2017-08-06 (Sun)✎
路線の思い出 第220回 只見線・田子倉駅 夏 〔福島県〕
代替えの山も雨で断念でした
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
会津若松~小出 135.2km 304 / 258
運行本数(’11)
会津若松~小出 3往復 ,会津若松~会津川口 3往復 ,会津若松~会津坂下 1往復
小出~只見 1往復(冬季 大白川~只見 運休) ,小出~大白川 1往復(土・休日運休)
※ ’11年7月の豪雨災害により会津川口~只見の区間が不通となり、
この区間は現在バス代行輸送となっています
田子倉駅(たごくらえき)は、福島県南会津郡只見町大字田子倉字後山にあったJR東日本・只見線の駅(廃駅)である。 線路の北側に棒線ホーム1面1線を有する会津坂下駅管理の無人駅で、大白川側の六十里越トンネルと只見側の田子倉トンネルの間で少しだけ外に出る地点に位置していた。
駅自体がスノージェットの田子倉駅内部
※ ウィキ画像より拝借
駅ホームは南側の田子倉湖と北側の崖に挟まれた低い場所にあり、スノーシェッドに覆われていた。
駅舎内はホームの中ほどにある階段と砂利の撒かれた通路のみで、これを登ると駅舎を通って崖上の国道に出る事ができた。
在りし日の急行【奥只見】
※ 撮ったのは沿線の別の場所です
只見~大白川の営業開始(’71年)と同時に開設された通年営業の一般駅で、’87年11月まで運行された冬季運休の急行【奥只見】の停車駅でもあったが、’01年12月のダイヤ改正で冬季(12 - 3月)休業の臨時駅に格下げられる。 臨時駅ではあったが、一般駅からの格下げの経緯から営業キロと換算キロの設定があった。
’11年夏の豪雨災害で只見線の只見~大白川が不通となり、同時に当駅も休止となる。
その後、1年4ヶ月をかけて同区間が復旧(’12年10月)した後も利用駅が皆無(’04年度の1日あたりの利用者はゼロ)とされた当駅には停車せず、引き続き休止扱いとなる。 休止扱いのまま、翌年3月のダイヤ改正で当駅は廃止となった。
当駅の廃止に伴って新潟・仙台支社の管轄境界駅は只見駅に移されたが、駅の大白川側にある六十里越トンネル内が、引き続いて仙台・新潟支社の境界となっている。
冬は完全に雪に埋もれて
駅舎から外への脱出も困難となる
究極の『秘境駅』だった
この駅のある地域は我が国でも最大級の豪雪地帯で、冬季は併走する国道252号線さえも、六十里越を含む県境区間が除雪不能で完全に雪に閉ざされる。 臨時駅に格下げられる’01年以前も、冬季は併走する国道さえも上記の如く冬季閉鎖となっていたので、当駅も外への脱出が困難になるほどに雪に埋もれて、利用者は氷結した田子倉湖へのワカサギ釣り愛好者のみという究極の秘境駅となっていた。
田子倉湖畔にあり、周囲数kmには商店はおろか自動販売機すら存在しない。
駅周辺には浅草岳や鬼が面山などの奥只見の山々への登山口が点在するのみで、民家は一切ない。
駅にはトイレがないが、大白川方向へ少し歩くと浅草岳の登山口と只見町が登山基地として設けた田子倉無料休憩所があってトイレがある。 駅前を通る国道252号は、上記の如く超豪雪地帯で除雪が困難の為にほぼ半年間は不通となり、春先の4月や晩秋の11月などは当駅周辺へのアクセス手段が只見線の列車のみとなっていたが、只見線の列車も冬季は当駅を通過していた。
だが、秋の紅葉シーズンなどは田子倉湖の紅葉目当てに多数の観光客が来訪する為に、列車到着時の駅周辺はかなりの混雑を見せていた。 往復の列車をうまく組み合わせれば数時間の滞在が可能である為に、この駅を利用したツアーも企画されていた。
新潟・会津豪雨災害が発生して只見線が不通となる2年前の年に、この駅に訪れてここで一夜を明かしている。 もっとも、歳を食って鉄道にベッタリとはならなくなってから訪れたので、小僧の頃の様に駅に泊まったのではなく、トイレと水道のある田子倉無料休憩所(田子倉レイクビューって名称なんだって)内にテントを張って泊まったのであるが・・。
トイレはボットンではなく水洗だったよ
でも床はなくコンクリの土間のみの
良否相反する田子倉レイクビュー
そうまでしてこの駅に訪れた目的は、当然に鉄道の秘境駅めぐりではなく、浅草岳への登山であった。
そして、この浅草岳登山も当初は登山の予定外だったのである。 どうしてこんな回りクドい記述をしたのか?という事は、前日の行動から遡って説明せねばならないのである。
ぢ・つ・わ・・、前日は甲府行きの夜行バスに乗っていたのだ。 それも、ピッケル片手に食糧3日分やガスコンロなど登山用具を詰めた22㎏のザックを担いで・・である。 要するに、田子倉駅のある会越県境とはアサッテの方向に向かっていたのである。
このバスに乗車するワテには、只見線はおろか鉄道自体が全く眼中になかったのである。
