2017-10-15 (Sun)✎
路線の思い出 第231回 土讃本線・坪尻駅 〔徳島県〕
全国7位(どういう基準なんだろ?)の秘境駅・坪尻駅
前人未踏のルートから『秘境踏み』で足跡を刻んだよ
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
多度津~窪川 198.9km 4942 / 274
運行本数
琴平~阿波池田 特急 1時間に1~2本
普通 8往復
坪尻駅(つぼじりえき)は、徳島県三好市池田町西山にあるJR四国・土讃線の駅である。
四国に2つしかないスイッチバック駅の1つ(もう1つは同じ土讃線新改駅)である。
徳島県と香川県の県境にある猪ノ鼻峠付近の標高272mの地点に位置し、周辺には山林や川しかない。
駅構造の関係から通過する普通列車もあり、秘境駅のひとつとされている。
単式ホーム1面1線を有するスイッチバック式の駅で、1面1線の為に当駅で普通列車同士が行き違う場合はいずれかが必ず通過となる。 本線通過制限速度は100km/hで、通過列車は横の本線を高速で去っていく。
下り普通列車は引き上げ線に待避してから駅に進入する。 上り普通列車は駅を出発して引き上げ線に待避したのち讃岐財田駅に向かう。 かつてはシーサス・クロッシングポイントが設置されていたが、JR化後の高速化改良工事により撤去されて現在の形となった。
阿波池田駅管理の無人駅。 利用客は2人/日との事。 待合室には発車時刻表、10分以上停車する列車の時刻表に加え定期列車の通過時刻表も掲示されている。 通過時刻表は踏切にも掲示されている。
駅から徒歩で30分ほど山道を登った所に木屋床(こやとこ)という集落があり、開業当時は通学客や野菜の行商に出る人などで賑わっていたが、集落付近に道路が整備された為に、駅を利用する住民はほとんど居なくなった。 駅前にあった雑貨店跡は、廃屋となって放置されている。
当駅は鮎苦谷川沿いの谷に位置する為に車では近づく事ができず、到達手段は徒歩のみである。
駅舎を出ると、東側・西側にそれぞれ山道が1本ずつあり、駅舎の南側にある踏切を東側へ渡って10 分程度歩くと国道32号に、西側へ行くと市道に出る。 ただし、山道にはゴミが散乱していたり倒木がある場合がある。 また、降雨時や雨上がりは地面がぬかるんでおり、ごく一部を除いて柵がないため崖下に落ちる危険性もある。季節によってはマムシやハチが出る事もある。
この『秘境駅』の存在を知ったのは、駅に訪れたその年の事である。 周りクドイ言い方をしたが、鉄道を追いかけ回していた少年時代はこの駅の存在を全く知らず、歳月が流れて中年になってからウェブサイトで有名な駅訪問サイト『秘境駅にいこう!』を目にして、初めて知り興味を抱いた駅なのである。
実線が正規ルートで破線が
オチャメな『秘境踏み』ルート
↑
地図に書くと大差はないが
実際には凄い『差』があったのよ
実際には凄い『差』があったのよ
だから、このウェブサイトに記された「車で辿り着く事ができない駅」という事に釣られて、「なぜ車で行けないのか?」、「どういう秘境駅なのか?」、「この駅へのアプローチ方法」といった事は全く調べずに”勢い”だけで訪れたのである。 たからであろうか・・、常人では有り得ない「秘境駅の秘境踏み」をしてしまったよ。 それでは、その駅訪問記をば・・。
仕事を終えてすぐに、予めカメラなどの撮影グッズを積んだ車を駆って四国へ。 深夜に徳島道の《阿波PA》に着き、ここで仮眠する。 このPAは阿波池田まで35km、阿波池田より坪尻は10kmほどの好位置にある。 順調に行けば、朝7時の普通列車を撮る事が適うだろう。
「どういう秘境駅か?」も調べずにやって来て
駅名通り「尻からツボ」にハマる
ちなみに、この時は時刻表ナシで、普通列車の坪尻駅発車時刻を紙に適当に殴り書きしただけの下準備である。 当然、通過する特急列車の時刻など全く調べていないし、それどころか「アンパンマンはパス!」(鉄なら知っているだろうが、四国の列車は何故か『アンパンマン』がメインキャラクターとなっている)と全く想定していなかったのである。 もちろん、坪尻駅がどのように秘境駅なのかも調べもせず、“オチャメ”の卵をキッチリと育んでいたのは藪の中に。
