風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  路線の思い出 >  路線の思い出 151~200 >  路線の思い出   第171回  日豊本線・宗太郎駅

路線の思い出   第171回  日豊本線・宗太郎駅

路線の思い出   第171回  日豊本線・宗太郎駅  〔大分県〕


駅名標は断然国鉄時代のがいい
※ グーグル画像より拝借

《路線データ》
    営業区間と営業キロ       輸送密度 / 営業係数(’15)        
  小倉~鹿児島  462.6km      9497  /   115
運行本数
佐伯~延岡
     特急 下り13本(延岡・宮崎空港行き)・上り14本(大分・博多行き)
     普通 佐伯~重岡 下り2本・上り1本、佐伯~延岡 下り1本・上り2本

宗太郎駅(そうたろうえき)は、大分県佐伯市宇目大字重岡にあるJR九州・日豊本線の駅である。
『宗太郎』という駅名は、江戸時代にこの地を領した岡藩からこの地区の管理を命じられた洲本宗太郎という人物の名前に由来するという。

相対式ホーム2面2線を有する駅で、互いのホームは跨線橋で連絡している。
無人駅で駅舎は無いが、かつては木造駅舎が存在して、その駅舎の基礎と改札ラッチが残っている。
時刻表は便所の外壁に張り付けられており、駅舎跡横に電話ボックスが設置されている。


なぜか撮ってた
便所の壁に貼られた3往復の時刻表

下りホームのみに待合所があり、側にはイモリの生息する池がある。 また下りホームには、当駅開業に尽力した初代駅長の功績を讃えた記念碑がある。 電話ボックスの側には井戸があり、「日豊線一うまい水」と書かれている。


駅舎は取り壊されたのに
なぜか改札ラッチは残っていた
※ ウィキペディア画像を拝借

大分県の最南端に所在する駅で山間部深くに位置し、いわゆる秘境駅のひとつに数えられる。
次の市棚駅との間には大分・宮崎県境があり、またJR九州の大分支社と鹿児島支社の支社境界も区切られていて、当駅までが大分支社管轄となっている。

停車する列車は普通列車の1日3往復のみで、1日の利用人数はわずか0.22人程度と極端に少なく、通常ならば廃駅となってもおかしくはないが、重岡―市棚間の区間距離が14.3kmと長い為、この間に列車の交換施設を残しておく必要から駅が存続・保持されている。

駅の存続理由である、特急「にちりん」号の列車交換での運転停車が一日数往復あるが、停車駅ではないので乗降扱いはない。



この駅は、もちろんであるが鉄道利用で下車した事はない。 立ち寄ったのは「誰もいないし、誰も来そうにない静かな仮眠場所」として、車を止めて仮眠する為である。 これは駅訪問カウントにおける『マイルール』の「車で訪れてもOK!」、「夜中でもOK!」、「足の爪先が駅の敷地に触れた時点で1駅下車認定」という、真面目に駅降り鉄をしている方からするとケツを蹴り上げたくなるような駅訪問カウント行使の駅訪問認定の駅なのである。

旅で車中泊するならば、今ならそのほとんどがウォシュレットトイレ完備・自動販売機完備の『道の駅』なのであるが、この頃は『道の駅』がまだ今ほどには充実しておらず、「トイレ完備で、安眠を妨げる如くの人の寄り付かない静かな所」というのは、筆者(タワケ)の認識では無人駅だったのである。

それに、駅舎があって寝転がれる長椅子完備の”育ちのいい”駅だったならは、狭苦しい車より出て駅舎の長椅子で足を伸ばして寝れる特典もあったし・・。 まぁ、この宗太郎駅は、駅舎もなく待合所も囲いだけの『最低レベル』の”育ちの悪い”駅なので、足を伸ばして寝る事は適わなかったのであるが・・。


駅舎もなく待合所も庇のみ
秘境駅にしては駅寝環境最悪・・
※ ウィキペディア画像を拝借

その宗太郎駅の所在する大分・宮崎県境の国道10号線を走ったのは、《尾鈴山瀑布群》という滝群を訪問する為の事である。 それは、夢中になっていたローカル線のほとんどが『廃止』という帰結となって鉄道への熱が冷めていた頃の事で、それと同時に筆者の生涯のプロジェクト・『日本百景』の編纂と取材を目論んでの旅の事であった。

当時は高速も大分までしか延びておらず、特に日豊本線と並走する区間は過疎化が激しく、国道10号線が唯一の道路であったのだ。 しかも、この国道10号線の大分・宮崎県境越え区間は、今の様なバイパスで抜けるようなモノではなく、山間のクネクネ道で異様に長く感じる道であった。

