風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第206回  播但線・飾磨駅、飾磨港駅

路線の思い出   第206回  播但線・飾磨駅、飾磨港駅  〔兵庫県〕


コレ殿下から借りたの
当時は入場券代も惜しんでいたので・・

《路線データ》
       営業区間と営業キロ        ’輸送密度 / 営業係数(’15)
      姫路~和田山 65.7km         4911  /  305
運行本数(’08
   〔電化区間〕 姫路~寺前   30~40分ヘッドの運行、姫路~福崎の区間運行も多数あり
   〔非電化区間〕寺前~和田山  下り15本・上り14本、路線経由の特急3往復
通称・飾磨港線
     廃止区間と営業キロ    廃止年月日    廃止時運行本数    転換処置 
    姫路~飾磨港 5.6km   ’86・11・ 1      2往復     姫路市営バス


飾磨駅舎
地域の代表駅を思わせるような
立派な駅舎だった
※ ウィキペディア画像を拝借

飾磨駅(しかまえき)は、かつて兵庫県姫路市飾磨区細江にあった国鉄・播但線の駅である。
島式ホーム1面2線を有していた駅で、ホームの東側、線路を渡った先に駅舎があった。
また駅舎の北側には1面1線の有蓋車用の貨物ホームが設置されていた。 廃止されるまで駅員配置駅であったが、晩年の旅客列車は1日2往復のみであった。

播但線は南北に走っており、当駅からは、南西方向に向かい新日本製鐵広畑製鐵所へ至る専用鉄道が分岐していた。 その専用鉄道は、鉄鋼製品や石灰石の輸送に供されていた。


飾磨港駅
こちらは落ち着いたたたずまいでした
※ ウィキペディア画像を拝借

飾磨港駅(しかまこうえき)は、兵庫県姫路市飾磨区細江にあった国鉄・播但線の駅である。
姫路港で荷揚げされた物資輸送を行うために開設された駅で、駅名は姫路港が1951年まで「飾磨港」と呼ばれ、この港湾地区を姫路港飾磨地区と称した事に由来する。

播但線の起点だった駅で、当時の「日本国有鉄道線路名称」における播但線の路線表示は「飾磨港 ~和田山」となっており、戸籍上は福知山線尼崎港支線(通称:「尼崎港線」)のような枝線ではない。

頭端式配置の駅で、通常は短編成の旅客列車のみのために短い上屋根を駅本屋近くに設置し、機回し線を備える長大な単式ホーム1面1線の旅客用ホームと、機回し線と別々に2棟の上屋根を備える単式ホーム1面1線の貨物ホーム、そしてそれらの間に複数の車両留置線を設置していた。

線路の終端の先に木造駅舎があり、廃止時まで駅員配置駅であった。 姫路港からの貨物輸送に重点が置かれており、晩年の旅客列車は、一日あたり朝夕の2往復のみの設定であった。 これは清水港線の1日1往復に次ぎ、名寄本線の湧別支線や福知山線の尼崎港支線と並び、国鉄時代は旅客列車の密度が少ない区間として知られていた。 駅の跡地は、「姫路みなとドーム」となっている。




都市近郊を行く路線なのに
ホントに2往復だけだったよ

この枝線(路線の戸籍上は枝線でない・・という事であるが、播但線の既存区間との間は山陽本線の線路によって分断されて直通運行は不可能であり、また真っ先に廃止になるような『事実上』枝線ですネ)は上に記述した駅紹介にもある通り、旅客列車が朝の7時半と夕方の18時前の2本しかなかったのである。
まぁ、「運行本数2本」ってのは、JR北海道がハデに『ダイヤ大改悪』をやってくれたお陰で、今では1日2本やら1日1本もそう珍しくはなくなってしまっているのだが。


当時の新快速はコレでした

まぁ、このように記すと乗車がとてつもなく難しい印象を抱かせるが、頑張って6:00発の快速にさえ乗れば、この2本の路線の”朝の便”に乗れない事はなかったのである。


快速はカボチャが主だったけど
当たり(117系)の時もあった
※ 上下いずれもウィキペディア画像を拝借

但し、「0分接続」というパツンパツンの接続なので、大阪6:00発の快速は先頭車両の最も端の扉に位置取りし、姫路駅に着くなり思いっきりダッシュして「乗りたい気持ち」を満面に飾磨港線列車の車掌に伝えなければならなかったけど。

こうすれば1日僅か2本故に、走ってくる奴が乗車するまで発車を待ってくれるのである。
まぁ、今の鉄道への情熱を失ったワテでは、鉄道路線に乗る為に早朝6:00までに駅に出張ってくるなんて無理な事だが・・。

