風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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オホーツク縦貫鉄道の夢  第14回  知床岬へ・・ 前編

『オホーツク縦貫鉄道の夢』  第14回  知床岬へ・・ 前編
 

両脇を花で飾られた“サクセスロード”を
掻き分けて憧れ止まぬ岬灯台へ
 
さて今回は、本題の『オホーツク縦貫鉄道』から外れて、『知床岬』に立つ・・という本願を成就しよう・・と思う。 しかし、これは、お役所等が“行ってはダメ!”という所に行く事なのである。
当然褒められた事ではないし、逆に非難を浴びても仕方のない行為であるのだ。 だが、ワテは夢を「叶わぬモノ」として諦めたくはない。 これからの一生を、叶わぬ“憧れ”持ちでは終わらしたくないのだ。 

だから敢えて、この“知床岬へ”という夢にチャレンジした。 そして、1度目はメインサイトに記したように見事に敗退した。 それからは、ずっとリベンジの機会を伺っていたのである。 
そして、敗退した前回の敗因を分析し、ある程度の知識を整えてからリベンジを敢行したのである。 

それは、“潮の満ち引き”と“大潮”という暦の学習である。 この“大潮”というのは、旧暦・・つまり月齢に深い関係があるのだ。 満月の日と新月の日は太陽と月の引力の関係で、満潮時と干潮時の潮位差が最もある・・という事である。 逆に「半月の日は最も少ない」という事だ。
ちなみに、前回を旧暦に照らし合わせてみたなら計らずとも最悪の日、即ち半月の日であったのだ。 

こうしてみると、“無知”というのは怖ろしいものである。 そして、インターネットで旧暦を調べ(インターネットはこういう時に便利である)、満月の日を把握して、満を持してアタックする。 

なお、このコースを行くのは非合法であり、なおかつ生命の危険も伴う超難路であるので、“行程表”は記さない事にする。 筆者の勝手な“夢の実現”手記と捉えて頂くと、とても有り難いのであるが・・。
 

相泊~船泊までの行程図
 
 《1日目》 相泊よりモイレウシへ
先程にも記したように、“大潮”の日を調べた上で2泊3日の行程を設定して、《2日目》に“大潮”日を迎えるのがベターであろう・・と考えた。 そして、干潮は朝の6時頃なので、4時半の出発が望ましいだろう。
 

相泊・AM5時
漁師町では決して早くない時間だ

さて、《相泊》の漁港から玉砂利が敷きつめられた番屋街を伝っていく。 後で知った事だが、途中の川を渡る所から先は、《崩浜》と地名が変わるらしい。 とにかく、《相泊》より約2km位に渡って続く番屋街を歩いていくと、やがて番屋は途切れて廃番屋のバラックが目立つようになる。
 
敷きつめられた玉砂利も、人の手が入らなくなるとゴツゴツした歩きにくい大きな岩石となってくる。
これをしばらく伝うと、《観音岩》の手前に出る。 《観音岩》は行く手を遮るかのように、眼前に立ちはばかる。
 

観音岩の岩壁を望む
あの崖がまず最初の難関だ
 
この先へ・・、岬に行く為には、これは越えなければならない。 まず、第一の関門だ。 
3本の魚網を束ねたロープを伝って、約60mの崖を直登する。 これは、前回の敗退の時も通ったので、もう学習済みだ。 これを越えると、《観音岩》を祀る地蔵が安置された頂上だ。
その《観音岩》の下りは、登りとは正反対にスタンダップスタイルで難なく下る事ができる。
 

観音岩より朝日を見る
 
この《観音岩》を越えると、《ウナギベツ川》の沢を高巻くように中へ入り込み、これを越える。 
この《ウナギベツ川》で、知床岳 1254メートル への登路が分かれている。
もちろん、一般的な登山道でないのは周知の事だと思う。 この沢を越えて海辺へ下ると、浜の名称は何か忘れてしまったが盛業中の番屋に出る。 

この知床岬への道中では、最もコンブ漁に精を出している番屋に見えた。 この番屋を過ぎると、いよいよ前回波に巻かれて断念の原因となった岩礁帯に出る。 まず前回に崖の上を恐々トラバースして越えた所であるが、今回は“ア然”であった。 何と、ほとんど潮水に浸からずに、海崖の縁を伝っていけるのである。 前回は白い波が立っていたあの場所が・・である。 “大潮”の潮引きは、これ程までにすごいのである。 潮位の差で、軽く4mはあろう。 

