風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第230回  白糠線・北進駅

路線の思い出   第230回  白糠線・北進駅  〔北海道〕


雨の中・・
1日3便の2番列車がやってきた

《路線データ》
     営業区間と営業キロ         輸送密度(’79) / 営業係数(’83)
    白糠~北進 33.1km              123   /    3077

      廃止年月日         転換処置         廃止時運行本数    
      ’83/10/23         白糠町営バス           3往復

北進駅(ほくしんえき)は、北海道白糠郡白糠町上茶路にあった国鉄・白糠線の駅である。
白糠線の廃線に伴い、1983年10月23日に廃駅となった。 同線の終着駅であった。

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する駅で、同線の終着駅であった。 ホームは線路の西側(北進方面に向かって左手側)に存在した。 開業時からの無人駅で駅舎はないが、ホーム北側の出入口から少し離れた場所に待合室を有した。 線路を延伸できる用地もあり、明らかに工事中の路線の暫定的終点の様相であった。 昭和56年度の1日乗降客数は4人との事。 


硬券も売ってたよ
コレ「5000円で売ってくれ」との
問い合わせがあったよ

1964年に白糠~上茶路で営業を開始し、1970年に当駅までの工事が完成していた白糠線であったが、既に炭鉱の閉山もあって利用客は見込めず、国鉄は開業を渋っていた。 そんな中、時の運輸大臣がゴリ押しをする形で、1972年にようやく開業にこぎつけた。

周辺の人口もわずかで列車本数も1日3往復であったため、若干学生の利用があるだけだったといわれている。  経営収支が巨額の赤字に陥った国鉄を立て直すべく1980年に国鉄再建法が施行され、それに基いて白糠線も、バスに転換すべき路線の対象となる特定地方交通線に指定され、地方閑散路線廃止の最初の事例として1983年に廃止された。 既存区間の全通から、路線廃止までの営業期間はわずか11年であった。

開業前の仮称は釧路二股(くしろふたまた)であったが、開業時に北進と改められた。
一般的な説ではここから更に北へ進んで発展させるべく、また池北線足寄駅までの延伸を期待しての命名であったとされているが、付近の学校が白糠線開業前から北進小中学校(2001年閉校)を名乗っているなど、字名であった可能性も指摘されている。




秋には『お名残り鉄』が時折やって来たが
8時間待った奴はワテ以外に皆無だったよ

北進駅は駅跡では一度記事を書いてはいるが、意外や意外に『駅』としては初登場なのである(ちょっと苦しすぎるが)。 その北進駅の在りし時の思い出は、とにかく『待ち続けた』事であろうか。

なぜなら、真剣に1日3往復の運行しかなく、しかも路線の終着駅なので、列車の到着機会も「到着折り返し」の3回のみなのだ。 これが途中駅ならば上下列車の分だけ、駅への到着機会も倍となるのだが。


どんなに熱狂的な鉄であろうと
1日3便の列車に乗って来て
折り返すのが普通であり当たり前だった

そして、白糠線以外の他の交通機関は皆無で、並走する国道392号線も高速のインターチェンジに接続する3ケタながら主要国道となった今の姿ではなく、白糠線廃止の前年の’82年に国道に昇格したばかりの道で、北進集落より先は完全な無人地帯ゆえに未舗装のままであり、この未舗装道をサミットである釧勝峠を通って足寄・十勝へと抜ける車など皆無というか、あるハズないのである。

そういった運行が僅か3往復の路線で『乗り鉄&撮り鉄』をしようとすれば、自ずとからこの駅まで始発列車でやってきて、その折り返しを撮り、次に来る2番列車を迎撃して、この2番列車の折り返しでこの駅を後にする以外に手はないのである。

そういった現状に加えて、先程も述べたようにバスなどの公共交通機関は皆無だし、それどころか北進集落より先は無人地帯故に往来する車もなく、車が現れるとすれば、この北進集落に居住する者の所有車以外に有り得なかったのである。 要するにこの時よりもずっと状況は悪かった訳で、『ヒッチハイク』などは可能性としても全く無かったのである。


