風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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よも”ヤマ”話  第7話  比良連山縦走 その1

よも”ヤマ”話  第7話  比良連山縦走 その1 〔滋賀県〕 ’85・1
比良連山最高峰の武奈ヶ岳の他、堂満岳など4ピーク踏破 


重厚な山の連なり
1200mそこそこの山の景色
とは思えない眺めだ

  比良連山 ひられんざん (琵琶湖国定公園)
比良連山は主峰・武奈ヶ岳 1214メートル を中心とした山地であるが、標高はさして高くなく日帰り登山が可能な山として関西圏で人気のある所だ。 眺望も、琵琶湖・伊吹山などが遠望できて楽しい。
そして、何よりもこの山の魅力となっているのは、冬山登山の初級コースが設定できるという事である。 

この山域はある程度雪が積もるので、本格的な冬山訓練ができるのである。
また、冬の武奈ヶ岳山頂からの眺望は、峰々が全て白銀に変わり素晴らしい。

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これは我がHP『日本百景』での比良連山の冒頭紹介文だが、実際に登った高校時代・・我が『W・V部』・・もといワンゲロでの山行は、「こんな綺麗な文を臆面もなく出して、相当な鉄面皮だな!」という程のグダグダな山行であったのだ。

それは、バテて我がまマンになるわ、顧問の先公を潰すわ、ゲレンデで難癖をつけてきたスキーヤーをやりこめるべく工作するわ、女子部員がバテて皆でおんぶしながら下るわ・・と、高校生という倫理上では「真にもって宜しくない」山行だったのである。


比良連山縦走 行程図

その山行は、2泊3日で行程表は以下の通りであった。
《1日目》 JR京都駅より鉄道(0:45)→北小松駅(0:50)→楊梅ノ滝(1:30)→ヤケ山
     (1:45)→釈迦岳(1:20)→比良ロッジ(0:20)→ヤクモヶ原キャンプ場
《2日目》 ヤクモヶ原キャンプ場より武奈ヶ岳往復・所要約2:20
     (0:35)→金糞峠(3:20)→打見山(1:00)→小女朗ヶ池
《3日目》 小女朗ヶ池(1:00)→薬師滝(1:00)→JR蓬莱駅より鉄道(0:40)→JR京都駅

今の高校レベルのW・V部ならば、恐らく最も楽なイン谷口から直接ヤクモヶ原へのルートを取るのであろうが、『高校生による小学校の遠足』から始まった我が『ワンゲロ』は2年近くの歳月の経過と伴なって、体力だけはワテをして『奇跡の体力』に近づいていたのである。 それで比良連山の完全縦走を目論むべく、一番北端の北小松よりの完全縦走の計画となったのである。

だが、『奇跡の体力』の完全開花はこの時ではなく、廃止ローカル線のほぼ全てが廃止という帰結となり、それによって『○鉄』から離れて山を目指す様になってからの事である。 なぜなら、この山行でワテは『大バテ』をカマシて、顧問の先公を潰したからである。


学校をサボって宮原線詣で
小僧の頃から”ロクデナシ”道・・全開

それは前年の’84年が九州における『我が青春のローカル線』の宮原線が終焉の時を迎えていて、それに通う為に2学期の間の半分位は学校をサボって宮原線詣で・・今で言う『聖地巡礼』をしまくっていたからである。 もう、年間出席日数の1/3に迫る位にサボって、宮原線を始めとする廃止線めぐりをしていたのである。 でも、落第となる教科授業数の1/3は超えないように、計算して計画的にサボっていたのであるが・・。

そういう訳で前年の秋はワンゲロの訓練もサボリ気味で、かつての『使えない肥満児』に戻りつつあったのである。 そして、今の高校の部活では恐らくしないであろう・・ハード山行にいきなり挑んだものだからバテてしまったのである。

そう・・、『バテる時』ってのは、歩いてても判るモノである。 出発点の北小松は琵琶湖の湖畔にある集落で、標高は琵琶湖の水位とそう変わらない・・云わば『海抜0m』な所であるが、ここから登山靴で舗装道を延々いく事になる。

舗装道が途切れる《楊梅(ようばい)ノ滝分岐》の標高は260mなので、舗装道では疲れるだけの登山靴・・しかも安物のビニール登山靴《キャラバン》でこれを行くのは、ある意味『地獄の特訓』なのである。

この『地獄の特訓』の舗装道歩きで信じられん程に汗の噴き出たワテは、自分自身でも『バテる』のが予測できたのである。 でも、この時の山行では1人25㎏を担いでたのよ。 それも、ワテは装備担当のホエーブス(重さ4kg)とホワイトガソリン2リットルの他にザックの重さを25kgに統一する為に砂袋3kgも担いでたのよ。

舗装道が途切れる《楊梅(ようばい)ノ滝分岐》からは、滝に立ち寄る渡渉ルートと《涼峠》からヤケ山に至る尾根筋のコースに分かれる。 この時は冬だし、渡渉用具もないので尾根筋に道を取る。