そして、波に巻かれたあの岩礁も、岩礁伝いに渡っていける。 もう、ジャージも脱がずとも、捲くるだけでいい。 こうして、あの難関を簡単に渡り終えて、《化石浜》の番屋跡に出る。 
そう・・、ここは、前回に泊った廃番屋のある所だ。 まだ時刻は7時過ぎ。 時計を目にすると、前回の苦難が夢幻だったのか・・と思わせられる。 
 
それと同時に、改めて“無知”の怖さと愚かさを痛感した。 また、前回にいちいち乗り越えたデカイ岩礁も岩間をくぐり抜ける事ができ、断念と相成ったあの白い波が砕け散った所(前回では「《ペキンの鼻》と思しき所」と記していたが、これは《タケノコ岩》である)も、波打ち際を十分にヘツる事ができた。 

《タケノコ岩》を越えると、今回の第二の難関、《モイレウシ》の岩崖が前方に立ちはばかってくる。 
これも《観音岩》と同じく魚網のロープを手繰ってよじ登るのであるが、高さと傾斜と取付の困難さは《観音岩》を凌ぐものがある。 今思えば、“20㎏を担いでようやれたわ・・”と思う。
この崖も下りはスタンダップスタイルで下る事ができ(観音岩よりは傾斜がキツイが)、これを越えると《モイレウシ》の番屋前に出る。
 

モイレウシの海岸線の午後
潮が戻って歩ける所がなくなった
 
時刻は現在AM9時過ぎ。 少し早過ぎるかもしれないが、この先に泊りやすい番屋浜がある保証もなく、そしてこれより満潮に向かってどんどん潮位が上がってくるので、ここでストップとした。
どうやら、今日は地元羅臼町の少年・少女による『知床岬チャレンジ隊』がくるそうである。
そして、彼らもここを1泊目とするようである。 このチャレンジ隊の皆さんには、後々私の夢を実現するのに大いに手助けをして頂いた。 感謝の念でいっぱいなのと同時に、“何とついているのだろう”と思う。
 

ペキンの鼻~最涯ての岬への行程図
 
 《2日目》 モイレウシから念仏岩へ
始めは、昨日の調子の良さに自惚れてたのかもしれない。 “まぁ最低ても、今日中に《赤岩》に着けるな・・”と。 ところが、「世の中、そんなに甘くない」のである。 今日は、それの説明に尽きるかもしれない。 さて、“チャレンジ隊と一緒に行くのやだなぁ”という思いを抱いた自惚れ野郎は、朝5時に出発する。 

チャレンジ隊は朝6時頃の出発らしい。 朝、昨日テント際まで押し寄せていた潮が完全に引いて、足のくるぶし位の潮位となっていた。 上の右下の写真のヘツリも、難なく“陸地”をあるいて裏側の浜へ。 
 

メガネ岩が逆光に黒光る
 
やがて、朝日が逆光で眩しく輝く《メガネ岩》にさしかかる。 一見、巨大な岩盤の岩が海へ突き出していてどう通過していいか迷うが、ここは名前の通り“メガネ”の間をすり抜けていけばいい。 
“メガネ”の中はちょっとよどみがあって、気を抜けば股上位まではまりそうだが・・。 

岩をトラバースで巻くように伝い、次の浜へ抜ける。 知床岬への道は、総じてこれの繰り返しだ。 
《メガネ岩》を抜けると、《船泊》という今まで通った中では最も整った浜を行くようになる。 
無人の番屋もあり、釣り趣味の人が船をチャーターして釣に勤しんでいる。 それも1人や2人ではない。
15名はいたであろうか。 これを見ると、“秘境”というイメージは消し飛ぶ。 

朝日が頃良い光を発し、黄金色に輝く海を見ながらこの浜を伝っていくと、やがて《ペキンの鼻》へ。 
憧れの響きを伴う知床岬へのほぼ中間点だ。 岬を目指すにしても何にしても、まずは中間地点を目指すであろうから、この《ペキンの鼻》も最大の目標の一つであったのだ。
《ぺキンの鼻》は薄い海霧が立ち込め、“憧れ”と“期待”に違わぬ情景を魅せてくれる。 
 

