2017-04-10 (Mon)✎
路線の思い出 第202回 三木鉄道・石野駅 〔兵庫県〕
ごく普通のありふれた田舎町に
レトロな駅舎を抱く路線があった
《路線データ》
営業区間と営業キロ 廃止年月日 転換処置
厄神~三木 6.8km ’08/ 4/ 1 神姫バス
(旧国鉄・三木線からの第三セクター移管線)
廃止時運行本数
19往復(土・休日は17往復)
石野駅(いしのえき)は、兵庫県三木市別所町石野3丁目にあった三木鉄道三木線の駅である。
2008年3月末の三木鉄道の路線廃止に伴い廃駅となっている。
駅舎の北側に単式ホーム1面1線を有するが、ホームの向かいには使われなくなったホームが朽ちた状態で残っている。 駅舎は木造一階建てで屋根は新しくはなっている(阪神淡路大震災で屋根瓦が破損しての修復)が、古くからの建物である。
国鉄線だった頃は当駅にも駅員が配置されていたが、三木鉄道への転換後は無人駅となっており、駅舎は待合所部分のみが使われている上、待合所の出札口が板で埋められていた。 有人駅時代からの汲み取り式便所が残り、個室には和式全穴便器が設置されていた。 上り(厄神方)のホーム南側には、貨車の引込み線跡と推測できる箇所があったが、現在は民間に売却され建物が建っている。
桜の時期って混むからあまり撮りに行かないんだよね~。 黒点(写真における人間の写り込み)が入るの嫌だし、三脚や脚立を持ってくる撮り鉄とあまり一緒には撮りたくないし・・ね。
でも、奴ら・・スゴイよ。 この週末に久々に三江線へ『桜の風景』を『撮り鉄』しに行ったけど、目の前の雑草は手でポキポキ折るわ、雑木林の枝は足で踏んづけて『均す』わ、前に邪魔な他の撮り鉄が入ると警察に通報して排除させるわ(前にいた撮り鉄は、線路際の危ない所に三脚立てていたけど・・ね)と、ワテをして「そこまでやるか?」って唸る程の『撮り鉄魂』だったよ。 それにカメラ2台の雲台を据え付けて、身長より高い三脚で脚立に昇って撮ってる奴も1/3位いたしィ。
ワテはこういうのとは関わりたくないので、極力ノーマークな所を選んで撮っていたよ。
でも、こうする方が「皆と一味違うアングル」で撮れていいのである。 要するに、他の撮り鉄の意識にないアングルで撮れるから、結構いいモノ(自己満的に・・だが)が撮れるのである。
桜の咲く時期に『菜の花』は割とノーマーク
だからこの時も誰一人いなかったよ
話は脱線したがこういう訳で、この季節はネタ不足となるのである。 探して「あった!」と思った三木鉄道の三木駅も既に『使用済み』で、さぁ、困った。 なので、前記事でも述べたこのブログの運営方針である「ネタが尽きて困った時は過去の栄光にすがりつく」という事例を前面に押し立てて、写真を使い回す事にしよう。
三木鉄道は廃止2年前の市長選挙で路線廃止を公約に据えた候補が市長となり、市長はこの第三セクターの鉄道会社の社長を兼任するので、問答無用で廃止となった経緯のある廃止路線だ。 何事に対しても・・だが、やる気のない奴や現状を嘆くだけの奴が上に立つとその組織は消えてしまうね。 それは現在揉めているJR北海道しかり・・だが。 それは「潰れるハズがない」と目される大企業でも当てはまるんじゃないか・・と思うよ。
当然資本はかかったと思うけど
路線維持に向けてのやり様はあったハズ
そんな路線廃止を政策に掲げる奴が市長になった時点で「完全にこの路線の存続は不可能」と思ったワテは、路線廃止の前年(この市長が三木市議会で路線廃止を表明した年)に『撮り鉄』に行く事にしたのである。
「儲からないから・・無駄」と
貴重な財産を捨てていくと
必ず後に自らの首を絞める事になる
でも、こんな「割と人口のある町でも鉄道が成り立たなくなる」という現実は、路線建設当時は想定だにしなかっただろうね。 車社会の発展も働き手世代なら十分対応できるけど、老人や子供・学生といった世代には厳しい状況なのかもね。 それが悪化すると、地方の過疎や限界集落化、地域の荒廃、国防上の不備など国土保全に関わる問題として浮かび上がってくるんだよね。 俗に言う『一極集中』の弊害である。
あらら・・、話が脱線したけど、せっかく『春』を愛でに行くのである。 今日はこんな地方行政のドロドロとした問題は置いといて、純粋に春を愛でようと思ったのである。
