2016-10-24 (Mon)✎
路線の思い出 第177回 小坂精練小坂鉄道・小坂駅 〔秋田県〕
いくらしらばっくれても
写真は心の奥底にある『後悔』を暴露してしまう
《路線データ》
営業区間と営業キロ 旅客営業廃止日 旅客営業廃止時運行本数
大館~小坂 22.3km ’94/10/ 1 5往復〔休校日は4往復〕
廃止年月日 廃止時運行本数 転換処置
’09/ 4/ 1 2往復〔濃硫酸輸送貨物列車〕 小坂鉄道・レールパーク
小坂駅(こさかえき)は、かつて秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字古川30にあった小坂製錬小坂鉄道の貨物駅である。 小坂鉄道の拠点となっていた駅で、駅構内には機関区、コンテナホーム1面1線、濃硫酸貯蔵タンクおよび濃硫酸荷役線があった。
濃硫酸は小坂製錬所から貯蔵タンクまでパイプライン輸送され、タンク車に積み込まれた後、海上出荷設備がある秋田製錬飯島製錬所(秋田臨海鉄道秋田北港駅隣接)に輸送された。
また、酒田港駅から苛性ソーダが輸送される事があった。
1994年まで旅客営業を行っていたため、廃止時点まで単式ホーム1面1線と駅舎が残っていた。
かつては、駅から小坂製錬所までの構外側線があり、鉱石や硫酸などが輸送されていたが、1983年に廃止された。 廃止後、駅施設を利用して「小坂鉄道レールパーク」がオープンした。
この路線は、廃止になってから「撮っておけば良かった」と後悔した路線である。
それは、旧国鉄の操車場入替用のDD13そのままの『DD130』なるディーゼル機関車が3重連でタンク車を牽引して峠越えする姿が魅られたからである。
でも、ガキの頃からのしょうもない先入観だけの脳内設定である『私鉄はパス』、『DD13は今イチ』という障壁で、ついに撮れず終いとなってしまったのである。 でも、雪の中を突くディーゼル機関車の3重連・・、迫力あったろうなぁ。
DD130の重連で牽引する濃硫酸輸送列車
※ ウィキペディア画像を拝借
その貨物輸送も、親会社の小坂精練が鉄道貨物輸送のコスト高に泣きを入れた事と、新式炉の完成により濃硫酸の発生がなくなって、製造品目を濃硫酸から石膏に切り替えた事により、産出製品の輸送が全てトラックで可能となった為に廃止となったのである。
・・で、訪れたのは、貨物列車運行休止の’08年2月から1年半後、正式に廃止となった’09年4月から半年後の’09年10月だった。 それも、《みちのくの滝めぐり》の”ついで”という、訪れるに当たって別にこじつけなくてもいい「訪れるべき理由」までつけて・・である。
あくまでもこの滝を撮る
”ついで”が訪問理由だった
まぁ、このタワケは、妙な所で偏固なのである。 要するに、己のしょうもない先入観が「間違いであった」、「後悔必至の愚かな思考だった」事を認めたくないが為に、必死で「後悔が元で訪れたのではない」という事を前面に押し出そうと足掻いている訳なのである。
廃止後半年時では
何ら手付かずに放置・・だった
そう・・、「現役時代の姿を魅れない後悔を拭いに来たのではなくて、滝めぐりの”ついで”に来たんだ」と自分に言い聞かせるようにしているのである。 まぁ、こんなどうでもいい「訪れるべき理由」を己の過ちを認めたくないが故に、必死になって覆い隠そうとするこの筆者(タワケ)も器が小さいなぁ。
まだ列車運行中の
閑散線の無人駅のような
・・で、秋に訪れたのだが、写真を撮ると・・隠し覆そうとした感情がモロに出てしまったよ。
写真で撮ると、いくら言葉や態度でしらばっくれても、本当の思いである『後悔』が出てしまうね。
要するに、そんな感情がファインダーを通した表現で如実に現れるんだろうね。
狙った訳でもないのに
哀愁を帯びたアングルに心の奥にある『後悔』が
そして、そんな感情が溢れる「秋の夕暮れ時」に訪れたって事も、必死に覆い隠そうとする『後悔』を自らで暴露する流れとなってたんだなと思えるのである。
広い構内に立派な駅、長いプラットホーム
かつてはこのホームを目一杯使って
荷の仕分けをしていたのだろうか
そう・・、悔いる思いが強ければ強い程に「それを認めまい」と強がってしらばっくれる・・、そんな小さな器な奴が筆者(タワケ)の『人となり』で、写真はその心を見透かす『真を写す』鏡なのかもしれないな。
※ この駅の訪問記はコチラをどうぞ。
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