換えたワテを含めて僅か3名の乗客を乗せて闇の中を突き抜けていく。
車掌も乗務している列車なのだが、乗客3人では単行列車の車内を1往復巡回するだけで事足りるのである。 もちろん、途中駅で乗ってくる乗客などありはしない。 エトランゼのワテを除く高校生の乗客は“どこそこの小せがれと娘っ子”と把握されているらしく、車掌氏はワテを除く乗客全ての下車駅を周知しているのである。
最初の駅・岩手刈屋で一人が下車する。 駅前には、迎えに来た家族の車がスモールランプのみを灯して列車の到着を待っていた。 都会ではまず見られぬ光景なのだが、田舎の閑散線の駅では“日常的な事”なのだろう。 次の中里の乗降はなく、業務遂行の為だけに扉の開閉スイッチを入れる。
最初の駅・岩手刈屋で一人が下車する。 駅前には、迎えに来た家族の車がスモールランプのみを灯して列車の到着を待っていた。 都会ではまず見られぬ光景なのだが、田舎の閑散線の駅では“日常的な事”なのだろう。 次の中里の乗降はなく、業務遂行の為だけに扉の開閉スイッチを入れる。
『開閉する・・』といったって“半手動ドア”のボロキハの事、乗り降りする者がいなければ扉は開かないのである。 冬は好都合ではあるのだが、「駅に着いて扉が開かぬ」という都会では考えられぬ情景が日常的に行われるのである。
そして、ワテが今回『撮り鉄』で”ある事”を目論んだ駅・岩手和井内が近づいてくる。
そして、ワテが今回『撮り鉄』で”ある事”を目論んだ駅・岩手和井内が近づいてくる。
目的地が近づくと、何かしらワクワクしてくる。 それが『旅の最中』となれば尚更だ。
岩手和井内駅で『青春18切符』を車掌に見せて下車し、“今日の我が城”の駅待合室に“入城”する。
本日の“我が居城”です
建替えられて小ぶりになりました
そう、”ある事”とはこの駅で年越しそばを喰い、岩手の文豪・宮沢賢治の描いた『銀河鉄道の夜』を、この岩泉線で撮る事である。 まぁ、前述のように運行本数も少なく接続路線もジリ貧の岩泉線を、『乗り鉄&撮り鉄』でそれなりのモノを撮ろうとすれば、こういう手法を取る以外にないのであるが。
即効、駅待合室にテントをおっ立てて荷物を放り込んだなら、“作戦行動開始”だ。 作戦のコードネームは、もちろん『銀河鉄道の夜』である。 さて、この“作戦行動”であるが、下車した列車が終点の岩泉から折り返してくるまで1時間と10分。 空は、幸運な事に満点の冬の夜空だ。 オリオン座もはっきりと見渡せる。
駅名標と駅の灯が
冬の寒さを演出する
星を流すためには、バルブ撮影で30分は開けたままにせねばならない。 それよりもまず、足場を決めなければならないのである。 ここで考える。 向かってくる列車のヘットライトと去りゆく列車のテールランプのどちらが、『銀河鉄道の夜』のイメージに合うかって事を・・である。
強いヘットライドで星が消されてしまうと「ミイラ取りが何とやら」となるのと、イメージ的に“大晦日の夜は年の去りゆく夜”という事で“去りゆく列車のテールランプ”を選択する。 これを決めたなら、行動開始だ。 駅から岩泉方向へ“進軍”し、駅の灯がギリギリ入る所までセットバックしてから三脚を据えた。
三脚を据えたカメラにまず20mmの超広角を装着する。 星は多く入るものの、暗い夜空や余計なものが多く入りイメージとは合わないので候補から外す。 次に、28mmのスタンダード広角を装着する。
強いヘットライドで星が消されてしまうと「ミイラ取りが何とやら」となるのと、イメージ的に“大晦日の夜は年の去りゆく夜”という事で“去りゆく列車のテールランプ”を選択する。 これを決めたなら、行動開始だ。 駅から岩泉方向へ“進軍”し、駅の灯がギリギリ入る所までセットバックしてから三脚を据えた。
三脚を据えたカメラにまず20mmの超広角を装着する。 星は多く入るものの、暗い夜空や余計なものが多く入りイメージとは合わないので候補から外す。 次に、28mmのスタンダード広角を装着する。
星はやや左手隅に追いやられるものの、駅の灯と街の灯がいい雰囲気でマッチしてGood!。
それに、画角が広くなればなる程にバルブによる星の流れる量が減じるので、超広角の20mmより28mmの方がこの点でも有利なのである。 従って、28mmに決定!
