廃線鉄道 第47回 松尾鉱山鉄道 〔岩手県〕分岐元の国鉄(現JR東日本)が非電化なのに対してこの鉱山鉄道は電化されて高速運転の電車が走っていた※ 『思い出の車窓から』より松尾鉱業鉄道(まつおこうぎょうてつどう)は、かつて岩手県岩手郡松尾村(現 八幡平市)の東八幡平駅と、西根町(現在は町村合併により八幡平市)の国鉄(現 JR東日本)花輪線の大更駅との間を結んでいた鉄道路線である。運営主体は松尾鉱業の鉄道部...
『路線の思い出』 第425回 柳ヶ瀬線・中ノ郷駅跡 〔滋賀県〕訪れてからもう15年近く経つなぁこの頃は駅名標のレプリカが明らかにレプリカと判るモノだったよ《路線データ》 営業区間と営業キロ 廃止を控えた末期の運行本数 木ノ本~敦賀 26.1km 木ノ本~敦賀 下り6本・上り7本 ...
北陸本線の北陸トンネル付近も、スイッチバックの旧線があったようですね。 そして柳ヶ瀬線は、かなりドラスチックな出来事が多発し、また廃線に追い込まれたトドメの理由も、「新線では受け入れられないから部分休止」と、廃止ローカル線に通じる感情がありましたね。
米原~敦賀をキハ52が走っていたのは、交直セクションの影響だったのですね。 私はてっきり柳ヶ瀬線から米原への直通列車があった名残りだと思っていました。 九州の妻線の廃止後も、宮崎~佐土原に列車が運行されたのと同じように。
柳ヶ瀬トンネルは歩行者通行禁止なんですね・・・。手前で折り返すか、車で行く必要がありそうです。
できれば公共交通機関で行きたいので、新疋田から疋田まで歩いてバスでトンネル入口まで行き、敦賀に出ようかなと思います。実現できるかわかりませんが・・・。
柳ケ瀬トンネルは、歩行者は自転車の軽車両共に進入禁止なんですよね。 また、路線バスも、集落のある柳ケ瀬で打ち止めのようです。 新疋田側は新疋田から疋田駅のあったところまでコミュニティバスが運行してるようですが、これもとトンネル方面へは向かわないでしょうね。
限りなく、訪れるには車が必要な所のようです。
よも”ヤマ”話 第132話 甲斐駒・鳳凰三山縦走 その2(早川尾根)〔山梨県・長野県〕'95・8栗沢山 2714m、アサヨ峰 2799m〔名峰次選 26峰目〕最も早く朝日が当たり夜明けを知らせた峰・”朝夜峰” アサヨ峰 あさよみね (南アルプス国立公園)甲斐駒ヶ岳と鳳凰山とを結ぶ早川尾根上にある標高2,799mの山で、早川尾根の盟主の位置づけにある。 この頂からは南に北岳・仙丈ヶ岳、西に甲斐駒ヶ岳、北に八ヶ岳・金峰山、東...
術後のリハビリと、今年の『姫始め』じゃなかった『事始め』で小旅行をする1/30~31の土日は記事を書けないので、約二週間の空白が開く→人気の無いブログには致命的なダメージという事で、ツナギの記事の第二弾おば・・。掲載前から言う予想だけど、ウチのブログはこういったイベント記事だけは、割と好評なのよねぇ。それは使い回しとはいえ、『お宝写真』をふんだんに掲載してるからだろうね。 それでは、第二弾の私鉄路線おば...
津軽鉄道
そういう経緯があったのですね。
これからは先人の想いを胸に
撮影に励みたいものです。
何故かしら休みだと超早起きの津軽衆
久々の訪問を楽しむ朝でございます。
待つ根性だけは、日に3往復のローカル線を『撮り鉄』する事で鍛えられましたけど、その他の根性はからっきしですわ(溜息)。 でも、元を取ろうとする「コス辛バワー」はあるようです・・、ハイ。
津軽鉄道は太宰治が叫んだ「本州の袋小路」という雰囲気を醸し出す鉄道ですね。
特に、津軽中里駅そばに棄てられた廃車体に、その思いがこもってました。
でも放つオーラは、この棄てられた廃車体から強く解き放たれていたのを今でも憶えています。
トップページ 月に1回、自己満を目一杯に前面に出した写真で飾ります。 2月は『凍える日輪』でっす雪の原野に沈みゆく太陽が日輪に・・あの時旧天北線の車窓から魅た夕日を重ね合わせていたこの夕日だけは心底感動したよ旧国鉄天北線の車窓から見る夕日を想像してそう・・このオーラを放つ沈みゆく日輪の下で天北線の列車が広大な宗谷丘陵を駆けめぐっていたのを想像して・...
日輪の出逢い
とても貴重なお写真
ありがとうございます。
今月より仕事が忙しくなり
ご訪問も度々となるかもしれません。
いつも見ていただいて有難うございます。
冬から少しずつ春にさしかかる津軽の風景を魅せてくださいね。
「40年チョイ前は柳ヶ瀬線列車の運用の名残りからか敦賀までは気動車が運行していた」
湖西線も当時は近江今津~敦賀の各停は気動車でしたね。交直セクションの影響もあったのでしょうか?