2017-12-19 (Tue)✎
路線の思い出 第239回 五能線・驫木駅 〔青森県〕
驫木駅舎に掲げてある駅名板は
白神のブナ林を使った重厚なる駅名板だ
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
東能代~川部 147.2km 1684 / 601
運行本数(’17)
東能代~能代 下り19本、上り17本
能代~岩舘 下り7本、上り6本
岩舘~鯵ヶ沢 上下とも5本
鯵ヶ沢~川部 上下とも10本
※ 週末や多客時は五能線経由で秋田~青森に
快速【リゾートしらかみ】2往復運行
驫木駅(とどろきえき)は、青森県西津軽郡深浦町大字驫木字扇田にあるJR東日本・五能線の駅である。 単式ホーム1面1線を持つ駅で、五所川原駅管理の無人駅である。 駅舎は木造で待合室のみである。 ホームの川部寄りには、夕日時計と夕焼け暦(その日にホームから見える夕日の方角を示したもの)が置かれている。
「驫木」の駅名の由来は周辺の集落名から来ていて、「波の音・瀬の音が轟き渡り3頭の馬も驚いた」という言い伝えのある所から、馬を3つ重ねた『驫』という文字が使われたという。
「青春18きっぷ」の宣伝ポスター(2002年春期)で当駅が掲載され、そのポスターには「日本海が迫る小さくて素朴な駅舎、驫木という名前にも味わいがあり、旅情を誘うたたずまいがある」とのキャッチコピーが記載されていた。
五能線は撮り鉄時代も数回訪れているが、その時に降りた事のあるのは147.2kmと長い路線の中で、撮影地の最寄り駅(その後調べると深浦の方が近かったりして)であった広戸と五能線の撮影の拠点となる深浦の2駅だけだった。
『撮り鉄』小僧が眺めた
当時の深浦駅
なぜなら、ワテが最初にこの路線を訪れたのは国鉄からJRに移管された時期で、この頃は未だ『撮り鉄』を主とする青年時代だったのである。 当時の列車運行のスタイルは国鉄の運行スタイルを引き継いでいて、鯵ヶ沢止となる区間運行よりも五能線内通しの列車の方が多かったのである。 即ち、『撮り鉄』をするべく撮影拠点の深浦に行くにしても、線内通しで乗るにしても乗り換え不要だったのである。
そして、鉄道に興味を抱いても駅に対してはそれほどに興味を持たず、ローカル線の終着駅以外は駅に降りたり、駅舎を撮るというような事はなかったのである。 また、当時は今のように鉄道趣味に『駅訪問』というカテゴリーは存在しておらず、駅に降りる事を目的とする『鉄』もほとんどいなかったのである。
だが、ローカル路線のほとんどが廃止となって鉄道への情熱が薄れるに従って、写真に撮るターゲットも列車から周囲の景勝地へシフトしていったのである。 そういう訳で、JRに移管されてからは、この路線に訪れる目的も、『撮り鉄』から景勝地の《十二湖》に変わっていたのである。
いち時期は青池の蒼に魅せられて
十二湖を訪れる計画を何度も立てましたね
そして、『撮り鉄』一辺倒から周辺の情景が見えてくるに従って、難読駅名の駅や木造駅舎、ホームからの眺めの良い駅などを、写真の『被写体』として注目するようになったのである。 要するに、鉄道から離れても、どこかで鉄道の面影を追い続けていた訳ですな。
そういう訳で、《十二湖》の帰りに「難読駅名として訪れたい」とピックアップしていた艫作(へなし)駅や風合瀬(かぞせ)駅なども訪問している。 まぁ、艫作駅に訪れた際は、「ローカル線の廃止で『鉄』から卒業したのだ!」と『鉄』であった事を隠そうとする見苦しさが出ていて、駅に降りた理由付けも「《黄金崎不老不死温泉》に浸かりに行く」としていたのであるが。
艫作駅の旧駅舎
駅寝のし良いいい駅でした
※ ウィキペディア画像を拝借
でも、温泉に入るべく艫作駅に降り立ったその日の夜はこの駅で駅寝して、翌朝の列車で風合瀬の駅訪問をするあたり、全くもって『鉄』そのままだったけど。 だが、最も「訪れたい」と思ったこの驫木駅は、ワテの「好物は一番後に残して食う」というしょうもない性癖が出て、後回しとなったまま訪問の機会を逸して、その後20年来訪問が叶わなかったのである。
この「その後の20年来」は山や滝の自然情景に完全にシフトしていて、放浪旅をすれどもそれはマイカーを使っての放浪で、鉄道とは疎遠となってしまったからである。 だから、五能線沿線地域を訪れても、それは《十二湖》や《くろくまノ滝》へ向かうべくのもので、五能線は眼中になかったのである。
だが、20年来の時を経て、ようやく訪れる機会がやってきたのである。
日本百名滝のくろくまノ滝
訪れた頃は未だ『百名滝』が発表される前で
この滝へはダートの悪路だったよ
