2017-06-18 (Sun)✎
路線の思い出 第213回 函館本線・国鉄時の札幌駅 〔北海道〕
この頃の札幌駅こそが
我が青春の北の駅だった
※ グーグル画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
函館~旭川・七重~大沼~森 465.7km 10649 / 105
’12年・運行本数
時刻表を見てください
廃止区間と営業キロ 廃止年月日 廃止時運行本数 転換処置
砂川~上砂川 7.3km ’94・ 5・16 6往復 北海道中央バス
札幌駅(さっぽろえき)は、北海道札幌市北区北6条西4丁目にあるJR北海道・函館本線の駅。
JR北海道の駅の中で最も利用客数が多く、全ての旅客列車が停車するJR北海道最大の拠点駅である。
道内各地とを結ぶ特急列車、北海道の空の玄関口である新千歳空港とを結ぶ快速「エアポート」、札幌近郊の通勤・通学輸送を担う普通列車などが発着し、道内各方面への起点ともなっている。
路線上は函館本線の単独駅であるが、列車運行上では2駅東隣の白石駅で分岐する千歳線・1駅西隣の桑園駅で分岐する札沼線の列車も当駅へ乗り入れており、事実上3路線のターミナル駅となっている。
札幌駅は交通の要衝としての位置付けが強いものの、繁華街・商業集積地としての位置付けは大通地区に次ぐ二番手という状態が長らく続いた。 しかし2000年代初頭からは札幌都市圏への人口一極集中に加え、2003年の駅ビル「JRタワー」の開業・駅周辺地域の再開発に伴い、札幌近郊のみならず道内主要都市からの利用客が増加している他、鉄道利用客に留まらず商業などの集積においても大通地区・すすきの地区を凌ぐ新たな拠点へと成長した。
4代目札幌駅構内
※ 鉄道ピクトリアル掲載写真より
地上駅(4代目)時代
国鉄北海道総局および、国鉄分割民営化後のJR北海道本社を併設した駅舎に面する単式ホーム1線・島式ホーム4面8線、千歳線折り返し列車が使用していた0番線の合計10線で構成されており、駅舎と各ホームは跨線橋及び地下連絡道で結ばれていた。
南側駅舎の地上改札、地下街に直結する改札がそれぞれ設けられており、札幌駅名店街(現・アピア)を経て地下鉄さっぽろ駅に直結していた。 また9番線奥には複数の側線があり、主に小樽築港方面貨物列車や回送列車が使用し、そのさらに北側には跨線橋若しくは地下道を連絡道とする北口駅舎が併設されていた。
現在(5代目)の札幌駅
※ ウィキペディア画像を拝借
高架駅(5代目)化
駅前周辺開発および市内連続立体交差事業に伴い、地上駅から高架駅へ5代目駅としてリニューアルされる事になり、当初北側側線及び北駅舎を撤去し工事を開始、現3番ホームから10番ホームまでと11番仮設ホームの完成後、1988年に高架駅として一次開業した。
その後、地上の旧ホームを解体し残りの高架工事を開始、 現1番及び2番ホーム、ならびに駅舎南側外観を完成させ1990年に全面開業となった。 その後、11番仮設ホームを解体して駅舎北側外観を完成させると共に北口広場を整備した。11番ホームへの連絡道は現在9・10番線へ向かう階段の北側に壁が設置されて通る事が出来ないが、将来的には北海道新幹線開業時に併せて拡張工事の後に再利用する予定が組まれている。
ワテが札幌駅を語るとしたら、駅機能より商業施設としての側面が誇張された現在の面白みのない駅ではなく、昼夜を問わず道内各地への華やかな優等列車が発着していた国鉄時代の札幌駅なのである。
そう・・、駅ホームに立って旅情を感じる・・、鉄道が輝いていたあの頃の札幌駅なのだ。
当時は根室から札幌へ直通する急行もあった
急行【狩勝2号】 根室駅にて
それは高価な旅客機で北海道へ渡る事ができなかった小僧にとって、青函連絡船から北の大地に上陸する「最初の第一歩」となる函館駅と共に、北の大地を旅するなら、道内を周るべくの拠点駅として必ず踏まねばならぬ駅として憧れを感じた駅でもあったのだ。
ここから夜行列車に乗って
道内各地へ旅立ったあの頃・・
※ グーグル画像を拝借
