2016-06-14 (Tue)✎
路線の思い出 第155回 興浜南線・栄丘駅 〔北海道〕
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
興部~雄武 19.9km 203 / 1734
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
’85/ 7/15 北紋バス 6往復
栄丘駅(さかえおかえき)は、北海道紋別郡雄武町にあった旧国鉄・興浜南線の駅である。
興浜南線の廃線に伴い、1985年7月15日に廃駅となった。 単式ホーム1面1線を有する駅で、ホームは線路の内陸側を走る国道238号線に沿うようにして存在した。 無人駅となっている。 駅舎は存在せず、ホーム中央部分に待合所を有していた。
この駅は、北線を含めた『興浜線』の中で最もオホーツク海に近かった駅だ。 そして、始めての北海道旅に出る直前に、何かの鉄道雑誌(恐らく■道ジャーナ△〔危険なオタ雑誌なので一部伏字〕)で目にしたこの駅の表情に絆されて、「興浜南線の撮影場所はこの駅にしよう」と心に決めて旅だったのである。
持っている鉄道雑誌の写真から・・
でも、旅する前に見て絆された
写真とは別のモノ
だが、この"始めて"の北の旅は、写真を理解していない小僧ゆえの痛恨の大失敗の旅であった。
まぁ、撮った写真の全てがボツとなったこの失敗旅のお陰で、それ以降は『リベンジの鬼』となって何とか本願成就できたので、ワテ的にはこの失敗旅は貴重な経験だと思う。 失敗とその体験は成功の源だし・・ね。
この栄丘駅は、旅に出る前に目にした雑誌の写真以上に漂う哀愁を感じる駅だった。 海沿いに面して、掘立て小屋同様のボロボロの待合室が海を観つづけているかのようなシュチュエーション。
強い海風が吹くと、どこかしらからか軋む音が小さく響く。 もう、その姿を見続けると、いたたまれない感情さえ感じる。
強い海風に煽られると
ギシギシと軋み音が響くボロボロの待合室
その待合室を脅かす海風は、夏だというのに薄ら冷たい。 それは、筆者の住む内地(本州)の初冬に吹く風のように・・。 寒さに耐えれなくなり、"もしか・・"の為に持ってきたセーターを着込んだ事は明確に憶えている。
ガキの目でさえこのように感じるのだから、相当のインパクトのある駅だった。 周囲は駅の内側に国道が走るだけで民家はほとんどなく、北海道旅を"初体験"する小僧には心細い情景であった。
まぁ、今は徹底的に"アウトロー"で、こんな感情は完全に消失してしまっているが、小僧の頃はこの筆者(タワケ)にも人なみに心細く感じる感情はあったのだよ。
そういう心細さが先に立って駅から離れる事が出来ずに、駅の上に立って撮る事にした。
駅のホームに立って撮ると普通は"おざなり"なアングルでしか撮れないのだが、この哀愁漂う駅情景では、荒涼としたオホーツクの海をバックにするよりインパクトのあるアングルが取れる。 まぁ、この時はまだ小僧だったので、茫洋たる海岸をバックに構図をまとめる事が出来なかったかもしれないが。
コレはなかなかいいデキだよ
だが、そのインパクトのある駅での写真が、フイルムをASA(今はISO)感度に釣られて『160*T』を使ってしまって、青味がかかってしまって全てボツとなってしまったのである。 このフイルムの『*T』は、室内用タングステンフイルムである事を表す記号であったのだ。
旅から帰って即効で現像に出すが、この現像から戻ってきたリバーサルスライドのコマを見てさすがに頭を抱えたよ。 この旅で撮った『勝負写真』の全部が、青味が掛かっていて"使いモノ"にならなかったのである。
カメラ屋の方が、「厳しいけど、青味を消す為にマゼンダフィルターを掛けるの依頼して写真にする?」というので、藁をもつかむ思いでこの案を試してみる。 だが、カメラ屋さんが「厳しい」と言った通り、黄色みが掛かって余計に"使えない"モノに化学変化していたよ。
・・で、このフイルム間違いという痛恨のミスで、この旅の戦果はサブで持っていった『ペンタックスのMEスーパー』に詰めていたネガフイルムに撮った駅名標やら、行先サボやらの『B級写真』のみとなってしまったのである。
興浜南線は日の出岬でリベンジしたので
栄丘駅のカラーは車掌の好意で撮れた駅名標写真のみ
・・で今回は、この旅で撮ったボツ写真の中で、青味の弱いのを白黒にしたら何とか掲載できるレベルにサルベージする事ができるのが判ったので、そのようにしようかと。 逆光や影の強い露出アンダーモノ、逆に被写体が白のモノや露出オーバーで白飛びしてるモノも以外に青味がキツく、白黒にすると黒潰れになっちまう事も判ったよ。
でも、この旅の失敗で失ったモノは多く重かった。 失ったモノを羅列すると、『瀬棚線の神丘駅で』、『士幌線の糠平湖俯瞰シーン』、『広尾線の幸福駅と』、『標津線・平糸』、『渚滑線の滝ノ上渓谷を渡る』、『興浜北線の北見神威岬と』、『美幸線のジャガイモ畑の花と』、『富内線の日高町駅』、そしてこの『興浜南線の栄丘』と猛烈に痛い損失だったよ。 もう・・それは、ミッドウェーで空母4隻を失ったのと同じく。
まぁ、リベンジはリベンジで
『オチャメ』な失敗は数多くあるが・・ね
でも、士幌線・標津線・渚滑線・興浜北線・・と、この興浜南線はその後の『リベンジの鬼』となり学業と学生の本分をかなぐり捨てて、何とか取り戻す事が叶った。 それでも、『美幸線のジャガイモの花』とこの『興浜南線』の栄丘』だけは、トラウマのように後悔の念が心の奥底に漂っているのである。
取り敢えず
興浜南線のリベンジ作おば・・
※ 興浜南線については、『撮影旅行記集』の
『オホーツク縦貫鉄道の夢』より『興浜線区間』をどうぞ
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No title * by 風来梨
オータさん、こんにちは。
これをカラーにすると、室内用フイルムの特性である光や影に青味がかかってしまいます。
これさえなければ、あの時のウデは今以上だったかな・・と。 惜しい事しました。
でも、乗った経験があるだけ、リベンジができただけ幸せなんでしょうね。
これをカラーにすると、室内用フイルムの特性である光や影に青味がかかってしまいます。
これさえなければ、あの時のウデは今以上だったかな・・と。 惜しい事しました。
でも、乗った経験があるだけ、リベンジができただけ幸せなんでしょうね。
一度だけ1982年に 乗りに行きましたね。キハ22だけでなく、写っているキハ40も まだ新しかったはずなのに 煤けたタラコ色だったのは、画像のとおりでした。
風来梨サンのようにゆっくりジックリ 撮影したかったです。今になって後悔… ナイスを!!