2016-09-18 (Sun)✎
名峰次選の山々 第122回 『177 広河内岳 その2』 静岡県・山梨県
白峰南嶺(南アルブス国立公園) 2895m コース難度 ★★★ 体力 ★★★★ ・・のハズ
こうして、〔名峰次選〕踏破は翌年へ先送りとなってしまった。 その広河内岳への『ファイナルアタック』であるが、「やっはり」というか「またもや・・」というか、キッチリ『オチャメ』をカマシているのである。 それは、もう『遭難フラグ』立ちまくりであった。 それでは、その『オチャメ』を含めての〔名峰次選〕ファイナル踏破への道を語っていきましょうか。
これは、前回の残りファイナルの1峰を残しての『総集編』の最後に書き記したモノだが、その予告通りに「キッチリ」と『死亡フラグ』に近い『遭難フラグ』をおっ立てかます『オチャメ』をしでかしているのである。 それは最早、この筆者(タワケ)には『オチャメ』の神様が宿っているのではないか・・と思わせる位の「神懸り」的な『オチャメ』である。
それでは、その「神懸り」的な『オチャメ』を語っていきましょうか。 なお、記事のサブタイトルは、『コレってワザと!? 1つの山行で2度の神がかり”オチャメ”業』という、恥も外聞もないお題なのである。
今回の『オチャメ』マップでっす
メインサイトの山行記
『コレってワザと!? 1つの山行で2度の神がかり”オチャメ”業』より
《1日目》 最初の『オチャメ』でバテにバテて・・
去年のゴールデンウイークから数えて3度の先送りに見舞われた心理的最大難関の峰・広河内岳に登る時が、1年という時を隔ててやってきた。 1年という時をかけて念密にシュミレート(念密にシュミレートして何故オチャメるのか!?)した結果、広河内岳への最短ルートである大門沢から攻略する事に決めた。
去年のゴールデンウイークから数えて3度の先送りに見舞われた心理的最大難関の峰・広河内岳に登る時が、1年という時を隔ててやってきた。 1年という時をかけて念密にシュミレート(
登山口は、登山歴30年(30年やって、なぜ成長しないの?)のワテにして初めての《奈良田》。
この奈良田は南アルプス林道の南端部に位置する温泉郷で、ここは農鳥岳から大門沢を経て下降するロングランルートでのみ使える実質『下山口』で、登りは距離傾斜とも厳しい条件となるなど「このルートを登りで使うのはあまりメリットがない」と云われていた登山口である。
だが、着いた途端に、以前から云われていた「このルートを登りで使うのはあまりメリットがない」という事が、時と共に大いに変化している事を思い知らされた。 それは、温泉旅館街の先に設けられた急造の巨大砂利駐車場と、そこに駐車された登山者と思われる県外ナンバーの車群である。
だが、着いた途端に、以前から云われていた「このルートを登りで使うのはあまりメリットがない」という事が、時と共に大いに変化している事を思い知らされた。 それは、温泉旅館街の先に設けられた急造の巨大砂利駐車場と、そこに駐車された登山者と思われる県外ナンバーの車群である。
これは南アルプス林道がマイカー規制の処置を撮った事により、南アルプス北部の峰々の登山基地である《広河原》へ向かうには林道バスに乗り継ぐ事が必須となった為である。 この事によって南アルプス林道へのアプローチ点として、この《奈良田》が持てはやされ始めた訳である。 つまり、ここでマイカーを置いて林道バスに乗り継いで《広河原》に向かう事が、南アルプス北部の山への一つの『アプローチ手法』となった訳である。
その《奈良田》へは朝の9時前に着く。 深夜3時前に出て高速を飛ばしてきたので、かなり早い到着だ。 これより登山を開始する訳だが、この筆者タワケ 、本文で自らが言ってる事の「前夜アプローチの早朝登山開始」に平気で背いとるな。