前夜に駅の駐車場を借りたお礼に
1往復のお名残り乗車
高木停留所にて
前夜に三木まで車で出張って、三木駅の駐車場で車寝をして、一晩駐車場を借りたお礼に始発の1往復を『偵察』乗車してから沿線の春風景に繰り出す事にした。
見渡しても周囲に桜がないので
桃の木で・・
三木のお隣の北条鉄道沿線は桜風景が主体だけど、どういう訳かこの三木鉄道の沿線は桃の花や菜の花なとの草や低木が織りなす『春』が主体のようだった。 見た感じ、沿線には桜がほとんど無かったような。 最も、桜並木を見つける事が出来なかっただけ・・かもしれないが。
タンホポやシロツメクサなど
草木に咲く花が『春』を表していた
それと、路線を維持していく意志のある北条鉄道と違って、諦めのかかった荒廃ムードが駅や路線の表情に現れていて、『絵』として表現する写真撮りとしての立場なら、この状況はそれはそれで『美味しい』情景なのである。
朝のラッシュを終えてのひととき
レトロの穏やかな雰囲気が漂っていた
閑散とする朝のラッシュを終えてのひとときや、利用者のモノか放置されたモノかの解らない『放置自転車』が目一杯に『絵』を創造してくれる。 そう・・、便利でキレイな現代建築に無い香りと雰囲気が、捨てられる時を待つだけのこの鉄道路線の駅につまっているのだ。
『放置自転車』が
目一杯に『絵』を創造してくれた
そんな飾らない表情は、廃止時期が近づくにつれて無くなっていく。 それは廃止を『イベント』と捉える奴らが大挙してやってくるからだ。 だから、それらがやってくるまでに、この路線の『思い出』を撮り残しておこう。 普段は春はあまり撮りに出かけないのに、そんな気持ちを抱いたから、この時はこの路線に出かけたんだろうな・・と思う。
- 関連記事
スポンサーサイト
No title * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。
あらゆるモノが技術的に進化して、道具を使えば何でも出来るようになりましたけど、それによって創意工夫の知恵や状況判断力といった人間として大切な能力を失う結果となりましたね。
雑草とはいえ自然の草木を短絡的にちぎる事しか思い付かないのですね。 アングルを変えたり、三脚から外して手持ちで自由度を高めたり、レンズを変えたり、雑草も活きる絵を想像したりする思考・・、現状を活かしてより良くするという発想がないんですよね。
便利さや失敗を帳消しにする「成功必須」の機能と、失敗すれば失敗を振り返る事なく消去するデジタル機能は、人間の大切な能力を奪う諸刃の剣とも言えそうです。
あらゆるモノが技術的に進化して、道具を使えば何でも出来るようになりましたけど、それによって創意工夫の知恵や状況判断力といった人間として大切な能力を失う結果となりましたね。
雑草とはいえ自然の草木を短絡的にちぎる事しか思い付かないのですね。 アングルを変えたり、三脚から外して手持ちで自由度を高めたり、レンズを変えたり、雑草も活きる絵を想像したりする思考・・、現状を活かしてより良くするという発想がないんですよね。
便利さや失敗を帳消しにする「成功必須」の機能と、失敗すれば失敗を振り返る事なく消去するデジタル機能は、人間の大切な能力を奪う諸刃の剣とも言えそうです。
No title * by 風旅記
こんにちは。
三木鉄道には訪ねたことはなかったのですが、この気動車にはひたちなか海浜鉄道で乗りました。
国鉄、JR、大手私鉄から切り離された路線は、殆どが第三セクター経営になっていますが、企業経営の経験の乏しい経営者が責任者につくことにより、自由な発想での経営改善がなされないまま廃止になってしまうケースが、この先も出てくるのではないでしょうか。
三木鉄道についても、本当に残念な話でした。京都丹後鉄道のような純民間の活力は必ず必要になるのではないかと思っています。
鉄道写真を撮る人、様々いますが、周りが見えなくなってしまう人も一定数いますね。沿線に咲く花を踏み倒した人が出て、その鉄道会社から「もう来ないで」とメッセージが出たニュースもありました。
