風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  路線の思い出 >  路線の思い出 201~250 >  路線の思い出   第218回  久大本線・豊後森駅

路線の思い出   第218回  久大本線・豊後森駅

路線の思い出   第218回  久大本線・豊後森駅  〔大分県〕


リニューアル前の豊後森駅
コチラの方が日本の駅らしい
※ ウィキペディア画像を拝借

《路線データ》
      営業区間と営業キロ            輸送密度 / 営業係数 (’83)
     久留米~大分 141.5km            3386  /  445 
  
運行本数
  久留米~日田   下り18本・上り17本(久留米~善導寺、うきは、筑後吉井に区間運行列車あり)
  日田~由布院   下り7本・上り6本
  日田~豊後森   下り4本・上り5本
  豊後森~由布院 下り1本・上り2本
  由布院~大分   21往復(大分~向井原、庄内に上下とも1~2時間に1本の区間運行列車あり)
  博多~大分・別府 特急【ゆふ】3往復、土・日・休日は特急【ゆふいんの森】2往復も運行
   ※ 2017年7月に発生した豪雨災害により、現在は光岡~日田が不通となっている

豊後森駅(ぶんごもりえき)は、大分県玖珠郡玖珠町大字帆足にあるJR九州・久大本線の駅である。
玖珠町の中心駅で、久大本線の重要な拠点駅としての機能を持っている。 かつては、隣駅の恵良を起点とする宮原線の列車が、1984年の同線廃止まで当駅に発着していた。

駅舎に接した単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の合計2面3線を有する駅である。
ホーム間は跨線橋で結ばれており、三角屋根の木造建築となっている。 豪華イベント列車【ななつ星・九州】の運行開始に合わせて、2013年の夏に駅舎が大きくリニューアルされた。


リニューアル後の豊後森駅
※ ウィキペディア画像を拝借

JR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅。 POS端末と駅舎内部の待合所に自動券売機が設置されている。 2011年3月までは直営駅であったが、業務委託化の際にみどりの窓口とマルスが撤去された。
窓口の営業時間は7時10分~19時15分で、営業時間外は駅員不在になる。




黄色い気動車の停まっている3番線が
宮原線の発着ホームだった
※ グーグル画像を拝借

この駅に立ち寄ったは、「我が青春のローカル線」の九州代表!?であった旧国鉄宮原線に乗る為の事であった。 正直に言えば、当時のワテの頭の中には宮原線しかなく、この駅の近くにある国の有形登録文化財である豊後森機関庫や、そこに静態保存されてるSLなどには全く興味がなかったのである。


豊後森機関庫に係留されていた頃の
宮原線を行きかったキハ07
※ 豊後森機関庫保存会のウェブサイトより

でも、その機関区に宮原線で使用していたキハ07型の流線形の気動車が係留されていたのを後で知って、ちょっと惜しい事したなぁ・・とは思ったが。 何でも、この宮原線を行き交ったキハ07系は、九州鉄道記念館(門司港駅の近くにある)に移されて展示されてるらしいが、ミュージアムなんて堅苦しいのは性に合わないので、余程の機会でもなければ見に行かないだろうな。

さて、その宮原線で頭を一杯にして、学校をサボってまで・・、そしてサボったのがバレて謹慎(停学)を喰らっても、「コレは好機」と出奔して逢いに行った宮原線(しかし、トンデモないクソガキだねぇ、小僧のワテ)の始発駅であった豊後森の思い出とは、当然駅寝にまつわる事なのである。

この時は夏休みの「(通常の鉄道好き高校生が)旅に出かけても構わない」時で、ワテもどうにか旅費を工面(旅費の工面手法がリンク先記事の中ほどに載ってます)して、『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』を駆使してやってくる。

まぁ、『セ・セ・セ・セ青春18』を使ったという事でも解るように、九州へのアプローチは普通の乗り継ぎだったので、当然宮原線の始発駅であるこの豊後森には最終列車での到着となるのである。
まぁ、ローカル路線を攻めるセオリーとしては始発列車の乗車が『絶対必須条件』だし、その『絶対必須条件』を回避するには車で来て移動する以外にないのである。

