風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  路線の思い出 >  路線の思い出 151~200 >  路線の思い出   第167回  予讃本線・堀江駅

路線の思い出   第167回  予讃本線・堀江駅

路線の思い出   第167回  予讃本線・堀江駅 〔愛媛県〕


かつては急行も停車した駅も
今や廃貨車駅に
※ ウィキペディア画像を拝借

《路線データ》
   営業区間と営業キロ     輸送密度 / 営業係数(’83)      運行本数
  高松~宇和島 297.5km     8085  /  260        堀江駅停車列車
                                普通上下とも毎時1~2本

堀江駅(ほりええき)は、愛媛県松山市堀江町にあるJR四国・予讃(本)線の駅である。
相対式2面2線(一線スルー)のホームを有する駅で2番線が通過線(制限速度100km/h)となっている。 廃貨車利用の簡易駅舎である。 無人駅だが、近距離用の自動券売機が設置されている。


かつては本四の”裏玄関”であった堀江駅
※ グーグル画像より拝借

かつては駅から徒歩5分程にある堀江港から、広島県呉市仁方港との間に仁堀航路が就航していたが、1982年7月1日に廃止された。 その後は呉・松山フェリーが代役を担っていたが、2009年6月限りで廃止された。 昭和40年代後半に無人化(簡易委託化)されるまでは、キヨスクや上記仁堀航路の乗り換え客に一時使用された比較的大きな待合室があり、一部急行列車の停車駅でもあった。



鉄道利用で四国に行くとするなら、四国に入って初めて立ち寄る駅は以前なら宇高航路経由での高松駅・・、瀬戸大橋線が開通した現在では坂出駅となるだろう。 だが、筆者は違った。
筆者が初めての四国で初の”足跡”を印した駅は、この堀江駅なのである。 宇高航路と高松の”四国三大走り”は、夜行列車の発車時間までの時間潰しの往復で乗っての『再上陸』だったりして。


在りし日の堀江駅舎
当時は夜になると灯りはなく
がらんどうで真っ暗な”不気味な駅”だった
※ グーグル画像より拝借

それは四国への進入経路が、今は無き『仁掘航路』を使って広島方向から瀬戸内海を渡ったからである。 何故に『仁掘航路』を使ったのかというと、四国に渡る前に岩日線(現 錦川鉄道)に乗るべくの”寄り道”をした為である。


カーフェリーとは思えぬ
”ずん胴”スタイルの
仁掘航路就航船『瀬戸丸』
※ ウィキペディア画像を拝借

その岩日線の立ち寄りは、四国周遊券で経路として認められていた『仁掘航路』を使わねば不可能であった。 なぜなら、岩日線の始発駅の岩国は岡山よりも・・、更に広島よりも西に所在するからである。
だが、この『仁掘航路』があったお陰で、広島周りで呉線に入るのは経路として認められていたので、岩日線に立ち寄るには広島から岩日線の終点の錦町までの出費だけで済んだのである。

当時のタワケ小僧は、これを思いついた時に”何て賢いんだ!”と思ったが、今思えば肝心な『仁掘航路』の足跡を”お金が勿体無い”と何一つ残さなかったタワケぶりが、今のワテにして顔を覆って悔しがる事となっているのである。 だから、今回の堀江駅や『仁掘航路』関連の写真は、全てウィキやグーグルからの拝借でっす。 悪しからず。


仁掘航路の”足跡”は
船のデッキで夕日を撮ったコレだけ

そして、その『仁掘航路』での記憶は、船のデッキで瀬戸内海に沈みゆく夕日を撮ったのと、最近逝去された千代ノ富士関が、大関として中入り後の土俵周り(横綱以外の関取が土俵を周る儀式みたいなの)の殿を務めていたのを船内のテレビで見た・・のしかない。


今や『しまなみ海道』の開通で
往来は頻繁となったが
あの当時は僅か1日2便のみ
※ グーグル画像より拝借

また、堀江港に着いた時はもう日が暮れていて、利用客が少なかった為か桟橋の通路の照明は消されて、暗闇の中を通った記憶がおぼろげにある。 記憶では、桟橋に寄せた船の灯りを頼りに桟橋の外に出たのである。 もし、これが記憶通りなら、今だったら思いっきり叩かれてるのではないかと。
でも、もう30数年も昔の中坊時代の”褪せた記憶”であるので、確認のしようがないのではあるが。


記憶では船の灯りを頼りに
真っ暗な乗船桟橋を歩いたのだが
事実は如何に!?
※ グーグル画像より拝借

駅へも街灯もない道を、街灯もない駅に向かって歩いた記憶しかない。 もちろん、桟橋から駅に徒歩で向かう『乗り継ぎ客』はワテ一人だったと思う。 『仁掘航路』の利用客はそのほとんどが貨物を載せたトラックか車とそのドライバーで、小僧だったワテのような『鉄道連絡船』としての利用は皆無だったのであるから。

あと、堀江駅で妙に憶えていた事が一つあった。 松山から高松に戻って夜行急行【うわじま】に乗る予定で、堀江駅から松山行の普通列車に乗り込む時の事だったが、完全に酔いつぶれたオッサンが、手動ドアの普通列車に向かって「開けろぉ~!」と喚いていたのを見た記憶である。

無人駅で編成の長い(当時はローカルな普通列車でも4~6両編成だった)列車に喚いても相手にされず、このオッサンは哀れにも置いてきぼりを喰らっていたようである。 でも、岩日線で手動ドアを体験をしていて良かったよ。


岩日線で”手動ドアデビュー”
しておいて良かったよ
キハ20やキハ55のオール手動ドアの
長大編成の列車もあったし

まぁ、「列車の扉は自動で開く」のが当たり前な都会育ちの小僧が、初めての旅でローカル線に乗りに来たのである。 岩日線で予めの『手動ドア』体験をしていなければ、この酔っぱらいのオッサンと同じ命運を辿っていたかもしれないし。 まぁ、初めてのローカル線の信楽線や名松線は、『自動ドア』のキハ58やキハ40だったし・・ね。

でも、昔は鉄道旅がやり易かったね。 当時の四国周遊券は10日間有効・急行乗り放題で、宇和島方面と中村方面に、オール座席車の夜行列車があったので宿代ナシに周れたし・・ね。 しかも、中村行は快速でグリーン車を無料開放していたし。

それでは、あまりにも借り物写真ばかりでは反感を買って、ただでさえない人気がトコトンまでに落ちるのを回避すべく御機嫌取りの一品を羅列しようかと。

人気凋落回避行動デス

自動ドアの急行【土佐】と
手動ドアのキハ20


急行【阿波】
10往復も走ってた
急行【阿波20号】なんて
今では有り得んな


急行【あしずり】
グリーン車(指定席扱い)も
編成された土讃線のエースだった


急行【いよ】
ちょっとブレてるね
でも中坊の写真だから堪忍ね


急行【むろと】
高松~徳島ノンストップなど【阿波】より格上だったらしい
でも、ノンストップで評定速度54.5km/hと遅かった


夜行もあった急行【うわじま】
これがあったお陰で
旅の行程が組み易かったよ


今は無き小松島線・小松島港(臨)駅に
停車中の急行【よしの川】

他にもDF50とか、バス窓のキハ20とか、”ゲテモノ”のキハユニとかあるけど、クドイので止めた。
ネタの使い回しの機会が減るし。←人類の英知を結集した不人気ブログの救命策でっす

関連記事
スポンサーサイト



コメント






管理者にだけ表示を許可