その《奈良田》へは朝の9時前に着く。 深夜3時前に出て高速を飛ばしてきたので、かなり早い到着だ。 これより登山を開始する訳だが、この筆者
「今日は大門沢小屋までの4時間程の行程なので、これでもいいのだ」と、自分に優しい言い訳をブツブツ念じながら出発。 舗装された南アルプス林道を30分程伝うと、通行規制の門番が立っている《開運隧道》のトンネルに着く。 ここが大門沢ルートの登山口だ。
ここから傾斜を増した簡易舗装の道が沢に沿って続いており、それを伝っていけばいいのだが、何を血迷うたかこの筆者 タワケ は、路傍に遭った山の神の地蔵とピンクリボンに釣られて山肌への細い踏跡に入っていく。 この踏跡は山肌に手すりが設けられ、見た目は登山道然としていたのである。
手すりが設けられたつづら折りの急坂を1時間近く登ると、デカい導水管のある導水堰が見えてきた。
手すりが設けられたつづら折りの急坂を1時間近く登ると、デカい導水管のある導水堰が見えてきた。
タワケはコレを地図をチラっと見ただけでうる憶えの《第三堰堤》だと思い込み、更に上に登っていく。 やがて送電鉄塔が建つ高台に登り着くが、道とリボンはここで途切れていた。
間違って300m登ってしまったら
間違いなく300m降りなければならない
間違いなく300m降りなければならない
周囲方々を探しまわるが、今までは滑り止めさえあった道の内容が、人が歩くのも困難な急傾斜の山肌と微かに残る踏跡に変わっていた。 そして、ピンクリボンは下方向にのみ「花が咲いて」いた。
目指す南アルプスの稜線はアサッテの方向にそびえていた。 状況から鑑みる(鑑みなくても判ろうが・・)と、どうやら道を外したようである。 これで下りに1時間かかるとして、上り下りで都合2時間半と標高差300mの『大損』を漕いでしまったのである。
これを下っていくが、予想通り下りに1時間かかってしまい、戻り着いたのは11:30と厳しい時間帯となってしまった。 そして、この標高差300mを登降した徒労は、最後に疲労となってタワケの身に降りかかったのである。
これを下っていくが、予想通り下りに1時間かかってしまい、戻り着いたのは11:30と厳しい時間帯となってしまった。 そして、この標高差300mを登降した徒労は、最後に疲労となってタワケの身に降りかかったのである。
ちなみに、この間違えたルートであるが、これは導水管施設や鉄塔を保全する為の巡視道であった。
あのつづら折りにの急坂に設置された手すりや滑り止めのステップは、巡視するべくこの山道を登らざるを得ない電力会社社員の為だったのである。
さて、戻り着いた11:30。 本来なら限りなく大門沢ルートのクライマックス地点を歩いていそうなものだが、2時間半のロスで未だに登山口から500m歩いたに過ぎない地点に経っていた。
あのつづら折りにの急坂に設置された手すりや滑り止めのステップは、巡視するべくこの山道を登らざるを得ない電力会社社員の為だったのである。
さて、戻り着いた11:30。 本来なら限りなく大門沢ルートのクライマックス地点を歩いていそうなものだが、2時間半のロスで未だに登山口から500m歩いたに過ぎない地点に経っていた。
そして、この地点で昼飯のパンを頬っている・・とは夢にも思わなんだ。
道は下山者とすれ違うなど「どこをどうすれば間違うのか!」というレベルで、これを間違った筆者 タワケ は間違いなく『レジェンド』の領域に達しているな。 その道は途中から砂利道に変わり、大きな吊り橋の架かる砂防ダム工事の飯場まで続いている。
ここからこの飯場を避けるように山肌を伝って迂回し、先に見えた大きな吊り橋を渡り、砂防ダム工事で掘られて砂利で固められた河原の縁を伝って、再び正面に憚る丘山を高巻いて砂防ダム現場を越える。
