風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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私の訪ねた路線  第24回  近鉄・伊賀線

『私の訪ねた路線』  第24回  近鉄・伊賀線 〔三重県〕
 

信号と木の架線電柱
味あるなぁ
伊賀神戸~比土
 
《路線データ》
      営業区間と営業キロ             移管時運行本数
   伊賀神戸~伊賀上野 16.6km     伊賀神戸~上野市・上野市~伊賀上野で分割運行
  ’07・10・1より伊賀鉄道に経営移管    いずれも、30~60分毎の運行
 

きっちり保険(駅撮り)も
かけてます
伊賀神戸
 
関西本線の伊賀上野と上野市(現 伊賀市)の中心街を結ぶべく、『伊賀軌道』により伊賀上野~上野市が建設(1916年)されたのが、この路線の始まりである。

上野市~名張(後に伊賀神戸~名張は廃止)が完成したのは、1922年の事である。 これは、この年に成立した『改正鉄道敷設法』での『桜松線』計画(JR名松線の建設当時の計画路線名)の後段に該当する鉄道路線であった。

1926年に伊賀上野~名張の全線で電化される。 その年に、社名も『伊賀電気鉄道』に変更する。
その後の『伊賀電気鉄道』は、阪伊を結ぶ幹線鉄道網の形成を目論む『参宮急行電鉄』からの経営圧迫を受ける事となる。 
 
『参宮急行電鉄』は、阪伊を結ぶべく伊賀神戸~名張に並走路線を敷設する建設事業を立ち上げる。
これが完成すると経営の立ち行かなる『伊賀電気鉄道』は、完成前年の1929年に『参宮急行電鉄』の同系会社である『大阪電気軌道』に譲渡・吸収される事となる。 これによって、伊賀地域の鉄道敷設免許は『参宮急行』の掌中となる。

1931年には、阪伊を結ぶ幹線鉄道を完成させた『参宮急行電鉄』に伊賀線は譲渡される事となる。
その10年後には、『大阪電気軌道』と『参宮急行電鉄』は併合し、『関西急行鉄道』を経て1944年に『近畿日本鉄道』、いわゆる『近鉄』となるのである。

併合してからは、免許を取得するべく得た伊賀線の並走区間である伊賀神戸~西名張(名張より駅名変更)は不要の存在となり、戦時中は不要路線として休止させられている。 だが戦後間もなく(1946年)、伊賀上野よりの国鉄直通の貨物運行(軌間が同一の為、可能である)に供すべく再開された。 だが、直通貨物運行の廃止のメドが立った為、1964年に廃止となっている。

このように非情なる合併劇の末に近鉄の路線となったこの路線だが、近年は近鉄の経営不振という波にさらされる事となる。 2005年末に近鉄は、赤字路線である伊賀線からの運営撤退の意思がある事を表明したのである。 

そして2007年にはその意思に従うべく、近鉄によって伊賀線の事業廃止届と、撤退後の受け皿会社である『伊賀鉄道』の設立がなされる。こうして、この年の10月1日をもって経営移管される事が決定したのである。

この移管方式は『上下分離方式』と言われる方式で、近鉄が路線や駅舎などの施設を保有して保線などの管理を行い、近鉄と沿線自治体の出資する『伊賀鉄道』が運営・運行を行なう手法である。
また、伊賀市は最近(2004年)に周辺市町村が合併して市制を敷いた街で、その合併特例債を『伊賀鉄道』運営のアテにしているとも言われている。

沿線は田園が広がる農村地帯を走り、旧型の車輌だと沿線風景にマッチした良い雰囲気を出していた。
なお、今現在も近鉄の中古車輌が充てられているが、さすがに路線近代化以降の車輌で、冷房装置も取り付けられている。 運行系統としては上野市駅で2系統に分断されており、運用の都合以外に直通列車の運行はない。
 

 
   《乗車記》
この線に乗車したのは遠く、初めて一眼レフカメラを手にした四半世紀も前の事だ。 だから、今とは完全に浮世離れしたルポとなる事をお詫びしたい。
 
近鉄の何もない特急停車駅・伊賀神戸の母屋より離れた専用ホームから伊賀線列車は発車する。
なぜなら、伊賀線は狭軌で本線たる大阪線は標準軌で、伊賀線は完全に独立しているからだ。
それもこれも、近鉄創業期である大軌・参急による血塗られた合併劇(この歴史を紐解けば、一つの小説が成り立つ程に、狡猾で激しい国取り合戦そのままの合併工作が行われのである)の副産物なのである。
 