8時間の待ちを1000頁のマンガで
乗り切ろうとしたタワケガキだったが

もちろん、コンビニどころか店屋1件なく、ついでに言えば清涼飲料水の自動販売機すら見当たらなかったのである。 その上に外は本降りの雨・・と、どうしょうもない状況だったのである。
そういう状況で援護となるアイテムは、こういう状況を見越して買って持ってきた『月刊少年サンデー・夏の特別号 豪華1000頁』のみであった。

この分厚い特別号は今でも憶えているよ。 当時『うる星やつら』、『めぞん一刻』で絶頂期だった高橋留美子の読切『笑う標的』と『災トリッパー』が、巻頭カラーで掲載されていたよ。
要するにこのタワケは、朝7時過ぎの1番列車の折り返しを撮ってから、15時前にやってくる2番列車の撮影チャンスまでの約8時間をこの『1000頁のマンガ』の熟読で乗り切ろうと考えたのである。

だが、生来から『堪え性』のないタワケガキに、マンガとはいえ「本を熟読する」という行為を求める事自体が無理だったのである。 何せ、生涯で小説一冊を完全に最後まで読み干したのは、数年先のこの時の体験以外には後にも先にも皆無なのである。 まぁ、ロクに最後まで本も読めないようなタワケガキに『真面目な学生生活』なんて送れる訳ないわなぁ。

最初の『高橋留美子の読切2本立て』と数本のマンガを見ただけで飽きが来てしまい、堪らず絶好の雨宿り場所兼読書室だった北進駅の待合室より抜け出して、本降りの雨の中へ。

まぁ、雨の中に抜け出しても何もない所なので、取り敢えず状況を打開すべく『未知の情景』である線路の車止めの方向へ向かって歩いてみる。 でも、これがかなりの『肝試し』だったよ。
車止めより先は完全な未開の密林地帯で、歩く事も困難な位にブッシュが足に絡みつく。
それでも「未完成の路盤なんかが有りはしないか」と、足元に絡みつくブッシュを現役ワンゲロパワーで掻き分けて進んでいく。


秋に撮った白糠線の車止め
夏はこの先500m奥をゆく『肝試し』

だが、約500mほど奥に入った所で、『ガサガサガサッ』とブッシュが鳴る獣の物音と思しき音が原野に響き渡り、これにはさすがにビビって逃げかえるように撤退する。 ヒグマなんかに遭遇したらヤバいしィ。

未通区間は『肝試し』だけで得るモノは何も無しに終わったが、「今度は線路の敷かれてある下北進側に行ってみよう」と、線路上を歩いていく。 まぁ、これは撮影場所を決める目的が多分にあった事なのであるが・・。


今は農道橋となった第二十三茶路川橋梁

北進駅から200m程ゆくと、頼りない欄干の陸橋があった。 これは『第二十三茶路川橋梁』であるが、2番列車の折り返しに乗らねばならないので、ここで茶路川を背景にしての撮影は無理そうだ・・っていうか、本降りの雨の中で川べりに降りる事態が自殺行為だしィ。

・・で、駅の袂から30メートルほど進んだ踏み跡(恐らく、撮り鉄の誰かが白糠線を撮った後・・かな?)で撮る事に決めて、基地の北進駅待合室に戻る。 北進駅の待合室に戻って時計を見ると、こんなに頑張ったのに時計の針はまだ10時過ぎを指していたよ。 まだ5時間近くあるよ。 なので次の『時間潰し』手段として思いついたのが、『北進の集落探索』である。

窪地の下に広がる原野に設けられた北進駅より、坂を登って昇格した国道沿いにある北進の集落へ出る。 だが、これは『探索』にもならなかったよ。 雨の中で店屋もなく、行き交う人も車もなく、極端に言えば全く人っ子一人とも会わなかったのである。


