2016-10-10 (Mon)✎
路線の思い出 第175回 白糠線・縫別駅 〔北海道〕
原野の中に駅があった
縫別駅
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度(’79) / 営業係数(’83)
白糠~北進 33.1km 123 / 3077
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
’83/10/23 白糠町営バス 3往復
縫別駅(ぬいべつえき)は、北海道白糠郡白糠町茶路基線にあった旧国鉄・白糠線の駅である。
白糠線の廃線に伴い1983年10月23日に廃駅となった。 廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する駅で、ホームは線路の東側(北進方面に向かって右手側)に存在した。 開業時からの無人駅で駅舎はないが、ホーム南側の出入口附近に待合室を有した。
1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は15人。 駅跡は牧草地の一部になっている。
2015年3月29日に駅跡の北側に道東自動車道の白糠インターチェンジが開業し、国道392号線と接続している。
北海道の路線らしい雰囲気の中で
これは『第71回 白糠線 上茶路駅』からの続きである。 上茶路駅で、マンガのような『オチャメ』をかます駅寝で夜を明かす。 目覚めたなら、学校サボってまで来た甲斐がある絶好の朝景色が広がっていた。 さわやかな青空と豊かな自然をバックに3往復の朝1往復を撮って、その列車に乗り込んで橋梁が白糠線内では最も多い次の縫別に向かう。
翌朝、この列車に乗って隣の駅・縫別へ
縫別駅に着いたものの、白糠線の列車は僅か3往復。 次の撮影可能の列車・・というか、この日に撮影可能列車は、午後を回った14時過ぎの”2番列車”1往復しかない。 縫別に着く朝の”始発列車”の到着時刻は7時半過ぎ・・。 即ち、縫別駅に降りた途端、7時間近くの”壮大なヒマ”に遭遇したのであった。
駅ホームに降り立った途端
大いなるヒマとなった
・・で、この当時の小僧だったワテは、未だ山の知識やグッズを十分に会得しておらず、この7時間を凌ぐ術は皆無の状態だった。 まぁ、今なら自炊用具など出して豚汁なんぞ作っていそうだが、いや・・シュラフを取り出して駅のベンチでマンガ雑誌を枕に寝ているかもしれないな。
だが、この時はシュラフもなく(上茶路での駅寝も、ゴザを敷いて服を着込んで腹に新聞紙を詰めてのゴロ寝だった)、自炊道具も当然持ち合わせていなかった。 要するに「白糠線を撮りたい」一心で、何も考えず何も準備せずにこの縫別駅に降り立ったのである。 そう、この日の朝飯も用意せずに・・。
白糠駅にあった乗換案内
縫別は白糠線を代表する駅だった!?
・・で、当然空腹で干上がってきた。 でも、まだこの頃は日本が豊かな時で、こういう酪農地帯でも雑貨食品を扱う商店があったのだ。 この商店の前には、2週間後から運行する白糠線廃止後の代行バスの停留所があり、この商店主の苗字がバス停名となっていた。 確かこの商店名は『佐々木商店』だったので、バス停名は『佐々木前』という事だ。
思い出多き縫別駅
話は反れたが、この雑貨食品店を見つけると即効で店のサッシ戸を開けて中に入る。
その中には、この浅はかなタワケが望んでいたカップメンや菓子パンが陳列されていたのである。
取り敢えずカップメンを買うべく声をかけると、奥からお婆さんが現れて「今食べるのかい? ならお湯が要るね」といって、湯を沸かしてくれた。
カップメンに湯を入れると”待つ事3分”が『お約束』なのだが、「店内で待つのも、食べるのも辛いだろう」と店奥の居間に招いてくれた。 そう・・、そこから、優雅な白糠線撮影日和が始まったのである。
今思えば再びキハ22に乗れた
ほどの幸運な出来事だった
『お約束』の3分が経ってカップメンをすすろうとするワテの前に、暖かい御飯とイクラが添えられていたのである。 『遠慮』という言葉が”My辞書”にないこのタワケガキは、やってしまったよ「3杯目はそっと出し・・」を。
そして、途端に豪華となった朝飯の最中、この周辺に来た理由を話していると、お婆さんから「列車の来る時間までここにいるといいよ」との『神発言』が・・。 こんな『遠慮』という言葉を知らないクソガキに、そんな温情見せちゃあダメだよ、お婆ちゃん。
