風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第278回  日ノ出岬・流氷

『日本百景』 冬  第278回  日ノ出岬・流氷  〔北海道〕


流氷が敷き詰める中での
サンライズ・シーン

日ノ出岬・・。 ここはその地名が示す通り、オホーツク海沿岸きっての『サンライズ・スポット』だ。
流氷を望む小高い丘の上には温泉付きの観光ホテルが建ち、何でもホテル客室の窓やホテルのレストランから流氷を望む事がホテルの”売り”との事だ。


日ノ出岬・展望台
全方位展望可能の
ダイヤモンド型展望台だ
※ じゃらんのウェブサイトより拝借

そして岬の突端にはダイヤモンドの形に模られた全面ガラス張りの展望台が建ち、その周囲はコテージの建つオートキャンプも可能なキャンプ場となっている。 夏は切り開かれた広大な駐車場にキャンピングカーがひしめく、地元・雄武町が”いち押し”する観光スポットとなっている。


30年ほど昔・・ ここには
流氷を車窓から眺める事のできる
ローカル線があった


その路線は『オホーツク縦貫鉄道』
という『夢』の一部だった

だが、その昔・・、『昔』と言っても僅か30年ほど前に、この丘の上にはローカル線が行き交っていた。
その1日数本運行されるローカル線の車窓から眺める流氷は、また格別な眺めであった。
そう・・、何も飾られる事のない本当の流氷風景だった。


私が憧れた
飾られる事のない流氷風景


飾らなくともコレだけで
”魅せる力”を秘めている

そして、ダイヤモンドの形に模られた全面ガラス張りの展望台が建つ岬の突端は、以前は《松前藩の烽火台跡》という史跡で、吹きっさらしの展望台があるだけの所だった。


以前の日ノ出岬は
吹きっさらしの展望台があるだけの
《松前藩烽火台跡》という史跡だった

このローカル線の車窓から眺める流氷風景が大好きだった私は、そのローカル線が廃止になってから久方ぶりに、あの時の・・ローカル線の車窓から魅せられた流氷風景を追い求めてこの地にやってきた。
だが、鉄道が廃止となって、その跡地が『観光スポット』として開発されたその光景を目にして愕然としたのを覚えている。


かつて憧れたローカル線の
通った線路跡に建つ
地元の町”いち押し”の観光ホテル
※ じゃらんのウェブサイトより拝借

それは「時が流れを実感させられた」と言う事と、あの時に心に抱いた『最高のお気に入り』だった情景が「もう過去のモノ」という冷徹な現実に・・である。 今は雪はあれど除雪されて簡単にたどり着く事ができる岬の突端で、あの時に岬までの雪道をラッセルして喘ぎ着いた事を思い返すと、かなり感傷的になったよ。


そういえば
ここで「雪を食らうズワイガニ」に
雪をぶっ掛けられたなぁ

町の『観光スポット』としての売り出し文句のように、旅の疲れ(・・というより移動の疲れ)を癒すべく温泉に入り、レストランで地元産の海産物に舌鼓を打ちながら窓越しに望む流氷風景も、それはそれで素晴らしいと思う。


ホテルの窓から望む
サンライズ・シーン
※ じゃらんのウェブサイトより拝借

だが、私の”想う”・・、あの憧れた情景とは違うのだ。 そして、あの憧れの情景はもはや見る事のできない『過去の情景』だという現実も、あの時には何もなかった岬の大地に建つ大きなホテルの建物で思い知らされた。 

久方ぶりに訪ねて『時の移り変わり』の無常さに愕然とした私は、あの時の情景のかけらを探すべく線路跡を歩く事にした。 そして、岬大地に建つホテルへの通路として転用された線路跡から、岬の突端に建つ『ダイヤモンドの形に模られた全面ガラス張りの展望台』を眺めてみる。


観光ホテルの建つ岬の丘は
かつて行き交った
ローカル線の線路跡だ

この時は正月でオホーツク海はまだ流氷が接岸する前の『冬の荒波』風景だったが、流氷シーズン前では展望台へ訪れる人もおらず、中の売店を含めて閉鎖され、厳しい冬の風と荒波が吹き荒れる荒涼とした風景となっていた。 それは平家物語の一幕「ひとえに風の前の塵に同じ・・」との解そのままに佇んでいた・・のである。


鳴り物入りで建てられたのに
シーズン以外は
「もはや用に供さず」と放置され

これを目にして、鳴り物入りで建てられたガラス張りの展望台でも、用に供さねばすぐに閉鎖される『時の流れ』の残酷さを改めて感じさせられたが、同時に『シーズン』の概念無しにポツリポツリ・・とではあるが、いつも訪れる”旅人”がいた・・あの時の何もない『烽火台史跡』が”魅せる力”の凄さを確信して心が立ち直ったよ。


あの時の情景の”魅せる力”の
凄さを知って心が持ち直した


1枚しか撮れなかった事が悔やまれる
流氷の海をゆく憧れの『風景鉄道』情景


点在する流氷のシーンが
最も美しかった


遥か遠くのロシアのアムール川から
流れてきたという流氷


流氷を挟んだ対岸には
雄武の街が見えた


『四角い太陽』
流氷から上がる冷気がおりなす現象だ

心が持ち直して今・・、あの時にローカル線の車窓から眺めて感動した流氷風景を、『日本百景』たる素晴らしき風景としてこのブログを見る人に紹介したい・・と記事を書いている自分がいる。

   ※ 宜しければ、『撮影旅行記』の『オホーツク縦貫鉄道の夢』もどうぞ。





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No title * by tom
こんばんは
北線はじっくり撮影しましたが、南線は夏に乗ってジンギスカンを食べて終わりでした。この辺でもじっくり撮影したかったですね。懐かしいです。

No title * by 風来梨
tomさん、こんにちは。

私は南線も北線も2回づつ訪れましたが、最初の「始めての北海道」の時は痛恨のフイルム間違い(ISO感度に釣られてタングステンフイルムを使って青味が掛かってしまって全ボツ)をしてしまったので、'84年の時以外は持ちネタがないですね。

ボツの奴は、比較的マシな数枚を除いてどっかに紛失してしまいました。 今思えば、現在の写真プリント技術ならサルベージできて貴重な写真として復活していたかも・・と思うと、自らの浅はかさが身に沁みます。

だから、この路線を思い返す度に惜しさを感じますね。
でも、乗車して1枚でも撮れた事が幸運だったのかも・・とも思いますね。

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No title

こんばんは
北線はじっくり撮影しましたが、南線は夏に乗ってジンギスカンを食べて終わりでした。この辺でもじっくり撮影したかったですね。懐かしいです。
2017-02-25 * tom [ 編集 ]

No title

tomさん、こんにちは。

私は南線も北線も2回づつ訪れましたが、最初の「始めての北海道」の時は痛恨のフイルム間違い(ISO感度に釣られてタングステンフイルムを使って青味が掛かってしまって全ボツ)をしてしまったので、'84年の時以外は持ちネタがないですね。

ボツの奴は、比較的マシな数枚を除いてどっかに紛失してしまいました。 今思えば、現在の写真プリント技術ならサルベージできて貴重な写真として復活していたかも・・と思うと、自らの浅はかさが身に沁みます。

だから、この路線を思い返す度に惜しさを感じますね。
でも、乗車して1枚でも撮れた事が幸運だったのかも・・とも思いますね。
2017-02-26 * 風来梨 [ 編集 ]