風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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私の訪ねた路線  第22回  宮之城線

『私の訪ねた路線』  第22回  宮之城線 〔鹿児島県〕
 

薩摩大口駅に停車中の
宮之城線列車
 
《路線データ》
         営業区間と営業キロ          輸送密度 / 営業係数(’83)   
       薩摩大口~川内 66.1km          464  /  1505    

            廃止年月日              転換処置 
               ’87/1/10         南国交通バス・林田産交バス
 
                    廃止時運行本数
             川内~薩摩大口 下り7本・上り5本
             川内~薩摩永野 1往復  川内~宮之城 上り3本
             川内~薩摩鶴田 下り1本《休日 宮之城 止》
             宮之城~薩摩大口 上り1本
             針持~薩摩大口 下り3本・上り2本《全列車 休日運休》
             宮之城~薩摩鶴田 上り1本《休日運休》
 

薩摩大口駅入場券
 
  《路線史》
廃止されたローカル線の中でも影の薄い印象のある線であったと思う。 国鉄再建法が発せられ、廃止転換対象路線として“消えゆく運命”が定められた時、ローカル線と呼ばれた各線区は最初で最後といっていいかもしれない全国的な注目を浴びたのである。 しかし、この宮之城線は人知れずひっそりと廃止になったような気がするのは、私の気のせいだろうか?
 
それは、観光スポットや目だったものがなく、ひたすらローカル輸送に徹する“黙々と働く職人気質”の雰囲気が漂う路線だったからであろうと思う。 路線がなくなった後に、“あの線は魅力的だったんだな”と人々に思わせる事ができた路線、それがこの宮之城線なのだと思う。

印象度としては薄い宮之城線であるが、この路線の建設目的は以外や以外に『鹿児島本線』の候補の1つとして想定された路線だったのである。 この線の建設が始まったのは、大正年代のまだ鹿児島本線の現ルートが開通していなかった頃であった。 当時、現在のルートは八代~水俣(正確には米ノ津)が未開通で、『川内線』と呼ばれていたのである。 その当時は、先に八代~鹿児島間を全通させた肥薩線が『鹿児島本線』を名乗っていたのである。

その当時の『鹿児島本線』から川内・串木野などの地方主要都市を経て鹿児島へ至る路線として、この宮之城線が建設されたのである。 だが、1927年に『川内線』と呼ばれた現ルートが全通すると、その候補から脱落してローカル支線へと落とされていったのである。 ただ、まだ戦前という事もあり、残りの延長工事は凍結される事なく続き、1937年に宮之城線として全通している。

路線上の特徴としては、スイッチバック形式の薩摩永野駅が挙げられるだろう。 
だが、この薩摩永野の地形はスイッチバックを必要とする程に急峻な地形ではなく、地元民の陳情により集落の中央に駅を設けた・・という説と、八代から“矢岳越え”を避けるべく新線を延ばし、この薩摩永野で合流させる計画があった・・という説がある。 ワテとしては後者の方に信憑性があるかなと思うが、“真実は藪の中”である。

建設目的が“山越えルート”であった当時の鹿児島本線(現 肥薩線)の代替ルートでしかなかった事で、現ルートが完成した現在は“目的を何ら持たない支線”となり、当然廃止対象に指定されてしまう。
また、県都・鹿児島に向かうにしても薩摩大口や川内へ大きく迂回する形となり利用客を見込めるはずもなく、何ら廃止に抗する武器を持たぬまま、ひっそりと1987年1月に路線廃止となっている。

宮之城線は廃止直前まで貨物扱いをしていた事もあり、極少量の貨物輸送があったようである。
輸送量的に機関車で牽引するほどでなく、定期運行の気動車の後にトロッコ貨車をつなげて走る姿が見られた・・との事である。
 


 

山野線と宮之城線のジャンクション
薩摩大口駅のスタンプ
いうほど大した景観の
滝じゃないんだけど

 
  《乗車記》
実を言うと、この路線にはあまり印象がないのである。 やはり、撮影とかを目的に持って、乗車中も周囲を見渡してこそ“なんぼ”だと思う。 薩摩大口の0番線行止りホームが、宮之城線の専用ホームだった。 大口市(現 伊佐市)の中心駅で吉松機関区の支区もあった路線要害であった薩摩大口を出ると、しばらく山野線と併走して、川内川の手前で分かれる。
 
