風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第222回  十津川郷

『日本百景』 冬  第222回  十津川郷  〔奈良県〕


山紫水明の情景を魅せる十津川郷をゆく

前回『路線の思い出 第135回 阪本未成線・城戸駅』の続きで、この旅の《2日目》であるが、鉄道がなく立ち寄る駅もないので書庫は『日本百景 冬』という事で。

「氷点下の大晦日の夜を物置きテントで路上寝」、こういう状況を『喜んで!』迎え入れるタワケとは対照的に、悲壮感ただよう殿下・・哀れである。 でも、ワテ以上に装備のない(例えば、シュラフも3シーズン用・・ 『3シーズン用』の対応力って夏の1シーズンなんだよね~)殿下に1つしかないシュラフマットを貸したり、ザックを空にしてシュラフを突っ込ませたり・・と、結構『ホスト』したのよ、ワテは。

でも、経験とはすごいね。 ワテはオールシーズンシュラフ(『オールシーズン用』の対応力は3シーズンですね)であるが、シュラフマット無しの新聞紙一枚の路上直床で条件的には殿下と変わらないのだけれど、起きたの8時前。 ワテ・・、8時間ぐっすり寝れたよ。 殿下は寝不足みたいだったけど。


氷点下の路上で年を越して
打ち拉がれる殿下と能天気満開のワテ

起きてから昨日に記したように、朝はカップメンと温まるべく、餅ナシではあるが善哉を食い、出発準備と彷徨えるタワケ共の救ったこのテントもどきに感謝の意を込めて、軽く周囲の清掃をして出発。
取り敢えず、目論見では《十津川郷》きっての観光名所『谷瀬ノ吊橋』までの18kmあまりを歩く予定だ。 


十津川の流れを見ながら行こう
目指すは南紀まで

昨日が約16kmの徒歩だったから数値的には妥当であろうが、旅計画を立てる上で最重要である『今日の宿泊場所』は全く想定ナシで・・である。 恐らく、今回この旅をプロデュース!?するタワケの頭には、昨夜と同じく『緑色の蒲鉾のような物体』が都合よく現れる事を想定しているのだろう。
何故か知らんが、裏付けは全くナイにも関わらず、かなり余裕のある心境だった事は憶えている。

だが、寝不足の殿下の足が徐々に遅くなり、ワテに着いていけなくなってくる。 たぶん、寝不足のせいだろう。 殿下が着いてこれなくなると、旅の進行が危うくなる。 かといって、昨日に記した通り『二人合わせて所持金1万円割れ』の状況で、脱落対応はほぼ不可能なのである。

・・この状況は理解できていたので、さすがに能天気で『行き当たりバッタリ』、『成り行き任せ』が信条のワテも少し考える。 それは、「所持金をいくらまでならバス利用に回せれるか?」って事である。
食糧は持って来ているので計算しなくていいし、昨日にも書いたように帰りの足は『セ・セ・セ・セ青春18切符』を確保しているので、南紀に出れさえすれば心配ない。


この頃の『セ・セ・セ・セ青春18切符』は
5枚綴りの紙切符だった
これを2人で分けて使うコス辛いタワケ共

・・以上の条件を鑑みると、「一人頭で4000円までをバス賃に回す事ができるな」という答えが出た。 この答えが出ると、後は「バス路線の奈良交通の区間運賃を調べればいい」という事になる。
だが、『バス停ポール』が立つだけの小さなバス停では、バスの時刻の記載はあれど運賃までの記載はない。 なので、取り敢えずはバスターミナルがある事が予想される大塔村(現在は合併して五條市)の村役場の所在地である《辻堂》のバス停まで歩く事にする。

まぁ、正月で役場は閉まっているだろうが、村の中心部という事でそれなりに店屋などがあるだろうから、バス停が期待に反して『ポール』だったとしても店に立ち寄って昼飯のパンを買うなどしたら、店屋の人よりバス運賃の情報を聞き出せる・・と考えたのである。


猿谷のダム湖
撮ってたみたい

出発地点の阪本より辻堂の大塔村役場まで6km程、寝不足の殿下を励ましつつ歩いていく。 猿谷ダムを過ぎて辻堂の役場前まで歩き、お目当ての辻堂のバス停を見る。 ・・残念、『ポール』だったよ。
そして思惑に反して、店屋も全部閉まってバス運賃の情報は聞き出せず終い。 そして、殿下のダレ具合もピークに達してきたよ。 殿下はワテと違って『帰宅部上がり』だからねぇ。

仕方がないので方針を変更して、取り敢えずバスに乗って運賃がヤバくなったら降りる『勝負賭け』に出る。 ・・で、狙った訳ではないが10分ちょっとの待ちでバスがやってきて、取り敢えず『谷瀬ノ吊橋』のある《上野地》までバスに乗る。 『勝負賭け』という事で乗車中ずっと『バス運賃表示モニター』を凝視していたが、バス賃は思ったより安く『谷瀬ノ吊橋』のある《上野地》のバス停まで400円かからなかったよ。


谷瀬ノ吊橋 全景
こういうのって撮るのムズいね

取り敢えず『谷瀬ノ吊橋』を見学してから、《上野地》バス停のバス案内所に出向く。
この《上野地》バス停は、観光地である『谷瀬ノ吊橋』の最寄り・・という事でバス案内所があったのだ。 これで、《辻堂》バス停では得れなかった『バスの区間運賃』が把握できたのである。