氷点下5~6℃と思われる大晦日の夜を100円カイロ2つを武器に足場の雪を踏み固めつつ(寒くてジタバタしてた・・だろ?)、バルブにてシャッターを開けたまま待つ事約50分。 遠くから近づく轍の音がコダマして、レールとそこを覆う雪がほのかに輝き出した。
それに、画角が広くなればなる程にバルブによる星の流れる量が減じるので、超広角の20mmより28mmの方がこの点でも有利なのである。 従って、28mmに決定!
氷点下5~6℃と思われる大晦日の夜を100円カイロ2つを武器に足場の雪を踏み固めつつ(寒くてジタバタしてた・・だろ?)、バルブにてシャッターを開けたまま待つ事約50分。 遠くから近づく轍の音がコダマして、レールとそこを覆う雪がほのかに輝き出した。
空気のみを運ぶ『本年度の最終列車』は定刻通りやってきて、誰一人おらぬ和井内駅で停車“業務”を遂行した後に去っていった。 列車の光が闇に隠れて見えなくなると、シャッター幕を制御するレリーズのボタンを静かに落とした。 「あぁ、この時分のこの夜空は、間違いなくワテだけが味わっているな」との感慨を秘めて。
ワテが描いた『銀河鉄道の夜』
駅に戻って、さあ、今度は“年越し”の準備だ。 飯を作り(今夜はカレーですぅ~)、年越しの必須アイテム『年越しそば』(by どん兵衛・たぬきそば)を出す。 飯が煮える(全てレトルトです)までの間、駅舎と駅名標や駅の灯などを撮影。 もし、建替えられる前の雰囲気のいい木造駅舎なら、もっと情景が膨らんだのに・・、残念。
飯と『年越しそば』を食ったなら後は寝るだけなのだが、一応正月を迎える心得!?として、ラジオで『紅白歌合戦』を聴く。 シュラフに包まり、うつらうつらしながら『紅白歌合戦』と『行く年来る年』の除夜の鐘の響を聴きつつ、一年の終わりを迎える。
駅寝で年を越して、お約束の『新年、明けましておめでとうございます』、『今年も宜しく』。
短縮形で『明けおめ、こと宜ろ』ですな。 さて、新年の目覚めは5時20分頃。 気温は、テント内で氷点下1℃であった。 まぁ、北八ッの《高見石》や昔の北海道の廃止線の駅《松音知駅》で味わった氷点下15~20℃には遠く及ばない、例年になく“温い”正月だ。 その事もあって、少々寝過ごしたかな?。
・・と、冗談はさておき、STB(ステーション・ベット つまり駅寝)の心得の「始発列車の発車時刻までには撤収」を遵守すべく、朝食と撤収行動開始。 持ってきたロールパンに板チョコを挟む即席『おせちパン』を賞味しつつ、コーンポタージュで身体を温める。 昨日に用立てた湯タンポ(シグボトルにお湯を入れるだけですね)はまだ暖かく使えるので、これを抱きながらテント用具一式を撤収し、ザックに元通りパッキング。
一連の作業が終わったのが6:02。 40分あまりで撤収できるたぁ・・、この技術だけは向上したようですな。 但し、『早食い』の能力と「食いながら」という、『躾に背く心』は必要ですが。
話を元に戻すが、なぜこの岩手和井内駅を撮影地に選んだのかというと、6:33着で6:38発の折り返し列車の終着始発駅がこの岩手和井内駅だから・・である。 1日3往復半の線でこの『半』の区間運行列車を逃す事は、限りなく撮影の不能を意味するのである。
話を元に戻すが、なぜこの岩手和井内駅を撮影地に選んだのかというと、6:33着で6:38発の折り返し列車の終着始発駅がこの岩手和井内駅だから・・である。 1日3往復半の線でこの『半』の区間運行列車を逃す事は、限りなく撮影の不能を意味するのである。
僅か5分の折り返しでは
イメージを膨らますのは無理か
テントをたたんでザックへの荷造りを終えて、駅前の“ゲレンデ”に繰り出す。 時間はあと30分足らずだ。 30分少々では、ちと時間が足りない。 どのような構図にするかを決めきれないまま、適当に駅裏の雪原に繰り出す。