そして実際に、この駅から宿代を浮かすべく夜行列車に乗って、各地のローカル路線に「逢いに」行っていたのである。 だが、四半世紀以上の時を経た今は様変りしていた。 旅客機で渡道してレンタカーで道内をめぐった今年のゴールデンウイークの旅では、ただの一回も札幌駅に立ち寄る事がなかったのである。 これは現在の鉄道は『北の旅のアイテム』とは成り得ない・・という現実が、『事実』として示されたのである。
夜行列車まで淘汰ともとなると
道内の移動手段としても使えない
でも、随分と状況が変わったものだ。 小僧の時には高くて乗れなかった航空機での渡道が、今や「最も安値で渡道できる手段」となり、代って鉄道が最も高く、遅く、列車本数もない・・など「全く使い物にならない」モノとなってしまったのだ。
そんな感傷を癒すべく過去に撮った写真を漁っていると、無理矢理記事に出来そうなアイテムが出てきたので、鉄道が輝いていた頃・・、『情熱大陸バカ』となって鉄道に入れあげた頃を思い返してみようと思う。
札幌駅で撮った
急行【天北】サボ
キハ56時代の急行【天北】
天北線 小石~曲淵 にて
でも残念ながら、その大半はタングステンフイルムと間違えて全ボツとなってしまったのだ。
今の技術があれば、フイルムからタングステンの青味を消す事も出来たっていうのに、ほとんど全て廃却してしまったよ。 だから、片手間のネガで撮った『B級写真』のみではあるのだが。
『B級写真』だからこんなのばっかり・・
ちなみに現物は「フイルム間違いで全ボツ」
あと、国鉄時代の札幌駅から桑園方向に歩くと陸橋があって、それを渡ってすぐに銭湯があったんだけどな~。 確か、両側を巨大なビジネスビルに挟まれた細長いビルの1階が銭湯だった記憶が。
良かったなぁ、あの頃は・・。
恐らくコレに乗って
札幌駅に帰って来たのね
列車淘汰前だったのか手書きっぽい
急行【すずらん】サボ
コレって『B級写真』から
貴重な『お宝写真』に昇華したりして
急行【かむい】と急行【すずらん】
カックイイわ コレ
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No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
他にもキハ80の【おおとり】やキハ183の【北海】も撮りましたけど、こちら側はタングステンのフイルム間違いのメインカメラ側で、棄てた記憶はないのですけど、ほったらかしてたらどこかに消えていました。(悲) 他にも、美幸線のじゃがいもの花前景の悔しすぎる写真も紛失してしまいました。
まぁ、このリベンジに燃えたからこそ、使い回しをしまくっている北海道の廃止線の写真が撮れたのですけど・・。
贅沢な事ですけど、それでも悔し過ぎますね・・。
他にもキハ80の【おおとり】やキハ183の【北海】も撮りましたけど、こちら側はタングステンのフイルム間違いのメインカメラ側で、棄てた記憶はないのですけど、ほったらかしてたらどこかに消えていました。(悲) 他にも、美幸線のじゃがいもの花前景の悔しすぎる写真も紛失してしまいました。
まぁ、このリベンジに燃えたからこそ、使い回しをしまくっている北海道の廃止線の写真が撮れたのですけど・・。
贅沢な事ですけど、それでも悔し過ぎますね・・。
No title * by 鳳山
札幌駅の移り変わり、勉強になります。
ナイス
ナイス
No title * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。
劇的に変わった札幌駅ですが、同時に鉄道駅としての魅力と輝きを失った感が否めませんね。 これは私の個人的な感情なのですが・・。
劇的に変わった札幌駅ですが、同時に鉄道駅としての魅力と輝きを失った感が否めませんね。 これは私の個人的な感情なのですが・・。
最後の「すずらん」「かむい」の並び、いいですね。
親父からのお下がりカメラ持って、入場券買って朝から晩までホームをウロウロしていたあり少年、今では単なるぐうたらのノンベジジイに化けとります。
手書きの愛称板、普通のサボをぶった切って作られたのが一目瞭然ですね・・・失敬する輩が多くて足りなくなったからなのでしょうか。
今となっては、逆に価値ある写真じゃないですかね?当時、この手の愛称板を撮っている人って、そうそういないはずですもの。
懐かしい写真、有り難うございました。