吊橋上での写真は揺れて
モノにならなかったので
ひねくれてナナメってみました

これで、次の名所である『風屋ダム』に立ち寄って熊野本宮に出ても運賃は1200円位だと判り、「下手すると民宿位なら素泊まりで泊まれるかも・・」と気が大きくなる。 でも、いくら30年近く前とはいえ、2000円で宿に泊まれる訳ないのに、能天気にハシャぐ『タワケ二人組』であった。


風屋ダム
その名の通り山峡の風の通り道だった


風屋ダム湖
十津川の流れを堰き止めたダム湖だ

風屋ダムに立ち寄り、ダム湖などの写真を撮ってから熊野本宮行きのバスに乗る。
バスは《十津川郷》の中心である《十津川温泉》で乗換えとなる。
乗換えとなる理由は、これよりは熊野交通バスのエリアとなるからである。

バスは順調に奈良県から和歌山県に入り、バスが進むに連れて、このタワケ二人組の身の上に『今日の宿泊場所探し』というミッションの時が近づいてくる。 でも、この時の『タワケ二人組』の頭には、「バス賃が思ったより安く着いた事で、素泊まりで宿に泊まれるかも」という、能天気な妄想が支配していたのである。 でも、先にも言ったように、「2000円で泊まれる宿などある訳ないだろう! このタワケ共は」ってのが現実なのである。

だが、この能天気が支配する『タワケ二人組』は真剣に宿に泊まる事を想定していたようで、「民宿の有りそうな響き」のある《渡瀬温泉》の案内コールを耳にすると、すかさず降車ボタンを押してバスを降りる。

・・で、降りた《渡瀬温泉》で「安い民宿」を見つけるべく、バス停の周囲を歩きまわる。
だが、あるのは旅館ばかり・・。 完全にハズしたのである。 それは、殿下の”トドメの一言”の「『日観蓮』の表示のある旅館は一泊万するよ」に、全てが凝縮されていた。

この殿下の”トドメの一言”で『ハズした』《渡瀬温泉》は捨てて、次の《川湯温泉》に向かう。 
次の《川湯温泉》は距離にして1km程度しか離れておらず、温泉の源泉は《渡瀬温泉》と同じのようである。

その《川湯温泉》は旅館もあれば民宿もあるようで、それを目にした『タワケ二人組』は途端に気が大きくなる。 要するに、まだ「2000円で宿に泊まる」という野望を抱いているタワケ共なのである。
(2000円で)宿に泊まる妄想を抱きつつ、民宿街を歩いていくと、『露天・仙人風呂』の案内表示が・・。
取り敢えず、宿探しは後回しにして、露天風呂に直行する。

この川湯温泉は、その名の通り川を堰き止めたモノで、冬限定の露天風呂である。
当時は脱衣場などなく、「取り敢えず荷物をどこかに置いてから風呂に行こう」と、もう日が暮れて暗闇となった露天風呂の周囲をキョロキョロと見渡す。 すると、このタワケの特殊能力である『ゴ▼ブリなみの嗅覚』が発動したのである。 農具小屋を発見したのだ。


凄ましい『その手の』嗅覚で
発見した今夜の『御殿』

コレを見つけたおかげで
『2000円で泊まれる宿探し』
という恥をかかずに済んだよ

・・となると、さっきまでタワケの頭に涌いていた「(2000円で)宿に泊まる」という妄想は、「金がかかるから勿体無い!」にアッサリと方向転換されたのである。 ・・で、この農具小屋へ近寄ってみる。
その中を見た途端、今日の宿が決まったのである。


その御殿の内部でっす
一部御座敷きの豪華仕様で
野宿環境値急上昇!

で・・、早速荷物を農具小屋にデポって、露天風呂に入りにいく。 『今夜の宿』という憂いを解消しての野趣溢れる露天風呂は、真に爽快だったのを憶えている。


川そのものが巨大な露天風呂
野趣溢れる川湯温泉
※ グーグル画像より拝借

思わぬ野趣の露天風呂に入り、ボロボロの倒壊寸前の農具小屋なれど、昨日の『緑色の蒲鉾』より数段に住環境が優れているよ。 この記事を書いてて思ったが、ワテって結構悪運強いね。
後は、飯(今晩の夜食はカレーですぅ・・憶えているよ)食って寝るだけだが、またもや殿下の心配症が炸裂する。


今夜の御殿を印象深く撮ってみる
もしかしてこの記事の『一番星』!?

それは宿を得たとはいえ、その宿はボロボロで倒壊しかけの農具小屋。 当然照明などなく、真っ暗闇だ。 だからワテはローソクを着けたまま寝る事を選択したが、殿下は「火事になる」と気が気でなく、今晩もあまり寝着けなかったようである。

でも、真っ暗闇で何が転がっているか判らない農具小屋の中。 ワテにはロウソクが倒れる事より、真っ暗闇でのパニックの方が『怖い』と思ったのだ。 ハテさて、これはどちらの判断が正しかったのだろうかね? ・・でも、今回の記事は、『日本百景 冬』の風景ガイドから思いっきりハズれているなぁ。

    続きは、『日本百景・冬 第223回 冬の南紀』にて・・











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