2016-02-28 (Sun)✎
路線の思い出 第137回 湧網線・東富丘仮乗降場 〔北海道〕
最終日だというのに
臨時列車以外は単行だった
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度(’79) / 営業係数(’83)
中湧別~網走 89.8km 177 / 2322
廃止年月日 転換処置
’87/ 3/20 網走バス・北見バス
廃止時運行本数
中湧別~網走 5往復
中湧別~佐呂間 上り1本
空中撮影で撮った東富丘乗降場
中央の農道との交点に
板張りホームのみの乗降場があった
※ ウィキペディアより拝借
東富丘仮乗降場(ひがしとみおかかりじょうこうじょう)は、北海道常呂郡常呂町(現・北見市常呂町)にあった旧国鉄・湧網線の仮乗降場である。 湧網線の廃線に伴い1987年3月20日に廃駅となった。
湧網線の同区間は普通列車が5往復運行していたが、その大半は通過し、同乗降場に停車する列車は下りが朝の1本、上りが朝夕の2本のみであった。
畑が広がる広大な原野の真ん中にポツンと板バリのホームが設けられた仮乗降場で、待合室すら設置されていなかった。 周囲の民家は最も近い所でも500m以上離れて点在していた為、恐らく利用客は限りなくゼロであった事が推察される。 また、湧網線の廃止代替バスも駅に接近する道路がなく、この仮乗降場周辺は代行区間としては除外されてバスの運行はない。
ホタテの形の
さよなら湧網線・沿線駅入場券セット
湧網線の主要駅《常呂》を出た列車は、《北見共立》という駅舎のある駅を過ぎて、ワテがこの線の最後を見届けるべく撮影地に選んだ《東富丘》という乗降場に着く。 この乗降場は湧網線の乗降場の中でもかなり“格下”扱いのようで、1日5往復の内の僅か上り2本下り1本の停車のみであった。
でも、それが功を奏して周囲に何もなく、そして最後を騒ぎ立てる乗り鉄軍団もいない。
東富丘乗降場
駅名板の下に掲げられた発着時刻表には
上下3本の発車時刻が記されたのみであった
それで、「ここなら心ゆくまでこの路線とのお別れができる」と思ったのだ。 そして、この日は上で述べたように湧別線の最終日で、明日からはこの線路に列車の往来はないのである。
そういう訳でこの日は定期列車の他に、1往復の臨時列車『さよなら湧網号』が運行されていたのである。
『湧網線のあゆみ』と
“さよなら湧網号”のヘッドマーク
最後を飾る臨時列車『さよなら湧網号』
従って、1日5往復では限りなく厳しい「現地まで当該路線に乗車しての『撮り鉄』」であるが、1本増えた事でローカル線のスタンダードである6往復となり、何とか『撮り鉄』が可能になった訳である。
撮影が可能になれぱ、次に『撮り鉄』が考えるのは「どこで撮ろうか」って事であろう。
『湧網線列車と流氷』のテレホンカード
『とほ』宿で購入したものだが結構レアでないかい?
そこで当初考えたのは、「ここで『流氷バック』の背景で・・」であるが、この湧網線が廃止となった’87年は’89年と共に『脅威の暖冬の年』で、流氷が一切接岸しなかった年なのでボツとなった。
まぁ、この頃から地球的な気候の温暖化が進んで、南極の氷が解けて海の水位が上がる事が懸念されたのもこの頃からである。
流氷がないとこんな感じかな
最終日だからこの絵に雪と
大量の黒点(撮り鉄の連中)が入るか
湧網線さよなら乗車記念証より
《常呂》のオホーツク海沿いの流氷がダメだとすると、結構コレといった撮影場所が思い浮かばないのが、この湧網線である。 これが秋ならば「能取湖を真っ赤に染める珊瑚草」や、「志撫子のサロマ湖情景」などが思い浮かぶ(最も、秋は北海道に訪れる自体が無理なのであるが・・)が、冬の湖は氷結して湖面が変化の乏しい『白い平原』となってしまうので、撮影場所としては”今イチ”となるのである。
また、紅葉橋は数日前に”アオい”夢を抱いて、現実はガードレールだった事を確認するに至った『撮影経験』があるので除外だし・・と、《常呂》の手前で流氷のない青い海を目にした時点で撮影地選定に詰まっていたのである。
最終日という事で、有名撮影地は『撮り鉄』連中がひしめいている事だろう。 そういった撮影地で「他の『撮り鉄』連中と遭遇するのはできれば避けたい」という事と、「撮影地選定に詰まった時は最もアプローチのムズい駅」の『マイ・セオリー』に沿って検討すると浮上したのが、この東富丘仮乗降場であった。