・・で、当然昼までゴロ寝(駅寝で疲れてたのか腹一杯になったら寝てしまったよ)して、昼は焼き魚と卵焼きという『日本の昼飯』が振る舞われ、縫別駅に降り立った時の『地獄の7時間』は『幸福の7時間』と変わっていたのであった。
14時前の『セットアップタイム』まで好意に甘えまくり、撮影の合間に食うお菓子を買って意気揚々と白糠線の橋梁前にスタンバる。 でも、この遠慮知らずのタワケに、天からお仕置きが・・。
このタワケ・・、列車を待つ間の手持無沙汰を紛らわす為に、キャノンのカメラでは”触ってはいけない”と言われる『絞り込みレバー』をいじくってしまったのである。
AE-1の絞込みレバーをいじった後に
シャッターを押すとこういう画像となります
救済したけど画像ボロボロ
シャッターを押すとこういう画像となります
救済したけど画像ボロボロ
この『絞り込みレバー』はキャノンのカメラの代表的な『欠陥』で、絞り込んで被写界深度を確認すると、次の1枚の測光がメチャクチャに狂ってしまうのである。 学校サボってまでやってきた貴重な3往復の1本が、こんな風になっちまったよ。 言うなれば、ちょっとした不注意で一生モノの貴重なチャンスの半分をシクじってしまったのである。 まぁ、これは、帰って現像して判明した事だけれど。
北進行の1本を撮り終え、折り返しの1本は違う場所で・・と考え、上茶路方向へ歩き出す。
周りは酪農地帯で、そろそろ3時を回ったという事で牧場から厩舎へ牛を移動させているシーンに遭遇する。 写真に撮っていたみたいだけど、いいよな・・こういう純朴な風景は。
その内に”勝負”の折り返し列車の時刻となってきた。 狙うは、茶路川を渡る列車と付近を彩る紅葉のシーンだ。 結果はちょっとアングルが窮屈になったが、それはガキのウデだから仕方がないけど、一生涯の『お宝写真』の一つとなりましたね。
あの頃の持てる力を精一杯出して撮った
生涯に残る白糠線の『お宝』写真
約30年後・・これを目にして
少しの間タイムスリップした自分がいた
舗装も未だされてない田舎道を
上茶路までゆっくりと
後は、夕日が照らす中を上茶路までの7kmを歩いて、暮れ前に上茶路に着く。 上茶路では切符の委託販売をしている近所の方が車で駅の清掃をしにきていて、『お宝グッズ』の『上茶路から北進行き』の硬券切符をゲット。 しかも、白糠線廃止日の日付で・・(スタンプの自分押しだが)。
『お宝グッズ』の
『上茶路から北進行き』の硬券切符
・・縫別駅に降りたこの日は、一生涯でも貴重な『お宝』を得る事が叶い、自身の写真史でも貴重な一枚を撮れた『生涯忘れられない一日』となったのである。
この時はまだ
白糠線は生きていた
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No title * by 風来梨
きゃみさん、こんにちは。
私にとって白糠線は、「訪れる事ができて幸運だった」と思う心と「もっと追うべきだった」との後悔が交錯する路線ですね。
その思いが「我が青春のローカル線」として、廃止になって30年以上たった今でも、北海道に訪れたら度々遺構を訪ねていますね。
ここまでこの路線に思入れがあるのも、こういうエピソードがたくさんあったからでしょうね。
私にとって白糠線は、「訪れる事ができて幸運だった」と思う心と「もっと追うべきだった」との後悔が交錯する路線ですね。
その思いが「我が青春のローカル線」として、廃止になって30年以上たった今でも、北海道に訪れたら度々遺構を訪ねていますね。
ここまでこの路線に思入れがあるのも、こういうエピソードがたくさんあったからでしょうね。
No title * by 蜂蜜の風
おはようございます。
朝晩冷えまね。
外出時は暖かく。。
今日も良いいち日をお過ごしください(*^-^*)
朝晩冷えまね。
外出時は暖かく。。
今日も良いいち日をお過ごしください(*^-^*)
No title * by 風来梨
蜂蜜の風さん、こんばんは。
お心遣い有難うございます。 蜂蜜の風さんの四国の旧国鉄の写真をいつも楽しみにしてます。
お心遣い有難うございます。 蜂蜜の風さんの四国の旧国鉄の写真をいつも楽しみにしてます。
白糠線は九州の宮原線などと合わせて小さい頃の憧れの路線でした。廃止前に訪問は叶わず・・・
縫別でよい経験をされたようですね。雑貨屋があるのも奇跡的だと思うのに、心温かいおばあさんでよかったですね。