よも”ヤマ”話 第164話 奥香肌峡(高滝と水越谷)〔三重県〕 '97・4「知る人ぞ知らん」という秘境・香肌峡にこれまた「知る人ぞ知らん」70m直瀑の大瀑布が潜んでいる 奥香肌峡 おくかはだきょう (室生赤目青山国定公園)櫛田川の支流の蓮川によって形成された渓谷で、室生赤目青山国定公園に属している。 自然を満喫できるポイントは数多く、なかでも蓮川上流に位置し、奇岩や原生林がある宮ノ谷渓谷は奥香肌峡を代表する...
『ネームトレイン』 第5回 ノサップ落石岬と孤独なランナー急行【ノサップ】:JR経営移管後はキハ54の単行運転だった 急行【ノサップ】 ・・ 国鉄時代の急行列車(JR経営移管後に快速格下げ)1959年に準急列車として登場し、後に急行列車に格上げされ、JR分割民営化初期の1989年4月末まで運行していた急行列車である。 翌日の5月1日より、料金不要の快速列車に格差げとなっている。列車名称は言うまでもなく我が国最東...
『路線の思い出』 第475回 山陰本線・宇田郷駅 〔山口県〕駅名標の背後にどうにも使えないサッカーベンチがたたずんでいた《路線データ》 営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15) 京都~幡生・長門市~仙崎 677.6km 4785 / 309益田~長門市 運行本数 益田...
廃線鉄道 第74回 赤谷線 〔新潟県〕路線最終日に運行されたさよなら列車※『消えゆくローカル線40線』より赤谷線(あかたにせん)は、かつて新潟県新発田市の新発田と同市の東赤谷を結んでいた国鉄が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。 1980年12月27日に施行された『日本国有鉄道経営再建促進特別措置法』(いわゆる『国鉄再建法』)を受けて、翌年の1981年9月に第1次特定地方交通線に指定され、1984年4月1日に全...
生まれ育ち、通学でお世話になりました。故郷を離れて大分経ちますが
東中学校駅懐かしいですねー。
駅が出来てから、もう50年前になりますねー。ありがとうございます
会社を退職して、赤谷線散策しています。赤谷行くまで時間かかりますが!見るだけで、懐かしく色々な思い出が、浮かび上がります。
ありがとうございます
お返事が遅れてスミマセン。
この赤谷線は私にとっては痛恨の未乗線区で、廃止となってから、飯豊山の下見と称して通いました。 東赤谷は砂利敷きのバス転回場となってましたが、赤谷駅は公民館として残っていましたね。 けれど、東赤谷からのルートはキツ過ぎて登れませんでした。
ミヤパパです。返信ありがとうございました。生まれた所が、赤谷沿線で、小、中、高校と通学しました。私も赤谷駅までしか乗車してません。東赤谷駅迄乗車は、ありません。各駅の写真ありがとうございます。懐かしく涙が出ますね、
東赤谷の先に湯の平温泉がありますが行かれましたか?
とてもいいところです。
昨日まで留守でしたので、お返事が遅れました。 スミマセン。
その湯ノ平温泉から飯豊山の登山道があるのですが猛烈にキツいコースで、最盛期の『奇跡の体力』ホルダーの時(25年以上前)に計画だけ立てて、車で車道がつながる加治川ダムまでの偵察はしましたが、それ以降は未踏です。 何でも加治川ダムより徒歩で2時間かかるそうで、真に秘湯です。
飯豊山は山形県側の石転ビ沢雪渓などから登りましたが、今では体力的に飯豊山はキツいかもしれません。
最後に飯豊山に登った12~13年前の関連記事です。 宜しければどうぞ。
https://furai58.blog.fc2.com/blog-entry-2431.html
飯豊山登山写真や山草花ありがとうございます。
山都駅ほのぼのしますねー。
赤谷線から始まり、本当にありがとうございました。
『日本百景』 冬 第504回 匹見峡・冬 〔島根県〕その静寂な氷瀑は人を寄せ着けないオーラを放っていた 匹見峡 ひきみきょう (西中国山地国定公園)島根県益田市匹見町(旧匹見町)に位置する渓谷の総称で、高津川支流の匹見川の河川浸食によって形成された渓谷である。 道川~匹見間の表匹見峡、その奥部にある裏匹見峡、そして最上流部に位置する奥匹見峡からなる。 また、中流広瀬付近には前匹見峡があるが、前者...
『路線の思い出』 第474回 吉都線・えびの駅 〔宮崎県〕重要文化財で野宿しましたコレって同じく重要文化財の茅葺き屋根の合掌造の民宿に泊まる位に贅沢な宿だなぁ《路線データ》 営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15) 都城~吉松 61.6km 517 / 416運行本数 都城~吉松 下り9本・上り8本...
