2017-11-21 (Tue)✎
「記事を書くヒマがない!」だけではなんなので・・、10万アクセス記念で企画した6連発(この時はあまりにクドイので3回で打ち止めにしたけど・・)の第5弾(その後『次の目標(3000コメ)まで遥かに遠いので・・』で1回消費)をお送りしまっす。
第5弾は『心象情景』おば・・。 コンセプトは「時に偶然は計算づくを凌駕する」でっす。
要するに、コレらは全て『偶然の産物っ』て訳ですネ。
’12・1 『お山をいつまでも美しく・・』
お山をうつくしく・・ いつまでも美しく・・
それは、山の民の永遠のお約束
夜間登山をしてでも魅たかった情景
台高山系・高見山の頂にて・・
’12・4 『桜の木のシルエット』
桜の木をシルエットに朝日を演出してみた・・
春はあんまり撮影に出てないなぁ・・
朝日の写真を撮るなら前日から出張らないと無理なのだが
筆者の性質は『究極の物臭』なので・・
丹後半島・カマヤ海岸にて・・
’12・10 『道標』
秋の連休も終わり小屋も閉鎖された
白馬岳山頂の夕暮れ
この日の頂上は
あの夏の喧騒がウソだったような
静けさと哀愁が漂う
『我1人のパラダイス』だった
白馬岳山頂にて・・
’13・8 『レクイエム(鎮魂歌)』
山の鎮魂歌・・
大自然に抱かれて安らかに眠れ・・
日高・八ノ沢カールより
夜明けのピラミット峰と遭難レリーフ
1970年に福岡大学の山岳パーティが
ヒグマに襲われ
3名が犠牲になったそうである
朝の静けさに包まれて
3名の若人がここに眠る・・
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ちなみに・・、ワテもここで
リーチ一歩手前(6日間行方不明)となって
し△ぶんに載ってたりして・・
’14・1 『冷気が魅せる情景』
鉄路が無くなって原野に回帰した
宗谷丘陵で魅せられた落日のオーロラ日輪
かつてこの丘陵を大きく弧を描くように
ローカル鉄道がめぐっていた
その痕跡をたどるべくやってきたが・・
あったのは原野に回帰した北の大地を
凍えるように照らす落日だけだった
稚内市恵北の
旧国鉄天北線跡原野にて
’15・9 『オチャメに乾杯!』
我独り占めの影『富士』ショー
夕日が富士の山体に当たり
その影が雲海のスクリーンに映し出された・・
雲海のスクリーンは
八ミリ古フイルムの
荒い粒子で映し出したような
味わいのある情景だった
ち゜・つ・わ・・、この美味しい情景は
富士山八合目の旅館街が開いて
いるモノと思ってやってきたが・・
9月の第二日曜で富士山は山終いなんだって・・
夏のオチャメ(ペテガリでコケてJR北海道
の183系と同じく腹から火を噴いた)明けの登山だった為
旅館泊りを想定してテントナシで来たもんだから
「標高3000mでゴザ敷いてゴロ寝」
の『オチャメ』に追い込まれたよ
・・で、このオチャメのお陰で
こんな美味しい情景を独り占め!
いゃぁ・・ 『オチャメ』もやり続けると
何か得があるものですな・・ アッハッハ・・(涙)
’16・8 『天海の船出』
天のおりなす綿の海原を
護衛艦を引き連れ悠然と巨大艦が漂う
その姿は天海の海神を守るべく
船出する航空母艦のような・・
この美しい風景を・・この美しい国を守る為に
命を賭して戦いに挑むべく港を発つ情景に見えた
この情景を目にして
思わず起立して敬礼する自分がいた
美しい国を自負する心が敬礼を促し
その行く末に目を潤ませてたかもしれない
そんな感傷的な天の海の船出風景であった
白馬岳山頂にて
もう、あとひと月ちょっとで”今年”も終わりますね。 総括すると、今年は『ロクでもない』年だったよ。
特に夏以降は・・。 夏休みは座骨神経痛が再発して、山に行けずに盆休み期間呆けていたし、秋は捻挫してまだ完全に治ってないし、足かばってたら、腰痛が再発したしィ。
冗談抜きに、歳と共に身体がヘタレていってるよ。 最近老眼の気も現れて、地図などの小文字は虫眼鏡が必要になったしィ。 医者には「薬呑んで腰の痛み紛らわしてるようなのが20㎏担いで山なんかに登っていると、腰が砕けて車いす生活になるぞ!」と脅されたしィ。
でも、楽しみ捨てて真っ当な身体を維持しても意味ねえよな。 ここはダマシダマシ、今のスタイルを維持していこうかと。 取り敢えず、来年の登山シーズンまでに、捻挫を治さなきゃ・・ネ。
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No title * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。
我が「自己満」写真を称賛頂き、有難うございます。
自己満に箔がつきました。
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