この高巻きを越えるとダム発電所の取水口があり、ここまては電力会社の管理区域のようだ。
帰りには、登山者を誘導すべく電力会社の監視員も立っていたし。 この電力会社の管理管轄より出ると、ルートの状況はいきなりワイルドとなる。 その境界が、取水ダムのすぐ先にある吊り橋のようである。
吊り橋を越えると沢に沿って歩いていくが、『迷彩』となって前方の視界を遮っている小高い丘『を越えると、いきなり補助ロープ付の中途半端なハシゴ(崖の半分くらいしかハシゴがかかっていない)が現れ、それを越えると沢の渡渉点に出る。 見渡した所、桟橋はないようだ。 そして沢の水勢はそれなりに大きく、『アルプス』と標榜される登山道なら「桟橋が設置されて当然」な沢であった。
吊り橋を越えると沢に沿って歩いていくが、『迷彩』となって前方の視界を遮っている小高い丘『を越えると、いきなり補助ロープ付の中途半端なハシゴ(崖の半分くらいしかハシゴがかかっていない)が現れ、それを越えると沢の渡渉点に出る。 見渡した所、桟橋はないようだ。 そして沢の水勢はそれなりに大きく、『アルプス』と標榜される登山道なら「桟橋が設置されて当然」な沢であった。
だが、この登山ルートが要求する『ミッション』は「飛び石伝いに渡れ!」って事の様である。
敏捷な者ならいけるだろうが、身体が最も動く高校現役の頃でも垂直跳び33cm、走り幅跳びで生涯3mの大台を超えた事のない『金字塔』な身体能力のワテには無理だわ。
渡るのにしくじってハマっても
流されたりする事はないが
ヤル気はトコトン萎えて
ヤル気はトコトン萎えて
登山の継続はできなくなるだろうね
で・・、いきなりピンチが現れた。 ここは「沢にハマって濡れるよりマシ」と裸足になって渡渉すべく靴紐に手を掛けようとした瞬間、この沢を下山者が20m程上流にある流木を伝って渡って来たのである。
もし「違う所に登って3時間近くロスする」という『オチャメ』がなければ、下山者と会う事もなく靴を脱いでの渡渉を強いられただろうから、このルート間違いの『オチャメ』はチョッピリ身を助けたのである。 まぁ、こうでも考えないと、あまりにもアホ過ぎて途方に暮れちまうよ。 でも、時は刻々と(途方に)暮れ始めていたが。
この渡渉点を越えると、今度は切り出した大木を2本縛って踏板を打ち付けた簡易の丸太橋を2つ連続で越える。 この丸太橋の伝い渡りは苦労した。 ともすれば、橋のない沢を流木を支えに伝い渡りするより苦労したよ。 なぜなら、この丸太橋には引き綱が張ってあったが、コレが一部が水流に浸かる程に垂れていて使い道がなかったのである。
この渡渉点を越えると、今度は切り出した大木を2本縛って踏板を打ち付けた簡易の丸太橋を2つ連続で越える。 この丸太橋の伝い渡りは苦労した。 ともすれば、橋のない沢を流木を支えに伝い渡りするより苦労したよ。 なぜなら、この丸太橋には引き綱が張ってあったが、コレが一部が水流に浸かる程に垂れていて使い道がなかったのである。
その状況に加えて、歳と共に元から無かった平衡感覚が更になくなり(ちなみにワテ、片足屈伸できないし・・←恐るべき低身体能力)、しかもテント一式のデカザックによる『高重心化』に加えて、道間違えの疲れがカウンターとなって効き始めて足がヨロってきていたからである。
こういう所で落ちて沢にハマると、途端に気持ちが萎えて『ゲームオーバー』となってしまうのである。 だから、変なプレッシャーに憑りつかれたよ。 「もう、ブサイクでも落ちてハマるよりマシ!」と、一歩進む毎にピッケルを着いて三点歩行で凌ぐ。 約15m程の丸太橋を一歩づつ、2~3分という時間をかけて丹念!?に渡る。