そして、鉄道に乗る予定もなかったのである。 だが、バスの窓に頭をもたげて寝ていると、朝4時半頃に横殴りの雨がバス窓に当たる音で目を覚ます。
「夕立ならぬ朝立ち!?で、すぐに止むさ」とタガを括っていると、本降りっぽい雨が確定するようなドス黒い雲が空に広がっている。 バスは朝の6時に甲府駅に着くが、大きな駅によくある『街の天気予報』の電光掲示板には、曇マークのない傘マークのみが映し出され、その下の降雨確率は90%とあったのである・・っていうか、もう完全無欠の本降りの雨模様であった。
【名峰百選】 鋸岳
雷で頂上標柱が破壊されるような山です
↑
登頂するには『石の海』を
渡らねばなりません
この時予定していたのはこの山で、レベルとしては『奇跡の体力』を失ったタワケではちとヤバいレベルの山なのである。 ちなみに、その翌年にアタックした時も山で台風に逢って遭難フラグがおっ立ったけど・・。
この雨で登山口に向かうと、今夜の北沢峠は雨中テントでグチャグチャに濡れるのは必定である。
となると、『奇跡の体力』を失ったこの時では、遭難フラグが立つのが確定的となるのだ。
そして、そこに行くまでのタクシー代で、ユキチ型空母の1番艦が轟沈するのである。
言うなれば、行っても登山見送りは必定で、ムダ金を使うのが目に見える状況となったのである。
この名所案内に記された場所の全てに
歩いて行った事あるよ
・・で、考える。 考える事は、無人駅などの宿泊施設!?が登山口より徒歩圏内にあり、担いできた装備がムダとならない魅力的な『代替え』の山はどこか?という事である。 同時に、山を断念して浮いたタクシー代の範囲内という、『代替え』の山への移動の費用も考慮せねばならなくなるのである。
でも、このタワケは学業などの試験問題などには頭が回らないが、こういう事には凄い”冴え”を見せるのである。 いっとき考えて、「そうだ・・、浅草岳に行こう。 移動手段は夏休みシーズンで、今なら『セ・セ・セ・セ青春18』があるじゃないか!」という妙案が浮かんだ。
登山口まで徒歩5分で屋根付の秘境駅
そうだ! この駅があるじゃないか!
この案が頭に浮かぶと、即座に甲府駅の『みどりの窓口』に向かって、そこに設置されている時刻表にかぶりつく。 調べると、普通列車を乗り継いでもちょうどいい時間に、只見線3往復の最終列車への乗車が適うのである。 でも、中央本線・飯山線・上越線と乗り継いでも、17時過ぎに発車の只見線3往復の最終列車に間に合うなんて、真に『時刻表の奇跡』なのである。
この『時刻表の奇跡』に気づいた事で、「『セ・セ・セ・セ青春18』は5日間有効だから、帰りの電車賃も浮くではないか!」と有頂天となったのである。 ・・で、甲府駅の『みどりの窓口』で立てた即席の計画通りに列車を乗り継いで、まだ明るい内の18時前に田子倉駅に着く。
田子倉レイクビューの中は
イベント教室みたいなコンクリの土間でした
※ 只見町の浅草岳紹介ウェブより
この時は浅草岳の登山口前に建つ休憩舎の存在を知っていたので、「強いて駅に泊まる事はないな・・」と、登山口の《田子倉レイクビュー》に向かう。 「食糧は持ってるし、テントもあるし、水もトイレも確保できる」と、全ては思う以上に事が運んだのである。 ただ一つの事を除いては・・。
その思い通りにならなかったのは、天候だったのである。 翌朝も昨日ほどではないにせよ、結構本降りの雨・・。 「雨が嫌で登る山を変えたにもかかわらず変えた山でも雨」という状況に、ヤル気自体が完全に萎えてしまったのである。
「ここまできて山がダメでした」となると、振り上げた鉄鎚を降ろす方向は『只見線の撮り鉄』以外にないのである。 ・・で、登山靴を履いて、ピッケルを持ち、21㎏のザック(昨日の夕食と今朝の朝飯食ったから軽くなったよ)を担ぎ、首にタオルを掛けたいでたちで、場違いの撮り鉄と相成ったのである。
大した写真ではないけど
この朝の回送列車の写真を撮ったのは
「撮り鉄界広し」と言えどもワテだけであろう
↑
災害復旧後は運用が変わって
只見駅での車両滞泊はなくなったしィ
冬の雪に埋もれた田子倉駅と共に
ワテの『お宝』写真になったよ
今回の特典としては、この駅が我が国でも有数の『秘境駅』で撮り鉄の”同業者”がおらず、軽蔑の目で見られず済んだ事(まぁ、厚顔無恥力を鍛えてるので屁でもない事だが)と、鉄道に乗って只見線3往復の撮り鉄ができた・・という今書いているブログネタができたという事だろうか。 まぁ、撮り鉄は雨と言う事で、大したモノは撮れなかったけど。
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No title * by 風来梨
あるくさん、こんにちは。
コメントを頂き、有難うございます。
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夕立で来ました。
夕立は夏の光景ですね。ナイス