風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第211回  広尾線・幸福駅跡

路線の思い出   第211回  広尾線・幸福駅跡  〔北海道〕


期待以上の『観光スポット』だった幸福駅跡

《路線データ》
   営業区間と営業キロ              輸送密度 / 営業係数(’83)  
  帯広~広尾 84.0km                 780  /  851       

    廃止年月日         転換処置         廃止時運行本数
    ’87/ 2/ 2           十勝バス           6往復



幸福駅のスタンプ

幸福駅(こうふくえき)は、北海道帯広市幸福町にあった国鉄・広尾線の駅(廃駅)である。
広尾線の廃線に伴い1987年(昭和62年)2月2日に廃駅となった。 駅名の縁起の良さから乗車券や入場券などで有名であり、廃止後も観光地として整備されている。

廃止時点で単式ホーム1面1線を有する駅で、ホームは線路の東側(広尾方面に向かって左手側)に存在した。 転轍機を持たない棒線駅となっていた。 開業時からの無人駅だがホーム南側の出入口から東側に少し離れた位置に待合所機能のみの木造駅舎を有した。

駅舎内に売店があり、簡易委託駅として乗車券の販売が行われていた。 別棟でトイレを有した。駅舎の前には「ようこそ愛の国から幸福へ」と記載されたアーチが設置されていた。 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は13人。


1000万枚売り上げた・・という
愛国駅・幸福駅の縁起切符

この縁起のいい駅名は、この地が広大な河原に比べて水量が少なく、アイヌ語で「乾いた川」を意味する札内川の流域である事に由来する。 札内川の「サツナイ」の”サツ”に”さち=幸”が充てがわれ、”ナイ”は古語で地震の事を”なゐ”と言った事から、その一文字の”震”を充て「幸震 さつなゐ」と呼ばれていた。

この地に1897年(明治30年)に福井県大野から集団移住による入植が行われ、「幸震 さつなゐ」村が形成される。 だか難読である為に、次第に音読みで「こうしん」と呼ばれるようになったようである。
その後、幸震は福井からの移住者(「福井団体」という)が多かった事にちなみ、集落名が幸福と改められた事によるものである。



『立ち寄り駅』としてはあまりにも有名なこの駅は、現役時代はその立ち寄る観光客の多さに辟易して写真もロクに撮らずに立ち去った記憶のある駅だ。 1日6往復のローカル線など使えたモノではなく、駅として在りし日も鉄道を利用して訪れた者は大半が鉄道マニアで、その大半を占める一般の観光客は車や観光バスで訪れていた。


1000万枚売り上げた縁起キップは
鉄道の利用増には結びつかなかった

だから、駅の在りし日の光景としては駅前の空き地や駅に入る道に、いつも観光客の車が縦列駐車していたのである。 まぁ、広い北海道の片田舎だから許されるような状況で、街でなら大問題として取り上げられていた光景であったろうと思う。

鉄道を追っていた小僧の時から「群れるのが嫌い」で「一人っきりを好む」このタワケにとって、観光客が闊歩するこの光景は肌に合わず、冒頭で記したように写真も撮らずにすぐに立ち去ったのである。 
まぁ、今思えば勿体無い事なのであるが。

そして、歳食ってからも廃止ローカル線の跡は時折訪れたりしているが、この観光客が群れていた記憶のある幸福駅は訪れる事無く「スルー」していたのである。 だが、その「スルー」の処置が途切れる時がやってきたのである。

それは、このゴールデンウイークに行った北海道の旅で、「一丁、日高でも登ってみるか」と安易に十勝幌尻岳の登山を計画して意気揚々とやってきたのだが、そこで去年の北海道の台風水害で登山口へアプローチする林道がズタズタに壊されていたのを目にした事から始まる。


崩壊した戸蔦別林道
自然の力はここまでスゴいのです

以前にあった登山口前の駐車場は跡形もなく流されて河原となっていたよ。 もちろん橋も流失して、登山をするには渡渉必至の状況となっていたよ。


かつてあった登山口の駐車場も
跡形もなく押し流されて河原となっていたよ

この時は安易に構えていたので渡渉の用具は持っ来ておらず、林道を塞いで滔々と流れるオビリネップ沢を目にして「コリは渡るのはムリですね」と撤退する。


撤退の未練に日高の山々を1ショット

・・で、「旅の1日」という貴重な時間がヒマとなってしまって、その穴埋めに立ち寄ったのがこの幸福駅跡だった訳である。 その立ち寄った幸福駅の跡は完全な観光地として整備され、かつては畑の傍に訪れる観光客が縦列駐車していた駅跡には観光バスの駐車枠もある大きな駐車場が設けられ、ウォシュレットの最新式トイレ棟も建てられていたよ。

