2016-04-28 (Thu)✎
『日本百景』 春 第234回 荒れた春山・下山 〔長野県・富山県〕
今日は槍・穂高を見ながら
キツい尾根筋を降りていく
オチャメな・・鹿島槍・冬道顛末記より
春山を目指そう。 もちろん、何の訓練も無しに・・。 あるのは、もうとっくに使い果たして欠片もない、かつての遺産である10年前にあった体力の妄想だけである。 こんな事をしていてはいつか天罰が下るのが常道なのであろうが、ワテには類希なる悪運とゴ▲×リなみの生命力、そして天下御免の鉄面皮と、宇宙を駆けるレベルの『都合の悪い事は即座に忘れる鋭い忘却力』があるので、いつも何とかなっているのである。
行程は往復なので同じ地図で・・
例の『×地点』は本文を見てネ
行程記録 ・・本文の行程表と照らし合わせると、同じ人間のなせる業とは到底思えないね
《1日目》 扇沢駅(0:15)→柏原新道・登山口(1:00)→南尾根分岐(3:00)→尾根上
《1日目》 扇沢駅(0:15)→柏原新道・登山口(1:00)→南尾根分岐(3:00)→尾根上
(2:45)→ジャンクションピーク(1:30)→爺ヶ岳(2:30)→冷池山荘
《2日目》 冷池山荘(1:00)→布引山(0:55)→鹿島槍ヶ岳・南峰(0:50)→布引山
《2日目》 冷池山荘(1:00)→布引山(0:55)→鹿島槍ヶ岳・南峰(0:50)→布引山
(1:00)→冷池山荘
《3日目》 冷池山荘(2:00)→爺ヶ岳(1:20)→ジャンクションピーク(2:00)→尾根上
(3:00)→柏原新道・八ヶ見ベンチ(0:40)→柏原新道・登山口(0:15)→扇沢駅
※ 《2日目》の『第233回 鹿島槍ヶ岳・春山』からの続き
《3日目》 現物見ちゃったし・・ でも、山の情景も見れたし・・
今日も、朝4:45に起床となる。 だが今日は、『下山』という明確な予定がある。 それ故、昨日みたいにドッチ着かずでダラダラと飯を炊く訳にはいかない。 5時にはもうプリムスに火を着けていた。
今日も、朝4:45に起床となる。 だが今日は、『下山』という明確な予定がある。 それ故、昨日みたいにドッチ着かずでダラダラと飯を炊く訳にはいかない。 5時にはもうプリムスに火を着けていた。
そして、下山するのに持っていても無駄で重いだけの米飯食料を消費する事にする。 まぁ、この3食目の食料は針ノ木に向かうべくの時を想定しての食料で、南尾根でオチャメった大タワケ(筆者)には必要ないものなのである。
さて、朝飯は5時30分までには終えて、乾燥室の乾いた衣類を回収して着込む。 事は順調に進み、6時には出発体制が整った。 山荘で朝食を取る大半の宿泊者は、食後のミーティングで今日の天気の事を報じられたようで、口々に「今日もダメらしい」とガッカリしていた。
その山荘の天気予報は、今日も朝の8時から9時が悪天のピークで、「南尾根を下る方は扇沢側に迷い込まず、尾根を忠実に下って下さい」との事だった。 でも、昨日に天気概況を述べた山荘の大将はいなかったようだ。 この訳は後30~40分後に判るのであるが・・。
さて、小屋を出ると、チラチラ雪にそれなりに強い風だった。 状況としては、悪天とまでは言えないが何も見えぬ真っ白けの世界で、今日も山の情景はお預けっぽいのである。 2日前に真っ暗闇の中をカンテラをかざして通った冷乗越を越え、爺ヶ岳の肩へのジグザクの急斜面に取り付く。 2日前は完全な砂利ガレの坂道だったが、昨日に吹雪いて雪と氷と砂利ガレの斑模様となっていた。
今回の完璧な無駄で『死亡フラグ』を乱立させた20㎏(飯を消費した分、行きより軽くなってる)の荷物は、この坂道には応える。 でも、2日がかりで少しは山になれたのか、空身の一般登山者に何とか着いていく事が適った様だ。
