風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第172回  米坂線・玉川口駅

路線の思い出   第172回  米坂線・玉川口駅  〔山形県〕


駅が廃止になっても
駅名標は一時放置されていた

《路線データ》
    営業区間と営業キロ            輸送密度  /  営業係数(’15)
   米沢~坂町 90.7km                 388   /   258
運行本数(’19)
  米沢~坂町 5往復【内1往復 新潟~新発田 快速〔べにばな〕(米坂線内は各駅停車)】
  米沢~小国 1往復  米沢~羽前椿 3往復  小国~坂町 1往復 
  米沢~岩泉 下り1本・上り2本《土曜・休日1往復増》

玉川口駅(たまがわぐちえき)は、かつて山形県西置賜郡小国町大字小渡にあった、JR東日本・米坂線の駅である。 利用者減少のため、1995年に行われたダイヤ改正により花立駅と同時に廃止となった。

開業当初は列車同士の行き違いも可能で駅舎も有していたが、廃止の時にはすでに単式ホーム1面1線に旧駅舎を縮小してできた待合所があるのみだった。 多くの普通列車がこの駅を通過しており、停車列車はわずか2往復しかなかった。 かつて列車同士の行き違いが可能であったため、現在でもこの駅のあった部分で米坂線の線路は曲がっている。

玉川口駅の名勝案内
信じられない事に登山バスに接続していた

また、この駅の先の玉川橋梁の下から、飯豊山の登山基地である飯豊山荘までの道が延びている。
その事で駅が廃止されるまでは、形式上「飯豊山登山のアプローチ駅」となっていて、登山シーズン中は1日2本の飯豊山荘行のバス便に接続していた。



平成7年にこの駅が廃止になるまでに、もちろん降りた事はない。 だが当時は、意識が山に集中していた時期ではあったが、この駅には降りたいと思っていた。 そう・・、この駅からバスを乗り継いで飯豊山の『石転ビ沢雪渓』を登る計画さえ立てていたのである。 まぁ、その実行は自分の車で・・という事になってしまったが。


飯豊山”石転ビ沢雪渓”
標高差1000mの大雪渓を登る
痛快な登山ルートだ

なぜなら、それは惜しい!?事に、飯豊山の『石転ビ沢雪渓』を登ったのが駅廃止の翌年の1996年の夏であったからだ。 その時はまだ駅舎は撤去されておらず、保線要員の詰所として使われていたみたいなのである。 廃駅めぐりは山から下りたついでにしたものだが、確か駅名標さえも撤去されていなかったような・・。 とどのつまり、廃止されてから当分の間、『放置プレイ』だった訳ですね。


玉川口駅駅舎
廃止後1~2年は撤去されずに残っていた
※ グーグル画像より拝借

周囲を見渡しても、国道沿いにバス停のポールが建つ以外は完全な無人地帯で、ドライブインの廃墟が不気味にたたずんでいるのみだ。 道は羽越越えの主要国道である国道113号線なので、通過する車は結構あるが、ここで停まる車はほぼ皆無だ。 山から下りてきて、廃駅を訪ねるワテの車以外は。

そして、駅を抜けた小国側に荒川を跨ぐ大きな鉄橋があり、その鉄橋の袂には何らかの碑が建っていて、「これは山の鎮魂碑かな?」と思って写真を撮ったのも憶えている。 まぁ、この石碑は山の鎮魂碑ではなく、この鉄橋で起った雪崩事故の慰霊碑であるようだが。


慰霊碑を撮った後
山の神に掌を合わせると
いろんな思いが頭を過った

取り敢えず慰霊碑を撮った後、祀られている山の神(この時は山の鎮魂碑だと思っていたので)に掌を合わせると、周囲の廃屋ばかりが数件残るのみの荒涼とした情景と、過ぎゆく夏の山の情景、そして廃された駅も廃屋と同じくポツネンとたたずむ情景が一度に頭に浮かんできて、侘しい感情に包まれた記憶がある。


過ぎゆく夏山の
艶やかなるも寂しさを感じる情景

侘しい気持ちを払拭すべく、駅跡の保詰となった駅舎を見つめ、しばし撮り鉄をしている空想の中に浸る。 「この駅で撮るなら、駅ホームの突端に立って去りゆく列車を見つめるアングルがいいな」なんて、いっときの間妄想に耽る。


こんなアングルで
撮る事を瞑想していた
※ グーグル画像より拝借

でも、そんな妄想は侘しさを一層際立たせるだけだった。 もう、侘しさより抜け出したくて越後方面に抜けて、山を下りてからの楽しみである”山の後の温泉”をしたのを憶えている。 そしてその日の夜は、越後片貝の駅前で車寝をしようとしたら、地元の人が「狭い車の中はシンドいだろ・・、ここで泊まりなさい」と、駅に併設している公民館のカギを開けてくれたのである。


公民館と合築の越後片貝駅
※ ウィキペディア画像を拝借

この山を下りてのちよっとした”廃駅めぐり”は、侘しい情景から始まって、最後は地元の人の優しい心に触れて心が熱くなる貴重な体験として記憶に残ったのである。







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