2017-01-09 (Mon)✎
よも”ヤマ”話 第8話 比良連山縦走 その2 〔滋賀県〕 ’85・1
比良連山最高峰の武奈ヶ岳の他、堂満岳など4ピーク踏破
武奈ヶ岳 1214m〔名峰次選 4峰目〕
最高峰・武奈ヶ岳からの景色
変色がきたして白黒でないと
訳の解らん画像になってたよ
比良連山 ひられんざん (琵琶湖国定公園)
比良連山は主峰・武奈ヶ岳 1214メートル を中心とした山地であるが、標高はさして高くなく日帰り登山が可能な山として関西圏で人気のある所だ。 眺望も、琵琶湖・伊吹山などが遠望できて楽しい。
比良連山は主峰・武奈ヶ岳 1214メートル を中心とした山地であるが、標高はさして高くなく日帰り登山が可能な山として関西圏で人気のある所だ。 眺望も、琵琶湖・伊吹山などが遠望できて楽しい。
そして、何よりもこの山の魅力となっているのは、冬山登山の初級コースが設定できるという事である。
この山域はある程度雪が積もるので、本格的な冬山訓練ができるのである。
また、冬の武奈ヶ岳山頂からの眺望は、峰々が全て白銀に変わり素晴らしい。
*
*
これは我がHP『日本百景』での比良連山の冒頭紹介文だが、実際に登った高校時代・・我が『W・V部』・・もといワンゲロでの山行は、「こんな綺麗な文を臆面もなく出して、相当な鉄面皮だな!」という程のグダグダな山行であったのだ。
それは、バテて我がまマンになるわ、顧問の先公を潰すわ、ゲレンデで難癖をつけてきたスキーヤーをやりこめるべく工作するわ、女子部員がバテて皆でおんぶしながら下るわ・・と、高校生という倫理上では「真にもって宜しくない」山行だったのである。 それでは、前回の続きである《2日目》、《3日目》おば。
比良連山縦走 行程図
その時の山行(2泊3日)の行程表でっす。
《1日目》 JR京都駅より鉄道(0:45)→北小松駅(0:50)→楊梅ノ滝(1:30)→ヤケ山
(1:45)→釈迦岳(1:20)→比良ロッジ(0:20)→ヤクモヶ原キャンプ場
《2日目》 ヤクモヶ原キャンプ場より武奈ヶ岳往復・所要約2:20
(0:35)→金糞峠(3:20)→打見山(1:00)→小女朗ヶ池
《3日目》 小女朗ヶ池(1:00)→薬師滝(1:00)→JR蓬莱駅より鉄道(0:40)→JR京都駅
《2日目》 ヤクモヶ原キャンプ場より武奈ヶ岳往復・所要約2:20
(0:35)→金糞峠(3:20)→打見山(1:00)→小女朗ヶ池
《3日目》 小女朗ヶ池(1:00)→薬師滝(1:00)→JR蓬莱駅より鉄道(0:40)→JR京都駅
初日はワテがバテた事に加え、顧問の先公も”御霊”となって下界に落ちていった”アクシデント”があった事から、 今日の所は無理をせず、主峰・武奈ヶ岳は明日に登る事にして《ヤクモヶ原》でテントを設営したのであるが、登りでバテたこのタワケは早くも復活し、この日勃発した難癖をつけれてきたスキーヤーとのバトルでは、立派な『戦闘員』となっていたのである。
それは、このヤクモヶ原のキャンプサイトは、スキー場ゲレンデのメイン滑降コースの真下にあったのである。 要するに、直滑降を楽しむスキーヤにとっては、鬱陶しくて目障りな存在がこのキャンプ場の『冬山キャンプ指定場所』であったのだ。 そしてその背後には、ヤクモヶ原のレストハウスやら食堂が建っていたのである。
即ち、このテント場のお陰で直滑降コースが遮られ、ゲストハウスに行く為にはテント場を周り込んでいかねばならなくなるし、直滑降コースを滑るスキーヤーも、かなり前から減速してターンの態勢に入らねばならない訳である。 言うなればコースの終盤からの減速が必要で、全速力滑降ができない『欠陥コース』だった訳である。
そして、ワテらW・V部がテントを張ったのが、最もゲストハウスに近い(それでも100m位はある)直滑降コースの末端部だったのである。 これにイラついたスキーヤーどもがワテらのテントの敷地に、ワザとターンで撥ねた雪をブッ掛け始めたのである。 初めは、「コラッ、やめんかい! 低腦のドアホどもが!」(顧問が離脱して監視者がいなくなったので、高校生のガキの地がストレートに出るわな)と言い返していただけだったが、それにこのスキーヤーどもが乗ってきたのである。