・・で、このジグザクを登りつめると・・、今日の朝食直後の天気ミーティングにいなかった山荘の大将が立っていた。 その横の平らな岩の上には、赤いカッパに包まれたダッチワイフのようなのが転がっていた。 そう、昨日に「ブリった中で動けない」との『死亡フラグ』を立てていた現物である。
その骸をチラっと見たが、顔から妙な液体が噴出していて、それが凍っていた。
その姿は、魚市場でバラされるべく並べられたマグロの姿そのものだった。
警察の刑事連中の隠語で死体を示す言葉を『マグロ』というが、コレを見て納得する。
警察の刑事連中の隠語で死体を示す言葉を『マグロ』というが、コレを見て納得する。
マグロ
刑事連中の『仏さん』を指す隠語ですね
取り敢えず、吹き出た体液が凍って濁って白い目となった骸に合掌して、この場を立ち去る。
ワテも一歩間違えたら『死亡フラグ』が現実になっていたのだから、ちょっと気を引き締めよう。
まぁ、ワテが助かったのは、「一度通った事がある事で道を把握していた事」が大きいようだ。
あと、「絶対に山荘にたどり着くぞ」という強い気持ちも持っていたみたいだ。 最初に関越道のバス事故になぞって、「(ワテなら)、事故があっても何が何でも生き残る」と述べたが、命が助かるか否かは真にコレだと思う。 ちょっと生意気を述べたが、この気持ちは失う訳にはいかないだろう。 そう・・、何をするにしても・・である。
ワテも一歩間違えたら『死亡フラグ』が現実になっていたのだから、ちょっと気を引き締めよう。
まぁ、ワテが助かったのは、「一度通った事がある事で道を把握していた事」が大きいようだ。
あと、「絶対に山荘にたどり着くぞ」という強い気持ちも持っていたみたいだ。 最初に関越道のバス事故になぞって、「(ワテなら)、事故があっても何が何でも生き残る」と述べたが、命が助かるか否かは真にコレだと思う。 ちょっと生意気を述べたが、この気持ちは失う訳にはいかないだろう。 そう・・、何をするにしても・・である。
さて、ちょっとしたハプニングはあった(ちょっとか!?)ものの、坂を上り詰めて爺ヶ岳の山腹をトラバースする地点に出る。 ここには凍ったハイマツが美しい情景を魅せていたが、如何せん例のハプニングのあった直後だけに、雪風が舞う中を『ザック下ろして写真タイム』という訳にもいかなかったので自重する。
爺ヶ岳の山腹トラバースを越えて、本峰と南峰の鞍部に出る。 昨日からの降雪で、雪の踏跡は完全に消されている。 2日前は確か雪の中を鞍部に向けて下っていった記憶があるが、前を行く下山者は岩場の方に入っていく。 「ここは数人いる下山者連中の採る道を信用した方がベター」と、着いていく事にする。
爺ヶ岳でのアリバイ写真
:
『死亡フラグ』も何のその
しぶとく生きてます
岩屑の登りはアイゼンだと引っかかって怖かったが、このルートが正式なもののようである。
だが、視界が明瞭な時は、行きに通った稜線通しの雪道の方が歩き良いみたいだ。 ・・で、頂上に着く。 時間は8時過ぎ。 登っ瞬間は真っ白けだった。 が・・、見る見る内にガスが晴れていき、スカイブルーの空と針ノ木から連なる稜線が見えてきたのである。 春山の喜びが漸く眼前に現れたのである。
だが、視界が明瞭な時は、行きに通った稜線通しの雪道の方が歩き良いみたいだ。 ・・で、頂上に着く。 時間は8時過ぎ。 登っ瞬間は真っ白けだった。 が・・、見る見る内にガスが晴れていき、スカイブルーの空と針ノ木から連なる稜線が見えてきたのである。 春山の喜びが漸く眼前に現れたのである。
徐々にブリ(ブリザード)が去っていき
見えてきました
一昨日に11時間かけて来た甲斐がありましたよ
一昨日に11時間かけて来た甲斐がありましたよ
