2016-04-11 (Mon)✎
『日本百景』 春 第231回 在りし日の島原鉄道 〔長崎県〕
廃止間際の最後に
やっと足跡を残せたよ
女島展望台より
私鉄だった島原鉄道は、鉄道をメインで追っかけていた少年期は見向きもしなかった。 これは同じ九州の南薩鉄道(鹿児島交通)や青森の南部縦貫鉄道と並んで、若き日の『偏食』によるワテの大失態である。
特に南薩と南部縦貫は、目の前まで立ち寄っておきながら、偏屈な性格による『偏食』の誓い!?を立てて、本当に一枚も撮らなかった。 結果は、当然今になって後悔する『後の祭り』である。
でも、この島原鉄道だけは、何とか足跡を残す事が叶ったのだ。 それは、この路線の先端区間の廃止年(’08年)に、九州の滝めぐりを目的とした小旅行をした事で救われたのである。
行縢ノ滝
天から続く一枚岩盤に
落水の枝垂れ模様がアートを描き
早速、旅のメインの目的である九州の百名滝・行縢ノ滝に立ち寄ったのだが、行縢ノ滝の近くを通っていた災害廃止線・高千穂鉄道の残骸が放置プレイされており、それを目にして『廃止間近の鉄道めぐり』に火がついたのである。
行縢ノ滝に向かう途中で見た
廃止で放置された高千穂鉄道の残骸
※ 細見駅のウィキ画像を拝借
そこで、島原鉄道の事を思い出し、予定を変更して熊本から有明海フェリーに乗って島原へ繰り出したのである。 ちなみにこの時はレンタカーを借りていたが、有明海を跨ぐだけの短区間とはいえレンタカーでカーフェリーに乗るとは夢にも思わなんだ。 でも、そんなに航送料金が高くなくて(3500円ほど)助かった。 万を超えるようなら、多分諦めていただろうし。
熊本と島原を結ぶ九商フェリー
結構"使える"ね
※ 九商フェリーのウェブサイト画像を拝借
・・で、夜に島原外港に着いたものの、島原鉄道の撮影は予定外の事なので、何の計画も下調べもないままの撮影となるのである。 このまま何の情報もなく撮影するのもマズいので、○鉄全盛期だった少年時代の記憶を必死に思い返す。
そう・・、それは、過去に見た鉄道雑誌などのルポで島原鉄道が取り上げられた時の掲載写真やら、雲仙普賢岳の噴火に伴って長い間路線が不通になった歴史やら、以前は国鉄型に似せた気動車があって、急行列車と併結運転で博多まで運行されていた事とか・・である。
このように島原鉄道の路線の有り様を思い返していくと、明日に控える撮り鉄に際しての作戦的な構想が思い浮かぶのである。 例えば、普賢岳をバックに入れるのもいいかな?とか、確か海べを走る区間の写真があったし、それで狙ってみるか・・などである。
お蔭で、その前日は島原市の少し先にある『道の駅・ふかえ』で車寝するつもりだったが、空想や構想が膨らんで眠る事ができず、たまらず夜中に線路に沿って車を走らせて事前偵察を敢行する。
車を走らせてみたら、構想の成否が明らかになってくる。 沿線を通じてのほとんどが線路は海側、道路は山側で、どうやら普賢岳バックは国道が間に入ってしまって今イチのようだと解る。
なら、海に面した所はというと、これが北海道の廃止線のように海際を走っているというような感じではなく、線路はコンクリートの護岸の上に敷かれているのである。 これも、風景鉄道的には今イチである。
ならば船着き場のそばを通る区間でもないものか・・と思ったが、線路より内側を通る国道を走っている為かそれは発見できなかった。 船着き場につながれた漁船をアテにするアングルの撮れる撮影地は、どうやら廃止されずに残る南島原~島原外港の区間にあるようである。
夜半に国道を流して自然偵察をしたものの、コレといった撮影場所を見つけれぬまま、終点の加津佐に着く。 駅前のヤード跡の様な広い空き地に車を止め、取り敢えず・・と駅舎の中に入る。
