風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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よも”ヤマ”話  第3話  愛宕山

よも”ヤマ”話  第3話  愛宕山 〔京都府〕 ’83・4 
愛宕山 924m〔名峰次選 1峰目〕


嵐山・渡月橋と愛宕山
※ ウィキペディア画像を拝借

第2話の霧ヶ峰と違ってほとんど憶えていないのが、今回取り上げる愛宕山である。 まぁ、この山のレベルは『小学生の遠足』程度の山で、登山やハイキンクといった志向よりは、神社・仏閣や旧跡めぐりなど歴史探訪の志向の方が強いだろう。


月輪寺
愛宕山は歴史探訪の志向の山だ
※ ウィキペディア画像を拝借

筆者のワテも、山の登山レベル通りの『小学校の遠足』で何回か行った事はあるが、それこそ「いつの何年生の時の遠足」かも定かでないし、そんな状態だから全く記憶もないので、『小学生の遠足』での登頂は無視する事にしよう。

・・で、唯一憶えているのは、第2話で語った「霧ヶ峰でピンを獲った」快感が忘れられなかったのかどうかは定かでないが、高校に入っても『運痴の肥満児』の立場は変わらないのに、何を発奮したのか体育系のワンダーフォーゲル部に入部しちゃったのである。


空也ノ滝
これはなかなか
※ ウィキペディア画像を拝借

まぁ、これが、いつも『過去の栄光』にしがみつく筆者の拠り所である『奇跡の体力』発動の序曲だったのであるが。 言っては何だが、『運痴の肥満児』があれほどまでに変化したのは、筆者(タワケ)本人の眼からしても『奇跡』という言葉以外には形容できない”現象”だったよ。 でも、垂直飛びの最高が33cm、走り幅跳びで生涯3mの壁を越えられなかったなど、生涯通じて『運痴』であった事には変わりないが。

・・で、その体育会のワンダーフォーゲル部(これ以降 W・V部と表記)に入った『運痴の肥満児』であるが、このW・V部は受験を控えた3年生のみで2年生はおらず、言うなれば”潰れかけ”のクラブだったのである。 そう・・、この当時の流行り言葉となった「ダサい」「クサい」「イモい」を地でいくオーラを放つクラブであった。 そして、他の生徒たちもこのW・V部を親愛をこめて”ワンゲロ”と呼んでいたのである。

そういった”潰れかけ”のクラブであるが故に、現役である3年生の先輩達は、新入生を逃すまいと部員として定着するまでは甘々の対応だったのである。 そして、入ってきた新入部員(ワテと同期ですね)も小粒揃いで、どちらかと言えば中学時代をワテと同じく『負け組』として過ごしてきたような連中ばかりだった。

・・で、3年の先輩達は部を存続させるべく、新入部員の中でも一番生真面目そうなのを早くも『部長』に指名するなど、新入部員が定着して逃げられないように工作して去って(引退)いったのである。
その生真面目そうな奴は人望があったようで女の子の部員も2人入って来て、”潰れかけ”のクラブは新入部員ばかりではあったが10名の大所帯となったのであった。

・・で、この生真面目な『部長』に任命された奴が初めて組んだ山行が、今回取り上げた『愛宕山』だった訳である。 だから、最初は運動部とは思えない程の『運痴』の連中か集まった文字通りの高校生による『小学校の遠足』であった訳である。


当初は『小学校の遠足』レベルの
活動だった我がW・V部

そして、この部の一員となった『運痴の肥満児』であるが、そこでは信じられない光景に遭遇したのであった。 まぁ・・、これが『奇跡の体力』の芽になった・・といってもいい位の衝撃的な事だった。
それは、何と・・持久走などで、女の子を除く野郎8人中で4番目の中位をキープできたのである。
体育イベントの時に、グランドの隅で砂絵をホジっていた『運痴の肥満児』の下に4人もいたのである。 「下には下がいるもんだ」と心底思ったよ。

これは、この『運痴の肥満児』にとって大きな自信になったのだろう。 そして、ワテの出た高校には100段の階段があり、W・V部の鍛錬にはザックに砂をつめたのを担いで昇り降りする『歩荷』というのがあった。 コレは何と2位か3位をキープする事ができ、いよいよ己の体力に対しての自信がみなぎる事となった。 そう言えば、この頃に逆上がりもできるようになったしィ。

そして、ワテの下の奴らも皆が上に這い上がろうとして頑張り、柄にもなくワテも釣られて部活だけは頑張ったよ。 でも、この『歩荷』は他の部活の連中からしたら、「ダサい」「クサい」「イモい」の”ワンゲロ”そのものだったのであるが。

・・で、フタを開ければ、真冬の北海道で駅寝をしたり、20kg以上を担いで山を駆ける事が出来る程の体力を有していたよ。 その『奇跡の体力』については、この”よもヤマ話”で幾度となく語る事があると思うので、その時々で語っていこうと思う。


KY(空気読めない)な”キモデブ”は
階段の段数数えなど周囲が
キモがる事を率先してやってたな
※ グーグル画像より拝借

話は大いに脱線したが、その部活の『ファースト山行』の愛宕山であるが、この時はまだ『奇跡の体力』発動前の『運痴の肥満児』で、女子に「キモデブ~」と貶されていた中学の”使えない”肥満児だったのである。 愛宕山の階段が何段あるか声を上げて数え、早速部員の女の子に「キモデブ」がられていたのである。


頂上にある愛宕神社
頂上まで段数を数えていたようである
※ ウィキペディア画像を拝借

まぁ、高校に入ってからもクラス活動や勉強には全く興味が湧かず、落第スレスレまで学校をサボりまくったし、それで”平日”に廃線となるローカル鉄道を訪ねる鉄道旅行にも行った。 でも、唯一W・V部だけは楽しくて、学校や授業はサボってるのに部活だけは出ていたな。 それで顧問の先公に疎んじられて、夏山合宿は参加させてくれなかったしィ。


中学時の『運痴』の肥満児は
高校に上がった1年の間に・・


保津峡に撮り鉄に行った帰りに
この清和天皇陵に寄って落合まで
16km歩けるようになってますた
※ グーグル画像より拝借

結構、高校時のワテ・・、尾崎豊の名曲『卒業』を地で行ってたようである。 でも、この歌の歌詞のように「俺たちの怒り」じゃなくて、「ワテ自身のみの気持ちの拠り所」だけを問うていたよ・・な。












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