風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  『日本百景』  >  『日本百景』 春 >  第232回  爺ヶ岳・春山

第232回  爺ヶ岳・春山

『日本百景』 春  第232回  爺ヶ岳・春山  〔長野県・富山県〕


ようやくガスが晴れて

   オチャメな・・鹿島槍・冬道顛末記より
春山を目指そう。 もちろん、何の訓練も無しに・・。 あるのは、もうとっくに使い果たして欠片もない、かつての遺産である10年前にあった体力の妄想だけである。 こんな事をしていてはいつか天罰が下るのが常道なのであろうが、ワテには類希なる悪運とゴ▲×リなみの生命力、そして天下御免の鉄面皮と、宇宙を駆けるレベルの『都合の悪い事は即座に忘れる鋭い忘却力』があるので、いつも何とかなっているのである。


爺ヶ岳・南尾根 春山登山道ルート 詳細図

   行程記録  ・・本文の行程表と照らし合わせると、同じ人間のなせる業とは到底思えないね
《1日目》 扇沢駅(0:15)→柏原新道・登山口(1:00)→南尾根分岐(3:00)→尾根上
     (2:45)→ジャンクションピーク(1:30)→爺ヶ岳(2:30)→冷池山荘
《2日目》 冷池山荘(1:00)→布引山(0:55)→鹿島槍ヶ岳・南峰(0:50)→布引山
     (1:00)→冷池山荘
《3日目》 冷池山荘(2:00)→爺ヶ岳(1:20)→ジャンクションピーク(2:00)→尾根上
     (3:00)→柏原新道・八ヶ見ベンチ(0:40)→柏原新道・登山口(0:15)→扇沢駅



ロクに訓練も下調べもしない“ロクデナシ”が
こんなとこにやってくる自体が
『死亡フラグ』だあね

   《1日目》 『死亡フラグ』を凌駕した『ゴ△ブ×なみの生命力』
安上がりの夜行ツアーバスが扇沢に着いたのは7:30過ぎ。 山の道中では、特に雪山では『大』のキジ打ちはそれこそ命賭けになるので、扇沢駅のウォシュレットで天国の心地を味わって済ますのが常道だ。
そして、朝飯も『パワーを得るには消化のいい米飯食』という事で、奮発して朝定食(800円ナリ)を食う。 こうして、何だかんだしている内に8時半になっていた。

ちょっと山に登るには遅すぎる時間だ。 ここらへんにも、ホームページの本文で言っている事との真逆を平然と行う『ロクデナシ』なワテの本性が垣間見えるのである。 さて、唯一いい事としては、この登山初日の天気予報は大雨との事であったが、何故かポツポツ振りから幾分回復傾向のようであった。
そして、予報では明日は『快晴』との事である。

だが、登山口の指導員の兄さんは、「明日も天候は悪いですから」と言っていた。 これは、明日を『快晴』と信じて疑わぬ純粋無垢(厚顔無恥)なワテにとっては、慰ぶがる言葉であった。
従って、当然スルーである。 まぁ、こういう性格がオチャメを呼び込むのだな・・ってつくづく思う。

さて、柏原新道の登山口で登山届を提出するが、その時に指導員の兄さんに「予定では鹿島槍往復と行ければ針ノ木まで」、「無理なら大人しく鹿島槍の往復ですわ」とアホ丸出しの希望を述べる。
たぶん、この兄さんは心の中で腹を抱えて笑っていたか、「コイツ、ほんまもん(なぜ関西弁!?)のアホや」と呆れ返っていた事だろうと思う。


こんなの筆者(ロクデナシ)に
行けるわけねぇよな

普通に考えてもルートが冬道に変わっている時点で、針ノ木方面はクライマーの領域なのである。
そしてこの事から、この大タワケ(筆者)は、「鹿島槍へのルートは、5月は冬道になる」という事の把握を全くしていなかった・・という事も露呈したのである。

要するに、何の下調べも無しに訪れて、ともすれば『種池山荘(雪で埋まっている柏原新道の登頂地点)でビバークだァ~』、『そんで、空身で鹿島槍の往復だァ~』と、元気一杯に脳ミソがお花畑色に膿んでいたである。 我ながら、救いようのない性質だなぁ・・と痛み入る状況である。

さて、始めは柏原新道の整備された登山道をゆく。 《八ッ見ベンチ》(何でも八ヶ岳の展望所らしい)までは、多少雪が出てくる程度で何の心配もなかったが、そのちょっと上で目ざとい黄色の立て札が現れる地点から、『地獄の一丁目』が始まる。

その黄色い看板には、この様に記されてあった。 「柏原新道は6月中旬まで、ルートが雪に埋まって通行不能です。 種池山荘も営業しておりません。 爺ヶ岳から冷池方面へ行かれる方は、爺ヶ岳南尾根(冬道)を直登して、直接爺ヶ岳の頂上を目指してください」。 「・・・」