渡り終えてひと息着くべく緊張の汗をぬぐったその傍らで、下ってきた高校生位のボンがスタスタとモノの数秒でこの丸太橋を渡る姿を見て、何故か瞼が熱くなったよ。 「これが若さというものか」と、『Zガンダム』時の髪の毛が薄くなりつつあったシャアの名セリフを呟いちまったよ。
この2つの橋を越えると、《八丁坂》という急登に差しかかる。 まぁ、傾斜のキツさは大した事ないのだが、道間違えの無駄な3時間を含めて都合6時間23kgの荷を担いで歩いてきた疲れと、先程の丸太橋の緊張がここにきて堰を切ったようである。
この2つの橋を越えると、《八丁坂》という急登に差しかかる。 まぁ、傾斜のキツさは大した事ないのだが、道間違えの無駄な3時間を含めて都合6時間23kgの荷を担いで歩いてきた疲れと、先程の丸太橋の緊張がここにきて堰を切ったようである。
この坂を登りつめるまではそれ程でもなかったが、登り終えて「残りの道程の確認」と地図を広げた途端に気持ちが萎えてしまったのである。 それは、まだ最後の吊り橋から半分程しかやってきていない事を地図を目にして「解らされた」からである。
気が萎えたら途端に足が重く進まなくなり、所構わず座りたくなる『ヘバリ』状態にマハってしまう。
こうなると、時間の経過が『5倍強』の感覚となるのだ。 つまり、そんだけ進まないのである。
「先程に地図を見て途方に暮れた」《八丁坂》の頂上丘に登り着いたのが15時過ぎで、大門沢の小屋に着いたのが17時過ぎ。 《八丁坂》の頂上丘で下山者の最後尾と思われる数人のパーティとすれ違ったのだが、このパーティが「小屋からココ(八丁坂の頂上丘)まで45分で来た」と話していた事から、通常で45分程度で歩けるところを2時間かかっていた事になる・・、それ程にヘバっていたのである。
「先程に地図を見て途方に暮れた」《八丁坂》の頂上丘に登り着いたのが15時過ぎで、大門沢の小屋に着いたのが17時過ぎ。 《八丁坂》の頂上丘で下山者の最後尾と思われる数人のパーティとすれ違ったのだが、このパーティが「小屋からココ(八丁坂の頂上丘)まで45分で来た」と話していた事から、通常で45分程度で歩けるところを2時間かかっていた事になる・・、それ程にヘバっていたのである。
でも、何とか明るい内に大門沢の小屋前に着く事ができたよ。 しかし、道を間違えたとはいえ8時間かかっちまったよ。 今日はトットとテントを張って夕飯を食い、疲れを癒すべくトットと寝よう。
明日は『本チャン』の〔名峰次選〕ファイナルアタックだし。 でも、明日はあんな事になろうとは夢にも思わなかったよ。
明日は広河内岳の上で魅たいなぁ
(何気に『遭難フラグ』立ててるしィ)
(何気に『遭難フラグ』立ててるしィ)
「今日で〔名峰次選〕完全踏破の達成だ!」
と疑う余地無く思っていた
と疑う余地無く思っていた
《2日目》 いつでも『オチャメ』をカマす不思議な性質
朝、目覚めると、またとない絶好の快晴。 この天気なら、通常なら『オチャメ』は有り得ないハズなのである。 でも、敢えて「ヤッちまう」のが筆者の『クオリティ』なのである。 しかも、その『オチャメ』のレベルは、片足を『死亡』にシフトした『遭難フラグ』なのである。 前日に述べた通り、今日は〔名峰次選〕のファイナル峰・広河内岳の踏破だ。
行程は稜線上にある《大門沢下降点》までの上り4時間と、広河内岳までの30分の稜線歩きだ。
コレを往復するのだから往復で9~10時間を要し、1日の行程としては「かなりキツめ」となるのである。 従って、久々に登山のセオリー通り、早発を心掛ける。
・・で、朝の手間を省くべく持ち込んだおにぎりで朝飯を済ませ、5時半にテント一式をテント場にデポって出発。 昨日のバテとヘバリで余計な血糖を落とす事ができたのか、始めの内は快調だった。
恐らく小屋をトップで出て、『荷物をデポした空身』という事もあって、始めの内は独走状態だった。