ひょっとすると
今より上手だったりして
伊賀神戸~比土
 
伊賀神戸駅を出た伊賀線列車は適度な間を保って本線と併走し、木津川(あの木津川です)を渡ってから、大きく北に反れていく。 国道422号を跨いで、程なく比土駅に着く。 今は棒線駅で駅舎もないが、かつては木造駅舎と交換設備を有する駅だったらしい。 憶えてはいないが、ワテの乗った四半世紀前は、駅舎も交換設備も残っていたとの事である。
 
これよりは、長閑な田園地帯をゆく。 程なく待合室だけの創世記からの棒線駅・上林に着く。
次の丸山は、交換設備が残された駅だ。 ローカル色豊かな小駅で跨線橋などはなく、構内踏切を渡る長閑な情景の駅だ。 乗り遅れの乗客が走ってくるのを気長に待つ情景がいつも見られる。
 
次の依那古駅も、駅舎はあるが無人駅。 かつては交換設備もあった駅だが、設備は撤去されて棒線駅となっている。 線路は国道沿いの田園地帯の中をゆく。 市部駅は駅舎もない棒線駅。 だが、駅の1km先に《ゆめヶ丘分譲住宅地》が造成され、様変わりしつつある。 惜しむべきは、駅から分譲造成地までやや距離が離れている・・という所だろうか。
 
次の猪田道駅は交換可能駅。 周囲は相変わらずの田園風景だ。 そして、次の桑町駅がワテが撮影の為に下車した駅だ。 その頃はまだ子供で先を見る目もなく、「いい感じな駅舎だな」とは思ったものの、写真を撮らずじまいで終わったのが悔やまれる。 駅舎はポロポロでがらんどうの木造駅舎だが、付近に高校があるらしく、乗降客は線内でも多い方だ。
 

桑町駅で激写
厨房にしては
目の付け所が違うでソ
桑町駅付近
 
次の茅町駅は有人駅で、伊賀市の旧上野市の市街地形成区で、近くにイオンのショッピングセンターもある。 次の広小路駅は市街地の旧家地区の中に埋もれた感じの小駅。 駅の入口には無数の自転車が止められていた。
 
広小路駅から500m程で、伊賀神戸からの列車の終着駅・上野市である。 もちろん線内最大駅で、駅舎も威厳のある造りを示している。 駅の周辺は伊賀市の旧上野市の市街地で、伊賀忍者ゆかりの地・上野城や松尾芭蕉の生家などの史跡もある。 この駅で、島式ホームの対面に停車している伊賀上野行に乗り換える。 今は何便か直通列車の設定がある・・との事だが、ワテの乗った当時は完全に分断されて直通列車は皆無であった。
 
上野市を出た伊賀上野行の列車は、市街地の外れにある西大手駅、市街地を抜けた田圃の中の小駅・新居と停車して、JRの伊賀上野駅の間借りホームであるが『1番線』と表示された専用ホームに入線する。
伊賀上野駅は完全に伊賀市の旧上野市域の市街地から外れ、荒涼とした情景の中にポツネンと駅集落がある感じの駅であった。

   ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より、『近鉄・伊賀線』を御覧下さい。



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No title * by C#5004
初めまして、伊賀線の画像を検索していたら偶然辿りつきました。
拝見したところ車両の特徴などから昭和56~57年ごろに撮影されたもののようですね。
なお、一番下の5001号車の撮影場所は上林駅から伊賀上野方を向いたところです。
ご参考までに…

No title * by 風来梨
こんばんは。

25日まで外出してましたので、お返事が遅れました。 申し訳ありません。

>拝見したところ車両の特徴などから昭和56~57年ごろに撮影されたもののようですね。

その頃だと思います。 そして、記憶では桑町と上野市と伊賀上野以外に降りた記憶がないのて・・。 でも、ご指摘通り上林に降りていたのかな?

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No title

初めまして、伊賀線の画像を検索していたら偶然辿りつきました。
拝見したところ車両の特徴などから昭和56~57年ごろに撮影されたもののようですね。
なお、一番下の5001号車の撮影場所は上林駅から伊賀上野方を向いたところです。
ご参考までに…
2011-07-23 * C#5004 [ 編集 ]

No title

こんばんは。

25日まで外出してましたので、お返事が遅れました。 申し訳ありません。

>拝見したところ車両の特徴などから昭和56~57年ごろに撮影されたもののようですね。

その頃だと思います。 そして、記憶では桑町と上野市と伊賀上野以外に降りた記憶がないのて・・。 でも、ご指摘通り上林に降りていたのかな?
2011-07-26 * 風来梨 [ 編集 ]