2017-03-19 (Sun)✎
路線の思い出 第199回 牟岐線、阿佐海岸鉄線・海部駅 〔徳島県〕
無粋なコンクリート高架駅に
『撮り鉄』の夢破れ・・
海部駅
《路線データ》
牟岐線
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数 (’15)
徳島~海部 79.3km 1865 / 198
運行本数 ('17)
徳島~阿南 毎時2本(内 1往復特急)
徳島~牟岐 毎時1本(内 3往復特急)
牟岐~海部 12往復
阿佐海岸鉄道
営業区間と営業キロ 運行本数 ('17)
海部~甲浦 8.5km 海部~甲浦 下り15本、上り14本
海部~宍喰 下り2本、上り3本
宍喰~甲浦 下り1本、上り2本
海部駅(かいふえき)は、徳島県海部郡海陽町奥浦字一宇谷にある、JR四国と阿佐海岸鉄道の駅である。 1992年3月の阿佐海岸鉄道の開業以降は、JR四国の牟岐線と阿佐海岸鉄道・阿佐東線が乗り入れる接続駅となっている。
相対式ホーム2面2線を有する高架駅であるが、開業当初は単式ホーム1面1線の構造であった。
その後、1992年3月の阿佐東線の開通時にホームが増設されている。 このように後付けでホームが増設された為に跨線橋などは設けられず、高架駅であるにもかかわらず高架上に構内踏切が設置され、2番線ホームへは線路を下りてこの構内踏切を渡る珍しい形態となっている。
高架下の駅舎には、海陽町観光案内所がある。JR四国・阿佐海岸鉄道ともに簡易委託駅であり、海陽町観光案内所が両社の乗車券の販売を受託している。改札業務は行っておらず切符の回収と運賃収受は乗務員が行う。
牟岐線の完乗は
キハ58の急行【むろと】で
この駅・・というか、牟岐線に乗ったのは今から30年以上も前の中坊時の『初めての四国完乗の旅』出の事である。 この旅は日程9日間という初めての長期『撮り鉄行』で、全て夜行列車泊(初日だけ岩国駅のベンチで座ってた)で、その9日間1日も風呂に入らなかった・・という、中坊ならではの”コケティシュ”な内容の旅だった。
だけど、国鉄時代からの『乗り鉄』でさえ知らない人が多い”幻の国鉄航路”といわれる『仁掘航路』に乗って四国に渡った事(でも、費用を惜しんで切符買わなかったよ・・残念)を始め、DF50を撮ったり・・とか、シブいヘッドマーク付の四国DC急行を撮りまくった・・とか、この時の旅の体験や『撮り鉄写真』は我が人気のないブログの主力客引きネタとなっているのである。
当時のヘッドマーク付のDC急行は
カッケーかった
この海部駅も、ある『撮り鉄』のヤボーを心に秘めた中坊が”ターゲット”として狙いを定めた駅であったのだ。 その”ヤボー”とは、雰囲気満点の『田舎の終着駅』で『撮り鉄』する・・という事だ。
この小僧が妄想した『田舎の突端駅』は
こんな感じの突端駅か
東海道本線・赤坂支線 美濃赤坂駅にて
こんな感じの昼下がりが似合う
長閑な駅風景か
旧国鉄明知線(現 明知鉄道) 明知駅にて
願望としてはこんな”美味しい”建付けの
木造駅を期待してたよ
旧国鉄妻線・杉安駅
まぁ、普通中学に上ったばかりの歳ならばブルートレインや特急なのだろうけど、このガキは今のアウトロー大好きなロクデナシになっちまう事が予見できるような”変なガキ”で、特急よりも普通や急行を好んで撮っていたのである。
そして、駅や撮影のロケーションも、田舎の無人駅や何もない無人荒野を好んで”マイ撮影適地”にしていたのである。 そして、建設途中で建設放棄された阿佐線の事もあって、海沿いの長閑な雰囲気にある木造駅舎の突端駅で、その先に建設途中で放棄された阿佐線の路盤が続く北海道の美幸線や九州の妻線のような情景を空想していたのである。
妄想だけで撮れなかった長閑な終着駅の情景は
数年後に撮る事が適ったよ
旧国鉄・妻線 杉安駅
こういう感じも建設途中で
放棄された路線らしくていいかな
旧国鉄高千穂線・高千穂駅
まぁ、まだこの時は北海道の冬に駅寝するなど想定すらできない運痴の肥満児で、北海道の美幸線も九州の妻線も、『鉄道ジ▽ーナル(オタ過ぎて危険なので一部伏せ字)』のローカル線紹介記事で見ただけだったけど・・。
で・・建設途中で放棄された路盤に
こんなのがあれば目に涙が溢れるよ
:
旧国鉄美幸線・仁宇布駅の先にあった
『終』の表示が入った車止め
・・で、頭をその『長閑な田舎の突端駅』の妄想で一杯にして、撮影地を海部駅に決め打ちして牟岐駅を出る。 牟岐駅は南国・四国らしい雰囲気で、これを目にした限りでは、まだ見ぬ『田舎の突端駅』・海部駅への期待は高まるばかりであった。
フェニックスが植樹されて
南国の雰囲気漂わす牟岐駅と急行【むろと】
そして、列車はつづがなく海部駅へ。 その海部駅に着いた時は、無粋なコンクリートの高架の上に庇のある棒線ホームがあるだけの途中駅が視野に入ったのである。
ホントに”途中駅”然の駅だった
阿佐海岸鉄道開業前の海部駅
※ グーグル画像より拝借
これを見て「まだ途中駅だ、次が海部かな?」と言う様に意識が飛んでいた。 そう・・、この小僧は、視野に入る無粋なコンクリート高架上に庇だけで駅舎すらない棒線駅が、『田舎の突端駅』の空想でお腹いっぱいにしていた海部駅だとは”認めたくなかった”のである。
山が宅地開発で切り崩されて
『坊主トンネル』のみが残り
これがこの駅を有名にしている・・らしい
でも、お約束のように、車掌が終着駅でいったん下車するように促しにきたので、この無粋なコンクリート駅が海部駅だと認めざるを得なかったのである。 駅の階段を下りると、高架の軒下に簡易委託で切符販売をする駅窓口があり、そこでは回数券同様の紙切符のみを販売していたので、取り敢えず1枚買ったけど。 今まで購入してた事も忘れてたよ。
一応買ってたのね
海部駅に立ち寄った証明の軟券切符
階段を下りてこの窓口へ着いた途端に『長閑な突端駅』の夢空想は破れ、当然ここで『撮り鉄』する妄想も立ち消えとなってしまったのである。 ・・で、仕方なしに、折り返しの列車に乗って、適当に田園の広がる『撮り鉄』が出来そうな駅に降りた。 それが、この牟岐線の撮影地となった辺川駅であった。
『長閑な田舎の突端駅』の夢破れて
牟岐線の代替え撮影地となった辺川駅
※ ウィキペディア画像を拝借
ウィキペディアによると、この辺川駅は国鉄時代には廃屋然の駅舎があったらしく、中坊のワテが訪れた頃にはまだ駅舎が取り壊されずにあったようだが、当時の小僧には当然ながらその価値を見出す眼力などあるわけがなくスルー(撮り逃し)していたよ。 撮ってれば、かなり価値があったかもね。
・・でも、これらも結構レアものですよ。
キハ20とキハ55の組み合わせ
結構レアでそ
特急よりカッケー
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