これを目にしたワテの心の声・・「聞いてないよ~」。 これで100%、種池を通って針ノ木へ至る『(脳ミソの膿んだ)夢物語』は終焉を迎えたのであった。 で、その冬道だが、通常は良く整備された柏原新道がある為に人が通らないルートで、それゆえ足場が不明瞭なのだ。 そして、22㎏を担いだ身の上には、そして全く訓練もせずに山に登ろうとする大タワケには・・、『酷』という言葉が相応しい程の急傾斜なのである。

途端に足の出が止まり、ヘタリ込みタイムが多くなる。 たぶん、この積み重ねが今日の到着時間の答えだと思う・・というか、それ以外には考えられないだろう。 時計は見なかったが、「2時間ほど登ったかな?(実は3時間かかってたりして・・)」と思う頃から、だんだん雪が出始めてきた。
この雪は、帰りに苦しめられる雪であったのだが、登りではそんなに恐怖心はなかったのである。

ファインダーで覗いた時は
エグく感じたけど写真で見ると
案外傾斜が緩いね

そして、森林限界を超えたのか、それとも尾根筋に出たのかは判らないが、猛烈な雪斜面が前面に展開する様になる。 当然、この強烈な雪傾斜を登っていくのだ。 早速、前爪付の10本爪アイゼンを装着して、この傾斜に挑む。 その前に、500gでも荷重を減らそう・・とポカリスエットを入れた行動水を飲む。 ここからは喉が渇けば雪喰えばいいので、水は1リットルもあれば十分だ。

さて、見た目は毛勝山の雪渓なみに見えたこの傾斜も、取り付いてみれば適度に平らな休憩場所があり、また角度も思ったほどにはキツくなく、ズリ落ちそうな場面はほぼなかった。 たまに、「下る時に厳しそうだなぁ~」と思える『伝家の宝刀』を抜く地点(あまりにも安い『伝家の宝刀』である)がある位だ。

だが、実際はこれ以上に『伝家の宝刀』抜きまくり・・だったりして。 ・・で、約2時間半位かけて3段ほどの大きな傾斜の塊をこなし、この傾斜の頂点に立つ。 「あぁ・・、やっと爺ヶ岳の頂上に着いたな」という感慨で、脳ミソをお花畑色に化膿させて。

だが、その頂点に立つ黄色い立て札は、『ジャンクションピーク・ここより南尾根を下ってください』という“臨時”に立てられた道標であって、爺ヶ岳の頂上標柱ではなかったのである。 そして左を向くと、針ノ木岳に続く稜線上で雪に埋もれた種池山荘の方が、ここより高い位置にあるでやんの。 そして、見たくない気持ちを満面に浮かべて右を振り返ると、三角錐のお山がデンと腰を据えて鎮座されておられる。
即ち、あの上までは確実に登らねばならないのである。

ジャンクションピークからこの三角錐のお山へ取り付くまでが長かった。 完全に気持ちが萎えてしまったからである。 ・・で、この登りに取り付いた時に時計を見ると、15:25。 「うわぁ、もう夕方」。 「これに登るのに1時間、爺ヶ岳から1時間半で、着くのは18時過ぎだなぁ」と胸算用をするが、この胸算用には重要なファクターである『上半身のダダに従って休憩を繰り返す、救いようのない意志薄弱なワテの性質』が抜けているのである。

とにかく登らねば始まらないので、テレテレと登る。 ちなみに、ここからは雪が風で吹き飛ばされたようで、ガレガレのガレ場をジグザクに登っていく。 こうなるとアイゼンは邪魔なので、外してザックの天袋にしまって登っていく。 ヘロヘロになりながらも、案外早く15:25に見上げた頂上の丘へ登り着く。

だが、今登り着いた『先程時計を見た取り付き地点から見上げた頂上』は『ニセの頂上』で、更に1.5倍の標高差の三角錐が、『15:25の時点で頂上だと思っていた頂上丘の上』にデンと乗っかっている。
この情景を見て、完全にヤル気は沸騰して泡となって蒸発した。


爺ヶ岳の頂上にて
「夏道は雪に埋もれて存在しません」と宣言した立て札

もう、50歩登っては石に座り込んで・・を繰り返し、本当の爺ヶ岳の頂上に着いたのは16:50であった。 この時点で30分オーバーである。


夜が迫るというのに
1枚目でソッポ向かれてつい・・


良く撮れたね・・って
喜んでいる場合じゃないって

その上、その爺ヶ岳の頂上で雷鳥さんがまるまると太ったボディを魅せてのた打ち回っているのを見て、写真タイムを15分程取ってしまって、爺ヶ岳出発は17:10となってしまった。