でも、高校生の小僧が運転免許など保持している訳はなく、そして金も下工作して工面せねばならぬ程に無かったので、当然最終列車で着いたその夜は宿などではなく、そこで駅寝となる訳である。

だが、最終列車で着いた時には、少しの不安を抱いていた。 それは、この豊後森駅が玖珠町の中心駅で有人駅である事から、駅から締め出されて近くの公園か駅前のバスロータリーのベンチ、最悪は電話ボックスの中(1回やったけどキツいよ、この狭さは・・)で完全野宿するハメとなる事だ。


簡易椅子はあるけど
この中で寝るのは根性いるよ~
※ グーグル画像を拝借

まぁ、夏で寒さに震える事はないにせよ、雨が降ればアウトだし、下手したらお巡りさんに連れられて交番の宿直室へ御招待=宮原線の中で食べる朝飯が宿直室でのカツ丼になってたりするかもしれないのである。 そうなると、当然に宮原線の旅はボツとなってしまう訳である。

そんな不安を頭の片隅に抱きながら小僧の乗る最終列車は夜をひた走り、終点の豊後森駅に到着する。
だが、ここで予想外の幸運に出くわしたのである。 それは最終列車から、ワテを含めて同じ歳恰好の小僧3人がホームに下り立ったのだった。

それもワテと同じように『セ・セ・セ・セ青春18』を使ってやってきて、そして目的もワテと同じ宮原線が目的であったのである。 つまり、コイツらもローカル路線攻めのセオリー通り、ワテと同じく始発による朝駆けを目論んでいた訳である。


この記事の主役は
島式ホームにある待合室だった
※ グーグル画像を拝借

でも、この時代は大らかだったよ。 明らかにホーム上の待合室に入って駅寝しようとするワテを含めた小僧3人に初老の駅員が近寄って来て、「(宮原線の)明日の始発に乗るんだろ?」「夏は何人かがこの線に乗る為にここで寝よるから、夏休みは臨時に開放だ」と言って、待合室での駅寝を許してくれたのである。

これでアクシデントを含めて2回しかない駅寝での同宿となった訳である。 ちなみに、もう一回の『同宿』はこれも宮原線での事で、しかも強烈に面白い出来事となったので、またの機会に記載しようかと。

その同宿の光景だが、その二人は親友のようで、両側にあった長椅子の右側に並んで寝るようである。
この二人とは部外者のワテは、幅の狭い左側の椅子に陣取る。 でも、この2人は駅寝素人のようで、シュラフは持って来ていたが、カンテラは持っていなかったようである。

一方のワテは冬の北海道でも駅寝経験のある駅寝猛者で、しかも現役ワンゲロで駅寝グッズも持ち合わせていたのである。 シュラフマットから、カンテラ、合羽を巻いた枕に、夜に喉が渇いた時のポカリスエット粉末入りのポリタンもあるし、ここでは使えないけど飯を炊く事もできたし・・である。

ワテが待合室に掲示してある時刻表で明日の時刻を確認するべくカンテラを点けると、二人組が羨ましそうに見つめていたよ。 ・・で、唯一奴らと交わした会話が、「カンテラをここに置いておきますから、トイレに行く時に使って」である。 二人は嬉しそうに「ありがとう」と返答したよ。
まぁ、待合室は解放してくれたとはいえ、跨線橋を渡った先の便所を含めて、駅の照明は全て消されていたのだから。


宮原線の時刻表
日に10本にも満たない運行本数なのに
始発はすごぶる早い

・・で、翌朝5:39発の始発の宝泉寺行に乗るべく、朝の4時半に起床する。 5時過ぎに待合室の灯かりが点き、眠気に微睡みながら出発の準備をしていると、程なくキハ40の単行が入ってきた。
そして、その列車に車掌として乗り込むのは、昨夜に待合室での駅寝を許してくれた初老の駅員さんだった。 どうやら、豊後森駅配属の乗務員さんだったようである。 どうりで、宮原線に魅かれてやってくる小僧どもを簡単に見分ける訳だよ。