そして、通ったのはもう夜も9時を回った”夜中”に差し掛かる時間帯で、この何もない山間部の過疎地域で「車を止めて寝る場所」を至急に見つけねばならない状況にあったのである。
・・となると、前述の如く「トイレ完備で、安眠を妨げる如くの人の寄り付かない静かな所」=無人駅が筆頭候補場所となる訳である。

・・で、国道10号線を大分・宮崎県境に向けて走っていくと、『1日3往復区間』の駅が現れてくる。
でも、どういう訳か、その全ての駅が国道からは見えない位置に隠れた場所に所在してるのだ。
その様子は、「駅の場所を知られたくないのかねぇ?」と勘繰る程に迷彩がかっているのである。


行き過ぎて駅には立ち寄ってないけど
コレはパスだわ・・
※ グーグル画像より拝借

最初に駅付近を通りかかった直見駅だが、日豊本線の線路は時折見え隠れするものの、駅は見当たらない。 駅が見当たらぬまま「見落としたな・・コリャ」と感じた頃に国道より脇道が分かれ、その脇道を指し示す『←直見駅』の標識があったのである。 その脇道を覗き見ると、脇道に入ってかなり戻らなければならないようだったのでパスとした。


雰囲気は上々だが傷みが激しく
村の中心故に街灯が眩しくてパス
※ グーグル画像より拝借

次の直川は今は合併されて佐伯市となっているが、元は直川村の中心集落で駅舎の存在が期待できる駅だ。 だが、この駅も国道から、『直川入口』という分岐に入っていかねばならないのである。
・・その直川駅だが、駅舎はあったが取り壊し寸前だったらしく、継接ぎが目立つかなりのボロボロで駅寝もし辛く、しかも駅前は村の中心で、街灯が眩しく灯るなどロケーションが悪く感じてパスとした。
ちなみに直川駅の木造駅舎は、この時から1~2年後に解体された・・との事である。


ここにしとけば良かった
在りし時の重岡駅木造駅舎
※ グーグル画像より拝借

次の重岡駅も、国道から微妙に見え辛い位置に隠れていた。 駅舎は直川駅と同じ造りの駅で、駅寝をするにも車寝をするにも、この駅が一番適しているようであった。 だが、次の『宗太郎』という奇特な駅名に釣られて、筆者(タワケ)は”お約束通り”にキッチリと自爆したのであった。 その『宗太郎』駅は駅舎はないし、トイレは超絶ボットンだし・・は序の口で、駅への進入路は車一台がギリギリの急坂で、しかも途中で切り返さないと駅前に入れないのである。


奥の切り返しから先が
車が上れる限界に近い急坂だった
※ グーグル画像より拝借

この時思ったよ。 「駅名から浮かぶ理想の入り混じった妄想より、目で見て確認した事実(重岡駅)を選択すべきであった」と。


周囲は民家数軒の『限界集落』だ

でも、ここまできて引き返すのもムダだし、この山峡の寒村のロケーションは「誰一人と人が近づかない静かな安眠場所」としては第一級であるので、ここで車寝をする事にした。 切り返して車一台分の車庫の様な駅前スペースに車を止めてこの日をこの地で終える・・バズだった。

だが、車のシートを倒して寝に入ると、坂道に止めた車がものすごく傾いて、落ち着いて寝れないのだ。
これでは寝れないし、車が坂から転がり落ちるよう危険も重なって、車のタイヤ4輪に石をカマシて滑り落ちを防止して、サッカーのゴールマウス型の駅の待合所でシュラフを敷いて寝る事にしたよ。 この夜は、星が綺麗な夜でした。


このスペースが
この日の夜の車庫となりますた
※ ウィキペディア画像を拝借

明日はとにもかくにもこの秘境駅に立ち寄ったので、駅見学をしてから目的地の《尾鈴山瀑布群》めぐりに行くとしよう。 それは、次の記事『日本の滝を訪ねて 第145回 尾鈴山瀑布群』で語るとしようか。

秘境駅見学

『秘境駅』といっても電化路線なので
田子倉や深名線の白樺のような衝撃はない
※ ウィキペディア画像を拝借


「日豊線一うまい水」でなくて
「日豊線一怪しい水」なのでは?
※ ウィキペディア画像を拝借


ここに潜むイモリが宗太郎駅の
マスコットキャラになっている・・らしい
※ ウィキペディア画像を拝借



関連記事
スポンサーサイト



コメント






管理者にだけ表示を許可