まるまると太って
飛べない鳥・ドン鳥
オマエは向こうの山を見て何を思うのか


この後転げ落ちるかな~何て思ったりして
たまに転げ落ちるのもいるし

「ここから夏のコースタイムの1:10で行ったとしても、18時半だねぇ」、「冬山で夜道かよ~」と、『死亡フラグ』が立ちはためいたのである。 ここからは、刻一刻と暮れて暗くなっていく空を見ながら、「急いでも夜に着くのは避けられんし・・」、「ヘバッているし、急ぎたくても足が着いてこん」と、半ばヤケクソになって歩いていく。


もう17時だ
着くのは暗くなってから
になるのは確実だろう

爺ヶ岳の本峰の裏に切られたバイパス道は雪がなく、そのままゆく。 もうここまでくれば、22㎏を担ごうが『しんどい』という感覚はなく、ただダレて歩くだけであった。 そして、暑い。
そして汗に濡れる衣服は余計に身動きが重くなる・・と、Tシャツの上にカッパだけになる。

やがて、《冷乗越》への下りとなり、根腐れ雪が出始める。 これの歩きにくい事。
スボスボハマるし、ズルズル滑る。 そして、一度ハマると足を抜き出すのにエライ手間がかかる。 
もう、手袋を脱いで素手で雪に手をあてがって、這い上がるしかないのだから。
こうして、この文を書いている10日後も癒えない、第二度になりかけの凍傷が出来上がったのである。 この厄介な根腐れ雪のスボスボゾーンこそ、明後日の『X地点』であるのは藪の中に。


オチャメの連続で『死亡フラグ』
シーンが佳境に入っておりまして
ちょっと見栄えのいい写真で
お口直し(誤魔化し)おば

この根腐れ雪の地点を越えると、どんよりと暗くなった空の下、谷を挟んで対峙した丘の上に煌々と灯りを照らす山荘が見えてきた。 これが対岸に見えるようになるとアト10分ほどのハズだが、この時点でドヤされる事が確実なほどに、ドップリと暮れて星一つない闇夜となっていた。 ここから、またもや雪がなくなって砂利道となる。 再びアイゼンを外して「もう、ままよ」と、ジグザグの砂利道を目視(カンテラ出すの面倒臭かったの・・)で下りていく。

すると、『弱り目に祟り目』で、雨霰が降ってきやがった。 でも、濡れて困る服は脱いでいるので、濡れ衣服に体温を取られる事はないし、すごく暑かった。 この辺が下界にて『■キブ△なみの生命力』と云われる所以である。

このジグザクのジャリ道を《冷乗越》まで下りきると、再び根腐れ雪が出てきた。
またズボズボハマって、凍傷になって痛い指を雪に突っ込むのも嫌だったので、アイゼンを着ける。
そして、「せっかくザックを下ろしたのだから・・」と、カンテラを出す。 後は、乗越の底から見上げる丘の上に、先程煌々と灯を出していた天国(『死亡フラグ』の天国じゃあないよ)へ向かっての雪の階段を上り詰めるだけだ。


取り敢えず綺麗な写真を見て心を落ち着けましょう
この後、こっ酷く叱られるのだから

「もう、ここまでくれば、急いでも仕方がない」、「息を整えて、落ち着いて登っていこう」と心に決めて登っていく。 そして、登る事約10分位か・・、テントが見え出す。 テントが見えた事で、取り合えず『死亡フラグ』は回避する事はできたようだ。 だが、この上で費用をケチるべくテント設営という訳にはいかないし、衣類も中途半端に汗と雪で濡れて、それどころではなくなっている。 もし、強行すれば、テントの中で『死亡フラグ』が立ったかもしれないし。

そして、宿泊を決めた天国の館では、『お客の立場』は考慮してもらったものの、案の定こっ酷く注意・警告を受けた。 まぁ、着いた時間が19:30で、標高2400mの稜線を雨霰の闇夜にうろついたのだから致し方あるまい。 そして、この時間では夜食を作る時間もなく(山荘の消灯が20:15の為)、パンをかっ込んでから部屋に入って、20:15に就寝する。 山荘の中は寒い割には毛布2枚と薄い布団のみで、これはシュラフを出した方が寝れるなぁ・・とシュラフを出して寝る。

今日は、ヘバったとはいえ、11時間も22㎏を担いだのだ。 明日はヤル気が出ないだろうなぁ。
そして、明日は小屋内のピエロになりそうな予感が・・。

  続きは、次回の『第233回 鹿島槍ヶ岳・春山』にて・・

   ※ 詳細は、メインサイト撮影旅行記より『オチャメな鹿島槍・冬道顛末記』を御覧下さい。























関連記事
スポンサーサイト



コメント






管理者にだけ表示を許可