出発する時は「下山に所要9時間で、15:00発のバスに乗りたいものだ」と考えていたが、この情景を見て「まぁいいか」となってしまった。 スカイブルーながらも風が吹きすさぶ爺ヶ岳の頂上で、約30分も吹きさらされながら写真タイム。 こう見ると、ワテって結構頑丈なのね。 でも、意志は『超』が着く位に薄弱で、厚いのは恥を恥とも思わぬ『面の皮』だけである。
嬉しいですね
快晴となってきましたヨ
快晴となってきましたヨ
針ノ木岳は雪深いですね
安易にコレを歩いていこうと思っていた
安易にコレを歩いていこうと思っていた
タワケの素性が知れる眺めです
さて、コレより『勝負賭け』の尾根雪斜面の下降である。 さっき『死亡フラグ』の現物を見た事もあり、ここは確実に下っていこう。 そう、安全の為なら形振りかまわず、大安売りで『伝家の宝刀』を抜いていこう。 せっかく『死亡フラグ』を回避したのに、滑落してゲームオーバーとしてはならないのだ。
爺ヶ岳・南尾根 行程図
コレも再掲でっす
さて、登り時にダレにダレた爺ヶ岳の直登は下りもキツい。 正直言うと、ここに雪が乗ってなくて本当にラッキーだったのである。 これが雪斜面なら、かなりそそる事だろう。 急な砂利坂なので、躓き防止の為にアイゼンを外す。 躓いて足でも挫いたら、『勝負賭け』の雪斜面下りでは目も当てられなくなるのである。 なので、こういう手間は惜しまない方がいいのである。
爺ヶ岳の南尾根を下りる最中に
魅せられた山情景
コレを行こうと考えた
浅はかなタワケ
まぁ、南尾根も十大変だが
近くて手の届かない情景
それが真にコレ
時間は、山荘で「天候最悪」と報じられた午前9時過ぎとなるが、天候はピーカンの快晴となっていく。
振り返ると、2日前にあれだけ「嫌ぁ~な感じ」に見えた爺ヶ岳の三角錐が、美しく流れるような三角錐を魅せている。 心に余裕を持つと、ここまで見えるモノが違うのだろうか。
振り返ると、2日前にあれだけ「嫌ぁ~な感じ」に見えた爺ヶ岳の三角錐が、美しく流れるような三角錐を魅せている。 心に余裕を持つと、ここまで見えるモノが違うのだろうか。
美しい(行きは憎々しい程にデンと居座った)
三角錐を魅せる爺ヶ岳
そして、日の光を浴びて輝くハイマツの樹氷が見える。 ここは雪もなく、ザックを下ろせる平らな面もあり、真に写真を撮る為の広場である。 ここでも、20分位タムロする。
山に咲く氷の花たち
樹氷を撮ってから再び砂利坂を下っていくと、この砂利坂を下りきって、『勝負賭け』の場面がやってくる。 これよりジャンクションピークを経て、雪斜面に差しかかるのである。 アイゼンが落脱せぬようにシッカリと装着して、雪面に出る。 ジャクションピークまでは傾斜のない緩やかな登り基調なので問題はない。 勝負は、ジャンクションピークより90°左折してからである。
山の情景もこれが最後だ
なぜなら
これより『勝負賭け』だからだ
さて、ピークを立て看板の指示通りに90°左折すると、下が隠れる程の急傾斜が現れる。
登りの時はそんなにキツい傾斜だとは感じなかったが、下りるとなると怖い。
さぁ・・これより勝負賭けの雪渓下りだ
なぜなら、滑り落ちると奈落の底で『死亡フラグ』一丁!だからである。
早速、世界一・・、いや宇宙一“安い”マイ『伝家の宝刀』を抜く。 必殺『クマ下り』である。
もう、「凍傷にかかっていても構わない」と手袋を脱いで素手を雪斜面に突っ込み、それを軸に一段づつ雪斜面を蹴り込んで簡易の踏み段を造って下っていく。 案外、『クマ下り』を使う傾斜は5~6ヶ所程度で、後はスタンダップスタイルで前を向いて下っていける。
だが、『クマ下り』を使用している者はワテ一人だけだった。 でも、「横が奈落の底で、よう急坂をスタンダップスタイルで下りれるよなぁ」と関心する。 雪が・・、滑るのが怖くないのだろうか?
