2016-10-09 (Sun)✎
よも”ヤマ”話 第1話 生駒山 〔大阪府・奈良県〕 ’78年頃
生駒山 642m
生駒山を望む
※ ウィキペディア画像を拝借
栄えある『よも”ヤマ”話』の第1話であるが、序章でも述べた通りに「ワテのこれまでの登山経歴を時系列で述べる方針」と述べた事もあり、最初にして思いっきり”ショボイ”山となってしまったよ。
それは”パッと見”では、もはや書庫消滅がカウントダウンされているような空気さえ感じる『第1話目』である。
でもこの生駒山は、ワテの登山経歴の最初の第一歩の山なんだよね~。 まぁ、登った手段は「親に連れられて全区間生駒山ケーブルに乗って」で、約40年近く前の《生駒山上遊園地》にレジャーに行った時の事で、当然に山登りの概念すらない登頂であった。 そして、この生駒山での思い出は、山上遊園地で今は「著しく危険」で淘汰された絶叫系中の絶叫系マシン・『ローリングロケット』に乗った体験話である。
生駒山ケーブル 案内図
※ 近鉄のウェブサイトより
当時10歳になるか・・ならないか・・のガキであったワテは、この年頃のガキなら大抵抱く”小さな”度胸誇示に余念がなかったようだ。 根性のある事、勇気のある事を過激な絶叫系コースターに乗る事で誇示するような年齢に応じた”小さな”ガキであった。 まぁ、数十年の時を経た現在も”小さな”野郎という立ち位置は変わらないが・・。 いや・、”あらゆる事で”という冠詞がつく分だけ、ガキの頃より劣化してる・・かな?
・・で、ただのジェットコースターだけでは物足りず、『適用年齢・12歳以上』(だったと思う)というのをブッちぎって、絶叫系の禁断の大物である『ローリング・ロケット』に手を伸ばしたのである。
絶叫系の禁断の”大物”
『ローリング・ロケット』
※ グーグル画像より拝借
今まではジェットコースターなどの絶叫系乗り物は”屁”てもなかったこのタワケの前身であるが、さすがにコリは顔面蒼白になったのを憶えている。 それは今の安全性を重視して幾分回転を緩和したモノでなく、全力”フルハウス”の『ローリング・ロケット』だったからである。
今は1990年代に頻発した絶叫系マシンの事故の為に絶叫系マシン自体が淘汰されつつあり、『ローリング・ロケット』のような超ド級のモノは、回転制限を加えたモノが数か所の遊園地に残っているのみだ。
コレに乗った後
絶叫系に”感じる”ようになったよ
※ グーグル画像より拝借
その『ローリング・ロケット』だが、その絶叫度は半端ではない。 それは写真に記した説明の様に、主軸の大回転に加えて搭乗部となる先端も回転するので、搭乗者は上下回転に加えて左右回転の衝撃が加わる『キリ揉み墜落系の衝動』を受けるのだ。
もうこんな危険なシロモノは
遊園地には設置されないだろうね
※ グーグル画像より拝借
もう、このマシンを乗り終えた直後は、完全に足に来てフラフラだったよ。 これに乗ってからは、少し絶叫系が”感じる”ようになったよ。 まぁ、全く乗れない・・って程ではないけどね。
生駒山の一等三角点
※ ウィキペディア画像を拝借
あらら・・、『第1話』は山とは全く縁のない話となっちまったね。 でも、だから『よも”ヤマ”話』なんだよね。 取り敢えず山上遊園地内にある生駒山の三角点は、7~8年ほど経った高校生の時に足跡を着けた(足で踏んで踏破)よ。
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