2017-09-24 (Sun)✎
路線の思い出 第227回 大糸線・安曇沓掛駅 〔長野県〕
JR東海の駅名標は所在地が表記してあり
「はるばるここまでやって来た」感があっていい
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
松本~糸魚川 105.4km 4963 / 364
電化区間運行本数(’17)
松本~信濃大町 上下とも1時間毎1本
松本~有明・穂高に区間運行有
信濃大町~南小谷 10往復〔上り最終便は快速〕
松本〜南小谷 新宿より直通の特急【あずさ】1往復
安曇沓掛駅(あずみくつかけえき)は、長野県大町市常盤須沼にあるJR東日本・大糸線の駅である。
ホーム上に待合室を持つ単式ホーム1面1線を有する駅で、信濃大町駅管理の無人駅である。
2011年度の1日平均乗車人員は113人との事。
後立山連峰の拠点の街・大町市
大町市は市の西側にそびえる後立山連峰の登山拠点となる街で、大町駅から後立山連峰の人気のある山へは、バスなどの公共交通機関が充実している。 そう・・、登山シーズンともなると、大小のザックを担いだ登山者が、駅と駅前のバスのりばに常時タムロしているだろう。
バス待ち客の大半は
コチラ方面が目的でしょう・・
※ 立山黒部アルペンルートのウェブより
でも、こういうバス待ちをする登山者が向かうのは、人気のある山で登山道も整備された初級クラスの山々がほとんどだ。
タワケの目指したのは
標高差1650mと強烈な登高のあるこの山デス
だが、過去の経験だけで経験の数が登山技量に全く結びついていないのに、キツめの山を選択するようなタワケ(筆者)が向かう山へは、バスなどの公共交通機関は全く出ていないのである。 この事から、当然そういった山の登山口へのアプローチは、タクシーで散財する事になる。
まぁ、一応社会人でタクシー代位の金は持っているが、今までの生き様からタクシーの料金メーターの表示や料金が加算される音にトラウマに近いモノがある筆者(タワケ)は、登山道にアプローチするまでに多大な精神体力を消耗するのである。
・・で、着いた登山口(今回のタクシー代は3500円だったよ)で、「帰りはこんな事のないように、下山口にバス路線があるメジャーな山まで縦走して、『タクシーのメーター』というトラウマに遭わずに済むようにしよう」と、壮大な縦走計画を立てて登り始めるのである。
メジャーな山・燕岳の登山口・中房温泉には
1日5便のバスがある
※ 南安タクシー(有)のウェブサイトより
だが、過ぎゆく時というモノは残酷である。 かつての『奇跡の体力』を保持していた頃なら、こういった壮大な縦走計画も難なくこなして、余裕で下山先からバスに乗って信濃大町駅に戻れたのであるが、今は山の頂上に登り着いた時点でかつての1.5倍の所要時間がかかって、「縦走なんて絶対無理!」という程にヘタれていたのである。
燕岳への縦走は水泡に帰したが
ワテ好みのいい駅に訪れる事ができたよ
そう・・、登った山は餓鬼岳というマイナーな山(でも〔名峰次選〕の山ですよ)で、上りのコースタイム6時間半が10時間半(といっても、途中でバテて合計3時間ぐらいは路上でフテ寝していたので、歩いた時間はコースタイム通り・・)かかっちゃったのである。 朝6時に登り始めて(ちなみに、昨日は登山口でテント張って泊まった)、頂上に着いたのは16時半だったし。
これで、下山口からバス路線のあるメジャーな【名峰百選】の山・燕岳までの縦走は、限りなく無理な様相を呈してきたのである。 なぜなら、『奇跡の体力』を保持していた頃でも下りが遅い(ともすれば登りより下りの方が時間がかかった事もあった)ワテで、なおかつ現在の『奇跡の体力』を喪失した状況なら、燕岳経由の縦走ルートの下山コースタイム7時間半は恐らく10時間以上となって、下山先からの最終バスに乗れなくなる事が当確となったからである。
そして、上述のタクシーの件で『一応・・社会人』と記した様に、最終バスに乗れなければ休み明けの仕事は欠勤となってしまうので今夜中に自宅に戻らねばならないのだ。 だが、上りで10時間半かかったとはいえ最短ルートの往路を戻る以外に自宅に帰れる術はがない事が、この「上り10時間半」で露呈したのである。
尤も、「この最短ルートでも自宅に戻れるかどうかは微妙なのだが」っていうか、「かかった10時間半の内の3時間以上がバテてフテ寝」という事に一縷の望みがあっただけであるが。
この稜線を伝って燕岳へだったハズが・・
秋色に浮かれて立ち止まったりするから
下りで8時間もかかるんだよ!