で、着いたのは6:15頃。 国道32号の何もない所に『坪尻駅 600m →』の道看板が掲げてあった。
その看板の100m程先にモーテル跡なのか・・、閉鎖された建物と車が6~7台駐車できるスペースがあった。 取り敢えずここに車を駐車して、看板の方へ向かってみる。
で、着いたのは6:15頃。 国道32号の何もない所に『坪尻駅 600m →』の道看板が掲げてあった。
その看板の100m程先にモーテル跡なのか・・、閉鎖された建物と車が6~7台駐車できるスペースがあった。 取り敢えずここに車を駐車して、看板の方へ向かってみる。
看板下のガードレールの隙間
「通路と言えば通路かな」が通路だった
看板の指し示す所には慰霊碑が立つだけで下る所はなかったが、その20m程下方のガードレールに人間ひとり分だけの隙間があった。 そこから、「通路と言えば通路かな」という切通しが下方へ続いていた。 これが駅への下降路とはにわかに信じ難く、モーテル跡を挟んだ逆の方向へ索敵に向かう。
逆の方向には民家が2~3件あり、道のレベルは先ほどの切通しと変らないが幅は軽トラ一台分位と広く、見た目もこちらの方が駅への通路らしかったので、こちらを駅への下り口と定めて下っていく。
逆の方向には民家が2~3件あり、道のレベルは先ほどの切通しと変らないが幅は軽トラ一台分位と広く、見た目もこちらの方が駅への通路らしかったので、こちらを駅への下り口と定めて下っていく。
これが『小さなオチャメ』のプロローグである。
道は3件目の民家と軽トラックを見やると、ごみが散乱する廃道と化し、藪や茨が進路を塞ぎ始める。
道は3件目の民家と軽トラックを見やると、ごみが散乱する廃道と化し、藪や茨が進路を塞ぎ始める。
だが、何故か山や沢でお馴染みの『道標リボン』が枝に括りつけてあるなど、微妙な迷彩がかかっていたのである。
「日頃お世話になっている『道標リボン』はウソをつかない!」と勝手にゴタクを並べて、タワケはゴミが散乱する踏跡に入っていく。 「ここまで下ったので、もはや戻るのはダルくてイヤだ!」というオーラを全開にして・・。
「日頃お世話になっている『道標リボン』はウソをつかない!」と勝手にゴタクを並べて、タワケはゴミが散乱する踏跡に入っていく。 「ここまで下ったので、もはや戻るのはダルくてイヤだ!」というオーラを全開にして・・。
道はイバラ地帯を抜けると、いよいよ踏跡も不明瞭となり、やがて土砂崖となって消失していた。
そして、ワイヤーを止める座金が所々にあった。 たぶんこのワイヤーは、線路への土砂崩れを防ぐネットを吊る為の座金であろう。
ネットの中に入ってしまっては脱出が不能となるので、ワイヤーを全て跨いでその土砂崖の端までトラバースをする。 “トラバース”(三点支持移動)が入ったこの時点で、「このルートは正しい駅へのルートではない」と98%確信が持てた。
後の2%は、その・・なんだ・・、信じたい気持ちと間違いを認めたくないアオい感情である。
ネットの中に入ってしまっては脱出が不能となるので、ワイヤーを全て跨いでその土砂崖の端までトラバースをする。 “トラバース”(三点支持移動)が入ったこの時点で、「このルートは正しい駅へのルートではない」と98%確信が持てた。
今回の『秘境駅・秘境踏み』ルート
だが、ワイヤーを跨ぎきると、その50m位下に線路が見えてくる。 これで、残念だか『100%間違い』の烙印が押されたのである。
ここまで来ては、もうこの土砂崖をモンキーダウン(木を持って猿のように下っていく)するしかなかろう。 ああ、『フォーエバー』の番匠谷以来だなぁ、こんな目に遭うのは・・。 まぁ、あの時よりも数段傾斜は緩いけど。
しかし、こんな崖をモンキーダウンするなど想定さえしなかった(でも、想定してたら完全無欠のアホですわ)ので、スニーカーよりちょっとスポーツモードのズック靴履きだったから滑ったよ。
