2017-08-17 (Thu)✎
路線の思い出 第221回 飯田線・伊那北駅 〔長野県〕
今や無人駅になっていたのですね
伊那北駅は・・
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
豊橋~辰野 195.8km 3957 / 500
’17年・運行本数
豊橋~豊川 上下とも毎時3~5本
豊川~中部天竜 上下とも毎時1本(新城、本長篠までの区間運転を合わせると毎時2~3本)
中部天竜~飯田 上下とも毎時1本
飯田~駒ヶ根 上下とも毎時1本
駒ヶ根~辰野 上下とも毎時1本(ラッシュ時は2本)
特急【伊那路】 豊橋~飯田 2往復、飯田~辰野 快速〔みすず〕 1往復 運行
伊那北駅(いなきたえき)は、長野県伊那市山寺にあるJR東海・飯田線の駅である。
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を持つ列車交換が可能な駅である。
単式ホーム側(下り線)に駅舎があり、島式ホーム側とは伊那市駅側にある構内踏切で連絡している。 1・2番線が本線で、3番線が上り副本線となっている。
以前は貨物取扱駅であった為、構内には複数本の側線がある。 貨物取扱駅として駅舎の北側に有蓋車用の貨物ホームがあったが撤去されている。
2013年3月までは東海交通事業の職員が業務を担当する業務委託駅で、みどりの窓口も設置されていたが、現在は伊那市駅管理の無人駅となっている。
夏の時期は、鉄道を追いかけていた小僧の時でもあまり鉄道旅行をしていなかったのである。
そして、鉄道から離れた時期も夏は山で、この項目のネタも”山絡み”のネタが多くなるのである。
あり丁寧に言えば、駅に降り立った理由が山へ向かう為・・、あるいは山から戻って来て帰路に着くべくのモノで、駅を語る項目でありながらほとんど表題の駅に訪れた記憶がなく、今回の表題の駅も「伊那市と伊那北のどちらだったかなぁ~」と記憶を辿ればならぬ程にいい加減なモノなのである。
もちろん、駅舎の形も全く覚えていない。
伊那北駅の駅名標
※ ウィキペディア画像を拝借
でも、この駅で判明した『偶然の発見』は強く記憶に残っているのである。
それでは、その『偶然の発見』を語っていこう。
この半分しかない庇の岩屋は
不思議に台風の風の直撃からテントを護ってくれた
台風にあって2泊3日ビバークした
大岩下ノ岩屋
それは、山の上で台風に遭遇し、山腹の天然の岩屋で2泊3日ビバークする・・という『遭難フラグ』をおっ立てた山からの帰りの事なのである。 その2泊3日の岩屋でのビバークを経て、なんとか石の海を渡って頂上を踏み、そして降りてきたのが15時過ぎ。
この石の海で溺れたら確実にあの世行きデス
死因は窒息ではなく全身打撲だけど
↑
頂上まてこの海を泳いで!?いきます
落雷で頂上標柱が裂けていた
南ア・鋸岳の頂上でっす
ここで運良くヒッチハイクができて、バス停のある国民宿舎・仙流荘まで乗っけてもらう事ができたのである。 でも、ヒッチハイクができなかったら仙流荘までの6kmを歩いていく・・、日に4本の最終バスに到底乗る事が適わず『ジ・エンド』となっていた所である。 要するに、翌日は欠勤が確定となった訳である。
でも、この時のワテは、ヒッチハイクの成功という嬉しさに舞い上がり、詰めが甘かったよ。
この仙流荘のバス停から出る高遠行の伊那市長谷村営バスは、1日に4便しかない・・って事を忘れていたよ。
・・で、乗っけてもらった仙流荘のバス停で日に4本のバスの発車時刻を目にして再び暗雲が立ち込めたのである。 17時台のバスまで、2時間近くバスがなかったのである。 そして、このバスが最終バスである事は云うまでもない事である。
ヒッチハイクが上手くいって「仙流荘でひと風呂浴びて帰ろうか」と欲張った結果が、17時台の最終バス=今日の内に帰宅できそうにないって事が確定したのである。
そうなのである。 ヒッチハイクの車で1時間に1本の運行があるJRバスの高遠駅まで送ってもらってれば、その日の内に楽々帰れた訳である。 そして、高遠駅のすぐ近くにも《高遠温泉・さくらの湯》というクアハウスがあり、高遠駅まで乗っけてもらっていても温泉に入れたのである。