宮之城線は川を渡る。 一度離れた川が寄り添ってくると、羽月駅に着く。 九州の路線の駅で駅舎を持つ駅は、立派な建付のモノが多い。 羽月駅も、ちょっとした蔵のような造りだ。 次の西太良駅も筑豊の黒ダイヤ輸送の栄光を持つ運炭路線の駅舎に似た威厳のある木造駅舎だ。 針持駅も同様に立派な木造駅舎だった。
 
そして、平野のスイッチバック駅で有名な薩摩永野駅に着く。 しかし、なぜこんな平野でスイッチバック駅なのか? そして、この薩摩永野で完全に90度方向を西に変える。 その謎を辿ると、今までの3駅が立派な建付である事の説明も着く事がわかった。
 
路線史では私の考察として、八代からの矢岳越えを避けるべく・・とした『鹿児島へのバイパス案』に信憑性があるかも・・としたが、事実は永野の奥に金山(山ヶ野金山)があり、その金山からの金鉱石輸送に供すべく、金山に向けて真っ直ぐ延びる鉱山軌道があったそうだ。 そして、前3駅の立派な建付けは、その鉱山景気に沸いた為であった・・と推察できるのである。 歴史とは、調べれば調べる程に面白いものである。
 
薩摩永野で、運転士がハンドルを手に最後尾だった車両の運転席に移動するスイッチバックの“儀式”を行ってから、列車は発車する。 次の広橋はやたら広い木造駅舎。 廃校になった寺子屋のようだ。 
末期は倒壊の恐れがアリとして、簡易駅舎が建てられていたようだ。
 
次の薩摩求名は公民館駅。 だが、駅舎としては平凡な造りだ。 公民館併設だったので、駅はいつも花で飾られていたらしい。 次の薩摩鶴田は、鶴田町の中心駅。 川内川を堰き止める鶴田ダムの建設当時は、ダム建設の資材輸送の基地として供されたが、廃止間近の末期はモータリゼーションの影響を受けて利用者は減少の一途を辿っていた。 
 
だが、廃止された今、川内市のベットタウンとして宅地化されているという。 “もし”という言葉はタブーなのであろうが、今路線があったなら、この宅地開発は利用者増につながって、路線運営も改善されていた事だと思われる。
 
次の薩摩湯田、続く佐志と駅舎ナシや簡易駅舎の小駅が続く。 次の宮之城駅は路線名の元となった駅である。 付近は竹の産地であるらしく、駅舎には竹細工が施してあった。 宮之城からは国道が川内川沿いの最短ルートで川内市を目指すのに対して、宮之城線は変に迂回している。 これが何を意味してのものか・・は謎なのだが。
 
船木という駅舎ナシの駅を過ぎると、薩摩山崎。 駅舎は立派だが、駅務室部分は完全に封鎖されていたようだ。 次の入来は交換可能駅。 駅員配置駅でもあった。 近くに工業団地もあり、線内では利用客の多い駅だったという。 次の上樋脇は棒線駅。 樋脇駅はモルタルの駅だが、無人化されて以来手入れが成されず痛みが激しかった。
 
次の吉野山はコスモスの駅。 雰囲気のいい木造駅舎と迫る山の斜面を彩るコスモスの絵を撮りたかった・・と思うが、今はもう叶わぬ夢となってしまった。 次の楠元で、漸く川内川の畔に出る。
川の対岸が旧東郷町(現 薩摩川内市)の中心で、利用客の大半が川内川に架かる橋を渡って往来していたという。
 
次の薩摩白浜は、川内市街地前の棒線無人駅。 市街地の手前にしては、自然豊かな駅のようである。 
最後までローカル色が抜けきらぬまま、鹿児島の中核都市である川内に到着する。
 
この川内で宮之城線から未来を奪った鹿児島本線と接続するが、その鹿児島本線も、九州新幹線に地域動脈としての任を奪われ、今は第三セクター鉄道として、電化さえも放棄されて気動車が運行されているのである。 真に、『所業無常の響きあり』『盛者必衰の理を現す』との平家物語の一句を見ているようである。

   ※ 詳細はメインサイトより、『魅惑の鉄道写真集』の『宮之城線』を御覧下さい。
 
 

 
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No title * by オータ
地元では「みやんじょ」と言っていませんでしたか?