今度は、ダイレクトにテントに雪玉を投げ始めてきたのである。 その内の何発かはテントに命中して、中にいたワテらは雪玉がテントに当たる衝撃音に晒されたのである。 これで、ワテらも切れた。
この時をもってワテの『顧問殺し』の大罪は不問となり、戦闘員として参加する事となる。
取り敢えずは「雪玉には雪玉で」と、因縁をつけてきた奴らのリーダー格と思しき奴に狙いを定め、滑ってくる奴に8人のW・V野郎で一斉砲撃。 戦闘記録(W・V部の山行記録張)によると、滑ってくる奴に3発を浴びせ撃破。 思いっきり転倒したようである。
そして、起き上がってやってきた奴に、8人で集中砲火。 全員で雪玉を思いっきりぶつけ、しゃがみ込んだ奴に上から更に集中砲火して撃沈したのである。 奴は「ゴメンナサイ! ゴメンナサイ! スミマセン!」と、泣きながら懇願した・・との事である。
奴を助けに来た奴らにも「オマエも(雪玉)投げたやろ!」って詰め寄って、雪玉の砲撃に加えてソリに貯めた大量の雪を顔面にぶっ掛けたりして鎮圧したのであった。 まぁ、体力的にはヒョロこいスキーヤどもと違って、25kgの”ムダ担ぎ”して山に登る猛者になっていたのだから、勝負的には歴然であったし。
他にも、「滑ってくる奴らを細引きで引掛けて転倒させようか?」とか、「ゲレンデに落とし穴を掘って、雪玉で威嚇誘導して落とし穴に誘い込んで、スキー板をへし折ってやろうか!」とか、悦になって奴らの『殲滅作戦』を展開しようとしてたのである。 ちなみに、作戦立案はワテともう一人の奴だったりして。
でも、最初の交戦で奴らが完全に落ちたので、「先に雪玉投げてきたのはオマエらだからな!」「チクったら、シバキ倒すぞ」と脅しを入れて、『脅しの証』として背中に雪を入れて完全に怯えさせて解放したのである。 従って、『細引き作戦』や『落とし穴作戦』はお蔵入りとなりました。
まぁワテは、ガキの頃からこういう殲滅作戦は大好きで、ここぞとばかりに作戦指揮を執ったのである。 まぁ、ワテは学校サボリや旅の学割を作成する為に学校長印拝借、挙句の果てに内申書偽造までやる『スペシャリスト』(KING of ロクデナシだな・・ このタワケは)だったので、こういうのはお手の物だったのである。 でも、ほとんど犯罪だな・・コリャ。
雪の栄光
『ヤクモヶ原の戦』は
我々ワンゲロの圧勝に終わった
翌日は奴らの巻き返しもなく・・っていうか、完全に怯えていたので無かっただろうけど、用心に奴らがゲレンデに出張ってくる前にテントをたたんでゲストハウス前にデポり、空身で比良山系最高峰の武奈ヶ岳に臨む。 武奈ヶ岳から先の行程は、我がHPに書いてある事を少し改編して載せるとしよう。
武奈ヶ岳へは、道標に従ってキャンプ場裏手のブナの原生林の中を縫っていく。
さすがは《比良連山》の盟主という事で至る所に道標があり、まず迷う事はなさそうだ。
原生林の坂をつめると、上に武奈ヶ岳のピークが覗くルンゼ状のガレた急斜面に出る。
あとは、これをひと頑張りで比良最高峰・武奈ヶ岳 1214メートル 頂上だ。
さすがは《比良連山》の盟主という事で至る所に道標があり、まず迷う事はなさそうだ。
原生林の坂をつめると、上に武奈ヶ岳のピークが覗くルンゼ状のガレた急斜面に出る。
あとは、これをひと頑張りで比良最高峰・武奈ヶ岳 1214メートル 頂上だ。
武奈ヶ岳からの眺望
これも壊滅的に変色してた
頂上からの眺めは、360°の大パノラマだ。 この峰の中心に鶴翼の如く広がる《比良連山》の山なみ、そして日本一の湖・《琵琶湖》。 また、その対岸には独立峰・伊吹山が姿まろやかにたたずんでいる。
伊吹山の横には、これと対照的に連山の美を魅せる鈴鹿の山なみが見渡せる。
振り返れば、《朽木》の山里がひっそりとたたずんでいる。 また、天気が良ければ、加賀の名峰・白山や木曽の御岳が雲海の合間に浮かんでいる事だろう。 これが望めたなら大満足である。