言うなれば、「ヌカ喜びで舞い上がって思考を停止したツケは結構大きい」って事なのである。
・・で、仕方がないので、街に出たら嘲笑覚悟で「台風にあって死にかけて山から戻れませんでしたぁ~」と明日の欠勤承諾を取ろう・・と決めて、仙流荘で風呂に入りバスを待って17時台のバスで高遠駅へ向かう。 そこからJRバスに乗り継いで伊那北駅まで戻ってきたのである。
ここで駅備え付けの時刻表を独占して
足掻いたのである
※ グーグル画像を拝借
伊那北駅に着いた時刻は、予測通りの18時半を周った頃だった。 ・・で、「今日の内に帰宅する手立てはないものか?」と、駅に備え付けの時刻表を占領してその時刻表のページを漁る。
まず、頭に思い浮かんだのはシンカンセンで帰るって事だが、飯田線の伊那北から東海道新幹線の接続する豊橋方面は、現在の19時台だと豊橋接続以前に天竜峡までしか行けないのである。
となると、長野から長野シンカンセンで東京に出て、東京から夜行高速バスに飛び込み乗車する・・という方法はあるな・・と、伊那北から長野に向かって、長野シンカンセンの接続を調べる。
調べた結果は、「19時台の伊那北発の列車では、長野に着くのは長野シンカンセンの東京行最終が出た後」という『レ・ミゼラブル(あぁ 無情)』であったのだった。 要するに、「シンカンセンは高いだけで使えない」とダメ出しされたのであった。
・・で、次に考えたのが、長野に出てそこから夜行バスに乗るって方法だ。 これを思いついた時、目の前が明るく希望に開けたよ。 でも、これも『レ・ミゼラブル』だった。 この予約を取ろうとバス予約センターに電話をかけると、バス予約センターのテレフォンオペレーターが業務的な冷たい口調で、「長野からの夜行バスは2便とも満席で空きがない」と『死刑判決』を云い渡したのであった。
この列車が
今回の希望の光となった
※ ウィキペディア画像を拝借
これで「全てが終わった」と、ショボンヌとなって嘲笑覚悟の欠勤電話を取ろうとした瞬間に、ある方法を思いついたのである。 それは直江津まで出て、夜行急行【きたぐに】に乗れれば帰れる=明日の出勤に間に合うかも・・って事なのである。
シンカンセンに勝った
急行【きたぐに】号
※ ウィキペディア画像を拝借
・・で、「ダメもと」で調べると、直江津で急行【きたぐに】に乗り継ぐ事ができたのである。
この『偶然の発見』を見つけた時、少し感動したよ。 思わず「急行【きたぐに】が、シンカンセンに勝った!」と口に出た位だ。 そうなのである。 急行【きたぐに】なら大阪に帰れて明日の出勤もできるが、シンカンセンでは不可能なのである。
写真の撮り方次第で
高級感が出せるもんだねぇ
実質は腹筋するとデコを打つ位の
天井の低さなのだが
※ ウィキペディア画像を拝借
そのシンカンセンに勝った急行【きたぐに】に敬意を評して、奮発してB寝台を取る事にしたよ。
伊那北駅のみどりの窓口で購入したそのB寝台の上段は、冷房直撃の寒い位の乗り心地だったよ。 それに、3段目に上り下りするのも結構アクロバットなハシゴ昇りだし、3段目は狭くて腹筋もできない(腹筋するとデコがぶち当たる程に天井が低い)など、乗り心地は『?』であったよ。
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No title * by 風来梨
日本一周さん、こんばんは。
ホントに昔の(といっても、ほんの20年位前)鉄道は、時刻表を開くだけでも旅の夢があふれでてきましたね。
鉄道が輝いていた時だったと思います。
いつも、「願わくば、廃止路線が会った頃、私が最も鉄道を好きだった頃に戻りたいなぁ」と夢みる事がしばしばです。
ホントに昔の(といっても、ほんの20年位前)鉄道は、時刻表を開くだけでも旅の夢があふれでてきましたね。
鉄道が輝いていた時だったと思います。
いつも、「願わくば、廃止路線が会った頃、私が最も鉄道を好きだった頃に戻りたいなぁ」と夢みる事がしばしばです。
臨場感ある御記事、おもしろく拝見しました。
伊那からきたぐにで帰阪のルート、なかなか考えつかないですよね。
当時はまだいろいろなルートが考えられ、考える楽しみがありました。今は夜行列車がないので、ルートも単一化してしまい、面白みがないですよね。