よも”ヤマ”話 第163話 開田高原散策 〔長野県〕 '96・10今回は歩き行程はナシ気楽に秋を楽しみましょう:掲載は冬だけど 開田高原 かいだこうげん標高が1,100~1,300mと高く、真夏でも平均気温が18度という爽やかな高原で、高原の各所から雄大で美しい御岳山を見る事ができる。 また、昼夜の寒暖差が大きいこの高原では、他には類を見ないほどの美しい色づきの紅葉を見る事ができる。御岳山と紅葉風景を手軽に楽しめる...
『ネームトレイン』 第4回 東海グリーン車も連結された湘南型の長大編成で人気の高かった急行【東海】※ ウィキペディア画像を拝借 急行【東海】 ・・ 国鉄・JR東日本及びJR東海の急行登場は国鉄時代に、分割民営化後はJR東海及びJR東日本が運転していた列車である。 新幹線が開通して東海道本線の昼行優等列車が淘汰された当時、東海道本線をゆく数少ない昼行の優等列車であった。特急となってからはワイドビュー車両...
廃線鉄道 第73回 京都市電 〔京都府〕京都河原町通りで離合する京都市電の路面電車※ ウィキペディア画像を拝借京都市電(きょうとしでん)は、京都市交通局が運営していた市電(路面電車)である。 1895年に京都電気鉄道によって日本最初の一般営業用電気鉄道として開業され、1912年には京都市自体も市営路線を開設する。 京都市交通局開設後は京都電気鉄道の路線の併合を進め、1918年には京都電気鉄道が敷設した路線を...
数年前まで近くの橋に市電時代の架線柱が残っていたのですが、橋の架け替えと同時に撤去されてしまいました。
現在走っている京都地下鉄東西線は、財政破綻するかもしれない京都市の元凶にもなっています。
その他、なんでこんなところに多額の税金を使ってしまうんだというところがたくさんあります。
変わってないですねぇ。
京都市電は、幼い頃に親に手を引かれて見た事があるような無いような。 それと、鉄道ファン(鉄道雑誌です)の写真コンテストの金賞の入選作でいいのがあって、「こんなの撮りたいなぁ」と憧れたのがありますね。
地下鉄って、京都の街の特性には合わないみたいですね。 東西線は他の私鉄やJRと被りまくりだし。 鳥丸線が奈良まで乗り入れてるので多少使える感じですね。
『路線の思い出』 第473回 小野田線・雀田駅 〔山口県〕一晩の住処とする事で肝心なとこがおざなりな改装だった事が露呈した雀田駅※ ウィキペディア画像を拝借《路線データ》 営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15) 伊能~小野田・雀田~長門本山 13.9km 431 / 785運行本数 小野田~宇部新川 9往復 宇部...
私が小野田線に乗ったのは社会人になって間もなくの頃でしたが、この三角ホームの駅は印象に残っていました。写真ないですけど(泣)
本山支線の旧型国電もチョコレート色だけでなく、前面には黄色塗装ももあったと記憶しています。
ここまできたらJR完乗もやってみては如何でしょう?
返信が夜半となりスミマセン。
こういった中途半端な改装は、大学にとってもーにかならないと思いますね。
そして、本山支線の終点・長門本山駅も朝夕のみの日に3便で、駅にトイレも有りません。
小野田線には古い駅便所が多々あったようですが、全ての駅で閉鎖や撤去が行われているようですね。
まぁ、維持費の事からすれば、致し方ないのでしょうね。
私も、本山支線に初めて乗った時は、焦げ茶色の旧型国電でした。 その頃は昼も運行していて、1日10往復位あったようです。
>ここまできたらJR完乗もやってみては如何でしょう?
踏破をやりだしたら、必ずオチャメってズッコケるからね~。
〔名峰次選〕の踏破も、ラス5の池口岳で大雨&暴風、ラス3のペテガリ岳で脇腹2本ポッキン、ラス前の富士山では骨折明けで山荘泊まりで行ったのに山荘は全て店じまいして、3000mでテントナシ野宿(幸いシュラフは持ってきていた)、大ラスの広河内岳では、誰にも会わずに1人踏破の喜びにニヤついていました。
あと、関東の複雑な路線は難解ですね。 乗った路線と乗ってない路線の判別ができないかも・・。
最初は国鉄線乗り潰しの折。やはりスイッチバックということで感激して、当時としては珍しく写真も残しております。
二度目は廃止後の転換バスで。
その時はこの駅が目的ではなく飯豊山登山で東赤谷から歩いて入山しました。まだ廃線趣味がなかったので駅跡はチラと横目で見ただけ。今にして思えば残念なことをしましたねぇ。。
https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-640.html