頂上で素晴らしい景色を味わったなら、テントを撤収して先に進むべく往路を下っていこう。
頂上で素晴らしい景色を味わったなら、テントを撤収して先に進むべく往路を下っていこう。
《ヤクモヶ原》キャンプ場に戻って、荷物を整えたなら出発だ。 キャンプ場からは南の《金糞峠》へ南下していくが、テレキャビン駅に戻って稜線上を行く道と武奈ヶ岳の山裾の900m等高線上をたどるコースに分かれる。 前者は展望が楽しめるものの時間がかかり、後者は時間を20分短縮できるが展望はなし・・と、一長一短だ。 どちらを選ぶかは、その時の判断に委ねたい。
さて、歩いていくと、呼び名からくるイメージが著しく悪い《金糞峠》に着く。 この下には“金糞滝”もあるそうなのだが、呼び名から想像すると黄色い汁が滝となっていそうな感じがして嫌である。
でも、この地名の名誉の為に、その由来を述べておこう。 もちろん、あの『生理的排泄物』とは無関係で、溶解した金属のカスが混じった石が多く転がっていることから名づけられた・・との事である。
さて、歩いていくと、呼び名からくるイメージが著しく悪い《金糞峠》に着く。 この下には“金糞滝”もあるそうなのだが、呼び名から想像すると黄色い汁が滝となっていそうな感じがして嫌である。
でも、この地名の名誉の為に、その由来を述べておこう。 もちろん、あの『生理的排泄物』とは無関係で、溶解した金属のカスが混じった石が多く転がっていることから名づけられた・・との事である。
変色しかけてるけど
何とかカラーを維持
峠からは、堂満岳の西側を巻くようにして主稜線をたどる。 武奈ヶ岳の頭や南比良の大きな山なみを見ながら進んでいくと、歴史に名を記す峠に次々と差しあたる。 展望の利く《南比良峠》、《琵琶湖》畔の遺跡部落を望む寂れ果てた《荒川峠》、古代人の通った峠・《葛川越》、木立の中の寂しき峠・《木戸峠》・・と乗り越えていく。 当然、峠があればピークもあるものなのだが、峠の間のピークはそれとなしに通り過ぎる位に存在感のないものばかりである。
豪雪をまとった堂満岳
アップダウンでこれらの峠を乗り越えるといつの間にか木立の中から抜け出して、見晴らしのいい《クロトノハゲ》に出る。 ここで、JR志賀駅へ下山道が分岐している。 やや単調な縦走に気が萎えたなら、下山するのもいいだろう。 後は、『びわこバレースキー場』のゲレンデリフトに沿って登っていくと蓬莱山 1174メートル 、ピークを越えて南側斜面に広がるクマザサの草原を下っていくと《小女郎峠》だ。
小女郎池の悲哀伝説
※ ヤマケイ地図冊子 より
峠から西に少し下ると、悲哀伝説の色濃い《小女郎池》が見えてくる。 伝説については上に資料を記載したので、参照して頂きたい。 今夜は悲哀伝説を胸に、ここで一夜を結ぼう。 明日は、長い縦走を終えての下山である。
蓬莱山から望む小女郎池
※ グーグル画像より拝借
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・・とあるが、思いっきりキレイ事かってあるな。 読んでいて、こっ恥ずかしくなってきたよ。
この日は小女郎池でテントを張ったのだが、比良山系も《小女郎池》まで南下すると、誰もいなくなるね。 そして雪もあり池も凍っているが、吹きっさらしの風に飛ばされるのか、ほとんど積もっていない。 コリャァ、ヤクモヶ原よりもテントの設営が楽そうである。
・・で、《3日目》。 我がHPによると、かなりお気楽に書いてあるね。
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朝、目覚めたなら、峠に出てみよう。 天気が良ければ、《琵琶湖》からの日の出が拝めるだろう。
日の出を拝んで朝食などを済ませたなら、さあ出発だ。 峠からは、雑木林のトンネルの中に入って急激に下っていく。 この下りを見て素直に感じる事は、ズバリ“登りに使わなくて良かった”であろう。
イッキに500m下って、ようやくひと息つけそうな沢滝の上に出る。 この滝は、《薬師滝》と呼ばれる落差10m程の滝だ。 ここで喉を潤しながら、今までたどった比良の山々を思い返すのもいいだろう。