霧霞むペキンの鼻

さて、この《ペキンの鼻》越えであるが、岬への道で海岸に突き出た崖越えでは最も容易に越えれるものであった。 スタンダップスタイルで土手によじ登り、つづらを切るようにこれまたスタンダップで下ることができた。 《ペキンの鼻》を越えると、無人の浜が連なるようになる。 人の手が入らないと、途端に歩きづらくなる。 デカい岩礁がゴロゴロと転がり、これをジャングルジムを上下するかのような岩伝いとなる。 

そして、またもや浜は途切れ、海に突き出た崖が行く手を遮る。 自惚れた私は、これを“いよいよ《カブト岩》か!?”と思っていた。 しかし、これは思いっきりの検討違いで、本物の《カブト岩》を通った時に、このように思った自分の浅はかさを強く思い知らされたのであるが・・。 ともかく、これを越えねばならない。 

始めは《カブト岩》と思っていたので、“とにかく、頂上付近まで登って越えねばならないな”と考え、この崖を100m位よじ登る。 しかし、この崖は脆い赤土の土崖で踏み出すごとにボロボロと崩れ出し、裏側の浜が見える所まで登ったなら、もう額は汗でびしょびしょであった。 そして、眼前に見える垂直の崖とロープ・・。 
見た途端に思った。 「こりゃぁ、無理だわ」。
 
・・で、無理やり「この道は違う」と思う事にして、この崖を越える次策を考える。 
次策と言っても、方法は1つしかない。 この突き出た崖をトラバースで巻いていくしかないって事だ。 

必死に登ったこの崖を恐る恐る下って、海に突き出た崖の海の20m位上をトラバースで伝っていく。 
やがて、トラバースの容易な所は下へ下へと下っていき、ついに海縁へと・・。
でも、1ヶ所水深20cmにある岩礁にジャンプすれば、向こうの浜にいけるのだ。 その幅は約2m位。
20㎏からの荷を背負ってのジャンプである。 
 
元来飛び競技の苦手な私には、思いっきりプレッシャーのかかる2mである。 落ちたら・・、岩礁上で滑ったなら・・、“ジ・エンド”である。 でも、ここまで来て戻る訳にもいかず、袋小路に追い込まれた気分でジャンプする。 冷汗タラタラながら、何とか成功。 

無名の沢滝は正に命の水であった

後で聞いた話だが、正しいルートはこれでよかった・・との事である。 崖の上から見たロープは、高巻きルートだそうである。 
この崖をこえると、またもや大きな岩礁が転がる浜を伝う。 やがて、割と大きな沢滝が見えてくる。 これは無名滝だが、さっき修羅場をくぐったのでこの水の上手い事。 

ひと息着いたこの辺りで、《ウトロ》から岬越えでやってきたというカヤック隊と遭遇する。 カヤック隊はこちらに向かって手を振るそぶりを見せるが、にわかにワテに向けてのものだと信じ難く、『?』と思いながら海辺に近寄ってみる。 
 
すると、カヤック隊もコンタクトが十分できる際まで艇を寄せてきて、ワテに対して大喝采を送ってくれたのだ。 この事で、「歩いて岬へ行く」というのは非合法な事かもしれないが、これは壮大なプロジェクトなんだなぁと改めて思った。

さて、この滝を越えると、大きな無人の倉庫番屋が見えてくる。 《滝ノ下》の番屋である(帰ってから知ったことだが・・)。 先程のカヤック隊に《赤岩》までの距離を聞いて“まだまだ先”という答えをもらって、少々弱気になっていた。 更に、“これから先は崖がガチャガチャしてるよ”との忠告に萎縮もしていた。

実を言うと、「もう、この辺りで・・」というのも考えた位だ。 幸い、粘れば5日分の食料を持っていたので、日程的には何とかなる。 しかし、日が過ぎる毎に潮位は高くなるのだ。
“いかん、いかん”と弱気を振り払って先へ進む。 しばらく歩くと、岬までのルートの中で情景的なクライマックスに出くわす。 《男滝》と《女滝》だ。

