2016-11-13 (Sun)✎
よも”ヤマ”話 第4話 東おたふく山 〔兵庫県〕 ’83・5
六甲・東おたふく山 697m
なだらかな草原が広がる
東おたふく山
※ ウィキペディア画像を拝借
前回の愛宕山への『高校生による小学生の遠足』で胎動した我が”ワンゲロ”・・もとい『W・V部』だが、活動を始めて僅か1ヶ月ではそれほどの代り映えもなく、相変わらずの『小学校の遠足』レベルであった。
そのレベルの低さを心配したのかは定かではないが、受験の為にそろそろ引退をする3年の先輩連中は、『新歓コンパ山行』と題してOB連中を呼んでの日帰り山行を企画したのだった。 まぁ、たぶん”ヒマ”などないであろうOB連中を呼んでの山ならばどうしても休日限定となるが、今現在の部のレベルである『小学生の遠足』に合わせるならば”うってつけ”の山行企画なのである。
東おたふく山・新歓コンパ山行 行程図
3年の先輩連中もこの低レベルすぎる部の現状を打開すべく、頭の上がらないOB連中に”喝”を入れてもらうように考えたのだろうか。 まぁ、顧問の先公はヤル気があまり感じられぬ御仁だったので、「日曜日に駆り出されてエライ迷惑」ってな表情を浮かべていたような・・、いないような。
いや・・それとも、この企画自体は3年の先輩連中ではなく、OBでも発言力の強い今の3年を牛耳っていた部長だった猛者のOBが持ち上げた企画だったのかもしれない。 でも、この先輩もこの部では威厳があったかもしれないが所詮は”ワンゲロ”なので、後々にブチ上げる企画といえば山行ではなく『ル・マン24時間耐久マージャン』に変わっていたのであるが・・。
さて、OB連中はOGも含めて5~6名参加していたが、いくら『小学生レベル』といっても毎日訓練をしている現役に比べたら遅れをとると思ったのか、高座ノ滝前の茶屋まで車やタクシーで行き、早めに登山開始していた。 現役は阪急芦屋川駅から徒歩なので、高座ノ滝茶屋まての所要1時間の差が取れる訳である。
でも、現役のワテらがOB連中に抜かれたらシャレにならん・・どころか、イッキに廃部へと流れ始めるだろうしィ。 ・・と言う事で、駅で参加するOB連中と顔合わせをすると、OB連中は前述の様に車に乗り込んで消え去った。
現役の連中は9人(後ほどに1名追加入部があって10人となった・・ この10人目が我が部では珍しく”バロム1”な奴で、コイツは国体の大阪大会のクロカン部門で入賞する位の体力バカだった)で、恥ずかしくも「オールファィト!」と掛け声を上げながら、芦屋の超高級住宅街を闊歩していった。
もしかしたら、OB連中はこれに付き合わされるのが嫌だったからかも。
この界隈で単独で”オールファイト”
と叫びながら闊歩すると
派出所に連れてかれますよ
でも、この頃だったか・・、この芦屋の高級住宅街で令嬢誘拐身代金要求事件があって、『高校生による小学生の遠足』レベルの連中は、その話題にキャイキャイと言っていたよ。 その話題でも印象的なのは、ある『伝説』の事だ。
それは、ウチの学校のOBで芦屋令嬢との『逆玉の輿』を夢見た野郎が、芦屋令嬢と出会いを求めるべく毎日原チャリでこの高級住宅街へ通っていたという『奇怪伝説』である。 真偽は定かでないが、本気でこれで芦屋令嬢のつき合いのキッカケができて『逆玉の輿』に乗れると考える、我が高校のオツムのレベルの低さが如実に表れた『伝説』でもある。
まぁ、このように掛け声も程々に、下世話な話をキャイキャイしゃべくっていると高座ノ滝の茶屋に到着。 まぁ、この時は、さすがにここでジュースを飲むほどに統率が乱れてはいなかったが・・。
その高座ノ滝は、卒業してから撮影したモノを掲載しておくとしよう。
これ・・確か
我が『日本百景』の六甲山の
編集で撮ったヤツだな
文章との雰囲気合わないので
掲載しなかったけど
高座ノ滝からは『芦屋ロックガーデン』を形成する地獄谷を登っていくが、このロックガーデンが超『お子様コース』で、「これをヘバるようでは永遠に山は諦めなさい」と言わしめるルートであり、この地獄谷で遭難しようものなら吊し上げられて『山の恥』・・いや『人としての恥』と揶揄される人生へと追いやられかねなかったのである。 この頃にこの地獄谷で遭難した奴は、かなりどぎつく罵られていたなぁ。
天然なのか・・『作り物』なのか
微妙な眺めの芦屋ロックガーデン
※ グーグル画像より拝借
ロックガーデンの見どころはコレかも
※ グーグル画像より拝借
この『芦屋ロックガーデン』を登りつめると、鉄塔の立つ高みを越えて京阪神の夜景の絶好の展望台・風吹岩へ。 こちらの夜景は、次回のよも”ヤマ”話で取り上げるとしようか。
ゴルフ場区間の楽しみは
コイツ等”ウリ坊”かな
※ グーグル画像より拝借
後は、登山道よりゴルフ場裏のネットが至近距離で目に入る見栄えの悪いルートを通ってひと登りすると、ササの草原が広がる東おたふく山のなだらかな山頂が見えてくる。 その様相は、霧ヶ峰の山頂に似た穏やかな情景だった。
それに感化されたのか・・、それともこれを見て『クワムラハムの子』が発動したのか・・、不意に駆け出し始める。 でも、あの時と違うのは、部の半数近くの奴が同じく駆け出して登頂の『ピン争い』をし始めた事である。
頂上にはタクシーで高座ノ滝までを端折って先行して登っていたOB連中がひと息ついていた。
でも・・、部の半数の奴が駆け出し始めたのは、たぶんこのOB連中を待たせているからではなく、中学の時に『運痴の肥満児』だったワテと同じくの『負け組だった奴の意地』だったように思える。
あの頃の『運痴の肥満児』の意地か・・
頂上に向かって思わず駆け出していた
※ ウィキペディア画像を拝借
・・で、その『ピン争い』は、普段の部活の席次と同じく3着で終わったが、この1ヶ月の間の訓練が少しは効いてきているのか、砂を入れたザック(現役は訓練の為に、ザックに砂を10kg程入れたのを担いでいた)を担いで走れたよ。
この広い丘の上が
新歓コンパの会場となった
※ グーグル画像より拝借
頂上で軽食にブタ汁を拵えて(ホエーブスとナベ・食料担当の奴は砂担ぎは免除)、OB連中や先輩連中と懇談・談笑して、大成功の内に『新歓コンパ山行』を終える。
帰りは、OB連中はチリジリに分かれて各自に下山していき、ワテを含めた現役の連中は保久良神社より阪急岡本駅へ戻る。 OB連中は、恐らく芦有道路に待たせている送迎の車で降りたのだろうね。
東おたふく山から30分で車道だし・・ね。
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