滝からは、沢を右に見て徐々に広がる扇状地を下っていく。 杉林や砂防ダムを数回越えていくといつしか砂利道、やがて舗装道に変わって、山の上では“灯”であった街が見えてくる。 後は、駆け出したくなる心を抑えながら、ゆっくりとJR蓬莱駅までの道程を歩いていこう。
イッキに500m下って、ようやくひと息つけそうな沢滝の上に出る。 この滝は、《薬師滝》と呼ばれる落差10m程の滝だ。 ここで喉を潤しながら、今までたどった比良の山々を思い返すのもいいだろう。
滝からは、沢を右に見て徐々に広がる扇状地を下っていく。 杉林や砂防ダムを数回越えていくといつしか砂利道、やがて舗装道に変わって、山の上では“灯”であった街が見えてくる。 後は、駆け出したくなる心を抑えながら、ゆっくりとJR蓬莱駅までの道程を歩いていこう。
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でも、この下山でも『出来事』があった。 それは、2人の女子部員(もちろん、この2名は昨日のスキーヤとのバトルには不参加)の内の1名の娘の体調が悪く、下り始めてからいきなりしゃがみ込んだのである。
この娘はかなり華奢で、あまりW・V部向けではなかったけれど、もう一人の娘の付き添いみたいな感じで入部した娘で、「こんなモサイ奴らが集るワンゲロに最後までよくいたな」って感じの娘であった。
しゃがみ込んでから一時の間休憩を入れて体調を落ち着かせようとしたが、復活する気配もなく時間が経過していく。 たぶん、冬山で疲れで風邪をひいて熱を出したのであろう。 この状況で、どうするか・・を、野郎8人で考える。
一つの案は、琵琶湖アルプスゴンドラ(びわ湖バレイに下る現在もあるゴンドラ施設)の乗り場まで行って、このゴンドラに乗せる案であるが、ゴンドラの駅までには蓬莱山を登り返す必要がある。
小女郎池より見上げる蓬莱山
コレをしゃがみ込んでる娘に登らすのは・・で却下
※ グーグル画像より拝借
だがこの案は、「もう、吐く寸前でしゃがみ込んだ娘に、山を登らせるのはチト厳しい」と言う事で却下となり、取り敢えず予定通り下って、「どうしようも無くなれば、オンブして下りよう」とのオーソドックスな2つ目の案が採用された。 もちろん、この娘の荷物は解体して野郎8人で分担である。
だが、即効で「どうしようも無くなる」状況になったのである。 ここで、野郎一人の荷物を解体して、7人で分担して詰め直し、空身になった一人が変わりばんこでオンブして下る究極の下山が始まったのである。
女子部員の荷物+野郎一人分の荷物25kgで、荷量調整の砂を捨てても一人頭30kg近くとなったよ。
でも、女子部員のオンブは40kg後半はあったろうから猛烈であるが、チェリーボーイが女の子をオンブして下るシュチュエーションの前に不平や不安をいう奴は誰一人いなかったよ。
で・・、下るのに2時間半かかるとして、一人20分づつオンブして下る事となった。 傾斜がキツい下り始めは、部内随一の体力猛者である奴が担ぐ。 そして、体力評価順にオンブを変わっていきながら下っていく。 ちなみに、ワテは今回バテたので席次が3番目から4番目に引き下げられ、薬師滝までの前半最後の所が担当となったよ。
薬師滝
ワテがオンブを担当したのはココまで
※ グーグル画像より拝借
でも、雪道をオンブして下山するとは、今思えば凄い猛者だったよな。 ・・で、下山口を越え、民家を見つけて事情を話しタクシーの手配をお願いする。 これで7人目の野郎は割り振られたオンブ時間・20分の所を10分、最後の奴はオンブの番回らずとなったが、それは果たして幸運だったのか不幸だったのか・・は今もって謎である。
手配をお願いしたタクシーに女子部員2人と荷物を載せて駅に行かせた時点で、この山行は華麗なる終末を迎えたのである。 もちろん、野郎は女子部員2人が担いでた部所有の荷物を引き受けて、予定通り駅まで徒歩である。
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