・・が、この独走は「何かにハマる」序曲でもあったのだ。
出発前に地図を軽く見て「一度沢に下る」という事を記憶してきたのだが、それが今回の『ツボ』となっちまったのである。 要するに、一度どころか延々とガレ沢をつめてしまった=沢筋を間違えたのである。
出発前に地図を軽く見て「一度沢に下る」という事を記憶してきたのだが、それが今回の『ツボ』となっちまったのである。 要するに、一度どころか延々とガレ沢をつめてしまった=沢筋を間違えたのである。
沢筋の間違い始めは急な登りの枯れ沢だったが登れない程でもなく、結構平たい岩で登り易かった事もあって、そのままズンズン進んでいく。 その時に思惑として抱いていたのは、「このコースはキツいルートだから、これ位の急登は当たり前だろう」という事であった。
でも、この時点で前方はともかく、背後に追随する人影もない時点で、普通の思考を持てば「道を違えている」という事が解りそうなのだが、このタワケは『オチャメ』をカマす事に関しては天性の素質を持っているようで、「前に見えるあの峰が広河内岳だな・・」と能天気に構えていた。
だが、目の前に大きな状の岸壁が立ち憚ると、本来なら農鳥岳のある右手に突き上げるハズの枯れ沢が、左に急カーブして突き上げていた。 そして、そろそろに傾斜も時々は『四つん這い』を強いられる程に急になってきていた。
だが、目の前に大きな状の岸壁が立ち憚ると、本来なら農鳥岳のある右手に突き上げるハズの枯れ沢が、左に急カーブして突き上げていた。 そして、そろそろに傾斜も時々は『四つん這い』を強いられる程に急になってきていた。
この状況に至ってタワケでもさすがに「道を違えている」と気付いたが、天気がすごぶる良かった事で心が『大らか』になって「道は間違えたが、このまま突き上げていけば縦走路にぶつかる!」と、薔薇色に膿んだ脳ミソが奏でる『花札の牡丹と蝶々』の如くの『アッチの世界』に浸っていたのである。
でも、普通は道を間違えた時点で引き返すモノなのだが、こういう所が行く先々で『オチャメ』をカマす『スーパー・オチャメゲッター』たる所以なのだろう。 その「このまま突破」の考えに至る大きな理由はもちろん、「せっかく登ったのに引き返すのは勿体無い」という下種極まる下心であるのは藪の中に。
沢筋を間違えて登ったのは気づいたものの
「こんなに登ったのに引き返すのもったいない」と
ゲス心を満開に出して更に墓穴を掘るタワケ
「こんなに登ったのに引き返すのもったいない」と
ゲス心を満開に出して更に墓穴を掘るタワケ
道は更に勾配がキツくなって同じ南アの角兵衛沢のような・・、いや、それよりもキツい《中ノ沢乗越》に突き上げる熊穴沢の様相を呈してきた。 途中からは、完全に『四つん這い』でないと登れない傾斜となり、更に下るのが困難な程になってきた。
要するに、『死亡フラグ』に昇格可能な『オチャメフラグ』が追っ立ったのである。 もう、考えとしては、「コレを下り戻るのは最早命がけだ」、「何とかあのハイマツの所まで這い上って、ブッシュを突破して縦走路に合流するしかないな」って事である。
でも・・見通しが暗くなってきましたよ
ピーカンのいい天気なのに
:
最後は『死亡フラグに変化する見込みの
ある遭難フラグ』がおっ立っちまったよ
ピーカンのいい天気なのに
:
最後は『死亡フラグに変化する見込みの
ある遭難フラグ』がおっ立っちまったよ
この『オチャメ』確定のアホ決意を達成すべく、岩崖の最上部にあるハイマツ帯まで這い上り、このハイマツの『草付』をよじ登っていこうとするが、ハイマツの上は完全にブッシュで人が通れる状況ではなく、仕方なくハイマツの草付の縁のハイマツ藁をつかみながらトラバース気味に詰めていく。
