2011-05-09 (Mon)✎
『私の訪ねた路線』 第21回 万字線 〔北海道〕
雪に埋もれた
炭鉱住宅跡の廃屋が
閉山を物語る
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
志文~万字炭山 23.8km 158 / 2807
廃止時運行本数 廃止年月日 転換処置
5往復 ’85/ 4/ 1 北海道中央バス
万字炭山駅発行の
万字ゆき乗車硬券
《路線史》
沿線の炭鉱からの石炭の搬出を目的とした、典型的な運炭路線。 万字炭山付近の炭鉱住宅跡の廃墟は、石炭ラッシュに踊った時代の証明であろう。 途中の朝日駅跡付近に、炭鉱(朝日坑)の坑道跡が見られる。 また、美流渡駅跡付近も、出炭施設の残骸が至る所で見られる。
炭鉱の閉山により沿線が急激に寂れ、また沿線には何ら目立った観光地もない事から1980年の国鉄再建法では廃止対象の第一次候補に指定される。 だが、廃止を阻止して存続を諮る材料は全くといっていい程になく、反対運動も盛り上がる事のないままに1985年4月に廃止バス転換された。
炭鉱の閉山により沿線が急激に寂れ、また沿線には何ら目立った観光地もない事から1980年の国鉄再建法では廃止対象の第一次候補に指定される。 だが、廃止を阻止して存続を諮る材料は全くといっていい程になく、反対運動も盛り上がる事のないままに1985年4月に廃止バス転換された。
シヴい所を・・との
コメントを仰せつかった
万字炭山駅手彫りスタンプ
万字炭山駅手彫りスタンプ
万字駅の造りは、駅舎から階段で下る特異な構造で知られていた。 現在は、駅舎に簡易郵便局が入っている。 全く関係ない話題だか、万字集落にある寺(萬念寺)で、供養された人形の髪の毛が勝手に伸びる“お菊人形”の怪奇現象が取り沙汰された。 また、万字線の万字の由来は、付近の炭鉱経営者の家紋が『卍』であった事に由来している・・との事である。
雪に埋めつくされる広い構内
もう不用な設備と断じられた証
《乗車記》
今回は、特定地方交通線の第一次廃止対象路線の中でも、ひと際暗いイメージのある万字線を思い返してみよう。 ワテがそのように抱くだけかもしれないが、この路線には生々しい黒ダイヤの遺跡が、そこらかしこに放置されてあったのである。
黒ダイヤの遺跡なら、九州の運炭路線でも見られる。 だが、九州の路線で見るような明るい情景ではなかったのだ。 こちらの黒ダイヤの栄光の跡は、捨てられてそのまま放置され廃墟と化し、ゴーストタウンとなり、そしてそれらが雪に埋もれている姿が垣間見られたのである。 そんな中をもがく様に行き交う単行気動車の姿が、ワテの目には、暗く切ない姿に映ったのである。
それでは、あの途轍もなく暗い運炭路線の末期を思い返してみよう。 列車は札幌のベットタウンである岩見沢から発車する。 岩見沢から次の志文までは、室蘭本線のローカル区間における岩見沢への便として重宝されていたみたいだ。 従って、超閑散路線である万字線列車であっても、岩見沢~志文を通勤時間帯に通る列車は、3両~4両とつないでいる時もあった。
前述の様に万字線は、志文より苫小牧へ向かう室蘭本線のローカル区間と分かれる。 志文までの一区間だけは乗客もいるようで、万字線に入線する時は乗客はほぼ全て下車してガラガラとなる。 次の上志文は、駅前に萩ヶ丘市民スキー場が今も稼動しているが、万字線の往事も積雪期の休日には、この駅折り返しのスキー列車が仕立てられていた。
今は駅舎が集会場か何かに使われているらしく、線路が取り払われたスキーのゲレンデの境目にポツネンと駅舎が建っている。 上志文を出ると、更に乗客は少なくなっていく。 列車は道道38号線と幌向川を時折クロスを交えながら併走していく。 やがて、朝日炭坑の立て抗跡が生々しく残る朝日駅に着く。
対峙する山の斜面に雪に埋もれて口を空ける坑道跡は、モノの最後を現すが如く朽ちていく姿が生々しく、やはり重苦しい眺めであった。
次の美流渡は、呼び名の響きが美しいと乗車券ファンに人気のあった駅だ。 かつて日に千トンを越える出炭量のあった美流渡抗のあった所だ。 最盛期には、炭坑への専用線もあったそうである。 そして、乗降人員も線内最大で駅員も委託ながら配置され、駅名機縁の切符販売もされていた。 しかし今は、鉄道の後は全て取り払われて、バス交通センターとなっている。
美流渡を出ると、そろそろに山あいに分け入っていく。 今までの水田中心の風景から、リンゴなどの果実畑などが主となっていく。 そして、駅舎が土手の下にある万字駅に着く。 この辺りは炭坑主の朝吹一族(後に北炭に譲渡)の家紋『卍』から“万字”と名乗るようになったのだが、辺りは華族の確執や厳しい炭坑運営を呪うかのような奇妙な出来事が多発したらしい。 その一つが『お菊人形の髪の毛』である。
今は、駅は簡易郵便局が入り、駅舎の裏から下る階段は雑草が密林化し、天然の植物園と化している。
閉山で廃墟となった
炭鉱住宅と同じ命運を辿る
明日無き運炭路線・万字線
万字を出ると、廃墟と化した炭坑住宅が軒を並べて雪に埋もれている。 毎日、ゴーストタウンと化した廃炭坑住宅を見ながら列車は行くのだ。 捨てられたかつての栄光が、音もなく雪に埋もれた姿・・、その場所には誰一人と人がおらず、そして生活の臭いもなく、魂が彷徨うが如く・・のような暗い眺めを魅せられつつ、列車は万字炭山駅へと滑り込む。
万字炭山駅は山峡の切り立った山の窪地という、炭坑跡そのままの地形だ。 駅舎がホームから100m近くも離れるなど、狭い窪地を長く使って炭坑設備や給水塔などを詰め込んだ感じの駅だった。
だが炭鉱が閉山となり、設備は朽ちるか撤去され、「かつてはその栄光の時代があったのか」と思わせるだけの遺構だらけの駅に成り下がっていた。 駅周辺の炭鉱住宅跡の廃墟と絡まって、最後まで暗いイメージが拭えない運炭路線であった。
通勤時間帯だというのに
誰一人いない
:
炭鉱の閉山により
往事の面影もなく
哀愁ばかりが漂っていた
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No title * by 風来梨
このようなローカル線の写真を撮っていて思う事は、歴史の断片をこの手で残す事ができて良かったという思いと、もっといろんなシーンを撮っておきたかった・・という悔いの2つの思いです。
この手彫りのスタンプは味がありますね。
この手彫りのスタンプは味がありますね。
親切な駅員さんのお陰で、この貴重な手彫りスタンプを入手できたのは嬉しかったです。今も大事に持っていますが、一枚は親友にプレゼントして、もう一枚は五年前亡くなった叔父の棺に入れました。その叔父は小学生の私に、汽車の写真集や雑誌「ハイカー」(山と渓谷社)をくれました。今の私に影響を与えてくださった方の旅立ちに、大事なコレクションを差し上げたのです。