この予想通りともいえる現役時代は避けていた光景だが、訪れた目的である”時間潰し”が絡むと話は別となる。 そして観光地として整備された分、かつての訪れた者の車が乱雑に止められていた駅は良好な『観光撮影スポット』として甦っていたよ。


大好きだったキハ22が
綺麗に化粧されて

静態保存されたキハ22が現役時代の塗装で綺麗に修繕されて、この日に登れなかった日高の山々を背景にたたずんでいるのを目にして、予想外にムクムクと写欲が涌いてきたよ。


不自然に綺麗すぎるのは差し引いても
かつて大好きだったモノを目にすれば

ちょっと嬉しくなって、この静態保存された「大好きだった」キハ22を色々な角度から撮ってみる。
天気も良かった事もあって、なかなかの『観光スポット』立ち寄り日和となったよ。


木立のある裏側から絵にしてみた
看板無ければ・・なぁ


登れなかった日高の山々を背景に

だが、駅の在りし時から辟易な思いを抱いていたあの名刺まみれの駅舎は、どうしても撮る気にはならなかったので、ウィキペディア画像を借りる事にしますた。


コリはちょっと撮る気が失せたよ
なのでウィキペディア画像を拝借

でも、今思えば『畑の中に出現した喧噪』であった幸福駅の周囲も様変わりしたね。
駅跡だけが『観光スポット』として、かつての姿を強制保存しているみたいだ。

駅跡より500m足らずに
鉄道を滅ぼす壮大なる”無駄”があった

タダでなければ通らぬ程に需要のない地域に
高規格道路が次々と建設される

見渡せば、壮大な無駄の高速道路のインターチェンジが駅の500mほど先にあり、高架道路が南北に延びていたよ。 その壮大なる無駄は料金を取る程に需要もなく、無料開放されているようだった。
だが、今の北海道の鉄道はコイツ(無料の高規格道路)の為に滅ぼされようとしているのだ。

そう・・、この地の主要国道のR236号が渋滞になる事はなく、高規格道路など全くもって必要もないのに、建設屋の利潤維持の為だけの高規格道路が相次いで建設される。 コレはかつての鉄建公団も、炭鉱が閉山して廃れていく地域に「計画通り」に鉄道路線を建設して、それが赤字ローカル線として廃止となったのだから『同じ業』なのだけれど。


人は同じ『業』を繰り返す

かつて一世風靡したアニメでの台詞である「進化の行き着く先は破滅」という言葉を、地で行っているような光景が垣間見える駅跡だったよ。












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No title * by なべ
こんばんは。キハ22の色どぎついですね。でも錆びて朽ち果てるよりかはマシかと。北海道はどんな田舎に行っても素晴らしい道路が整備されていて、驚いた事があります。

No title * by 風来梨
なべさん、こんばんは。

やっぱり、線路を走って雨や風、雪にさらされて、ちょうどいい色合いになるのでしょうね。 でも、「愛国~幸福」に拘わる変なペインティングされてなくて良かったなと。

雪国の冬道は両サイドが除雪された雪て壁となって狭まるので、道幅を広く取っているって事を聞いた事があります。

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No title

こんばんは。キハ22の色どぎついですね。でも錆びて朽ち果てるよりかはマシかと。北海道はどんな田舎に行っても素晴らしい道路が整備されていて、驚いた事があります。
2017-06-05 * なべ [ 編集 ]

No title

なべさん、こんばんは。

やっぱり、線路を走って雨や風、雪にさらされて、ちょうどいい色合いになるのでしょうね。 でも、「愛国~幸福」に拘わる変なペインティングされてなくて良かったなと。

雪国の冬道は両サイドが除雪された雪て壁となって狭まるので、道幅を広く取っているって事を聞いた事があります。
2017-06-06 * 風来梨 [ 編集 ]