ここまで来ては、もうこの土砂崖をモンキーダウン(木を持って猿のように下っていく)するしかなかろう。 ああ、『フォーエバー』の番匠谷以来だなぁ、こんな目に遭うのは・・。 まぁ、あの時よりも数段傾斜は緩いけど。
しかし、こんな崖をモンキーダウンするなど想定さえしなかった(でも、想定してたら完全無欠のアホですわ)ので、スニーカーよりちょっとスポーツモードのズック靴履きだったから滑ったよ。
それに、この靴で土砂崖を蹴り込んで下ったので、靴の中に土が入ったよ。
・・で、約30分かけて線路際まで下りきる。 下りついた線路際は、坪尻駅の100mほどトンネル寄り(高松側)であった。 駅が見えるので、駅まで線路を伝っていく。 そのすぐ横が先ほどの予想通り、ワイヤーで吊られた落石防止用の防護ネットであった。 坪尻の駅は停車する列車だけスイッチバックで入線する線路配置となっているようである。
崖の下り口から100mの線路伝い歩きを終えて、停車列車用の線路を跨いで駅裏に出た瞬間、アンパンマン(特急)が全速力で通過しやがった。 全く不徳の致す所で弁明の余地は皆無だが、これはチトやばかった。 特急の通過時刻調べとけば良かったね。 それよりも、キチンと駅への下り口を調べておくべきだったよ。
まぁ、とにかく、列車では下車してないが、「車の進入ルート皆無の秘境駅」として全国的に名高い坪尻駅に(土砂崖を)下り立ったのである。 即ち、『秘境駅』をサバイバル的に『秘境踏み』した筆者(
さて、秘境駅についたのだから、早速列車の撮影に勤しもう。 最初の列車は7:03発の多度津行きだ。 土砂崖を下って線路を跨いで駅裏に入った瞬間にアンパンマンが轟音を上げた(アト1分遅かったらヤバかった)ので、着いたのは6時52分頃である。 アト10分しかないので、取り敢えず一番スタンダードな28mmを着けて構える。
琴平から通勤列車となる
空気輸送列車がやってきた
7時を周った瞬間に、前が新型で後ろがキハ54の2両がやってきた。 当然下車客ナシ。
朝の通勤便との事らしく、車掌(女の車掌だった)も乗務する空気輸送列車だった。
まぁ、琴平と多度津の間だけ、列車としての体を成すのだろう。
まぁ、琴平と多度津の間だけ、列車としての体を成すのだろう。
坪尻駅に停車する列車のみ
スイッチバックで往来する
列車はゆっくりと奥の引込み線に入り、本線へ移動していく。 つまり、一列車でインとアウトと本線走行の3回の撮影機会があるのだ。 でも、風景を交えて撮るとなると、そのいずれも“撮影チャンス”には当てはまらない。 なぜなら、車両本位の走行撮影となるからだ。 即ち、画面に入るのは、車両とスイッチバックの線路と周囲の森林だけの“どこでも撮れるつまらないアングル”なのだ。
スイッチバックで撮影機会は
1列車に付き3回あるが
このアングルはワテが撮りたいと思う
このアングルはワテが撮りたいと思う
『風景鉄道写真』ではないのだ
まぁ、最初のは様子見という事もあるし、未だ朝日が昇って間もないので光量不足という事もあるので、取り敢えずシャッターを切るタイミングをつかむ為にカメラを向ける。 これをする事によって、周囲を見回して必要なレンズとアングルを想定する余裕ができた。
それを次の列車に活かせば良い訳だ。
さて次は、アンパンマン(特急)を撮る気は皆無なので、次の普通列車は8:29発の多度津行である。
「次の列車まで1時間半あるな」とタガを括っていると、下りの普通が快速を飛ばして通過した。
早速、時刻表を持たないナンチャッテ○鉄の弊害が形として現れた。 これは、見事なまでに完璧な“見逃し”である。 行きがけのアンパンマンの事といい、この事といい、本鉄さんがいたなら吊るし上げられる体たらくである。
さて次は、アンパンマン(特急)を撮る気は皆無なので、次の普通列車は8:29発の多度津行である。
「次の列車まで1時間半あるな」とタガを括っていると、下りの普通が快速を飛ばして通過した。
早速、時刻表を持たないナンチャッテ○鉄の弊害が形として現れた。 これは、見事なまでに完璧な“見逃し”である。 行きがけのアンパンマンの事といい、この事といい、本鉄さんがいたなら吊るし上げられる体たらくである。
この石垣って何?