駅舎内の掲示板には3月末をもって島原外港~加津佐の区間が路線廃止となる旨の張り紙がデカデカと掲げられていたが、その脇の小さなスペースに駅周辺の名所案内が掲げられてあって、加津佐の街を一望できる好展望地・女島の事が掲示されていた。 これを目にして、「撮影地はここだ!」と決まったのである。
さて、撮影地が決まったなら、その場所へ向かわねばならない。 加津佐駅の周辺は海水浴場となっていて、バンカロー村やコテージ施設があり、その奥の標高100m足らずの陸地の盛り上がりが、女島のようである。 この頂上が、街を一望できる展望台との事である。
コテージ村と海水浴場という事で、車の駐車スペースは心配ない(いくらなんでも鉄道に乗らないのに駅前に駐車しておくのはちょっと・・なので、車を海水浴場利用者駐車場に移動した)。
展望台からの「キメ写真」の
ハズだったのだが
・・で、早速、女島展望台へと上がってみる。 だが不思議な事に、コテージ村の敷地内では女島展望台への案内が皆無なのだ。
これを不思議に思いながら進んでいくと、何と土砂崩れで通行止になっていたのである。
どうやら、土砂崩れの後に復旧せずに放置されたまま通行止となっているらしいのである。
どうりで、案内がなかった訳である。 案内が取っ払われている所をみると、近々に復旧する気はないみたいである。
さて、その土砂崩れは身長大の大岩がタダ崩れて通路を防いでいたのだが、これ位ならよじ登って潜り抜ける事はできそうである。 なんだかんだ言っても、こんな土砂崩れよりも・・の修羅場を山で経験してきているので、これを抜けるのは造作もない事である。 でも、通行止のゼブラロープをかい潜った先でコケたなら、地方新聞ネタとなり警察の詰所でキツイお小言付で有名人となるだろうが。
あっ 点景になっちった
で・・、夜明けの30分位前に女島頂上の展望台に着く。 この上からは街を一望できる素晴らしい展望が広がっていた。 早速、日の出時にやってくる加津佐行きの始発列車を狙う。 ・・が、これは、ワテの最も失敗するパターンの『点景』(列車が小さくなりすぎて点景となる失敗)に終わってしまった。
でも、列車の速度が遅く、余裕でレンズを望遠に変えて、やや光量不足なものの構わず海沿いの砂浜を渡る列車を狙ってみる。 どうやら、これが今回の一番星になったようである。
その後も陽が昇って明るくなるまで、駅の俯瞰を交えたり、朝日を海に煌めかせたり、街の全景を撮ったりしながら、楽しい時を過ごす。 でも、街を俯瞰して、これほどの規模の町でも鉄道はやっていけない現実も目の当たりにしたのである。
さて、陽も完全に上がって、さすがにひと所で撮り続けるのも飽きてきて、俯瞰していた砂浜へと繰り出す事にする。 砂浜に出て、思ったのは『波と列車のアングル』である。 でも、線路と砂浜と海が微妙に離れていて、意図通りにはいかなかったようである。 ちなみに撮った列車は、美味しい事にJRから払い下げられた国鉄型のキハ20であった。
砂浜の幅がデカ過ぎて
イメージ通りにはいかなかったね
後は、昨日からほとんど寝ていない事もあって、岩礁に寝そべって時折ウツラウツラしながら撮っている(もうちょっと真面目に撮れよ)と、潮が満ちてきて岩礁が沈みそうになった中に取り残されるオチャメ(大失態)をキッチリ決めて、島原鉄道の撮影の思い出を終える。
海に突き出た岩に
寝そべって撮っていたのだが
でも、沈みかけた岩礁に取り残されたのはヤバかった。 岩礁から海岸べりへの幅飛びは、もしかして生涯初めての3m超えを記録したかもしれない。 まぁ、撮り鉄に来て海に沈みかけた・・ってのも、前代未聞だと思うが。
見る見るうちに潮が満ちて
取り残された上に沈みかけてたりして
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