『日本百景』 秋 第495回 夜明島渓谷 〔秋田県〕『百名滝』で西の双門滝と肩を並べる難関滝の茶釜ノ滝へはこの渓谷を遡行せねばならない 夜明島渓谷 よあけじまけいこく夜明島渓谷は、秋田県鹿角市に位置する米代川支流の夜明島川の源流部に形成された渓谷である。この川の流域にはかつて金鉱山があった為、永らく御禁制の場とされ立ち入りが禁じられていた。夜明島の名前の由来は、天狗伝説やだんぶり長者伝説に仮託...
いつも、記事は土日に書き溜めして予約でアップしているけど、今週の土日はたぶん書くヒマがないです。それは、この土日に今年3度目の出撃を控えているからでっす。 毎年6回は出撃してるのだけど、去年に『スーパーオチャメ』と残念で2回死にかけて、体力ガタ落ち(歳食ってヘタレたのもあるけど)となってヤマも連敗続きとなってしまった。そう言えば、おととしの剱・仙人池以降、予定通りに山行を完遂できず、気がつけば連敗が7に...
よも”ヤマ”話 第157話 至仏山 〔群馬県〕 '96・8小至仏山 2162m、至仏山 2228m【名峰百選 63峰目】朝の尾瀬ヶ原と朝もやにけむる至仏山 至仏山 しぶつさん (尾瀬国立公園)群馬県の北東部、みなかみ町と片品村との境界に位置する標高2,228.1mの山である。 二等三角点『至仏山』が設置されている。 尾瀬国立公園に属している。 仏教に関わるよう山名であるが仏教には関係なく、ムジナッ沢の別名『渋ッ沢...
廃線鉄道 第69回 秋田中央交通 〔秋田県〕電化はされていたものの電車は保有しておらず電動貨車が客車を牽引する車両運用だった※『ローカル私鉄を訪ねた日々』より秋田中央交通線(あきたちゅうおうこうつうせん)は、かつて秋田中央交通が運営していた、秋田県南秋田郡八郎潟町の八郎潟駅と同郡五城目町の五城目駅とを結んでいた鉄道路線である。 僅か3.8kmと短い路線だった。 一時は五城目から上小阿仁村、鷹巣町(現北...
路面電車系の交通事業会社は、ほとんどが自社運行の路線バスへの切り替えが鉄道の廃止理由ですね。
秋田中央交通の保存車両は、2003年頃までは五城目小学校のグラウンドの隅に静態保存されていたそうですが、風雪に晒されてボロボロになって、老朽化で撤去処分されたそうです。 今は残念ながら一両も残ってないそうです。
秋田中央交通は路線バスに特化した会社のようで、高速バスの運行はなく、路線バスオンリーのようです。 秋田市内とその周辺市町村が営業エリアのようですね。
『路線の思い出』 第464回 富山地方鉄道、立山黒部貫光(立山ケーブルカー)・立山駅〔富山県〕鉄道の駅というよりもケーブルカーと観光バスの為の駅である立山駅※ ウィキペディア画像を拝借《路線データ》富山地方鉄道・立山線 営業区間と営業キロ ’21年・立山駅発着本数 寺田~立山 24.2km 上下とも概ね毎時1本(全列車が電鉄富山発着) ...
『日本百景』 秋 第494回 恵那山・秋 〔長野県・岐阜県〕秋色に染まる衣を纏う恵那山 恵那山 えなさん (胞山〔えなさん〕県立自然公園)長野県阿智村と岐阜県中津川市にまたがり、木曽山脈(中央アルプス)の最南端に位置する標高2,191mの峰で、美濃国の最高峰である。 岐阜県は、胞山県立自然公園に指定している。 山頂の標高2,191 mの最高点の南東には、一等三角点・展望台・恵那神社奥宮本社がある。中津川の市...
よも”ヤマ”話 第156話 燧ヶ岳 〔福島県〕 '96・8燧ヶ岳・俎嵓 2346m、燧ヶ岳・柴安嵓 2356m【名峰百選 62峰目】平ヶ岳の登山路から望む燧ヶ岳ここからの燧ヶ岳が最もカッケーよ 燧ヶ岳 ひうちがたけ (尾瀬国立公園)福島県会津地方南西部にある火山で、山頂は南会津郡檜枝岐村に位置し、山域一帯は尾瀬国立公園に指定されている。 日光火山群の一峰で最高点の標高は2356mと福島県の最高峰であり、また北...
廃線鉄道 第68回 九十九里鉄道 〔千葉県〕九十九里鉄道:フロントにエンジンを取り付けただけの非力な単端式のガソリンカーが客車を2両牽引する旧態依然の鉄道だった※ 『九十九里町史』より九十九里鉄道(くじゅうくりてつどう)は、東金と漁師町の片貝を結ぶ路線として1926年11月25日に開業した路線である。 当初は九十九里軌道を名乗る法規上も軌道法の適用を受けた軌道線だったが、1931年に地方鉄道法に適用法規を変更...
『路線の思い出』 第463回 筑豊本線・若松駅 〔福岡県〕自身の所有なのに自分で撮ったモノでないそれが今回の『駅ネタ』です《路線データ》 営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15) 若松~原田 66.1km 5497 / 149 ’21年・若松駅発着本数上下とも概ね毎時2本でラッシュ時は毎時3~4本再改装されて更に凡庸化...
本当はバナー下に数回に分けてコマゴマと書いていくつもりだったけど、記述する文が膨らみ過ぎて「とても無理だ」と思って、『日記・ドキュメント』に挙げる事にしたよ。ワテは去年の夏に親父が逝ってから今年の夏までに、『親父の葬式代で散財』に始まって、その2か月後に3回滑落(いずれも15m位)して2回転落(いずれも2m位)して1回右足をこじり、事後調書でも「よく生きてたね」やら「滑落して9本骨が折れた重症なら動けずに...
地方私鉄とバス事業者のかかわりはどこも切ってもきれません。ここは今は保存されている車両はあるんでしょうか?痕跡を求め(バス探索ともども)訪れてみたいですね。