これを2時間ほど耐えると、雪の斜面から樹林帯の中へと入っていって、雪も途切れ途切れとなる。
「ここまでくれば安心だ」と多少気が抜けたが、これからが一番厄介だったのだ。 登り時は雪がなかったものの、昨日の降雪で雪が乗ってしまったのであろうか、所々に扇沢側に落ちていく雪斜面があり、それをトラバースしていかねばならないのだ。
「コリは、ちっとも安全じゃねぇじゃねぇか!」と、周囲に誰もいないのを見計らって文句垂れるが、ワテの雪下りレベルでは、再びアイゼンをハメねば通過は難しい。
雪の急斜面より
落ちてはいけない方向を眺める
・・で、再びアイゼンを装着する。 だが、50m位の雪トラバースを越えるだけでアイゼンを着脱するのだから、1回当たりの通過時間は20分以上となるのだ。 でも、「扇沢に滑り落ちるよりマシだあね」と、地道にアイゼンの着脱を繰り返す。 これを4回位繰り返したのだから、当然鬼のように時間を食う。
そして、ザックの上げ下ろし(食料分軽くなったとはいえ20㎏よ)でヘタってしまって、完全な安全エリアに入った『雪が消えた樹林帯の急傾斜』で膝が笑って下降が困難となる。 だからかかったよ、時間が。 多分、樹林帯に入ってから3時間以上かかったんじゃないだろうか。 最後の方では足に踏ん張る力がなくなって、もはや黒くなりつつある残雪の残りを渡るのにも、尻モチを着きかねない体たらくとなってしまった。
そして、ザックの上げ下ろし(食料分軽くなったとはいえ20㎏よ)でヘタってしまって、完全な安全エリアに入った『雪が消えた樹林帯の急傾斜』で膝が笑って下降が困難となる。 だからかかったよ、時間が。 多分、樹林帯に入ってから3時間以上かかったんじゃないだろうか。 最後の方では足に踏ん張る力がなくなって、もはや黒くなりつつある残雪の残りを渡るのにも、尻モチを着きかねない体たらくとなってしまった。
緊張から開放されてホッとした心地で
《八ッ見ベンチ》にて針ノ木岳を望む
《八ッ見ベンチ》にて針ノ木岳を望む
・・で、日光が明らかに夕方の様相を照らし出した時に、漸く柏原新道の『八ヶ見ベンチ』の前に降り着く。 「アレ!?、行きに入っていった所と違うな」と思いながらも、完全なる安全圏まで下りきったのでひと安心する。 後は、下に見える車道までダラダラと下っていくだけだ。 ここからは派手に転ばない限り、『死亡フラグ』が立つ事はないだろうし。
その宣言の通り、ダラダラと下って、最後のひと絞り抜かれて、15:15に柏原新道の登山口にたどり着く。 あらら、9時間かかったのね。 15時のバス便は無理だったが、今回も無事に山の楽しみを享受する事ができた。 後は、観光バスやマイカーがビュンビュン飛ばす『長野県道15号・大町~扇沢道路』を伝って行くだけだ。
でも、コイツら、生身の人が通ってるのに、もうちっと速度落とせよ。 最後の最後で車に轢かれて『死亡フラグ』ではシャレにならんしィ。 それに、この標高差40mで距離約700m、所要15分はマジしんどかった。 ビュンビュン飛ばす車が憎らしく見えたのも、この時だった。 もう、道端で大の字に倒れてやろうか!(この思いは、飯豊の下りに、川入へ向けて歩いていく時にも抱いた気持ちである)と一瞬思ったが、小市民なのでやめた。
扇沢駅前に至る『上り最終ハロン』では、車で来たのであろう・・、ほとんど歩く事と縁の無さそうな酒ダルのような体型の女の子にも抜かれる程にヘロヘロになって到着。 バスは、鉄道利用での大阪本日帰着の最終便である15:30の便が出た直後だった。
こうなったら、慌てても仕方がない。 「せっかくテント持ってきたのだし、北アを下りてのいつもの所で凌ぐか」と腹を決め、そうと決めたなら「山の後は温泉」という事で、大町温泉郷で途中下車する。
温泉に浸かると、凍傷の指が気になりだした。 たぶん、血行が良くなって患部が刺激されたのだろう。 でも、この痛みこそ、生きている証なのだ。 こういう痛みを味わったのは、あの時以来だなぁ。 あの時は『失敗』が確定して、ケツまくって引き上げた『痛く苦い』思い出なのだが。
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