昔に庄屋の屋敷でもあったのか?
7:30位に“見逃し”をした後は空き時間が1時間程あるので、「俯瞰できるかも」と裏山へ向けて続く踏跡を伝っていく。 100m程つづらの坂を登っていくと石垣があり、線路から離れていく。
そして見えていた線路は樹木に隠れて見えなくなり、諦めて引き返す。 でも、この石垣って、いったい何の為に積まれたのだろうか。 この山道はどこにつながっているのだろうか?
そして見えていた線路は樹木に隠れて見えなくなり、諦めて引き返す。 でも、この石垣って、いったい何の為に積まれたのだろうか。 この山道はどこにつながっているのだろうか?
やがて8時を周り、そろそろに次の列車の為にスタンバる時がやってきた・・と思ったら、8時15分に入線してきた。 どうやら、アンパンマンとバイキンマンの通過待ちのようだ。 結果としてまたもや“見逃した”のであるが、スイッチバック側は日光がギラギラと差し込む『ピーカン・ド逆光』だったので、スタンバッていても写真にはならなかったのである。 従って、この“見逃し”は結果オーライという事で。
でも、入線してからは仕留めたし、車止め側の山肌は見事な紅葉が彩り、そろそろに日差しを浴びて色彩豊かになってきて、写欲の湧く情景になってきた。 木造の味わい深い駅舎と山肌を彩る紅葉と、旧国鉄型のキハ54という美味しい情景が15分にわたって撮り放題となるのである。 それでは、この地で楽しんだ情景をごろうじろ。
アンパンマンの通過待ち
彩る秋を背景に
木造駅舎の秘境駅を強調した
今回の一番星
駅の庇と紅葉と単行気動車と
ワテが求める風景鉄道写真情景がここにあった
ワテが求める風景鉄道写真情景がここにあった
まだまだ楽しんでいたいが、次の列車は10時前までない(アンパンマンはあるけど)し、「朝メシも食いたいなぁ」という事で引き上げる。 今度は踏切を渡って、通常の通路を行く事にしよう。
踏切を渡ると、30年以上も前に廃屋になったであろう倒壊寸前のバラックがあり、その先にすごぶる良い道(下り時の土砂崖に比べて・・です、ハイ)がつづら折でつながっている。
国道までの距離は、国道にあった表示板の如く600m程だろう。 当然、モンキークライムをする必要も、ズル滑りする危険も、ワイヤーを跨ぐ必要も、ヤブ漕ぎする必要も無い。 後で知った事だが、このヤブの中にはマムシがいるんだってね。
・・で、教訓。 「見知らぬ駅を訪れるには、先人の到達者の書き記した記録を調べるべし! もしくは、鉄道駅は鉄道で下り立つべし!」であろうか。 「次からは、(憶えていれば)そうします」と頭を垂れて次の目的地へと行く事にしよう。 ちなみに、最初に見た駅案内板のすぐ下のガードレールの隙間から下る切通しが駅への入口だったよ。
宜しければどうぞ。
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No title * by 風来梨
きゃみさん、こんばんは。
坪尻駅は日本の秋風景としては取り上げた事がありますが、駅としてはじめてですね。
こんな「オチャメ」な駅訪問をした教訓は、「秘境駅に訪れる時には、下調べをキチンと」って事ですね。
それと「アンパンマン」は、あの区間が四国で一番早く走れる区間ではないかと・・。 四国の特急はどこでも遅いのですが、あの区間は特別すっ飛ばしますね。(笑)