また、少し攻め方を変えて行きはバスなりで飾磨港までゆき、夕方18時過ぎの列車に乗って帰る・・って手もあったのである。 まぁ、小僧の頃の鉄道に「情熱大陸バカ」だったワテは、”ガンバって”朝の便に乗ったけれど。


「0分接続」では撮れる訳ないので
ウィキペディア画像をお借り致します

だから、写真なんか撮る余裕はなかったので、姫路駅の写真はウィキペディア画像の拝借でっす。
だが、この7:30の列車にさえ乗車できれば、後は余裕なのである。 当時からワテは全線完乗を目論む”乗り鉄”ではなかったので、時刻表とにらめっこしながら次の未乗車線区を乗り潰すべく飾磨港折り返しの列車に乗る気持ちもなかったし、当初から行きだけ乗って、帰りは山陽電鉄の駅まで歩く予定だったのである。

まぁ、この路線は1日朝夕のたった2本のみであったが、路線の行き交う場所は姫路市街地のど真ん中で大きな道路にさえ出ればバスは頻繁に走っているし、2km程姫路方向へ戻ると山陽電鉄の飾磨駅もある。 それに姫路方向へ飾磨港線の線路を伝って歩いていくと、亀山駅辺りから完全に山陽電鉄と並走するので、よもや山陽電鉄の駅を探し回る・・って事は有り得ないのである。


車が無ければ
1日2往復は駅撮り以外は無理

でも、この時は駅舎や駅構内に対して特段の興味はなく、撮るのが列車絡みだけだったのは至極勿体無い事で・・。 撮ってれば今頃・・、閑散とする我がホームページやブログは『人気沸騰』だったかも。←変な妄想するなよ、タワケ風情が・・


「さよならスタンプ」でも
ヤル気のない飾磨港駅だった

姫路からの列車は僅か5分で折り返すので、『乗り潰し』目的の『乗り鉄』達は列車が飾磨港に着くなり一斉に駅舎の方へ駆け出す。 もちろん、入場券と駅スタンプとアリバイ写真の『三種の神器』をゲットする為だ。 だから、鳥居型の駅名表は待ってまで撮る気がしなかったよ。


こちらの駅名標は乗り鉄達が5分折り返しの
「時間との闘い」を繰り広げていたので近寄れず
※ ウィキペディア画像を拝借

でも、コチラの方の木造駅舎の壁の駅名板は高い位置に掲げてある事もあって、『アリバイ写真』には不向き(台にでも乗らないと、駅名板と顔を一緒に撮れない高さに掲げてある)でノーマークだったよ。
雰囲気的には、コチラを撮ってて良かったよ。


これは美味しいね
開業当初の旧仮名遣い(右書)
の上に”上書き”していたよ

5分折り返しの列車はワテ以外の全ての乗客を吸い込んで去っていき、途端に駅は閑古鳥が鳴くようになった。 この路線も乗った事だし、後は2つの途中駅に立ち寄って帰るだけだ。 取り敢えず、飾磨港駅の構内を撮ってから、線路に沿って歩いていく。


貨物兼用の長大ホームを望む
こんな長い駅に単行気動車が日に2回


ホームと垂直の位置にある駅舎って
終着駅らしくていいよね


使われない貨物側線が
雑草に埋もれつつあった

次の飾磨駅は1.3kmと飾磨港駅から見えていた。 そして駅舎は飾磨港に負けず劣らず立派な駅舎だった。 新日鉄の工場への引き込み線もあって、貨物路線の駅としてはこっちの方が稼働しているようだったよ。


木の手書きの駅名標と改札ラッチ
古き良き時代の鉄道風景だ


新日鉄への引き込み線も稼働していて
貨物駅としてはコチラの方が機能してたみたい

でも、沿線にはジャスコ(今のイオン)あり~の、分譲マンションあり~の、病院あり~の、バスの他にもタクシーが通り過ぎるなど、真剣にやればお客となる人の数に何ら問題を見出せない「都会の街」の眺めだったよ。 でも、やる気が無かったら、こんな風に寂れるんだろうね。


この「さよならスタンプ」が示す通り
ヤル気だけは全くなかったね

後は亀山まで歩き(駅待合室さえない亀山は、さすがに撮るべきものが何もなかったよ)、亀山から山陽電鉄で須磨浦公園経由で帰る。 ちなみに、須磨浦公園で阪急か阪神に乗り換えるのだが、ワテ・・野球と一緒で下品な阪神は乗る気しなかったので阪急で帰る。 当時は同じ特急でも、阪急の方が梅田に10分早く着いていたし。
















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