2017-06-10 (Sat)✎
路線の思い出 第212回 大社線・大社駅 〔島根県〕
出雲大社を模した神殿造りの
豪壮な駅舎は文化遺産建築物となった
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度(’90) / 営業係数(’83)
出雲市~大社 7.5km 2661 / 763
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
’90/ 4/ 1 一畑バス 15往復
大社駅(たいしゃえき)は、島根県簸川郡大社町(現・出雲市)にあったJR西日本・大社線の駅(廃駅)である。大社線廃止に伴い1990年4月1日に廃止となった。
廃止当時、島式・相対式ホーム2面3線を持つ駅であった。 これら3線はホームの末端で1線に収束した後、その先に車止めが設置されていた。 その引上げ線はかなり距離が長く、道路と交差する部分もあり、踏切も設置されていた。
かつては東京からの『オリエント急行』も
やってきたという駅も路線廃止と共に『駅跡』に
出雲大社の膝元である事から、1961年までは東京直通の急行列車【出雲】が運行されていた。
その後も、1980年代まで名古屋からの急行【大社】や大阪からの急行【だいせん】や、参詣者の団体臨時列車などが乗り入れてきていた為にホームは非常に長い。
駅舎は1924年2月28日に竣工した木造平屋441平方メートルの2代目駅舎で、出雲大社を模した豪壮な寝殿造りの社を構えている。 その出雲大社を模した駅の社の設計者は、大社線廃止後の駅舎の屋根裏調査で上棟式の棟板が発見された事で、当時の神戸鉄道管理局の技手・丹羽三雄であった事が判明した。
団体専用の改札口などもあったが、廃止後もホームや駅の掲示などもすべて当時のまま残されていれ、2004年に国の重要文化財に指定された。 また、当駅とは対照的なモダンな西洋建築である一畑電車出雲大社前駅とともに、近代化産業遺産にも認定されている。
ぢ・つ・わ・・、この路線と駅は、ワテの駅訪問実績における余りにもフザケたルールである『片足チョン着けによる駅訪問認定』の弊害をモロに喰らった駅訪問であった。 その『片足チョン着けによる駅訪問認定』とは、リンク先の説明にもある通りの『駅降り鉄』の神経を逆なでするようなフザケた”マイルール”なのである。
鉄から気持ちが離れた頃も未練がましく、車で駅に立ち寄っての駅訪問でカウント数を増やしたり、夜行列車待ちなどの時間潰しで初めての路線に訪れた時などは、乗車する車両の扉口につかまりながら足の爪先を”チョン着け”を重ねて、駅訪問数の実績を飛躍的に伸ばすタワケであった。 ぢ・つ・わ・・、東北の左沢線の全駅下車は、この技を使ったりしたモノだったりして。
・・で、ローカル線廃止が取り沙汰された1980年代の後半というか、廃止ローカル線の大方の趨勢が廃止と決まって鉄道の情熱が薄れつつあった1989年の夏、廃止ローカル線を追っていた当時のワテをして「まさかここまで」と思わせた、『第三次』に指定された廃止線の整理が始まったのである。
この大社線も、この『第三次』指定の廃止線の一つだったのである。
その『第三次』の廃止対象線は12線区が指定されたが、この大社線に順番が回ってくるまでに10路線が第三セクターへの経営移管が決定するかバス転換されて(路線廃止は九州の宮田線のみで、残りは全て第三セクターへの経営移管)、残すは大社線と鍛冶屋線の2線のみとなっていたのである。
※ ウィキペディア画像を拝借
こうなるとさすがに「一度は乗っておかなくては」って事になり、山陰地方の名景・千丈渓や三江線を訪ねたこの時に立ち寄ったのであった。 でも、「廃止間際の乗り潰し」が主目的であったし、宗教に関しては今もだが毛嫌いしていたワテは、大社駅の駅舎の事を知らないなど大社線の知識を全く持たずに乗車したのであった。
そして、その乗り潰しに使った時刻も、帰路に着くべく乗車する出雲市発の急行【だいせん】の発車までの時間潰しという日がドップリ暮れた後で、大社線の路線を眺める気持ちは毛程もなかったのである。
急行【だいせん】に接続する最終列車の
大社駅の折り返し時刻は僅か3分!
・・と言う訳で、大社線に乗車している間の頭の中は、折り返して乗り継ぐ急行【だいせん】の事でいっぱいであった。 そういう思惑に相俟って、急行【だいせん】待ちの時間潰しとなる大社線の最終列車の大社駅折り返しは僅か3分と、実質的に駅を見物する時間もなかったのである。
この時は急行【だいせん】に乗る事で
頭がいっぱいとなってここすら通らなかったよ
※ ウィキペディア画像を拝借
・・で、やっちゃいました。 乗車する車両の扉口につかまりながら足の爪先を”チョン着け”という、駅降り鉄の方々が事実を知ると石を投げたくなる衝動に駆られる大技を・・。
・・っていうか、この『大技』の”事始め”はこの時から・・という可能性が大なのですね。
という訳で、「現役時代の大社駅の夜灯かりの灯された駅舎』という多大なる犠牲を払って編み出された駅訪問手法が、この『乗車する車両の扉口につかまりながら足の爪先を”チョン着け”』による駅訪問数カウント数アップなのである。
多大な犠牲を払って編み出されたのが
『足の爪先チョン着け』の駅下車ゲット手法なのである
この大社駅が神殿造りの豪壮な駅舎であるって事は大社線が廃止になってから知った事だが、この事を知った時は少し後悔したよ。 さすがに、大山(2度目)に登るべくこの地を再訪した時に、廃止された後も往時のままで保存されている大社駅跡を訪ねたよ。
丸ポストも効いてるね
この駅で切符を買って
旅立つ旅人って至高の贅沢だよね
・・で、掲載写真の全てが、この再訪時に撮ったモノですね。 このように、冬の駅寝など結構ブリバリだった鉄道を追っていた時期も、結構な取りこぼしをしているのですね。 でも、こういった”取りこぼし”の悔いが心の底に残っているから、まだ未練たらしく細々と鉄道を追っているのだろう・・って思うのである。
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