本当に嫌ですし、関わりたくないと思ってしまいます。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
三木鉄道には訪ねたことはなかったのですが、この気動車にはひたちなか海浜鉄道で乗りました。
国鉄、JR、大手私鉄から切り離された路線は、殆どが第三セクター経営になっていますが、企業経営の経験の乏しい経営者が責任者につくことにより、自由な発想での経営改善がなされないまま廃止になってしまうケースが、この先も出てくるのではないでしょうか。
三木鉄道についても、本当に残念な話でした。京都丹後鉄道のような純民間の活力は必ず必要になるのではないかと思っています。
鉄道写真を撮る人、様々いますが、周りが見えなくなってしまう人も一定数いますね。沿線に咲く花を踏み倒した人が出て、その鉄道会社から「もう来ないで」とメッセージが出たニュースもありました。
本当に嫌ですし、関わりたくないと思ってしまいます。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
No title * by 風来梨
風旅記さん、こんばんは。
このミキティは、お隣の北条鉄道でも運用されてますね。
6kmそこそこの三木鉄道では、性能を持て余し気味のようでした。
旧国鉄からの第三セクターで上手くいってるのは、九州の甘木鉄道と阿武隈鉄道くらいだと聞いてます。 やはり条件的に恵まれている路線でないと苦しいみたいですね。 やはり、この自動車社会で鉄道は経営的にしんどいのだと思います。 でも、国土を保全する為の国策として、鉄道は再国有化しても残さねば・・って思いますね。
このミキティは、お隣の北条鉄道でも運用されてますね。
6kmそこそこの三木鉄道では、性能を持て余し気味のようでした。
旧国鉄からの第三セクターで上手くいってるのは、九州の甘木鉄道と阿武隈鉄道くらいだと聞いてます。 やはり条件的に恵まれている路線でないと苦しいみたいですね。 やはり、この自動車社会で鉄道は経営的にしんどいのだと思います。 でも、国土を保全する為の国策として、鉄道は再国有化しても残さねば・・って思いますね。
No title * by 風来梨
続きです。
それと、やはりデジタルという考える事を放棄したシステムにズッポリハマってしまうと、撮影の邪魔となるモノは短絡的に排除する事しか思い浮かばないんでしょうね。 周りの草木や雑草を活かす絵を想像する感性が無くなってしまっていますね。
そして、踏み場もない位の三脚と脚立・・、またどこかで三脚の脚に躓いた・・なんて、争いが起こっているのでしょうね。
撮る写真も、気持ち悪いぐらいにみんな同じアングルだし・・。 足の踏み場もないし。 こんなのが鉄道写真撮影法なら、私は続かないですね。
やっぱり感性は体験や経験・・、それもしくじった経験が引き出しとなってモノをいうのですね。 それをアッサリと消してしまうデジタルでは、そういう大切な能力をポロポロと落としていくだけだな・・って思います。
たぶん、これを言うと批判されると思いますが、敢えて言います。
「フイルムで良かった。 初めてカメラを知ったのが、人間の大切な能力を失うデジタル世代でなくて本当に良かった!、助かった!」と。
それと、やはりデジタルという考える事を放棄したシステムにズッポリハマってしまうと、撮影の邪魔となるモノは短絡的に排除する事しか思い浮かばないんでしょうね。 周りの草木や雑草を活かす絵を想像する感性が無くなってしまっていますね。
そして、踏み場もない位の三脚と脚立・・、またどこかで三脚の脚に躓いた・・なんて、争いが起こっているのでしょうね。
撮る写真も、気持ち悪いぐらいにみんな同じアングルだし・・。 足の踏み場もないし。 こんなのが鉄道写真撮影法なら、私は続かないですね。
やっぱり感性は体験や経験・・、それもしくじった経験が引き出しとなってモノをいうのですね。 それをアッサリと消してしまうデジタルでは、そういう大切な能力をポロポロと落としていくだけだな・・って思います。
たぶん、これを言うと批判されると思いますが、敢えて言います。
「フイルムで良かった。 初めてカメラを知ったのが、人間の大切な能力を失うデジタル世代でなくて本当に良かった!、助かった!」と。
ナイス