雪原は雪が深く、途端に『ラッセル強行軍』となる。 とりあえずラッセルで時間を無駄にする事は避け、駅裏の民家に続くトレース(踏跡)に足場を定めて列車が来るのを待つ。 定刻通り列車はやってきた。 折り返しは僅かに5分。 その間に三脚に据えつけて自由が利かなくなったカメラを持って、駅裏の雪原をラッセルしながら土手によじ登り、『駅停車横位置』をレリーズ撮影した後、車輌の前部へ移動して(もちろん、ラッセル)発車の情景を撮らねばならないのである。
雪原は雪が深く、途端に『ラッセル強行軍』となる。 とりあえずラッセルで時間を無駄にする事は避け、駅裏の民家に続くトレース(踏跡)に足場を定めて列車が来るのを待つ。 定刻通り列車はやってきた。 折り返しは僅かに5分。 その間に三脚に据えつけて自由が利かなくなったカメラを持って、駅裏の雪原をラッセルしながら土手によじ登り、『駅停車横位置』をレリーズ撮影した後、車輌の前部へ移動して(もちろん、ラッセル)発車の情景を撮らねばならないのである。
駅周辺をラッセルしまくって
ヘバってちと手ブレ
これは、ちょっと“オーバーワーク”ですな。 従って余裕などは全くなく、絵心のない写真ばかりになっちまったな。 それに、発車瞬間の“駅名標と列車”は間に合わずしくじった(あの時、レンズ交換をしなきゃ間に合ってたのに)。 やはり撮影は、「どのように撮ろうか」と思いをめぐらす事に意義があるのだな・・と改めて思うのである。
そこに、撮った後の事なんかありはしない。 撮ってからの事をアレコレ揶揄したり、上がった原版に作為を施したりするのは、「その撮影行が充実していない」って事を自ら認めている愚行なんだとワテは思う。
再訪の機会を逸したまま廃止になっちまって
リベンジは適わなかった
納得する結果を得られなかったのならば再びリベンジすればいいだけの事で、原版に作為を施そう・・と思う前に「もう一度撮ってみたい」、「今度こそは・・」との構想を膨らませて見果てぬ夢を見た方が幸せだと思うのだが。 撮った後でパソコンで原版に作為を施す・・という事は、写真において人を欺き、そして自らの心も欺く事なのだと思う。
さて、この“半”の折り返し列車を撮影すると、40分程時間が空く。 僅か40分では撮影地を探して駅周辺を散策するには足りないし、また『足』がないので駅から離れる事も叶わない。 ここは、おとなしく“駅撮り”しかなさそうだ。 やはり3往復半では、まともに撮るには車が必要ですな。
40分後の下り列車を撮った後は、折り返しの列車が戻ってくるまで1時間半ほどあるので、駅周辺を散策。 何と、この和井内地区まで路線バスが日に4本あるではないか。 列車より本数が多いよ。
しかし、最も情景的に“美味しい”和井内より先の《押角峠》へは便がないみたいだ。 当然か。
まぁ、押角方面の国道340号線は、『国道』といえど、大型車輌の通行が厳しい道幅3m未満道路なのだから。
ここで、再び考える。 このまま折り返しの列車を撮影してやり過ごし、次の15:50まで延々とここで待つか。 それとも、10:06発の路線バスで宮古へ抜けるか。 はたまた、素直に次の8:52発の列車に乗って宮古に移り次の訪問地へ向かうか・・である。
まぁ、押角方面の国道340号線は、『国道』といえど、大型車輌の通行が厳しい道幅3m未満道路なのだから。
ここで、再び考える。 このまま折り返しの列車を撮影してやり過ごし、次の15:50まで延々とここで待つか。 それとも、10:06発の路線バスで宮古へ抜けるか。 はたまた、素直に次の8:52発の列車に乗って宮古に移り次の訪問地へ向かうか・・である。
次の訪問地は
陸中海岸・北山崎でっす
さすがに15時までの9時間近くを待つ事は遠慮したいので、第1案は却下だろう。
そこで第2案を元に計画を練ってみるが、微妙に宮古での接続が合わず、これも却下。
で、残る第3案の「素直に」で宮古へ出る事にしたのである。