下の沢はヘツリで
”ヘツリ”に”ヘタレ”ではタイムオーバー必定
・・で、(せっかくキツい山に登ったのだから)山頂で御来光から朝のシーンをカメラに収めて、7時半に下山に取り掛かる。 もう、下山先から信濃大町駅へ戻る方法は「なるようになれ」で、登山口から携帯電波の届く所まで歩いてタクシーを呼ぶか、下りてきた登山者の車にヒッチハイクで乗せてもらうか・・である。 まぁ、この2つの方法のふたまた・・、即ち下山口から電波の届く所まで歩きつつ、通りがかった下山者の車を捕まえてヒッチハイクする以外にないだろう。
でも、それもヤバくなってきたよ。 ワテ・・、下るのが遅かったのである。 次々に空身の登山者に抜かれ、残りは78歳のおじいちゃん登山者のみとなったし、このおじいちゃんとのデットヒートの状況となったのである。
でも、このおじいちゃんとデットヒートとなった事が”救い”となったのである。 おじいちゃんとの抜きつ抜かれつのデットヒートの中で話をする内に、このおじいちゃんが『枯れ葉マーク』のホルダーで、下山口に車を置いていた事が判ったのである。
おじいちゃんとのデットヒートがご縁で
訪問が叶った駅だったよ
最後の沢のヘツリではテント一式の重装備が引っ掛かって、デットヒートも勝負が着きかけた(離されかけた)が、「今日中に大阪に帰らねばならない」というタワケの事情を思いやってくれたおじいちゃんが情けをかけて待ってくれて事なきを得たよ。
・・で、下り着いたのは16時過ぎ・・。 もちろん、おじいちゃんとヨレヨレのワテが最終下山者である。 この16時過ぎというのは、かなり微妙な時間だった。 今日中に大阪に戻るリミットの大糸線列車の信濃大町発は16:33・・。 この時間では信濃大町まで行くと間に合わない。
なので、最も近い安曇沓掛駅までヒッチハイクさせてもらう。
安曇沓掛駅
元々私鉄なので駅の幅は狭いみたい
※ ウィキペディア画像を拝借
安曇沓掛駅発の列車は16:42・・、この9分が大きかった。 この9分と餓鬼岳登山口の白沢から最も近い駅へ直行・・という時間短縮で、安曇沓掛駅着16:23と20分近くの余裕ができたよ。 お世話になったおじいちゃんに礼を尽くして、この余った20分で駅の探索をしたよ。
長椅子にシュラフを敷いて寝っ転がるもヨシ!
土間スペースにテントを張るのも良し!の
駅寝レベルの高い駅待合室だったよ
待合室の中は座布団があって、綺麗に清掃されて駅寝レベルはかなり快適そうである。
登山で余ったフイルムを消化すべく、駅訪問のB級写真を撮りまくったよ。
駅前は砂利時期の駐車スペースとなっている
※ グーグル画像を拝借
駅前には砂利敷の駐車スペースがあって『パーキング&ライド』で使えそうだが、これだけ自家用車が普及して道路が整備された現在では、『駅まで車で来て列車に乗る』なんて事は現実的でないだろうね。
恐らく、学生の送迎程度だろうな。 そうこうしてる内に20分が経過して、ロングシート3連の大阪へ帰るべくの電車が到着した。
※ 興味のある方はこの山行記をどうぞ
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