坪尻駅は日本の秋風景としては取り上げた事がありますが、駅としてはじめてですね。
こんな「オチャメ」な駅訪問をした教訓は、「秘境駅に訪れる時には、下調べをキチンと」って事ですね。
それと「アンパンマン」は、あの区間が四国で一番早く走れる区間ではないかと・・。 四国の特急はどこでも遅いのですが、あの区間は特別すっ飛ばしますね。(笑)
No title * by 風旅記
こんばんは。
坪尻駅、列車で着いたときに駅の周辺を少しだけ見回しましたが、マムシ注意の立て看板にも腰が引けてしまい、結局山の中には分け入りませんでした。
駅舎を出れば小さな草むした広場があるだけ、元々は山間の谷でしょうか、湿っている感があまり心地良くなかったことを覚えています。
随分と激しいルートで駅に辿り着かれたようで、こちらの記事も楽しく拝見させて頂きました。
本線を渡った向こう側くらいには行きましたが、踏切に掲げられた列車の通過時刻を確かめ、左右を見て渡ったものの、その後すぐ横を猛スピードで走り抜けた特急に震え上がったのも、この駅らしい記憶です。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
坪尻駅、列車で着いたときに駅の周辺を少しだけ見回しましたが、マムシ注意の立て看板にも腰が引けてしまい、結局山の中には分け入りませんでした。
駅舎を出れば小さな草むした広場があるだけ、元々は山間の谷でしょうか、湿っている感があまり心地良くなかったことを覚えています。
随分と激しいルートで駅に辿り着かれたようで、こちらの記事も楽しく拝見させて頂きました。
本線を渡った向こう側くらいには行きましたが、踏切に掲げられた列車の通過時刻を確かめ、左右を見て渡ったものの、その後すぐ横を猛スピードで走り抜けた特急に震え上がったのも、この駅らしい記憶です。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
No title * by 風来梨
風旅記さん、こんばんは。
踏切前のあの倒壊しかけの廃屋は、駅前の雑貨屋だったそうですね。
今でも、あの石垣の上へ続く道を伝って、日に1~2名の利用客がいるようですね。
駅の進入路表示のある国道側は無人地帯なので、実質の駅の入口はこの石垣の上へと続く道のようです。
まぁ、必ずやらかす『オチャメ』は、偏に事前の調査を全くしない物臭さな性格からですね。 たぶん、一生涯なおらないでしょうね。
踏切前のあの倒壊しかけの廃屋は、駅前の雑貨屋だったそうですね。
今でも、あの石垣の上へ続く道を伝って、日に1~2名の利用客がいるようですね。
駅の進入路表示のある国道側は無人地帯なので、実質の駅の入口はこの石垣の上へと続く道のようです。
まぁ、必ずやらかす『オチャメ』は、偏に事前の調査を全くしない物臭さな性格からですね。 たぶん、一生涯なおらないでしょうね。
坪尻駅の記事が今までなかったのは意外ですね。
駅までの道、アドベンチャーしてたんですね(笑) 私もあの正規ルートは最初は半信半疑で下っていきました。
駅そばの踏切には通過列車の時刻表も掲示されていました。あの場所、特急は音もなしに頻繁に通過するので冗談なしに危険ですね・・・
では坪尻駅の記事をTBさせていただきます。