で、残る第3案の「素直に」で宮古へ出る事にしたのである。
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No title * by 風来梨
風旅記さん、こんにちは。
岩泉線・・。 この路線の情景は、真に『銀河鉄道』でした。
それは『999』のようなハデなモノではなく、宮沢賢治の『ジョバンニ』というか、想像するイメージですね。
あの夜の星空は、イメージする『銀河鉄道』でした。 だから、あの夜は、このショットが撮れたので、すごく充実した年越しができましたね。
でも、悔いもあります。 それは、朝の部の手応えが今イチでリベンジの予定を立てていたのに、行く前に災害で不通となり、そのまま路線廃止になってしまった事ですね。
やっぱり思い立ったら即実行しないと、念願は叶わないモノですね。 でも、放浪時代のようには行かないですし・・ね。
岩泉線・・。 この路線の情景は、真に『銀河鉄道』でした。
それは『999』のようなハデなモノではなく、宮沢賢治の『ジョバンニ』というか、想像するイメージですね。
あの夜の星空は、イメージする『銀河鉄道』でした。 だから、あの夜は、このショットが撮れたので、すごく充実した年越しができましたね。
でも、悔いもあります。 それは、朝の部の手応えが今イチでリベンジの予定を立てていたのに、行く前に災害で不通となり、そのまま路線廃止になってしまった事ですね。
やっぱり思い立ったら即実行しないと、念願は叶わないモノですね。 でも、放浪時代のようには行かないですし・・ね。
No Subject * by hanagon60
銀河鉄道の夜をイメージして実際に冬の一夜をこの地で過ごしてしまうバカさ加減(褒め言葉です!)に拍手です。とても私には出来ません。
最後の写真と同じようなカットなら私にもありますが。
https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-627.html
最後の写真と同じようなカットなら私にもありますが。
https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-627.html
Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
ローカル線の『乗り鉄&撮り鉄』を志すなら、始発から撮れるように「情熱大陸バカ」になる事が必須でしたね。
北海道の一次・二次廃止ローカル線が廃止となる1980年代は、これ以上に『情熱大陸バカ』で、北海道の真冬でもやってました。 いゃぁ・・、若いってスバラシイ。 今なら、半分以上の確率で『額縁の人』ですから。
hanagonさんの北山崎の写真は、天気が良くてより魅惑的ですね。
ローカル線の『乗り鉄&撮り鉄』を志すなら、始発から撮れるように「情熱大陸バカ」になる事が必須でしたね。
北海道の一次・二次廃止ローカル線が廃止となる1980年代は、これ以上に『情熱大陸バカ』で、北海道の真冬でもやってました。 いゃぁ・・、若いってスバラシイ。 今なら、半分以上の確率で『額縁の人』ですから。
hanagonさんの北山崎の写真は、天気が良くてより魅惑的ですね。
お写真、ゆっくりと拝見させて頂きました。列車の光跡は本当に美しいです。星がこれだけ流れる時間、そっとシャッターを開け続けた撮影への気力、素晴らしいと思いました。
災害から復旧されることなくそのまま廃止になってしまったのは、本当に残念です。
夜が明けた始発列車に乗り、岩手和井内駅で次の下り列車を待ったことがあります。
単線の本線上で折り返してゆく単行列車は、ローカル線の極みのように見えました。
こうして同じ列車のお写真を拝見でき、嬉しく感じます。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/