そうこうしてる内に、想定上のタイムリミットである11時を越えてしまった。 だが、稜線のハイマツ帯まであと50m以上ある。 仮にハイマツ藁を伝って稜線のハイマツ帯に詰めてもハイマツ帯のブッシュを突破できる保証はない・・っていうか、あのブッシュの状況では突破は到底無理で、とどのつまり「詰んでしまった」のである。
・・で、残るはこの浮石の壁を『命がけ』で降りていくしかなくなったのである。 浮石に乗って崩れて石の海に轟沈したら、たぶん溺れ死ぬだろう。 でも、死因は『窒息死』ではなく『全身打撲』であると思うが。
まぁ、とにかく、この下りを無傷で下りきらねば先はない。 そして、『命がけ』の区間はハイマツ藁のあるハイマツブッシュの草付より標高差にして150m位で、それさえ下りきれば「二足歩行ができる」、即ち滑り落ちるのを『四つん這い』で凌ぐ程の傾斜ではなくなるのである。
もう、ここは手法はただ一つ! 『伝家の宝刀・クマ下り』の抜きまくりである。 身体が滑り落ちるのを防止すべく『四つん這い』になって崖に身体を這わせて、三点指示を決めながら片足づつ足を下に降ろしていくしかないのである。
もう、ここは手法はただ一つ! 『伝家の宝刀・クマ下り』の抜きまくりである。 身体が滑り落ちるのを防止すべく『四つん這い』になって崖に身体を這わせて、三点指示を決めながら片足づつ足を下に降ろしていくしかないのである。
普通の人ならこの態勢は背中の痛みに耐えられなくなると思うが、タワケは雪山などでいつもこの下り方を駆使しているのでこの体勢に対しての慣れがあり、長時間の『クマ下り』耐性があるのだ。 いゃぁ・・、日頃から繰り返している『オチャメ』が身を助けましたねェ。←言ってて恥ずかしくないか?
そして、ほぼ一直線に下る事もあって確実に高度を下げ、何とか『デンジャラスゾーン』を下りきったのである。 『デンジャラス』区間を下りている時は時が止まったような感覚で、「『デンジャラス』区間の下りでは思ったほど時間はかからなかったな」と思って時計を見ると2時前だった。 熱中するあまり、時の経過が飛んでしまったのかもしれない。 でも、あれ程晴れ渡っていた空は曇ってポツポツと雨を見るようになってたし、12時ちょうどに下り始めてから2時間経っていたのである。
そして、ほぼ一直線に下る事もあって確実に高度を下げ、何とか『デンジャラスゾーン』を下りきったのである。 『デンジャラス』区間を下りている時は時が止まったような感覚で、「『デンジャラス』区間の下りでは思ったほど時間はかからなかったな」と思って時計を見ると2時前だった。 熱中するあまり、時の経過が飛んでしまったのかもしれない。 でも、あれ程晴れ渡っていた空は曇ってポツポツと雨を見るようになってたし、12時ちょうどに下り始めてから2時間経っていたのである。
後は二足歩行で下れるまでに傾斜は収まったが、所々で『四つん這い』が必要な所もあり、「よく登れたもんだ」と呆れる程のガレ沢である。 下っていくと、やがて正規のルートを歩く登山者のグループの姿が見えて、草付の崖をよじ登って正規のルートに這い上がり、この登山者の後を追う。
この時はいつも下りは遅いハズなのに、何故かこの登山者のグループに追いついたよ。 追いついたこの登山者グループの人達は、口々に「大門沢下降点から長くキツかったぁ~」と涼しい顔(ワテにはこのように見えた)で言っていたが、ワテは真剣に『死亡フラグ』がハタめく岐路を下って、キツいどころではなかったよ。
このグループに追いついた時のワテ表情は、今までリアルタイムで苦悶を体験した為か『遭難オーラ』を漂わしていたらしく、このグループの一人が「かなり疲れているみたいですね・・、飴食べます?」と心配してくれたのである。
