風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第203回  名松線・比津駅

路線の思い出   第203回  名松線・比津駅  〔三重県〕


暖かい長閑な春の駅
このような情景に出会えて良かった

《路線データ》
       営業区間と営業キロ          輸送密度 / 営業係数(’15)  
     松阪~伊勢奥津 43.5km          273  /  423
運行本数(’20)
              松阪~伊勢奥津 6往復
              松阪~家城   2往復
              家城~伊勢奥津 下り1本・上り2本

比津駅(ひつえき)は三重県津市美杉町八知にあるJR東海・名松線の駅で、松阪駅管理の無人駅である。 単式ホーム1面1線を有する駅で、ホーム上に開放式の待合所がある。 長らく木造の待合所が残っていたが、2007年秋に建て替えられた。

2009年10月に来襲した台風18号による被害で、名松線全線が不通となった。 の後の10月15日に松阪~家城の運行が再開されるが、被害が甚大てあった家城~伊勢奥津間は不通のままバス代行輸送となる。 比津駅も、この長期不通区間に含まれる。

その後の復旧交渉では復旧費用が多額となる事や、同様の自然災害に襲われる恐れもある同区間で「鉄道の安全を確保する前提となる治山治水対策は難しい」という事で、JR東海により不通区間のバス転換を提案する所まで追い詰められる。

だが、地元自治体や地元民の強い路線復旧要望に、自治体による費用面での協力や被害を受けた線路周辺の山間部と河川部の修復とその後の維持管理に対し自治体が将来にわたって責任を持ち「運行の安全性が確保される」事を要件に満たすなら復旧とJR東海も軟化し、治山対策や治水対策費の全額を三重県と津市が負担する事で復旧工事が再開される。 そして、6年半の長い不通期間を経て、2016年3月26日に家城~伊勢奥津が復旧して全線復旧となった。

駅の近くには小規模ながら比津集落がある。 また、三重県道666号を東に進んで比津峠を越えると駅から45分ほどで多気の集落に入る。 ここは南北朝時代から戦国時代にかけて伊勢国で大きな勢力を持った国司・北畠氏の本拠地で、北畠居館跡(現北畠神社)・霧山城跡がその痕跡として残っている。




このローカルな無人駅での撮影は、ワテの写真観を大いに変えるキッカケとなった撮影行であった。
そのキッカケは、鉄道写真雑誌に鉄道ルポとして取り上げられていたローカル線特集の記事を目にしてそれの虜となり、当時のカメラ&鉄友達を連れ立って『最も近場のローカル線』である名松線の撮影に繰り出した駅なのである。

友人はこの直前にキャノンAE-1+Pを購入した(もちろん、親のモノであるが)ようで、それの始動を欲していたのか、この誘いにすぐに乗ってきた。 近鉄の始発の鳥羽行快速急行に乗り、朝の8時前に名松線の始発駅・松阪に着く。 ワテは名松線は何度か乗っているが、友人の彼は初めての乗車でそれなりに興奮していたようだ。

ある程度沿線風景を把握していたワテは、名松線の撮影のベスト区間は比津駅辺りと想定していて、彼に撮影地の場所の相談を持ちかける。 なぜ、撮影地の場所決めを持ちかけたかというと、行動範囲の狭い中坊の事である・・、何の相談もしなかったならナシ崩し的に終点の伊勢奥津での駅撮りか、その周辺での撮影となってしまうからである。


伊勢奥津での撮影は既に経験ズミ

名松線に乗った事のあるワテは伊勢奥津駅周辺での撮影は経験済で、せっかくここまで来て「同じ所での撮影」はさすがに避けたい腹づもりがあったからだ。 名松線・・というか、非電化のローカル線自体が初めての彼は、結構従順にワテの誘導話法(ガキの頃から『口八丁』だったよ・・このタワケ)に乗っかって、終点一つ前の比津で降りる事に合意する。


撮影目的の鉄橋までは
眩いばかりの新緑ロードだった

でも、比津で降りたのは正解だった。 それは駅を降りたその時瞬間に、素晴らしい『春風景』が視界に入ってきたからである。 そう、長閑な暖かい春風景が無人駅をつつんでいたのである。
そして、その春風景や新緑を楽しみながら、雲出川を渡る鉄橋まで歩いていく。


キハ55とキハ30
このボロキハコンビも
今となっては『お宝写真』に・・

鉄橋に着くと、暖かい・・というより寧ろ暑い位の春の陽気に、無性に川遊びがしたくなって川へ降りる。 もう、こうなれば、本来の鉄道撮影よりも「川遊び」に夢中になってしまう。


カワセミは失敗して
ただ川の写真に
でも愉しい

周囲の山河風景や、空を舞う鳶、そして捕餌をするべく水中に突っ込むカワセミなどを見つけてはカメラを向ける。 当然、そのようなモノを狙うレンズなど持ち合わせてはいないので、何が写っているか定かでないものがネガに刻まれるが、とても楽しいのである。


トンビを追って・・
空を雄大に羽ばたくトンビに
憧れたんだろうな

この頃から・・だと思う。 ロケハンとか下調べとか全くしないで、『フと思った』とか『いいな・・と思った』所を撮影地とするワテの『行き当たりばったり』の撮影手法が確立されたのは・・。
真剣に撮り鉄をしてる者からすれば邪道も甚だしいだろうが、これはこれで楽しいのである。


『フと思った』とか『いいな・・と思った』なら
カメラを向ける
これがワテの写真の原点となった

そうである。 自身の写真の原点は、この名松線の撮影から始まっていたのである。
この事を経験せねば、恐らく線路際にでっかい三脚を立てている撮り鉄達と変わらん写真を撮っていただろうし、こんな『多くの人と同じような行為』の繰り返しでは写真に対しての愛着も湧かなかったと思う。

なぜなら、『多くの人と同じような行為』なら、たぶんワテは飽きてしまうだろうから。
まぁ、これは筆者の偏屈たる性格の所以だと思うが、この心根があるから人気のあるものやイベントには全く興味が湧かないのである。

恐らく・・であるが、こういう風景を見ずに鉄道を追い求めていたなら、たぶん今の自分の写真は無かったと思うし、写真自体も続けていたかどうか定かではないと思う。 列車のドアップや寝台列車が撮れる有名な撮影地で、皆と同じアングルで鉄道だけを追い求めていて「何かつまらないな」と感じ始めてきたのが、この撮影行へ赴く動機だったのだから。


フイルムにはデジタルでは
表現不可能な味がある
この古ぼけた気動車のように・・

そして、この頃から自分を育ててくれたフイルムカメラを未だに重宝しているのである。
写真映像的に決定的に劣り、「これでは自らの思いを込められない」と感じるデジタルを使うくらいなら、たぶん写真撮影の趣味から手を引くだろう・・とも思う。

こんな偏屈な考えを抱いているから、『人と少しでも違う事をしたい』と考えるのであり、それが今に続くワテの行動の原点なのである。 まぁ、『人と違う事をしてオチャメ(自爆)っている』ってのが真実なのだけれど。






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