2016-10-16 (Sun)✎
よも”ヤマ”話 第2話 霧ヶ峰 〔長野県〕 ’82・6
霧ヶ峰・車山 1925m
霧ヶ峰は中学校の集団ハイキング向けの
優しい山容の山だ
※ ウィキペディア画像を拝借
この霧ヶ峰に登ったのは、中学の修学旅行で信州の白樺湖や車山高原をめぐった時の集団ハイキングでの事だった。 それは中学の集団ハイキングって事もあり、到底記事に書き記すような登山の出来事は生まれるべくもなかったのである。 だが、この修学旅行の集団ハイキンクでしかない霧ヶ峰登山を、ワテは明確に憶えているのだ。 その「何故、明快に憶えているか」を語っていこうと思う。
中学の修学旅行で登った
霧ヶ峰のルート
この頃のワテは、高校の『W・V部』在籍中に芽生え始めた『奇跡の体力』も未だ発動しておらず、集団ハイキング程度の登山レベルとはいえ登山に挑む立ち位置としては、かなり・・というか全くもって『運痴』(運動音痴)で”使えない”肥満児だったのである。
そう・・、それは同じ年の皆が簡単にこなす『逆上がり』もできず、50m走は10秒以上かかり、走り幅跳びでは3mを越えた事がない(これは生涯通じて・・の事となったが)などの徹底的な『運痴』ぶりだった。 その時の様子をチョロっと記した記事があるので、宜しければ見てネ。
たぶん、中高年の域に入ってヘタリきった今のワテの方が、この時の”使えない”肥満児より運動神経も反射神経も上だろう・・と思う。 だって、今のワテ、逆上がりできるしィ、懸垂も2回くらいはできるしィ。
そのせいもあって、性格は卑屈になりクラスでも浮き気味の存在であった。 そしてこの『運痴』なガキは、極力どころか全くクラス行事に関わらないようにしていた。 それは、身体能力の劣る己の身を守る為に・・であるのは言うまでもない。
高校受験を控えた3年となると受験の憂さを晴らすべく、幾度となくクラス対抗のレクリエーションが催されていた。 それは、クラス全員参加のクラス対抗ソフトボール大会やバレーボール大会などで、クラスのリーダー格の連中は勝負事となると結構熱くなっていたが、極力どころか全くクラス行事に関わりたくない”使えない”肥満児にとっては『迷惑千万』な事であった。
だから、いつもこういう催しがあると、運動場の隅やコートの端で砂絵描きに興じて(逃げて)いた。
そして”出番”が回ってくると、さっさとミス・凡打をして定位置の運動場の隅で砂絵に興じていたのである。 勝負事に熱くなるクラスのリーダー格の連中も、「アレは使えない豚だからしゃあない」と凡ミスに対してブチ切れる事もなかった。
そして、勝負が懸かる重要な場面で出番が回ってきたら”喜んで”代ってやったし、「代れ!」と言われるとクラス対抗の義務である全員参加のメンバーから”喜んで”外れた。 こういうクラス行事に関わらない事こそ、この”使えない”肥満児の自らの身を守る『処世術』だったのだ。
その”使えない”肥満児が何故に修学旅行ごときの集団ハイキングを明快に憶えているか・・というと、この集団ハイキングで”使えない”肥満児が一発奮起して『登頂一番乗り』、運動において恐らく人生で初めての『ピン』を獲ったからである。
人生始めての『ピン』を獲った
霧ヶ峰の山頂
※ グーグル画像より拝借
だが、クラスの他の連中は勝負事ではない登山には”嫌々”帯同しているに過ぎず、『登頂一番乗り』を張り合う奴など皆無であった。 まぁ、そのせいもあって、こんな”使えない”『運痴』の肥満児が『ピン』を獲れたのではあるが・・。
でも、それを祝う者などクラスには誰もいない。 それどころが「豚がなに張り切っとるんじゃ!」と、白い眼で見られていた。 クラスの女子も「キモデブ~」と貶げずんだ視線だったよ。
そして先公も、「いつもヤル気の無い奴が何を・・」と訝った視線だった。
でも、コレって、〔名峰次選〕のファイナル峰を踏破した時のシュチュエーションに少し似ているな。
そう・・それは、目指す者が誰もいないワテだけの『オリジナル』である〔名峰次選〕の峰々に「ワテが完登した」という、ただそれだけの「誰も見ていない」し、「祝う者は誰一人いない」フィナーレである。
それを一人でニヤつく、「我一人だけの喜び」であった。
『クワムラハム』のCMシーン
※ グーグル画像より拝借
この記事を書き記していて、ある関西ローカルのテレビCMのシーンが頭に浮かんだ。
それは、『クワムラハムの子』のテレビCMである。 そのCMの内容は、「♪クワムラハムの子ガンバるゾ~」のCMソングに乗って当時の筆者同様の”使えない”肥満児の容姿の子が、出来なかった鉄棒の『逆上がり』を放課後に何度もチャレンジした末に、見事に『逆上がり』が出来るようになる『サクセス・ストーリー』なのである。
でも、この『クワムラハムの子』は『ガンバるゾ~』だけれど、この”使えない”肥満児は誰一人張り合う奴のない状況で労力無く達成した”ごっつあん・ゴール”だし、『クワムラハムの子』は『負けないゾ~』だけれどこの”使えない”肥満児の立ち位置は明らかに『負け組』だし・・ね。 そして今も、収入面や地位に関してはやや『負け組』だしィ。
また『クワムラハムの子』は『諦めないゾ~』に至っては、”使えない”肥満児は進学先も学力に応じて無理をしない”流されるまま”の状況を受け入れてたし、今も「できないと思った事は即座に諦めて別の手を探す」という思考だし。
この頂上へ続く坂道が
ワテの山物語の序曲になったのかも
※ ウィキペディア画像を拝借
でも、最後の歌詞の『クワムラハムの子』は『トコトンやるゾ~』だけは、相通じるものがあった。
それは廃止ローカル線を追う為に冬の北海道で駅寝したり、名峰へ登る為に仕事をなげうって放浪したり・・と、良い悪いはともかくとして吉田拓郎の唄にある「この身を賭けても・・、全てを捨てても・・」って思いに通じる『トコトン』ぶりだったと思う。
・・この競う奴のだれもいない”ごっつあん・ゴール”の『ピン』を獲った事が、これより先の山物語の序曲となったのか・・は知る由もない。 でも、高校に入って明らかに『帰宅部』と考えていたワテが、『W・V部』という運動系である山の部活に入った事をみると、少しは『ピン』を獲る快感や達成の喜びといった味を占めていたのかもしれないね。
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