・・で、その体験した『命がけのオチャメ』を話すと、「ケガはないですか? 小屋まで歩けます?」と真剣に心配してくれたよ。 正規ルートの上部からはワテの迷い込んだ枯れ沢が見えたらしく、一様に「よくぞあのガレ沢を・・」という事であった。 そして、間違ってこの沢に紛れ込んだ地点を写真に撮ってみるとよじ登らねばならぬ位の枯れた段滝となっていて、「よくぞここまで間違えた!アッパレ!」と自分自身の『オチャメ』ぶりを称賛したくなったよ、全く。
「・・でも間違うか? 普通」
この言葉が全てです・・ハイ
この言葉が全てです・・ハイ
後は何事もなくただ疲れて千鳥足となって、いや財布や車のカギを入れたズタ袋を置き忘れて後続の人に「忘れてるよ~」と届けてもらったりしたが、何とか無事にテントをデポった大門沢小屋に戻り着く。
でも、〔名峰次選〕のファイナル・広河内岳は、またもや踏破お預けとなっちまったのである。
結局、地図で見ると標高2600m地点までは登っていたようで、大門沢小屋に戻り着いたのが17時前だったので、11時間半のロングラン行程で『戦果ナシ』という散々たる結果となったよ。 唯一の特典としては、かなり疲れてたのでこの夜はグッスリ寝れたって事位だろうか。
まさか・・ 昨日と同じ場所で
富士山を魅るとは思わなんだよ・・(涙)
《3日目》 ファイナルアタックのやり直しが確定して・・
今日は下山だけなので何事もない。 ただ、下り途中にある沢を渡る丸太桟橋が嫌な感じであるだけだ。 昨日の19時前より10時間近く寝て、自然に目覚めたのが5時過ぎ。 ゆっくりテントを撤収して、出発は6時半。 「よくもまぁ、昨日石の海で滑落溺死しなかったなぁ」と思える程に桟橋を渡るのに手間取り、吊り橋前の砂防ダム飯場に着いたのが10時過ぎ。
今日は下山だけなので何事もない。 ただ、下り途中にある沢を渡る丸太桟橋が嫌な感じであるだけだ。 昨日の19時前より10時間近く寝て、自然に目覚めたのが5時過ぎ。 ゆっくりテントを撤収して、出発は6時半。 「よくもまぁ、昨日石の海で滑落溺死しなかったなぁ」と思える程に桟橋を渡るのに手間取り、吊り橋前の砂防ダム飯場に着いたのが10時過ぎ。
ここから一緒に歩く事となった年配のおじさんが、「広河内岳は天気が良くて良かったよ・・ でも、大門沢の下りはキツくて、大門沢小屋に着いたの5時だったから、広河内岳に寄ったら時間が厳しいよ」と、ファイナル峰・広河内岳の状況を教えてくれた。 会話の中で、「ぢ・つ・わ・・、その峰に行くつもりが、道間違えて死にかけたの」と語りかけそうになったのは藪の中に・・。
後は、11時過ぎに駐車場に戻って、帰るすがら《奈良田温泉》・・は定休日だったので《西山温泉》の露天風呂で汗流して、体重計に乗って計ると行く前より4kg減の65kg台という、今回の『遭難フラグ』における驚異のエネルギー消費量を実証確認して帰る。 でも、改めて思うよ。 「過ぎたる脂肪は力なり!」という、ワテの論法が正しかった事を・・。 『奇跡の体力』を有した最盛期は80kg近くあったしィ。
後は、11時過ぎに駐車場に戻って、帰るすがら《奈良田温泉》・・は定休日だったので《西山温泉》の露天風呂で汗流して、体重計に乗って計ると行く前より4kg減の65kg台という、今回の『遭難フラグ』における驚異のエネルギー消費量を実証確認して帰る。 でも、改めて思うよ。 「過ぎたる脂肪は力なり!」という、ワテの論法が正しかった事を・・。 『奇跡の体力』を有した最盛期は80kg近くあったしィ。
※ 次回はいよいよ『ファイナル』でっす。
元ネタの『名峰次選 ファイナル峰へ・・』は、一連の山行きの全てを載せていま
すのでコチラもどうぞ。
- 関連記事
-
- 名峰次選の山々 第123回 広河内岳 その3
- 名峰次選の山々 第122回 広河内岳 その2
- 名峰次選の山々 第121回 名峰次選 ファイナル峰へ・・
スポンサーサイト