廃止間際の宮原線は
キハ40の単行がほとんどだった
宝泉寺駅にて

列車内では同宿した二人とは離れて会話する事もなく、宝泉寺に着く。 この二人は乗り鉄のようで、スタンプ押して入場券を購入すると駅の外に出る事もなく、折り返しの列車に乗り込んだ。


夜明け前に到着する始発列車の為に
早起きだった宝泉寺駅


撮ってて良かった宝泉寺駅舎
結構撮ってる奴少なかったりするし

ワテは宮原線に乗った事で駅にも興味を持ち始めていたので、宝泉寺の駅舎も撮って、折り返し列車では町田に降りて、宮原線の全駅下車を達成したよ。


町田駅
感動のたたずまいを魅せていたよ







 
関連記事
スポンサーサイト



No title * by 鳳山
久大線は一回通ったことがあります。懐かしい。

ナイス

No title * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。

鉄道も時代と共に大きく変わりました。
車の普及と道路の整備で、今は地域の輸送の主軸とはなり得なくなってきましたね。 宮原線のような支線は廃止され、列車本数は更に少なくなり、編成も普通列車は単行が当たり前、特急でさえ2輌の短編成になっています。

今は私が見た約30年前の九大本線とは、全く別の路線のようですね。
だから私も駅の思いでを記す時は、懐かしい思いが込み上げてきますね。

No title * by きゃみ
こんばんは。
宮原線は学生の頃の一番の憧れのローカル線でした。図書館で書籍の写真を眺めていいなあと思いを馳せたものでした。
宝仙寺駅の写真いいですね。結局訪問は叶わずでしたが、いつか廃線跡に訪問してみたいですね。

No title * by 風来梨
きゃみさん、こんにちは。

この宮原線は私の住んでいる関西から近い事もあって、何度も通いました。 真に「我が青春のローカル線」でしたね。

もう、麻生釣駅は定宿と化してました。 何枚も撮り鉄をしてそれなりに撮れたのですけど、「撮り足りない」、「もっと撮りたい」、「湧蓋山背景のシーンはもっと納得のいくモノが撮りたかった」と、贅沢な後悔が今でもひしめいています。

宮原線の眼鏡橋は廃止になってから国の重文に登録されたので、比較的廃線跡は割と残ってますよ。

駅跡もモニュメント化されたりして、石段や駅名標が残されたりしてますね。 流石に麻生釣は、自然に還っていますが・・。

コメント






管理者にだけ表示を許可

No title

久大線は一回通ったことがあります。懐かしい。

ナイス
2017-07-24 * 鳳山 [ 編集 ]

No title

鳳山さん、こんばんは。

鉄道も時代と共に大きく変わりました。
車の普及と道路の整備で、今は地域の輸送の主軸とはなり得なくなってきましたね。 宮原線のような支線は廃止され、列車本数は更に少なくなり、編成も普通列車は単行が当たり前、特急でさえ2輌の短編成になっています。

今は私が見た約30年前の九大本線とは、全く別の路線のようですね。
だから私も駅の思いでを記す時は、懐かしい思いが込み上げてきますね。
2017-07-25 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

こんばんは。
宮原線は学生の頃の一番の憧れのローカル線でした。図書館で書籍の写真を眺めていいなあと思いを馳せたものでした。
宝仙寺駅の写真いいですね。結局訪問は叶わずでしたが、いつか廃線跡に訪問してみたいですね。
2017-07-29 * きゃみ [ 編集 ]

No title

きゃみさん、こんにちは。

この宮原線は私の住んでいる関西から近い事もあって、何度も通いました。 真に「我が青春のローカル線」でしたね。

もう、麻生釣駅は定宿と化してました。 何枚も撮り鉄をしてそれなりに撮れたのですけど、「撮り足りない」、「もっと撮りたい」、「湧蓋山背景のシーンはもっと納得のいくモノが撮りたかった」と、贅沢な後悔が今でもひしめいています。

宮原線の眼鏡橋は廃止になってから国の重文に登録されたので、比較的廃線跡は割と残ってますよ。

駅跡もモニュメント化されたりして、石段や駅名標が残されたりしてますね。 流石に麻生釣は、自然に還っていますが・・。
2017-07-30 * 風来梨 [ 編集 ]