 
  ※ 詳細はメインサイトより、知床』の番外編『知床岬へ・・』を御覧下さい。


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No title * by オータ
本当に知床岬までいらしたのですね…オドロキです。

No title * by 風来梨
第15回目の後編を御期待頂ければ・・、嬉しいです。

No title * by kei
風来梨さん、コメント&トラバありがとうございます。m(__)m
知床が世界遺産に指定される前の2004年、私は岩尾別のユースをベースキャンプに羅臼岳に登り、カムイワッカ湯の滝に浸かり、ウトロの港からクルーズ船に乗りました。
あの当時、知床五湖周辺でヒグマの目撃情報が相次ぎ、一湖までしか立ち入ることができませんでした。羅臼岳に登ったときも、羅臼平にザックを置き山頂へピストンする際、ヒグマにザックの食料を漁られないよう、鉄製の檻に入れるように注意されたと記憶しています。
海岸線を行ったのは、ブッシュをかきわけ道なき道を行くのが不可能だからということと、ヒグマに遭遇するのを防ぐということもあるのでしょうか?
大冒険に特大のポチ☆

No title * by 風来梨
keiさん、こんばんは。
こちらこそ、ありがとうございます。

知床岬につきましては、人間が体力的に行けるのは羅臼側の海岸ルート以外にないからだと思います。 知床の山ルートは、ブッシュ以前に踏跡すらないと聞いています。 恐らく、積雪期(4~5月)なら、山ヤさんが、ブッシュが埋まって歩きよくなった稜線沿いを行くのだと思います。

また、ヒグマですが、賢い動物で学習能力に長けていますので、基本的には人間の気配がすると立ち去ります。 だから、鈴を鳴らして通るのがヒグマ避けの基本となってます。 但し、子連れの時は問答無用で襲い掛かってきますが・・。

それよりも厄介なのが、キツネですね。 餌になる食い物を外に放置すると、テントをズタズタにされます。

ちなみに、羅臼岳から硫黄岳への縦走路もかなりデンジャラスです。 その事は、また『名峰百選』で取り上げたいな・・と。

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本当に知床岬までいらしたのですね…オドロキです。
2011-05-17 * オータ [ 編集 ]

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第15回目の後編を御期待頂ければ・・、嬉しいです。
2011-05-17 * 風来梨 [ 編集 ]

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風来梨さん、コメント&トラバありがとうございます。m(__)m
知床が世界遺産に指定される前の2004年、私は岩尾別のユースをベースキャンプに羅臼岳に登り、カムイワッカ湯の滝に浸かり、ウトロの港からクルーズ船に乗りました。
あの当時、知床五湖周辺でヒグマの目撃情報が相次ぎ、一湖までしか立ち入ることができませんでした。羅臼岳に登ったときも、羅臼平にザックを置き山頂へピストンする際、ヒグマにザックの食料を漁られないよう、鉄製の檻に入れるように注意されたと記憶しています。
海岸線を行ったのは、ブッシュをかきわけ道なき道を行くのが不可能だからということと、ヒグマに遭遇するのを防ぐということもあるのでしょうか?
大冒険に特大のポチ☆
2011-09-19 * kei [ 編集 ]

No title

keiさん、こんばんは。
こちらこそ、ありがとうございます。

知床岬につきましては、人間が体力的に行けるのは羅臼側の海岸ルート以外にないからだと思います。 知床の山ルートは、ブッシュ以前に踏跡すらないと聞いています。 恐らく、積雪期(4~5月)なら、山ヤさんが、ブッシュが埋まって歩きよくなった稜線沿いを行くのだと思います。

また、ヒグマですが、賢い動物で学習能力に長けていますので、基本的には人間の気配がすると立ち去ります。 だから、鈴を鳴らして通るのがヒグマ避けの基本となってます。 但し、子連れの時は問答無用で襲い掛かってきますが・・。

それよりも厄介なのが、キツネですね。 餌になる食い物を外に放置すると、テントをズタズタにされます。

ちなみに、羅臼岳から硫黄岳への縦走路もかなりデンジャラスです。 その事は、また『名峰百選』で取り上げたいな・・と。
2011-09-19 * 風来梨 [ 編集 ]