恐らくこれはまともに列車が停まる
次の駅・北見共立への道すがらで撮ったのだろうね
そう・・、「最もアプローチのムズい駅」ってのは、如何に濃い『撮り鉄』といえども寄り付かない・・という見込み想定からである。 この頃は『秘境駅』や『駅降り鉄』がブームとなって鉄道趣味のカテゴリーとして加わる前で、事実・・こんな1日に停車する列車が上下合わせて2~3本の乗降場など降りる奴は皆無であったのだが。
さっき撮った列車を振り返って見送って
最後の日の最後の”脈”1本が
遠ざかっていく
・・で、最初に語ったように、「この線の最後を見届けるべく、撮影地に選んだ」《東富丘》という乗降場に降り立つ。 ここに下りて抱いた気持ちも冒頭で話した通り、「ここなら、心ゆくまでこの路線とのお別れができる」って事であった。 それでは、その時の写真をひとつまみ、ごろうじろ。
これがこの路線の
“最初で最後の晴れ姿”なのか
印象深くなるように
感情をこめて“お別れ列車”を撮る
東富丘に花形列車が停車したのは
恐らくこの時限りだったろう
また、『オホーツク縦貫鉄道の夢』の本編にも湧網線の項目があります。
宜しければ、どうぞ。
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No title * by 風来梨
きゃみさん、こんにちは。
湧網線は、微妙に乗り辛い路線でした。
それは長い路線で、1日の運行本数がスタンダードの6往復より少ない5往復でしたから。 もし、乗降場を含めた全駅降りを志すなら、全駅制覇に1週間近くかかるかも・・な路線ですね。
この東富丘に下りて湧網線のさよなら列車を撮った時は、かなり感情移入した事を憶えてます。 樹間の俯瞰を撮った時は、記述の通り「印象深く心に残るような写真を撮りたい」と強く思いました。
湧網線は、微妙に乗り辛い路線でした。
それは長い路線で、1日の運行本数がスタンダードの6往復より少ない5往復でしたから。 もし、乗降場を含めた全駅降りを志すなら、全駅制覇に1週間近くかかるかも・・な路線ですね。
この東富丘に下りて湧網線のさよなら列車を撮った時は、かなり感情移入した事を憶えてます。 樹間の俯瞰を撮った時は、記述の通り「印象深く心に残るような写真を撮りたい」と強く思いました。
No title * by 風来梨
内緒さん、こんにちは。
ご依頼の事は、そちらのゲストブックにてお知らせしようと思います。 宜しくお願いします。
ご依頼の事は、そちらのゲストブックにてお知らせしようと思います。 宜しくお願いします。
No Subject * by hanagon60
湧網線の最期を飾るに相応しいロケーションでしたね。
さよなら湧網号は仮乗降場にも全て停まったのでしょうか?
9月にこの路線に乗って卯原内で下車し珊瑚草も見たのですが、写真が残っていません(涙)
さよなら湧網号は仮乗降場にも全て停まったのでしょうか?
9月にこの路線に乗って卯原内で下車し珊瑚草も見たのですが、写真が残っていません(涙)
Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
確か〔さよなら湧網号〕は乗降場を含む線内の全ての停留所に停まっていたと思います。
恐らく、この東富丘では、停留所として最初で最後の『晴れ姿』でしょうね。
私も珊瑚草で真っ赤に染まるサロマ湖をめぐるシーンと湧網線列車(出演はもちろんキハ22)のコラボを撮る事を夢に見たけど、叶いませんでした。 撮影地も芭露~志布志のサロマ湖をめくる区間と決めていたのですけど・・。
あの頃は(今もですけど)、秋に北海道に旅立つのは不可能な事でしたから。
確か〔さよなら湧網号〕は乗降場を含む線内の全ての停留所に停まっていたと思います。
恐らく、この東富丘では、停留所として最初で最後の『晴れ姿』でしょうね。
私も珊瑚草で真っ赤に染まるサロマ湖をめぐるシーンと湧網線列車(出演はもちろんキハ22)のコラボを撮る事を夢に見たけど、叶いませんでした。 撮影地も芭露~志布志のサロマ湖をめくる区間と決めていたのですけど・・。
あの頃は(今もですけど)、秋に北海道に旅立つのは不可能な事でしたから。
湧網線は昭和61年12月に乗ってきました。常呂駅の数枚の写真と車掌さんからもらった手書きの乗車証明書くらいしか残ってないなあ。でも、写真を見て思い返しても、行って良かったと思えるところでした。