遡行なしに望める
落差15mの楊梅ノ滝・雌滝
※ ウィキペディア画像を拝借


遡行途中に見る
矢研ノ滝
※ ウィキペディア画像を拝借

ここからは尾根筋に取り付いての急登だが、眺めは標高が未だ1000mを超えておらず、雑木林がモシャモシャと覆うだけの「見るだけでシンドい」眺めなのである。


遡行しないと望めない
落差40mの楊梅ノ滝・雄滝
いい滝だね 今度行かねば
※ ウィキペディア画像を拝借

その《涼峠》の標高は550mなので、《楊梅(ようばい)ノ滝分岐》からは300mのイッキ登りとなる。
峠を越えると、100m下って300m登るアップダウンとなる。 こんなに登っても標高は未だ1000m未満で、眺めもつまらない雑木林だ。 そして、冬ではあるが標高が低すぎて雪もなく、雑木林に遮られて風の流れもない暑い《涼峠》で、ワテの身体はあの時の『(逆上がりが出来ない時の)クワムラハムの子』に還った。

《鈴峠》からの下りの後の300mの登り返しで完全にバテて、ヤケ山でグロッキーになっちまったよ。
でも、このヤケ山の標高は700m程で、山でも何でもない高さなのだ。 だが、ここまで来るのに、大方1000m近く登っているのである。 それも、25kgのザックを担いで・・である。

・・で、ヘロヘロになってヤケ山に登り着いた途端、ヘバってザックを背負ったまま大の字に寝転がってしまったよ。 そして、(一応、心配して)仲間が「飲めよ」と差し出す水を前にして「水は要らん、ポカリ(スエット)をくれ!」と超『我がまマン』になっちまったよ。 この時に水を差し出した奴曰く、「この時ばかりは殺意を抱いた」そうである。

・・で、ヤケ山で予定外の1時間休憩を取り、25kgのワテのザックは、経験は豊富なのであろうが今イチ”ヤル気”の感じられない引率の顧問の先公が担ぐ事になった。 ヤケ山からは、雑木林からクマザサに覆われたブッシュ帯となる。 しかも下は湿地帯で上はクマザサに行く手を阻まれ、下は泥濘に足を取られる・・結構嫌な道内容になる。

この悪路にワテの25kgを担いだ顧問の先公がバテて、ヤケオ山までの100m下って370mの登り返しを経て、空身で復活した”固太り”で”若い”ワテと”ひょろこく”て”オッサン”の先公の状態が逆転したよ。 顧問の先公はヤケオ山(標高970m)で「気分が悪くなった」と言って、「後は部長に任せる」との『遺言』を残して、この先の釈迦岳から登山リフトを使って帰りよった。 ほんと、ヤル気ねぇ~。


ヤケオ山では
写真が撮れる位に復活してたよ

でも、これでワテは、この山行の道中全てで『顧問殺し』の大罪という『十字架』を背負うハメとなったのである。 復活したワテは山での『歩き方』を思い出して、これ以降はバテない歩き方に徹したので、以降はもはや『体力猛者』となった部の連中に着いていく事ができた。

顧問リタイヤの地・釈迦岳でようやく標高1000mを越えて、そろそろに雪も見えてきて冬山登山の趣も出てきた。 シャクナゲの名所・釈迦岳 1060m で”ヤル気のねぇ~”顧問の先公の『死に水』を取り、稜線上から”御霊”となった顧問の先公を乗せるテレキャビンのゴンドラが行き交う《神爾 しんじ 谷》を看取りながら、今日の宿泊場所・《ヤクモヶ原》まで歩いていく。 途中のカラ岳からは主峰・武奈ヶ岳をはじめ、蛇谷ヶ峰・《八池谷》・《琵琶湖》・・と、360°の大展望が広がっていた。 


比良山登山リフト跡
※ グーグル画像より拝借

今日はワテがバテた事に加え、顧問の先公も”御霊”となって下界に落ちていった”アクシデント”があった事から、 今日の所は無理をせず、主峰・武奈ヶ岳は明日に登る事にして《ヤクモヶ原》でテントを設営する。 

この《ヤクモヶ原》キャンプ場は洗い場付の炊事場がある快適なキャンプ場で、今日の顧問の先公のように刺客(ワテ)にやられて体調を崩した時などは《比良ロッジ》などの宿泊場所もあるし、ゴンドラを使って”御霊”となる事も可能・・と、あらゆる事態に対応できるのが利点だったが、2004年にリフト・ゴンドラ共に廃止されてしまったとの事である。 ついでに、かつてバトルの場となったスキー場やキャンプ場も廃止されてしまったとの事。 「30年ひと昔」との言葉通りとなった訳である。


ヤクモヶ原キャンプ場跡
あぁ・・ 30年ひと昔
※ グーグル画像より拝借

明日の武奈ヶ岳登山や難癖をつけてきたスキーヤーをやり込める『バトル』などの『オチャメ』は、次回の”その2”にて。

















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