風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第216回  羽越本線・女鹿駅

路線の思い出   第216回  羽越本線・女鹿駅  〔山形県〕


信号所時代からの駅舎のあった
秘境駅・女鹿

《路線データ》
       営業区間と営業キロ           輸送密度  / 営業係数(’83)
      新津~秋田 271.7km             6880  /    245 
’17年・運行本数
  新津~新発田  下り13本、上り11本
  新発田~村上  上下とも毎時1本(内 快速1往復、上りに乗車整理券要の快速1本)
  村上~酒田   上下とも7本(酒田~鶴岡・鼠ヶ関など区間運行あり)
  酒田~秋田   下り11本(内1本は吹浦まで)、上り9本(秋田~新屋・羽後本荘など区間運行あり)
  特急【いなほ】 新潟~秋田 7往復
  土日シーズン運行の臨時快速〔きらきらうえつ〕 新潟~酒田 1往復

女鹿駅(めがえき)は、山形県飽海郡遊佐町吹浦字女鹿にあるJR東日本・羽越本線の駅である。
国鉄時代は信号所で、仮乗降場扱いで旅客の乗降を取り扱っていた。 旧駅舎に書かれていた「女鹿」の横に白い「□」が3つ描かれているのはその頃の名残で、元は「女鹿信号場」と書かれていたのを塗りつぶしたものである。


女鹿駅のホームはかなり貧弱な造りだ
※ グーグル画像を拝借

相対式ホーム1面1線を有する駅で、両ホームは構内踏切で連絡している。 停車する列車はいずれも駅舎(西側)に面する1番線から発着する。 駅舎から離れた側のホームは撤去された。 羽後本荘駅管理の無人駅。 2016年3月に新駅舎がJR東日本によって建設された。
2004年度の乗車人員は4人との事。

山形県最北端の駅で、停車する列車は酒田~秋田間を運行する普通列車のうち、上りが朝2本、下りが昼1本・夕方3本の計6本が停車するのみで、その他の列車はすべて通過する。

旧駅舎は信号場時代に地元の3集落が建てたもので、待合室の機能のみで、公衆電話はなく、トイレも使用できず、駅舎内の電灯は自動スイッチになっていないため、利用者自らスイッチを入れなければならないものであった。 駅前には車寄せ、駐輪場等はなく、国道7号のバイパスから通じる30m程の小路があるのみ。 女鹿地区の集落とは若干離れており、駅周辺にはバイパスを挟んで民家が数軒あるのみである。



この駅は鉄道への熱が冷めて、山をめぐる放浪旅に熱中していた頃に、東北地方では珍しい『乗降場』として野次馬的に訪れた駅である。 まぁ、『物見遊山』という言葉そのもので、もちろん訪れた手法は旅の宿と化していたマイカーである。

その訪れた時期は、このブログの『よも”ヤマ”話』で現在展開している北海道の山めぐり(第2527話継続中・宜しければ見てネ!)の帰りに、東北の山へも立ち寄った“ついで”である。 確か、鳥海山に登った翌日の移動日だったと思う。


駅訪問の前日はココにいますた


この時は鉄道より
こういう情景に夢中でした
※ 上下いずれも別の時に撮った鳥海山頂にて

今でこそ女鹿駅のすぐ近くに国道7号線の吹浦バイパスが平行して通り、車でのアプローチが格段に楽となったが、ワテが訪れた時は現在は国道345号線となった旧7号線しかなく、羽越本線はその山が迫った10mほどの高台を通り、当然駅も高台にへばりつくようにあったのである。 要するに、駅へは車では行けなかったのである。


女鹿駅の入口
土木工事飯場の物置小屋のようだった
横のトイレは使用不能

この吹浦バイパスが開通する前の旧国道7号線は、入り組んだ海岸線に沿っての急カーブの連続する区間で、大型車が通行するには難のある区間だったにも関わらず、日本海側の流通の要となる主要道路として大型車がバンバン通っていたのである。

この状況で高台上の見上げる位置にある駅に行くには、この狭い2車線道路の広い所に車を止めて、駅の入口の階段まで歩いていくしかないのである。 ・・で、車を止める事のできそうな「この狭い2車線道路の広い所」とはバス停位しか見当たらず、駅訪問の為だけにバスの発着時刻を調べて、バスが来ないのを確認してから車を離れる。

鉄道熱から冷めていると言っているのに、タダが無人駅を探訪する為だけに、何故ここまでするのか?とも思うが、ローカル線が廃止という帰結となって鉄道への熱が冷めたとはいえ、こういった『仮乗降場』や『到達困難駅』はかつて熱中した『ローカル線』の香りが漂っていて、その思い入れが強かったから釣られてしまったのだと思う。


こうまでして訪れたかったのは
この駅が正真正銘の秘境駅だったから

でも、その「タダが無人駅を探訪するためだけに、ここまでするのか?」は、これだけではなかった。
バス停のある女鹿の集落より、高台にある女鹿駅に通じる階段まで路肩のほとんどない国道を300mほど歩いていくのだが、前述したように大型のトレーラーがカーブが連続するこの区間を“まくり気味”に高速ですっ飛ばすのである。

カーブで振られるトレーラーと路辺僅か50cmを歩く歩行者のワテ。 これはソソるものがあるのだ。
あの時の歩くワテを抜き去るトレーラーの脅威は、この事でハッキリと憶えている。
それは、カーブにケツが振られるトレーラーに恐怖を感じて、とっさに道際の土手に駆け上がって逃げたのである。 まぁ、路辺の白線の内側にいたので大丈夫だとは思うが、あんなのに接触すると確実に死ぬからね。


グーグル画像からトレーラー事故の写真を拝借したけど
あの当時の旧7号線女鹿付近はこんな感じの
2車線の急カーブ、路肩50cmで周囲は土手だったよ
※ 記事と写真の場所は関係はないっス

真に、ただが駅めぐりの為に、「なぜにここまでするのか?」という問いかけが相応しい秘境駅訪問だったよ。 ・・で、思わぬ“命がけ”となった秘境駅・女鹿の訪問だが、いつもは駅を訪ねると列車が来るのを待ったりするのだが、駅までのアプローチで身の危険に遭ってそれ所ではなかったよ。

それはバス停に止めていた車が気になったのと、先程のトレーラーはさすがにヤバいので、帰りは逃げ場を確保できそうな道の海側を行こうか・・なんて別の事を考えていて、肝心の駅訪問は「うわの空」だったよ。 でも、海側をゆくと、2回道を横断しないといけないんだよね~。
コレもチョッち怖いしィ。

その駅訪問は適当に数枚撮っただけで即効退散したが、思ったよりまともな待合室だったよ。
いや、待合室というより保線員の詰所跡という雰囲気で、中に黒板とかあったし。


机とストーブでも置けば
格好の保線員詰所だね・・ 黒板もあるしィ
※ グーグル画像を拝借

このように慌ただしく、ただ「爪先をチョン着け」したに等しい駅訪問であったが、現在は吹浦バイパスの開通で『1名様限定』ではあるが車で直接駅訪問ができるので、落ち着いて駅の写真を撮りたいな・・って思う。


残念な事に’16年に駅舎が建替えられて
普通の閑散駅に
※ ウィキペディア画像を拝借

でも、山形と秋田の県境は遠いなぁ~。 そして残念な事に、信号場からの駅舎は取り壊されて、今風の簡易プレハブの待合室に建て替えられたらしいし。




  


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