2020-03-01 (Sun)✎
路線の思い出 第368回 天北線・上頓別駅 〔北海道〕在りし日の上頓別駅舎※ ウィキペディア画像を拝借《路線データ》 営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83) 音威子府~南稚内 148.9km 418 / 884 廃止年月日 ...
Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
> 天北線は好きな路線で、浜頓別~稚内で何駅か下車して周辺をうろつきましたが、音威子府~浜頓別にあるこの駅には降りていないです。隣の小頓別はかつて歌登町営軌道が分岐していたという事で注目していたのですが。。
> 冬の上頓別駅に降りるなんて考えたこともなかったです(笑)
>
> 石炭ストーブは懐かしいですね~
> 小学校3、4年頃までは石炭ストーブが教室にありました。
> 書かれておられるように火力は強力で、ストーブ横の席に居ると暑さでウダるような状態でした。
> 幼稚園の頃などはお弁当をストーブの柵の上に置いて暖めて食べていましたね。
天北線の山線区間は、確かにオホーツク海に出てからよりも注目度が低かったですね。 有名処としては、縁起切符として有名となった仮乗降場の『寿』くらいでしょうか。
そして、山線区間は廃止になってから注目を浴びた区間も多いですね。 倒壊しかけの駅舎のあった冬季休業駅の上音威子府や、温泉の湧く道の駅・敏音知、今も駅舎の残る松音知など・・。 松音知は偏屈な奴が駅舎を買い取ったとかで、「ブログなどで自分の所有物である松音知駅の写真をアップするな!」とネットで吠えていましたね。 こんな了見の狭い男が、本当に駅舎を買ったのか疑問ですが。
石炭ストーブの火力は絶大ですね。 何でも、北に住む人はストーブの焚かれている家の中ではTシャツ一枚で過ごしているとか・・。 私の頃の学校は教室にはなかったですけど、用務員室にストーブがありましたね。 石炭ストーブではなかったですけど。 用務員さんはストーブの上にヤカンを置いて、そのお湯でカップラーメンを作って食べていましたね。
> 天北線は好きな路線で、浜頓別~稚内で何駅か下車して周辺をうろつきましたが、音威子府~浜頓別にあるこの駅には降りていないです。隣の小頓別はかつて歌登町営軌道が分岐していたという事で注目していたのですが。。
> 冬の上頓別駅に降りるなんて考えたこともなかったです(笑)
>
> 石炭ストーブは懐かしいですね~
> 小学校3、4年頃までは石炭ストーブが教室にありました。
> 書かれておられるように火力は強力で、ストーブ横の席に居ると暑さでウダるような状態でした。
> 幼稚園の頃などはお弁当をストーブの柵の上に置いて暖めて食べていましたね。
天北線の山線区間は、確かにオホーツク海に出てからよりも注目度が低かったですね。 有名処としては、縁起切符として有名となった仮乗降場の『寿』くらいでしょうか。
そして、山線区間は廃止になってから注目を浴びた区間も多いですね。 倒壊しかけの駅舎のあった冬季休業駅の上音威子府や、温泉の湧く道の駅・敏音知、今も駅舎の残る松音知など・・。 松音知は偏屈な奴が駅舎を買い取ったとかで、「ブログなどで自分の所有物である松音知駅の写真をアップするな!」とネットで吠えていましたね。 こんな了見の狭い男が、本当に駅舎を買ったのか疑問ですが。
石炭ストーブの火力は絶大ですね。 何でも、北に住む人はストーブの焚かれている家の中ではTシャツ一枚で過ごしているとか・・。 私の頃の学校は教室にはなかったですけど、用務員室にストーブがありましたね。 石炭ストーブではなかったですけど。 用務員さんはストーブの上にヤカンを置いて、そのお湯でカップラーメンを作って食べていましたね。
冬の上頓別駅に降りるなんて考えたこともなかったです(笑)
石炭ストーブは懐かしいですね~
小学校3、4年頃までは石炭ストーブが教室にありました。
書かれておられるように火力は強力で、ストーブ横の席に居ると暑さでウダるような状態でした。
幼稚園の頃などはお弁当をストーブの柵の上に置いて暖めて食べていましたね。