ここで雨宿り
でも既に廃校舎の雰囲気だったよ
北進小中学校は2001年で廃校との事
※ グーグル画像を拝借

取り敢えず雨宿りの出来そうな所に逃げ込む必要がある・・という事で、夏休み中の小中学校の校舎で雨宿り。 ここで例の1000頁のマンガを傍らに、5時間近くを費やす。 でも、この小中学校は廃校になったようである。 でも、夏休みとは言えども生徒の人っ子一人いない学校って、こうなる暗示だったのかねぇ。


夏のファーストコンタクトでは
コレが【急行】幕でやってきたのだった
でも・・フイルム間違いでボツ

そして、雨の中を8時間近くを耐え凌いで、やってきました2番列車。 この時は朝の1番列車と同じく、急行用のキハ56・2蓮が【急行】幕をつけてやって来た。 白糠線に急行が入線した・・という貴重な画像だったのだが、最初の白糠線への接触は8時間も待ったのに、室内用タングステンフイルムを使ってしまうという失態で全ての写真がボツとなってしまったよ。


秋は車で『お名残り鉄』が
ひっきりなしにやって来て退屈しなかったよ

コレのリベンジに訪れた秋も同じように雨で、同じように8時間待ったがあまり覚えていない。
なぜなら、この時は廃止を10日後に控え、常に撮り鉄や名残り鉄が車でやってきていたし、その内の何人かとは、待合室で菓子を喰いながらだべっていたので、あまり時間待ちの苦は無かったみたいである。
この時は、何とかリベンジが叶いましたよ。


秋のリベンジも8時間待った甲斐があり
白糠線の走行写真が撮れますた

ちなみに、この日の宿がここで、翌日はこんな『神展開』が待っていたのである。




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No title * by 風旅記
こんばんは。
今、白糠線と言ってもその言葉を理解する人は地元でも少なくなっているのではないでしょうか。廃止から既に34年が経っていますね。
写真集で見たこの駅の姿が、幼い頃から脳裏を離れずに、いまだ北海道の鉄道への憧れの気持ちに繋がっています。
貴重なお写真ですね。
北進駅の情景は、終着駅の一つの形としては究極のようにも感じられます。誰もおらず、周りに何もなく、本当の果てのよう、印象深いお写真です。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

No title * by 風来梨
風旅記さん、こんにちは。

>今、白糠線と言っても・・
30年ひと昔・・、縫別にはインターチェンジもできて、白糠線跡の残骸以外は周辺の状況は一変してますね。

そして、この地に鉄道があった事を示す展示物は、白糠駅の数件隣にあるバス会社のターミナルの待合室に白糠線全駅の駅名標のレプリカが掲げられてるのみですね。 本家のJR白糠駅でも、跡形がキレイさっぱりありませんね。

ここ数年毎年のように北海道に通っていますが、この白糠線のあった地には度々訪れています。 私にとっては、生涯かけてローカル線の虜となった路線・・、「我が青春のローカル線」ですから。

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こんばんは。
今、白糠線と言ってもその言葉を理解する人は地元でも少なくなっているのではないでしょうか。廃止から既に34年が経っていますね。
写真集で見たこの駅の姿が、幼い頃から脳裏を離れずに、いまだ北海道の鉄道への憧れの気持ちに繋がっています。
貴重なお写真ですね。
北進駅の情景は、終着駅の一つの形としては究極のようにも感じられます。誰もおらず、周りに何もなく、本当の果てのよう、印象深いお写真です。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
2017-11-18 * 風旅記 [ 編集 ]

No title

風旅記さん、こんにちは。

>今、白糠線と言っても・・
30年ひと昔・・、縫別にはインターチェンジもできて、白糠線跡の残骸以外は周辺の状況は一変してますね。

そして、この地に鉄道があった事を示す展示物は、白糠駅の数件隣にあるバス会社のターミナルの待合室に白糠線全駅の駅名標のレプリカが掲げられてるのみですね。 本家のJR白糠駅でも、跡形がキレイさっぱりありませんね。

ここ数年毎年のように北海道に通っていますが、この白糠線のあった地には度々訪れています。 私にとっては、生涯かけてローカル線の虜となった路線・・、「我が青春のローカル線」ですから。
2017-11-20 * 風来梨 [ 編集 ]