それは、歳を喰うに従って放浪旅ができなくなってしまったからである。 要するに、長期の日数を使って自由に山に登る放浪旅が叶わなくなって、勤め人として春のGWや夏の盆休み、冬の年末年始などの限られた休暇の中での旅しかできなくなったからである。
驫木駅ホームより日本海の荒波を望む
:
限られた時間での旅だから
印象深いモノが撮りたいよね
そうなると、日数が限られた休みの中では日程を擁する山の縦走などはムリだし、かといって高い飛行機(今は3ヶ月以上前からの予約なら列車より安いけどね)は敬遠したいし、景勝地を訪ね歩く旅を『主』とするのは譲れないし・・となると、景勝地訪問とせっかく鉄道で行くのだから『撮り鉄』も復活して楽しみたい・・とする『バイリンガル』(何が『バイリンガル』なんだよ!?)な旅をするようになっていたのである。
そして、この『バイリンガル』な旅の強い味方である企画切符が、JR東日本よりシーズン販売されたのである。 それは『北海道・東日本パス』という切符である。
この切符は『セ・セ・セ・セ青春18』と同じくの普通列車専用の乗車券なるも、シンカンセンによって第三セクターとなった盛岡~八戸(当時はシンカンセンは八戸までだった)の区間は元より、北海道に渡るべくの必須アイテムな列車の急行【はまなす】にも乗車できたのである。 しかも有効期間は『セ・セ・セ・セ青春18』より2日長い7日間で10000円と、『セ・セ・セ・セ青春18』より安かったしィ。
『バイリンガル』な旅の北海道『撮り鉄』編は
尺別の浜での普通列車でっす
これで、安い費用で北海道と東北を又にかけた『景勝地訪問』と『撮り鉄』の『バイリンガル』な旅が可能になった訳である。 でも、JR北海道のエリアは普通列車の運行がほとんどカットされて、この切符の有難い『性能!?』を発揮する事ができないのだ。 だから、JR北海道のエリアの周遊は、レンタカーを借りてゆく事にした。 この時の『レンタカーで撮り鉄』が便利過ぎて癖になって、今の旅の手法の主流となっているけど。
『バイリンガル』な旅の北海道『自然風景』編は
インクラの滝の冬情景てっす
・・で、北海道の周遊を終えてJR東日本のエリアに戻ってくると、この切符の有難い『性能!?』を如何なく発揮できるのである。 それはJR東日本のエリアが、北海道に比べてこの切符で乗車できる普通列車の運行本数が多く、本線との接続もしっかりしている事で容易に『バイリンガル』な旅の行程計画が立てられるからである。
それにこの当時は、「この切符でJR東日本のエリアを周遊する為の列車」といっても過言ではない快速【ムーンライト越後】が運行されていたのである。 この列車を使うには羽越本線の1区間だけ特急に乗らねばならないが、五能線内で駅寝1発を経た2泊3日で、北海道より五能線の『撮り鉄』と『景勝地』の《十二湖》を訪ねる『バイリンガル』な旅が可能なのである。
しかも、東京より事前にJRの夜行高速バスを予約しておけば5000円で大阪に帰れるので、新潟より快速【ムーンライト越後】で東京に戻った翌朝は、何と小湊鉄道まで『撮り鉄』ができちゃうのである。
ついでに、久留里線も乗っちゃう事もできたしィ。
小湊鉄道はいいねぇ
ユサユサ・・、ガタゴト・・
単行の気動車がゆっくりと走っていく
長々と『北海道・東日本パス』の使い手を語ったが、20年来ぶりの驫木駅訪問に話を戻そう。
北海道から急行【はまなす】で戻ってきて、青森から川部を経て五能線に乗車する。 五能線を訪れた目的は、前述でクドい程に述べた《十二湖》と五能線の『撮り鉄』の『バイリンガル』な旅の計画で・・ある。
こちらの青池(号)は
神秘的な青池の雰囲気からかなりズレてるな
だが五能線の運航スタイルは国鉄時代から後退して、鯵ヶ沢止の区間運行が半数を占めるのである。
ワテが青森から川部で乗り継いだ五能線列車も鯵ヶ沢止で、『撮り鉄』撮影地の《行合崎》最寄りの深浦まで行く列車は11時と、鯵ヶ沢駅で2時間半の待ちとなってしまったのである。
だが、駅前のロータリーを見やるとバスが止まっていて、行先表示が『深浦駅』となっていたのである。 「2時間半も待つのは貴重な旅の時間がもったいない」と、このバスに飛び乗ったのである。
バスは鯵ヶ沢に着いてから30分の時刻に発車する。
このバスの乗客は年末年始という事もあって全区間に渡って乗客はワテ一人で、バスはワテ一人だけを乗せて、海沿いに張りつく線路や国道から集落のある高台に向けての細い坂道を縫うように行ったり来たりする。 バスの大きな車体で細い道をせせこましく曲がる様は、田舎のバスでの旅風景を感じさせて、乗っていて面白いバスであった。
・・で、そのバスが、驫木駅前にさしかかったのである。 バスの運ちゃんは首にカメラをぶら下げる”唯一の乗客”のワテを見て「コイツは『鉄』だな」と直感(惜しい! 『鉄』でなくてナンチャってな『○鉄』だったりして・・)したようで、駅前に着くなりボソっと「早く着き過ぎた」といい、この後すぐに車内マイクで「時間調整で5分程止まります」とアナウンスしたのである。