スーパーの八百屋をしていた時、鹿児島まで研修に行き、この町の工場を見学しました。それが「筍」なのです。竹にこだわった産品もあったようで、いかにも南国なのですがすでに鉄道も無く寂れる一方でした。その後、マイカーではるばるもう一度訪ねて、露店販売のサツマイモを安く山ほど買って、北海道への土産にしました。

No title * by 風来梨
こんばんは。

ほんと、目立たない路線でした。
ですが、廃止となった今、廃止後の遺構がかなり残っている路線ですね。 駅跡の大半が鉄道公園や鉄道記念館となっていますし、かつて使われた鉄道表札もキチンと保管されている・・といいます。

往事に目立たなかった路線ほど、この傾向にあるような気がします。

No title * by tom
こんばんは
小生も宮之城線は訪れているのですが、山野線のループの印象が強く同様に印象は割りと希薄です。山野線には行かれなかったでしょうか?

No title * by 風来梨
tomさん、こんばんは。

山野線は宮之城線に乗る際に立ち寄りましたが、生憎の雨模様で撮影をパスしてしまったので、掲載する写真がないのですね。
予定では久木野~薩摩布計のループを目論んでいましたが、今思えばループまで薩摩布計の駅から4kmあった事から、晴れていても・・、いくらハイティーン(死語)のブリバリだった当時の私でも、徒歩ではしんどかったかなぁ~と思います。

当日は雨で、途中下車も宮之城線乗換の薩摩大口駅のみだったので、山野線の足跡は、残念ながら残せませんでした。

No title * by tom
お天気が悪いのは運が悪かったですね。

小生は昭和61年、布計からループまで歩きました。真夏の舗装した林道で結構ばてましたが大川ループはなかなかのロケーションでした。1時間15分位はかかっていると思います。来週末にでもアップできるように準備中であります。

No title * by 風来梨
こんばんは。

薩摩布計のループまで歩かれた・・とお聞きしまして、とても羨ましく思います。 その時の記事が上がるのを楽しみに待っております。

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地元では「みやんじょ」と言っていませんでしたか?

スーパーの八百屋をしていた時、鹿児島まで研修に行き、この町の工場を見学しました。それが「筍」なのです。竹にこだわった産品もあったようで、いかにも南国なのですがすでに鉄道も無く寂れる一方でした。その後、マイカーではるばるもう一度訪ねて、露店販売のサツマイモを安く山ほど買って、北海道への土産にしました。
2011-05-17 * オータ [ 編集 ]

No title

こんばんは。

ほんと、目立たない路線でした。
ですが、廃止となった今、廃止後の遺構がかなり残っている路線ですね。 駅跡の大半が鉄道公園や鉄道記念館となっていますし、かつて使われた鉄道表札もキチンと保管されている・・といいます。

往事に目立たなかった路線ほど、この傾向にあるような気がします。
2011-05-17 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

こんばんは
小生も宮之城線は訪れているのですが、山野線のループの印象が強く同様に印象は割りと希薄です。山野線には行かれなかったでしょうか?
2013-04-06 * tom [ 編集 ]

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tomさん、こんばんは。

山野線は宮之城線に乗る際に立ち寄りましたが、生憎の雨模様で撮影をパスしてしまったので、掲載する写真がないのですね。
予定では久木野~薩摩布計のループを目論んでいましたが、今思えばループまで薩摩布計の駅から4kmあった事から、晴れていても・・、いくらハイティーン(死語)のブリバリだった当時の私でも、徒歩ではしんどかったかなぁ~と思います。

当日は雨で、途中下車も宮之城線乗換の薩摩大口駅のみだったので、山野線の足跡は、残念ながら残せませんでした。
2013-04-06 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

お天気が悪いのは運が悪かったですね。

小生は昭和61年、布計からループまで歩きました。真夏の舗装した林道で結構ばてましたが大川ループはなかなかのロケーションでした。1時間15分位はかかっていると思います。来週末にでもアップできるように準備中であります。
2013-04-06 * tom [ 編集 ]

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こんばんは。

薩摩布計のループまで歩かれた・・とお聞きしまして、とても羨ましく思います。 その時の記事が上がるのを楽しみに待っております。
2013-04-06 * 風来梨 [ 編集 ]