驫木駅を撮りたいワテはこれを聞いて、「駅トイレに行くからちょっと降ろして」と運ちゃんに願い出たのである。 でも、完全に見透かされている上で、『撮り鉄』である事を隠し誤魔化すワテの度量の小ささは折り紙付きだな・・コリャ。 ・・で、「駅トイレ」と申告した手前、先に便所で用を足してから駅舎などを撮る。
コレが撮りたくてはるばるこの地にやってきたのに
それを誤魔化す度量の小さ過ぎるワテ
その後のバスは運ちゃんの宣言通りに5分程休憩して、つづがなく定刻通りに深浦に着く。
でもこのバス、深浦にある私立高校の校門をくぐり抜けて、校内にあるバス停を経由したのである。
この学校は撮影地に近く、お陰で明日の五能線撮影の退避場所が確保できたよ。
こんな雪の青池を撮りたかったけど
雹雪の荒天となってケツまくって退散
・・で、この日はシーズンオフでトイレを含めた施設が完全封鎖された『世界遺産』の《十二湖》を訪れるも、着くと同時に激しい雹雪が降ってきて退散し、『ウェスパ椿山』と名称を変えてレジャー施設となった《黄金崎不老不死温泉》に浸かる。
だが、風呂に入るべく途中下車した為に深浦からの最終列車に乗れず、冬の北海道で駅寝をするようなコスい貧乏旅でタクシー代4000円を叩いて、今日の宿泊『駅』・広戸に向かう。 広戸は待合室内トイレ付の駅寝環境最高水準の駅だったよ。
天候が荒れたお陰で
『バイリンガル』な旅の東北『撮り鉄』編も
それなりにいい感じなのが撮れました
翌朝、天気は昨日の雹雪の荒れ模様が残っていて、風が吹き荒れていた。 未だ暗いし、こんな中で『撮り鉄』に出向くのも何なので、始発でもう一度驫木駅まで行ってみる事にしたのである。
検札の際に下車駅を「驫木駅」と申告すると、車掌さんが微笑みながら「驫木駅にも仲間がいたよ」と教えてくれた。 そう・・、驫木駅にも駅寝野郎がいたのである。 驫木駅に着いて広い待合室だけの駅舎に入ると、ウレタンマットにシュラフを敷いて、シュラフの中に足を突っ込んでの半起きの野郎が一人いた。
驫木駅の待合室はかなり広くて快適
・・で、取り敢えず「おはよう&明けましておめでとうございます」(この時正月三が日だったの・・)の挨拶を交わし、列車が来るまでよもやま話を興じる。 このお互いにいい歳した駅寝野郎が話をすると、その話題は『鉄』な話ではなく、本当に”よもヤマ話”となっていったのである。
まだ夜が明けきらぬ
鬱な空の下の駅で
それは、「北アの剱がどうたら・・」とか、「雪山の事とか北アより南の方が好き」とか、冬山でのテント山行の事とか・・、その方面で『濃い』話が展開されけたのであった。 そして、シュラフから出て食事を用意しだした彼は、ガソリンコンロを取り出していたよ。 結構本格的な山ヤさんのようである。
でも冬は、「歳を取ったので平地で過ごす」んだって。 彼もワテと同じ空気を漂わせるタワケのような・・。
”よもヤマ話”が過ぎて
準備もなしに適当に撮ったから
積もる話をしていると、あっという間に折り返しの列車の到着時刻となり、未だ完全に明けきらぬ荒天の中で来た列車を撮るが、案の定「準備ナシの適当撮り」で訳の分からん写真だらけとなってしまったのである。
案の定 断り(言い訳)が無ければ
掲載に堪えないボツ写真となっちまった
※ この旅の全容は、メインサイトの
- 関連記事
スポンサーサイト
No title * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。
普通は車3つで「とどろき」ですよね。
ちょっと調べてみると、「驫」という漢字はJIS第二水準のカテゴリーに入る文字だそうです。
これは当用漢字から漏れたり、使用頻度の低い地名や個人氏名に使われるような漢字だそうです。 いうなれば、「当て字」がそのまま、当用漢字に変わって漢字のほぼ全てを網羅する新基準・JIS水準の、「あまり使用されない」カテゴリーの「第二水準」に編入されたようです。
30画書の漢字・・、すごくもあり、驫木駅のように木の表札に書くと格好いいですね。
普通は車3つで「とどろき」ですよね。
ちょっと調べてみると、「驫」という漢字はJIS第二水準のカテゴリーに入る文字だそうです。
これは当用漢字から漏れたり、使用頻度の低い地名や個人氏名に使われるような漢字だそうです。 いうなれば、「当て字」がそのまま、当用漢字に変わって漢字のほぼ全てを網羅する新基準・JIS水準の、「あまり使用されない」カテゴリーの「第二水準」に編入されたようです。
30画書の漢字・・、すごくもあり、驫木駅のように木の表札に書くと格好いいですね。
ナイス